「あるとすれば一枚だな」

朝の会は、また買い取り屋の話題からだった。前回より長く注意が出され、そのことから売った人が多かったことが予想された。


先生の注意は、草臣くんみたいな人には有効だったが、その代わりに今までわずかにいた知らなかった人も買い取り所の存在を知らせ、さらには今まで売るか売らないか迷っていた人を焚きつけてしまったようだ。反発したい年頃のぼくたち中学生は、スリルを求めて売ったのかもしれない。


二度三度と注意を重ね塗りして、朝の会は終わった。


出て行く先生の背中を見送っていると、ポンポンと肩をたたかれた。草臣くんだった。


「ねえ。夢見くんは今日の放課後暇?」


「え」


土樹の約束が頭に浮かぶ。


「なんで?」


草臣くんは顔を寄せた。


「一万円、売りに行こうかと思って」


草臣くんは小声だった。弱気な印象を受けるが、声は震えていない。もう先生がいないのだから構わないと思うのだが、きっと無意識なのだろう。


「珍しいね。この前は止めたのに」


先生に見つかるのが嫌で止めたのに、たった1日で考え方が変わるとは。


注意されたのは今日も同じ。しかも昨日より長く注意を受けた。


売った人が多いから安心と思ったのだろうか。


草臣くんは口を尖らせて「昨日は昨日だよ」と反論をする。そして、


「もうそろそろあのおじさんがいなくなるっていうからさ、今の内に10010円に変えようかって」


「……いなくなるの? おじさん」


「うん。神栖くんがね、昨日売ったときに聞いたんだって。『いつまでここにいますか』って。そしたらおじさんは『もうそろそろだよ。あと……二、三日かな』だって」


二、三日。とうとうリミットが発表された。案外短いことに少し驚く。この期間になにができるだろうか。


「放課後、みんなで……って言っても神栖くんとだけど、一緒に売りに行こうかって話してたんだ。夢見くんも一緒に行かない?」


さっき神栖くんと話していたのはそれだったらしい。なるほど。だったら神栖くんがいなくなった理由がわかる。


今まで一枚も売らなかったぼくは、買取に興味がないと思われているに違いない。興味がない話題を話すのは気が引けるのだろう。


空気を読んで席を離れた神栖くんも流石だが、今まで売らなかったぼくをまた誘う草臣くんもなかなかの強者だ。


「そうだねえ……」


『行くよ』とも『無理かな』も言えない位置にぼくはいる。土樹がそばにいて一部始終を聞いていれば楽だったのに。


「返事はあとででいいかな。帰ってからで。家に今一万円が何枚あるか確認したいから」


「わかった」





人がテレパシーで会話できないのは神様が決めたかららしい。テレパシーが使えたら、伝えたくないことも伝えてしまうからだそうだ。


だが、だからと言って全ての人からテレパシーを奪うのはやりすぎだと思う。使いたいときは必ずあるはずなのだ。そこで使えないのは間違いだと思う。


……などと信じたことない神に愚痴るほど、今のぼくに余裕はなかった。


事は急を要する。こんなとき、ぼくにも携帯があれば土樹にメールができたのに。


草臣くんと仮の約束を交わしたあと、すぐに授業が始まってしまった。


どうにかして土樹に今までのやりとりを伝えなくてはならなかったが、まさか授業中に立ち上がるわけにもいかない。


こんなとき、相手が半同一の永家だったら良かったのにと思う。永家が相手だったら、ぼくが思うことの半分がわかっているはずだ。


「焦るな……チャンスは巡ってくるはず」


ノートを破って土樹宛に手紙を書く。よくある手法だが、内容は景色写真に向けてなので、誰かに回してと頼むわけにもいかない。授業が終わるまで待つ必要がある。もしくは公然と立ち上がるチャンスを掴むかだ。


ちらっと時計を見ると、あと授業終了まで40分ほどだろうか。手のひらに充分収まるまで小さく千切った紙切れには、草臣くんの言った情報を書いた。


放課後誘われたことも添えて、推敲を重ねる。できるだけ少ない回数で予定を決めたい。


土樹のことだから、手紙を読んだ瞬間にぼくを連れ出すだろうか? できることならそうならないようにしたい。これ以上は草臣くんに怪しまれる。


土樹に手紙を渡すのにあと40分待つのかと思ったら、その必要はなかった。


チャンスが巡ってきた。


この前やった小テストが返却されることになったのだ。席の列ごとに回収したため、返す順番はバラバラ。さらに返し終わったあとはみんな点数を気にしてすぐに席に戻らない。


「夢見くん」


ぼくの名前が呼ばれた。手紙を手の中に隠し、テストを受け取る。50点中32点。半分越えた。平均点は公開されてないが、まあまあよくできたほうだろう。


テストを見る振りをしながら道順を確認する。食い入るようにテスト用紙を見つめながら、土樹の席の隣を通る。よく考えれば、土樹の席はぼくのところから離れているためそこを通ること自体あまり自然ではない。


