「はじめようか」
駅前には神栖くんたちがいるはずなので、辺りに注意しながら自転車を漕ぎ進める。行かないと言った手前、会ったとき気まずいからだ。
慎重に、けれど手早く。
いつ着信があってもわかるように、携帯は自転車の前カゴに入れていた。網目は細かく、ガラゴロと携帯がホッケーのように暴れる姿に我慢さえすれば、一番目につく場所だ。
知った顔も見かけず、土樹からぞろ目を見つけたという着信もなかったので、すんなりと吉雪堂に到着した。
吉雪堂の前に駐輪場はないので、ガードレールに立てかけるようにして自転車を止める。
吉雪堂。ちょっと前までは存在すら知らなかったのに、今は一番知りたい存在になっている。ここを通る通行人の方々は、ここのことを知っているのだろうか。薄暗い店内は、外から見ただけじゃよく分からない。きっと光量に差があるせいだろう。日が照ってると、目が明るいところに慣れて暗い店内がますます暗くなる。
「…………」
吉雪堂の前に立って、ぼくはしばらく考えた。本当はそこまで考えるべきじゃなかったのかもしれなかったけれど、ぼんやりと看板を見ながら、考えた。
どんどん矛盾が見つかって、そして納得できる答えが見つかっていく。
不思議な感覚だった。名探偵とは、こんな具合なのかと思った。
「…………よし」
細い通路を進むと、以前見たのと同じ男性がレジの前に座っていた。
ぼくを見つけると「おっ」と声を漏らす。覚えていてくれたのだろうか。
「なんだなんだ、今日は客が多いな」
「はい?」
「いや、こっちの話し。久しぶりだね。ぞろ目のお札を持ってきてくれたのかい?」
「いいえ。でも、近いうちに持ってこれるかもしれません」
「ああ、見つかったんだってね。7のお札」
お兄さんがレジの隣に肘をつく。さすがお札を扱っているだけあってその手の噂には敏感なようだ。
「確か30万で買い取ってくれるんでしたね」
「さっきの子にも訊かれたけど、そうだよ。7のぞろ目ならそれくらいで買い取ろう」
右手が三本指を立て、左手はゼロを作る。
「さっきの子?」
「ああ、君の前にお客がいてね。同じ質問をされたよ。ちょうど君と同じぐらいの歳かな」
「二人ですか?」
「おお、よくわかったね」
草臣くんと神栖くんだろうか。同じ質問をしたということはその可能性は十分にある。
……まずいな。早くしないと。
「そんなみんな興味があるのかい? なにかずいぶん焦ってたけど」
「知らないんですか? ぞろ目の持ち主が、ぞろ目を売ってくれるらしいですよ。20万で」
「20万」
お兄さんはわずかに目を見開く。
「すごいね」
「20万で買って、お兄さんの店で売ろうとしてるんですよ。30万で売れれば手取り10万ですからね。下手なアルバイトより簡単に儲かる。しかも、全員笑顔。やらない理由はありませんよ」
「なるほど。それであの子たちはあんなに張り切っていたんだね」
腕を組んで、首を振る。
「20万だったら、俺が直接買ってもいいな」
「良かったら教えましょうか? 誰が持ってるか。実はぼく知ってるんですよ。持ち主」
青年に近寄り小声にする。カゴからポケットに入れた携帯はまだ震えない。
青年は首を傾けて目を閉じる。
膝が笑っていた。膝を少し曲げて体まで震えが上がってこないようにする。耐えなきゃいけない。ここからが正念場だ。
お兄さんはニカリと笑った。ビクッと首が痙攣した。
「いや、遠慮しようかな」
「どうしてですか? お金は取りませんよ」
