後日談



あれからどうなったかは、ぼくは詳しくは知らない。けれど土樹がなにも言ってこないところを見ると、どうやらうまいことやってくれているようだった。


ぼくに相談したところでなにも解決しないから話していない、という可能性も残っているが、あの永家方面からもなにも連絡がないことからも、首尾は上々と言ったところだろう。


あの日、すなわちぼくが土樹に話したあと、一万円を売ったという人をぼくは知らない。


噂でも聞かないので、人脈云々の話しではないことは確かだった。たまに冗談交じりで「売りたいな」と言うのを耳にしたことはあったが、それは友人間のみで伝わる戯言の類に他ならない。乱発される「死ねよ」と、なんの遜色もないくらいだ。


朝のホームルームでも、注意はなくなった。忘れ去られたというより、最初からなかったかのように扱われていることに、土樹のすごさを感じる。いったいなにをしたのだろうか。


今回の火消しには『詐欺』という名称は出していないはずだ。ぼくは確信があるが、実際に被害が出ていないところと見るとそう言い切ることは難しいだろう。噂に混ぜて流しても、おそらくここまで結果はでないだろう。偽札かもしれないのに売った人がいるくらいだ。詐欺かもしれないとわかっていても「自分は大丈夫」と信じて突っ走る人がいてもおかしくない。今回は一人、被害者が出れば成功なのだ。噂の力に頼るには少しもの足りない。


そのあたりは、土樹も熟知しているだろう。やたらめったら詐欺詐欺言い回って余計な不安を煽ることもない。売って儲けが出た、という結果のみ残れば最高なのだ。


知らぬが仏、である。


だが、そうなると……本当に土樹はなにを使ったんだ? ぼくに知らないなにかを隠している気がしてならない。


実は土樹の両親が警察官で、なんてオチは用意してなかったはずだが。




この事件が片付いてから一度だけ、ぼくはあのワゴン車があったところに行ったことがある。けれどわざと時間を置いたこともあり(すぐに訪れてあとで、一万売りたかったの? と余計な興味をもたれるのが嫌だった)、そこには誰もいなかった。あのおじさんが言っていたタイムリミットもとうに過ぎていたので、あまり残念という気持ちにはならなかった。


吉雪堂にも行ってみた。といっても、中に入るのは憚られるので、外から見ただけだが。


レジには、あのアルバイトの男性はいなかった。


おじいさんがいた。


きっと、あの人が店主なのだろう。どうしてこれまで顔を出さなかったのかわからなかったが、ぱっと見元気そうなので少し安心した。レジが置いてある机に肘をつき、なにやらページをめくっている仕草は暇であることを宣言しているようであったが、それを見てようやく詐欺事件が終わったのであると自分を説得させることができた。


やはりどこか不安だったのだろう。


お礼参りのようなものを、少し考えてしまったのかもしれない。詐欺は未遂で終わったが、そのあとの行動までを読み取ることは、いくらなんでもできない。永家だって不可能だ。


夜道で背後からいきなり一撃、なんて想像をしたことは数回だけある。


それも今日で終わることだろう。




あのゾロ目の一万円札も、結局のところ偽物だったのか、ぼくはわからずじまいだった。


実際この目で確認しながらも、それを判断できなかったのは今回反省すべきところだろう。透かしがないとか、明らかに差異があったはずなのに、そのときは柄にもなく興奮していて調べることを忘れていた。


あれ以来、あの一万円を見たという噂も聞かない。おじいさんを見たということも聞かない。どこか別の場所に移ったのだろうか。ひょっとしたら、そこで同じようなことをするつもりなのだろうか。


残念ながら、それを知る方法も止める方法も、ぼくにはない。


その土地の名探偵、もしくは探偵に期待するとしよう。




* * *


「……こんなところ、かな」


教室から外の景色を眺めながら事件を振り返り、反省をする。これで、名前矛盾の仕事は完全に終了だろう。お疲れ様。また会う日まで。


外の景色から教室に目線を移すと、そこにはもうぼく以外誰もいなかった。放課後になってもう大分たっているため、クラスメイトたちはすっかり家路についているか部活に励んでいる。ちなみにぼくは帰宅部だ。早く部活動に打ち込みたいのであるが、そうできない理由があった。