「こういう商売をしてるとね、慎重になってくるんだ。嫌なほう嫌なほうに考えちゃう。まだ子どもの君が、なにか企んでんじゃないかってね」
「……残念です」
「あはは、そんな顔しないで。……そうだね、もし君がぞろ目をもってきたら、35万で買って上げよう」
「いいんですか?」
「ああ、特別だよ」
ありがとうございます。お礼を言って、お兄さんに背中を向けた。
「また来てよ」お兄さんの言葉に軽く会釈する。そのまま帰っても良かったのだが、もう一つだけ訊いてみることにした。
「あの」
「ん? なんだい」
「あなたは、いったいどのくらい前から、ここで働き始めました?」
「あ―……そうだな……。一週間ぐらい前からかな」
吉雪堂から出た。
自転車に跨ると、今になって緊張と疲れが一気に襲ってきた。
足が重く、漕げなくなり、途中で止まる。ゆっくりと深呼吸を繰り返した。ベトつく汗が顔にでる。
「35万か」
20万で買えば、15万の利益。
本当にそれだけの価値があるのかどうかぼくには分からないが、かなり魅力的な話しに違いない。
土樹に言ったらなんというだろう。神栖くんたちより先に「ぞろ目を買い取ろう」と言い出さないだろうか。もし言ってきたら、ぼくはなんと言ってブレーキをかけようか。
ダメだ……切り替えよう。
まだ終わってない。
お終いに一歩近付いただけ。ゴールは目の前だが、油断しちゃいけない。あと一つ。あと一つ確認しなきゃいけないことが残ってる。
「永家は、やっぱりすごいな。けっこう前から気付いてたもんな」
さすがホームズ。今頃気付いたぼくはやっぱり偽物だったわけだ。
自嘲気味に笑うと、携帯が震えた。メールだ。土樹から。
見つけた
読点もない。土樹 空海か景色写真かどうかもわからない。ぼくは『わかった』と返す。
「最後だ、最後。気を入れろ、ぼく」
自転車を向かわせる。最後は土樹がいる。大丈夫だ。
ファミレスに着いても、そこに土樹の姿はなかった。尾行していったのだろうか。電話すべきか躊躇したが、そのすぐあとには発信ボタンを押していた。変なことに巻き込まれているか心配だった。
電子音が二回、三回と続く。さっきは一回で出たのにと不安になる。五回続いたとき、低い小声がした。
「もしもし?」
「土樹?」
「なんだよ? 気づかれるだろ」
「尾行してんだね。今どこ」
「アスレチック公園の前の、橋の上」
「相手は自転車?」
「徒歩」
アスレチック公園は学校の近くにある。小学生のころはよくそこで遊んだ。場所的に言えばファミレスからあまり離れていない。
飛ばしたせいか、五分かからずに公園前に着いた。土樹の言う橋の上に二人はいない。
「渡った……よね」
橋の上にいたってことは渡ったに違いない。橋の先は団地が続くはずだ。帰る途中なのだろうか。
また電話しようかと思ったら、メールが来た。
丸太椅子
場所が特定できた。やはり渡っていた。
丸太椅子は橋の先から始まる坂道の終わりにある椅子だ。丸太をくり抜いて作ったような椅子は、雨が降ったら雨が溜まってしまう。そのせいか汚れもたまりやすく、座る人は誰もいない。
立ち漕ぎで自転車を走らせ、丸太椅子を左手に走り抜ける。この先はほぼ一本道だ。メールの送信時間からしても必ず追いつける。
「いた!」
ぼくの前、ポケットに手を入れた土樹を見つけた。下手に隠れるでもなく、ゆっくり歩いている。土樹の前に、ひとりの男性。あれがそうなのだろう。
「追いついた」
ブレーキをかけながら土樹の隣へ。降りることはなく、足で地面を蹴るように進んだ。
土樹は顎で前をさす。前に人間はひとりしかいないので、ぼくは黙って頷いた。
「行こう。景色写真」
「いいのか? そっちは」
「もう終わった。これで最後」
「了解」
土樹が声を張り上げて呼び止める。
前にいた人が、振り返った。
前にいた人は、顎に短くヒゲを生やしている男性だった。ヒゲも髪も白髪が混じっているが、おじいさんと呼べるくらいではないように思えた。背丈は吉雪堂の男性と同じくらいだろうか。
「あの、すいません。俺たちファミレスから付けてきたんですけど」
土樹の後ろでぼくは息を吐く。やっぱり、こういう役はぼくじゃだめだ。あなたを尾行してましたって、どんな切り出し方だ。
「ファミレスから?」
おじさんが顎を引く。ヒゲを触ったかと思ったら、ニンマリと顔を歪ませた。
「ははーん。さてはぞろ目を狙ってきたんだな」
「よくわかりましたね。実はそうです」
「なにが実はだ。わざとらしい。にしてもあそこからつけてくるなんてな。よほど欲しいのか?」
おじさんがポケットから財布を取り出す。二つ折りにできるお札入れから、噂の一万を取り出してみせた。
777777
間違いない。ぞろ目だ。しかも折り目もないピン札。
「すごい」
土樹はつぶやいた。
「そうだろう。珍しいお札だからな」
「すごい、本当に珍しいね。ねえ、おじさん、それ売ってよ」
よく言った土樹。内心拍手をする。
おじさんはまたニンマリと笑った。ひらひらとお札を振る。
「いくらだす?」
土樹の裏に隠れながら、こういう大人にはならないと誓う。どう頑張っても高校生に見えないぼくたちに『いくらだす』なんて。
土樹が首を回し、ぼくを見た。金額に迷っているのだろう。ぼくは土樹の隣に移動した。
「五万」
「話しにならんな」
「十万」
「十万か……」
考えるふりして、実は断る気まんまんなのだろう。それが顔に現れている。
「十五万」
「ぞろ目だぞ? 世界で一枚だ」
どのお札も世界で一枚だ。
「20万」
ボソッと土樹の後ろで呟いた。おじさんはそこでやっとぼくに気付いたように、まじまじとぼくを観察する。
「20万。良い数字だ。よし、いいだろう。20万円用意できたら売ってやる。お前たちに用意できたら、な」
「できますよ、多分」
最近の中学生は金持ちだ。ぼくだけじゃ無理でも、二人合わせればどうにかなる。隣にいる土樹と合わせれば、それぐらい用意できるだろう。
「そうか、なら、売ってもいい。だが、早くしないと売ってやれないだろうな。ほかにも買いたいって奴がいるから、先着だ」
「わかりました。そうします。 最後に……いいですか?」
「ああ、なんだい」
「吉雪堂は30万で買い取ってくれるらしいんですけど、それでも20万で売ってくれますか?」
「お、おい、お前……」
土樹がぼくの肩を掴む。おじさんは「本当か?」とヒゲをいじり始めた。
「30万か……。なら、余計早くすべきだな。もたもたしてると俺がその吉雪堂とやらに売っちまうぞ」
「……はい。わかりました」
確定。
仮定は確信へ。
「じゃあな、俺はまたファミレスにでもいるだろうから、見つけたら声をかけてくれ」
「わかりました。さようなら」
おじさんはヒゲをいじったまま、ぼくたちに背を向けた。一度も振り向かずに小さく消えるおじさんを見送ると、土樹がようやく口を開く。
「良かったのかよ、あれで。吉雪堂に売られたらどうすんだ?」
「売らないよ」
「なんでそんなこと言えるんだよ」
なんで? だってそんなことしたら意味がないじゃないか。
「ねえ」
「なんだよ」
「土樹は今、一万がいくらぐらいある?」
「あん?