鍵が、無いのである。


一応弁解しておくが、落としたわけじゃない。在り処はわかっている。僕の家の玄関に引っかかっているはずだ。今日の朝、そこにかかっていることを確認した。本来なら今日学校に来る前にそれをポケットに入れてこなければいけなかったのだが、忘れてしまったのだ。


昨日、お母さんから「今日は帰りが遅いから、鍵持っててよ。帰ってもいないからね」と言われていたのだが、うっかり持たないで出てきてしまった。明確な帰宅時間は聞いていないが、あの言い方からすれば夜であろう。それまで時間を潰さなければ。


というわけで、時間を潰すために一番に浮かんだ場所は、土樹の家だった。


昼休みにこっそりお願いしたら、OKと二つ返事が返ってきた。だが、鍵は土樹が持ったままだ。なぜあのとき借りなかったのか。そのことが悔やまれる。


「早く帰りたいんだけど、遅いなあ」


帰るときは声をかけてくれるはずなのだが、なぜかいつまで立っても呼びに来ない。今日、土樹の部活がないことは確認済みだ。となると先に帰ってしまったのかと思ったが、下駄箱を見る限りまだ校内にいるようだ。けれど教室にはいない。


「なにか厄介ごとに顔をだしてないといいけど」


僕がよく知る土樹 空海は、なぜか面倒ごとによく絡まれる体質なのだ。絡まれそうになったら適当にかわせばいいのだが、土樹の場合かわそうとして深みにハマるというか、石つぶては避けるのにそのあとの大砲に直撃するというか、運が悪い。


その癖、面倒を解決するのは僕なのだから、本当に救いようがない。


「……先に帰ろうか」


ここでうだうだしていてもしかたない。それに、どうせ土樹が来たとしても別々に帰ることになるのだ。だったら僕が先に帰っても問題ないだろう。まだ外は暑いので長時間待つには厳しいが、これもぼくが鍵を忘れたせいだ。我慢しよう。


そう決めるとあとは実行あるのみ。さっさと帰り支度を整え、鞄を持ち、席を立つ。


そこで、タイミングがいいのか悪いのか、土樹が来た。


クラスを見渡し、僕を見つける。そしてほかに誰もいないことを確認したあと、ようやく「よお」と声をかけた。対して僕はまだ声をかけず、土樹が教室に入り、ドアに鍵をかけるまで声をかけなかった。


教室に僕と土樹だけになり、ほかに誰も入ってこれなくなった状況ができて始めて、


「遅い」


声を発する。


「なにしてたのさ」


「ちょっと考えごとをな」


土樹はそれが当たり前であるかように僕の前に座る。椅子の背を抱え込み、疲れたと言わんばかりにため息を吐いた。どこか憂いを帯びた表情だ。顔は壁を見つめ、僕を見ていない。


元気だけが取り柄の土樹がこんなにしているということは、まあそうなのだろうけど、こういう頼み方はあまり関心しないな。


「……あのさ、土樹」


「ん?」


「僕は手伝わないからね」


「あれ、なんで俺の言おうとしていたことがわかったんだ?」


わからないでか!


叫びたくなったが、ここで叫んで誰か入ってこようとされたらたまらない。こんな場所で二人でいるところを見られたら言い訳ができないじゃないか。


「ともかく、土樹、先に帰ってよ。あとで追っていくから」


「そういうなよ、ちょっと俺に付き合えよ」


「僕としては、早く帰りたいんだけど」


「なにか予定があるのか? 俺ん家に」


「土樹の家に予定はないけど、教室から出たいんだよ」


親友を隠すことは土樹もわかっているはずなのに、神経質になっている僕に対して土樹は実におおらかだ。流石正反対。


「まあまあ、ちょっと落ち着けよ。急ぐといいことないぜ。なにか暇つぶしでもないかな、お、そうだ、たった今思い出したんだがな」


「なにその棒読み」


「お前好みの謎を持ってきた」


土樹はニヤッと笑い、そうして鞄の中からテスト用紙を一枚取り出した。


お世辞にもいい点数とは言えないテストをとんとんを指でつつきながら、土樹は言った。


「真に残念なことに、俺のテストがすり替えられた。これはいったい、誰のテストだ?」


そして、また、土樹があの別称を口にする。


……やあ、おはよう、名前矛盾。また会ったね。


ぼくは席に座った。


「……まずは、詳細を聞かせてよ」


ぼくと土樹の関係は、まだこの先も、続いていくことだろう。




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その一万円、買います! 了


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