そうだな……千円五千円含めていいなら、合計15万ぐらいかな」
そんなにあるのか。
「ぼくは八万だ。あわせて24万。さて、土樹。盛大に売るとしようか」
「お、それじゃあ」
「うん。ようやく確信が持てた。あのワゴン車のお金は偽札じゃない。売っても安全だよ」
さっそく家に戻り、一万を取りに戻る。ぼくは元々一万札なので問題ないが、土樹はどうするのだろうか。確か土樹の両親は共働きのはずだ。親の一万と両側なんてできないはず。一度銀行にでもよるつもりだろうか。
先に揃えたぼくが土樹の家の前に行くと、ちょうど土樹が出てきた。
「用意できたか? 行くぞ」
「一万はもう調達できたの? なんなら、一度銀行に寄ろうか?」
「銀行? なんで?」
「さっき、言ったじゃんか。千円五千円含めていいかって。だから、お札にする必要があるでしょ」
「ああ、そのことか。それなら心配いらない。もう解決済みだ」
「解決済みって……両替が済んだってこと?」
ああ、と土樹は頷いた。
「二枚ぐらいないなら、交換できる。置いてあるんだよな、家に。なにかあったら使えって。ほら、新聞の集金とか急に帰りが遅くなったときの弁当代とか。そこから両替してな」
「じゃあいいんだ」
「おう。行くぞ。7時までには帰りたい」
携帯の時計は、6時五分前。スムーズにいけば十分間に合うはずだ。
「じゃあ行こう」
夏とはいえ、夕暮れになれば当然暗くなる。6時まだまだ明るいと言えるのだが、ここから一気に暗くなるはずだ。
暗くなって都合がいいのは、顔が判断つかなくなること。ぼくと土樹が並んでいてもクラスメートにバレる可能性は低くなる。
何時から何時までワゴン車が停車しているのかわからない。もういなかったらどうしようかと思ったが、いらぬ心配だったようだ。ワゴン車はまだ止まっていた。帰り支度もしていない。
夜目が利かないのか、ぼくたちがだいぶ近寄らないと、おじさんはぼくに気付かなかった。
「おお!! さっきぶりだな」
変な言い回しに思わず吹き出してしまう。
「まだ大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、大丈夫だ」
ワゴン車から十円箱を取り出す。蓋を開けると、バラバラだった一万は輪ゴムで止められていた。
「いくらだい?」
おじさんが言った。ぼくたちが金額をそれぞれ言うと、驚いた顔になる。
「すごいね、お金持ちだ」
「最近はこれぐらい普通だよ」
土樹が言った。15万常時携帯が普通なのかとぼくも驚く。
「そんなにお金があったら、おじさんが欲しかったあのぞろ目のお札も買えちゃうね。大人のおじさんよりお金持ちだなんて、ずるいなあ」
「実は、さっきまで買おうかと思ってたんです」
十円を八枚受け取りながら、ぼくが嘘をつく。
「でも、止めちゃいました」
「なんでだい? 勿体ない」
「20万の買い物は怖いので」
「そうか……。君たち中学生かい? そういうもんなのかな」
「どうでしょう。買う人は案外なにも考えずに買っちゃうんじゃないですか」
「そうだよね」
土樹も十円を受け取る。取引完了。
「ありがとうございます」
「おう。また来てくれよ」
「はい」
微塵も思っていないことを口にする。
「また来ます」
儲けた240円で缶コーラを二本買って帰る。一本120円。これで儲けはなくなった。
「なんで俺が多く払わなきゃいけないんだ?」
「推理料だよ。あのおじさんたちが儲かる仕組みを説明してあげる」
「お。それに矛盾はないのか?」
「名探偵を疑うなら、話しは変わるけどね」
「名探偵? お前が?」
「まさか。永家だよ。ホームズと同じ推理。だから間違いない」
ぼくは名探偵じゃない。すっきり解決なんてできない。
しょせん偽物。しょせん模倣。
でも、ある種の解答は出せた。
「ほ―……。で、お前の出した解答は? 名前矛盾」
「面白いことに、景色写真の言ったものと同じだよ。偽札さ」
土樹がポケットを盗み見る。中には財布があるからだろう。
「大丈夫。あのワゴン車のお札は偽札じゃない。偽札は一枚だけだから」
永家が言ったときは思いつかなかった偽札。わかったのはワゴン車のおじさんで仮定が打ち砕かれたときだ。
調査にのめり込むあまり流れが見えていなかった。仮定をもう一度組み立てるとき、ようやく見えたのだ。
「景色写真。あの人たちは、犯罪にかかってる。目的は、詐欺だよ」
推理ショーを始める前に駐輪場が見えてしまった。時間も時間なので一旦帰宅し、夜ご飯を食べ終えてからまた集まることにする。コーラは土樹に預け、後で乾杯することにした。
家にはすでにお母さんがいるため、八万を隠すように自分の部屋を持って行く。一度交換しないと言った手前、今更撤回はできない。それにぼくのお母さんはそういうのを許してくれない。
もしバレたら夕ご飯抜きの、外の締め出しだろう。土樹の家行こうとしようにも電話されて、いれてくれないように頼まれてしまう。
夕飯前、こんな時間まで出歩いたことを少し聞かれたが適当にはぐらかす。後で土樹の家にいくと告げた。
カボチャと豚肉のカレー炒めと、ポテトサラダ。そしてお母さんが貰ってきたというねぶた漬を食べ終えると、八時を回っていた。
デザートのアイスを食べてから携帯を見ると、10分前に着信が一件。土樹からだ。メッセージは入っていなかったが、食べ終わったのだろう。メールで九時頃行くと送った。
今すぐ来いとメールが返ってくる。けれど、先に解答を伝えておきたい人がいるとメールを返すと、それきりメールは返ってこなかった。
暇かどうかわからかったが、こんな時間だし大丈夫だろう。ぼくの半身であり、半同一であり、ある意味師匠に電話をかける。
「うつつか? どうした?」
「永家? 今大丈夫」
ちょっと待ってろ、その言葉のあとドタドタと音がした。階段を上っているのだろう。確か、永家の家は二階建てで、二階に永家の部屋がある。
「もしもし? なんだ」
「わざわざ移動して貰って悪いね。大したことじゃないんだよ。報告したいことがあってね」
永家は相槌を打つ。
「今日行ってきたよ。ワゴン車の買い取り屋」
「お―、とうとう行ったか」
「そりゃ行くよ。ぼくは損をしたくないから。あそこにあるのは偽札じゃないしね」
電話の向こうが、沈黙した。かと思ったら、笑いをかみ殺す音がする。
「なんだ、お前も行き着いたのか。おれと同じ考えに」
「今日、永家から電話があったときはわからなかったけどね。あれからいろいろあって、ようやくわかったよ」
「間違ってるかもしれないぞ?」
ぼくの考えが間違っているのか、ぼくと永家の推理が違っているのかわからないが、相手は名探偵だ。間違うはずがない。
「自信はある。これから土樹に推理を披露してお終い」
「警察へは?」
警察?
「ぼくの推理を聞いてくれるほど暇だとは思わないけど。でもまあ、友達が詐欺に合うのは嫌だから、土樹にでも頼むことにするよ。警察にたれ込むか、噂にしてバラまいてもらうかは土樹次第」
「おれは後者だったかな」
永家が言った。土樹みたいな性格の持ち主が、向こうの学校にもいるらしい。さすが半同一。
「それにしても、名探偵のホームズさんは、いったいどこで気付いたの? 事件に関わったぼくより早くわかったよね」
いつからこの事件を追っているのかわからないが、捜査開始はぼくより遅い。情報のほとんどをぼくから得たとしたら、そのときに今の推理の骨組みを作り上げていたことになる。
ぼくと同じ情報で。それも、実際に見ていないのに。
「怪しいと気付いたのは、吉雪堂にアルバイトが入ってお札を扱い始めたと聞いたときからだ。それで次を予測したら、ビンゴ。ぞろ目が出たって言うじゃんか。間違いないと思ったね」
ぼくも同じところで気が付いていたら。なんて、思っても仕方ない。
「そっか」
「なんだ、落ち込んでんのか?」
「多少は」
「落ち込むな。ここまで来れただろ。十分だ」
ここまで土樹は来れなかった。神栖くんと草臣くんはもっと下にいる。
確かに十分なのかもしれない。
この程度の劣等感は、よくある話しだ。
「報告は以上だよ。ぼくはこれから土樹に推理ショーを披露してくる」
「頑張れよ。穴はないのか?」
「多分。……ああ、でも、ひとつ腑に落ちない箇所がある。今回の事件は、わざと子どもの間だけで広まったようにしてるんだけど、その意味がしっくりこない」
「お前の出した答えは?」
「一度に大量のお札を売りにこられると困るから」
「おれもそれだ」
「ほんとに?」
「あと、大人が相手だと回収できなくなるからじゃないか? おれたちと違って、警察も怖くないだろうし」
回収?
…………ああ、そういうことか。
「よくわかった。ありがとう」
「おう。じゃあな。推理ショー頑張れよ」
頑張るよ。偽物なりに。
9時。玄関でちょうど帰ってきたお父さんと入れ違いになった。
「どこ行くんだ、こんな時間に」
お父さんが入ってきたので、靴のかかとを踏んだまま外に出る。二人並んで靴を脱げるほど家の玄関は広くない。それに靴が三人家族とは思えないほど靴が散乱している。
「土樹の家だよ」
お父さんから靴べらがパスされる。ありがたく使って、階段を下りた。ポケットに入っているのは携帯が二つだけ。ほかに手持ちはない。
土樹の家をノックすると、招き入れてくれたのは土樹本人だった。おじゃまします。一礼して入る。土樹の両親にも会釈して、土樹の部屋に行く。土樹はコーラを取りに行っていたので、ぼくが先に部屋に入った。
土樹のベッドに腰掛けてこれからする話しをシミュレーションする。やがて、片手に二本コーラを持った土樹がきて、準備が整った。
「さあ」
土樹からコーラを受け取る。
「はじめようか」
プルタブをひねる。乾杯をした。
「まずなにから話そうか」
「最初からだ。俺がなにも知らないと思って話してくれ」
「いいよ」
コーラを一口。炭酸は久しぶりだ。口が痛い。
「まず事件の最初。ワゴン車の買い取り屋。あれが出てきたのが事件の始まりだ。一万をプラス10円で買う。端から見れば変な話しだけど、ちゃんと理由があった。お札には必ずある通し番号。それが誕生日の番号を探しているって。けど、これはかなり効率が悪い。無差別に買い取っても目的の番号が得られるわけじゃない。ということで浮き上がったのが、偽札だ。けれど、交換された一万と10円は偽札じゃなかった」
土樹は頷く。ぼくは続けた。
「ここでちょっと話しを変えよう。吉雪堂の話しだ。吉雪堂はぞろ目のお札を買い取ってくれる場所だ。しかも7なら30万。けれどお札を扱い始めたのは最近で、吉雪堂の店主は元々お札を扱っていなかった」
さて、と人差し指を立てる。
「ぼくはここである仮定を立てた。ワゴン車と吉雪堂が組んでいるっていう仮定だ。ワゴン車のおじさんが吉雪堂の知名度をあげ、ぞろ目のお札を売らせようとする。ぞろ目の持ち主が提示金額30万以下なら吉雪堂に売る。30万以上ならワゴン車が買い取って別の買い取り屋に30万以上で売る。けど、これはちょっとおかしかったんだ。ぼくの仮定だと吉雪堂が無くてもあまり関係ない。30万以下で買って、30万以上で売れれば利益はいいはずだ。わざわざ吉雪堂に売る必要がない」
「ワゴン車のおじさんが吉雪堂に雇われている、じゃあだめなのか」
コーラで口を潤した土樹が言った。確かに、土樹の言うことももっともだ。
「なら、素直にそう言えばいいんだ。関係を隠すメリットがない。宣伝費って以外とお金がかかるんだよ。せっかく宣伝してるのに名前を言わないなんてもったいないだろ。可能性として、持ち主が30万以上でしか売ってくれない場合、保険として別の買い取り屋を探していたのかと思った。けど、いくらで売ってくれるのかわからないのに店を探すのは先走りすぎだ。こういうことわざがあるね。捕らぬ狸の皮算用」
土樹は腕を組む。
「ワゴン車と吉雪堂がどんな関係があるのか、ぼくにはわからない。血縁関係があるかもしれないし、雇われているのかもしれない。まあ、関係の深さまで追い求める必要は今回ないけど。また話しを変えよう。今まで舞台に役者は二人だけだった。こでもう一人役者が登場だ。ぞろ目の持ち主。彼はなんと一万のぞろ目、しかも7のぞろ目を持ってた。ここで気付くべきだったんだ」
「なにをだ?」
「事件の始まりはいつだったのか」
近過ぎて見えなかった流れ。離れたとき、やっと見えた事実。
「考えてみなよ。ワゴン車が現れたのが5日前。その前後に吉雪堂がお札を扱いはじめた。そしてその数日後、ぞろ目が見つかった。偶然かな?」
「…………」
「余計なものを剥ぎ取って考えてみた。簡単に考えれば、素直な真実にたどり着いた。ワゴン車のおじさん、吉雪堂、ぞろ目の持ち主。この三つが手を組んでいる」
「意味がわからない」
土樹が噛みついた。
「お前の話しじゃ、ぞろ目を買い取って、それを買い取り屋に売ることで利益を得るんだろ? そこが手を組んだら、利益もなにも出ないだろ」
「そう。確かにその通りだ。ぞろ目のお札が吉雪堂に移動するだけの話し。じゃあ、もし『ぞろ目のお札が偽物』だとしたら?」
「は?」
「土樹は聞いたよね? 持ち主の言葉。ぼくが吉雪堂は30万で買い取ってくれると言ったとき、おじさんはなんて言ったか。
『気が変わらない内にお金を用意しろ』
なんでだ? 30万で売れるとわかっているのに、20万で売りたい理由。答えは簡単だ。ぼくたちに売ることで始めてお金になるからだ」
土樹には言わなかったが、吉雪堂も同じようなことを言っていた。20万で買い取れるのに、買い取ろうとしない。注意深くいきたいと行っていたが、鑑定するまえに決めつけていいのだろうか。
それに、あのアルバイトはミスをした。早く売りたいばかりに『35万で買う』と言ってしまったのだ。前に吉雪堂で値段を聞いたとき、青年は
『店主が値段を決める』
と言っていた。だが、実際は違うのだろう。永家が言っていたように、吉雪堂は元々お札は扱ってなかった。あのアルバイトが入ってから扱い始めたのなら、全て納得できる。
「ワゴン車のおじさんがぞろ目買い取りを断った理由もそこにある。なんとかしてぼくたちに売りたかったんだ。吉雪堂のこともぼくたちに伝えたのも、20万の買い物を安いと錯覚させるため。ぞろ目の一万の相場がわからない以上、20万が安いか高いかわからない。けど吉雪堂が30万と言ってるんだ。吉雪堂は看板のあるお店。信用に値する情報と思っても仕方ない」
コーラの炭酸が喉に心地いい。体もなんだか熱を帯びてきた。
「前から疑問だった吉雪堂の場所と時間制限。これも、今までのことを考えると説明できる。場所は本当に警察を恐れたため。単純に詐欺集団だからね。時間制限は、利益のため。あまりダラダラと10円を払い続けていると20万の利益がなくなっちゃう。払い続けたときはぞろ目を25万で売って、吉雪堂35万で買い取ればいいんだろうけど、あまり高値にし過ぎると買い手がいなくなる。相場はないけど、上限はあるだろうからね。相手はぼくたち中学生だ」
「そうだ。噂だ。なんで噂は子どもだけで広まったんだ?」
土樹が口にした議論。ぼくも同じように疑問に思っていた部分だ。けれど、今はちゃんと説明できる。
「まずは資金力の差だろうね。一度に何十枚と売りにこられたらあっという間に20万の利益がなくなる。それになんと言っても大人は一万札を見慣れてるだろうし、もしかしたら偽札だってことがバレる恐れがあるだろ。偽札だってことは吉雪堂で鑑定してわかるようにするべきだから、大きさだとか透かしだとか、わかりやすい点で違いをつけてるはずだし」
それになんと言っても。
「あわよくば偽札を回収しようって思ってたんじゃないかな」
土樹が眉をひそめた。
「吉雪堂が偽札と鑑定し、価値がなくなったときはどうするか。普通は間違いなく警察にもっていくだろうね。偽札だし。お金に交換したら、間違いなくあのおじいさんはいなくなるだろうし。万が一偽札とわかっても、あのおじいさんは『偽札だと知らなかった』と言ってしまえばそれまでだ」
20万円だと思った一万は、価値がなかった。そうわかったとき、人はどう反応を取るだろうか。
ぱっと見偽札だとわからなければ、そのまま使ってしまうかもしれない。機械に通さなければ分からないかもしれない。けれど、もし見つかったらどうしようか。近くの店で売ったら足がいてしまう。
「使いたくても使えない一万。だけど、大して確認もせず、さらに一万以上で交換してくれる場所があるんだ。偽札だとわからなければ三万で買ってくれる場所が」
「それって……」
「あのワゴン車だ」
偽札で価値がなくなったお札に三万の価値がつく。警察に行けば没収でただ損するだけだ。
「吉雪堂の人がうまく誘導するかもしれない。ワゴン車のおじさんに売れって。そうすれば一万は回収。証拠はなくなる。ワゴン車の買い取り金額は利益によって変わるだろうね。さらにワゴン車のおじさんは『あと二、三日で移動する』と言い、さらには『一度警察に見つかって警察が苦手』と言っている。もし偽札だとわかっても警察に言うことはできないと思ったのかもね。警察に言うとなると偽札の入手経路を話さなければいけなくなる。心優しい人なら、偽札だとおじさんに告白するかもね。それでもおじさんは買うだろうけど」
「…………」
土樹は腕を組んで黙ってしまった。
コーラを飲んで時間を潰す。ややあって、土樹が言った。
「三万で買ったりしたら、ますます利益がでないんじゃないか」
「かもね。5日前から仕込んで、吉雪堂にアルバイトまで入れたのにって思うかもしれない。けど、それはぼくたちも同じだ。散々調査して、得たものはコーラ一本。結局、わずかでも儲けがあるならそれで良かったんじゃない?」
「そんな……もんなのか?」
「そんなもんだよ。偽札が回収できれば、別の場所でも同じことができるからね」
コーラを傾けると、ちょっと飲んだだけでなくなってしまった。これで儲けはなくなった。同じように土樹も飲み干す。
「以上。これでお終い。あとは土樹に任せるよ。ぼくの推理を警察に行くか、友達に注意して回るか、お好きなように」
「なるほど、わかった」
パンと股をたたき、土樹は立ち上がる。部屋を出て行くところをみると、トイレだろうか。
空になった缶を二つ見て、これまでかかった時間のことを考える。
いったいどれだけの時間を消費したのだと思う。
楽しかったような、大変だったような、よくわからない気持ちだ。
土樹がいない内に、解約済みの携帯に打ち込まれた情報をメモ帳にまとめた。
まとめた情報をコピーして、メールにペーストする。送信ボックスに並んだメール。過去の事件のものだ。今日のも加えることにする。
だいぶ時間をかけただけあって、それなりの情報量だ。名探偵はこの半分で事件を解決できた。
でも、まあこれが一般人の限界なのかな。
そう思って、題名をつけた。
明日からは、また純粋な夢見 うつつに戻るのだろう。
それがちょっと物足りないような気になるのは、危険な兆候だ。一般人が名探偵の真似をすると痛い目にあう。
「おやすみ、名前矛盾」
また次に別称を使うのはいつになるだろうか。
近いうちに来て欲しいような、来て欲しくないような、曖昧な気分だ。
ぼくは缶の縁を触りながら、ゆっくりと息を吐いた。
全てをやり切り、疲労が心地よい。
久々に、清々しい気分だった。
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