ぼくと同じ匂いを持つグループも、土樹の席とは少し違った場所にいる。


まずったかなと思いつつも、つまづくフリをしながら土樹の机に手紙を置いた。


ぼくが土樹の席の近くを通ることに違和感を覚えたのだろうか。突然置かれた手紙にも土樹は慌てなかった。


なにも言わずに手紙を机の中に隠す。手紙を隠す土樹の動作は自然だった。


結果、ずいぶん遠回りして席に戻ると、草臣くんが訊いてきた。


「なにしてたの?」


「テストに見入っちゃってね、道を間違ったんだ」


雑な言い訳だと思ったが、草臣くんは笑ってくれた。そしてそれ以上追求はなかった。


ぼくは日頃、どう思われているのだろうか。




「神栖くんが言ってたんだけどさ」


テスト返却の騒ぎに乗じて、草臣くんがそう切り出した。


「通し番号が全て7のお札があるんだって。知ってる?」


ピクッと眉が動く。ぼくは「なにそれ」と首を振った。携帯を持って来なかったことが悔やまれる。


「神栖くんも誰かから聞いたらしいんだけどね」


草臣くんは財布から千円を出す。千円にもある通し番号を指差しながら、「ここが全部7なんだって」と説明してくれた。


「珍しいの? それって」


「だって世界に一枚しかないんだよ。珍しいに決まってんじゃん」


「ああ、それもそうだね」


今草臣くんが持ってる千円も世界に一枚しかないんじゃない、と言おうとして止めた。


「あるところだと、百万で売れるらしいよ」


「え?」


「あ、これも噂なんだけどね」


百万? 吉雪堂ですら30万だったのに?


あのおじさんが言ったのだろうか、それとも尾鰭がついた結果なのだろうか。はたまた、本当に百万で買ってくれる店があるのだろうか。


「百万……すごいね」


「もしかしたら持ってたかもしれないもんね。もっと注意すれば良かった」


「なにがお金になるかなんてわかんないよ」


「本当にそうだね。……なにかないかな。お金になりそうなものは」


「あったら教えてよ」


にしても、百万か。


値段にも驚きだが、気になることがもう一つ。


……噂、広まるのが早すぎやしないか?


土樹が聞いたのは昨日。ぼくが聞いたのは朝。だとしたら神栖くんが聞いたのはいつだ?


確かに魅力的な話しに違いないが、そのアルバイトの女子がぞろ目を見たと聞いてからここまで、あまりにも時間が短すぎる。


これが噂だと言われればそれまでだが……、すでにぞろ目が高値で売れると知識があったからと言われれば納得できそうなのだが……。


「土樹に調べてもらう必要があるかな」


思わず呟いた言葉は、喧騒に消されて草臣くんに届かないようだった。




土樹がメモを読んでなにを思ったのかわからない。向こうから手紙もなかったし、接触もなかった。けれどそれは普段の日常と変わらなかったので、今日だけ特別視するのは変かもしれない。


三時間目は、教室移動だった。


そこで土樹と席を隣に……と行けば簡単だったのだが、残念ながらクラスは別々。変わりに、神栖くんと隣りになった。


教科は英語。単語を使ったビンゴゲームをするようだった。24個の語群の中から、真ん中のフリーを抜かした24個のマスに自由に配置する。先生が読み上げた単語に印をつけ、ビンゴしたら勝ちというゲームだ。隣りの人と勝ちを争うということなので、ぼくは神栖くんと勝負だ。


「dish」


先生が言った。ディッシュ。スペルがわからなかったので、単語の中からそれらしいものを見つけて印をつける。


「dish」もう一度繰り返す。口で言うより黒板に書いてほしいな。そう思うのはぼくだけなのだろうか。


「telephone」


テレフォン。電話か。よく聞くものなのに、英語でかかれるとわからない。“てれぷほね”じゃないのかい?


「よし、ビ―ンゴ」


「え? 早い」


ぶつぶつ文句を言っている横で神栖くんがビンゴした。まだ10も読み上げてないはずなのに。


勝ち負けが決まってしまうと途端にやる気が失せてくる。もちろん放棄はしないが、集中力は失せた。


「ねえ、神栖くん」


「なに」


神栖くんも集中力が切れたようにビンゴ用紙の隅に落書きをしている。


「一万買い取り屋のことなんだけどさ」


「ああ、なに?」


なにが、ああ、なのだろう。気にせず続ける。


「ぞろ目が見つかったんだってね」


「そうだよ。昨日だっけ? 夢見くんは草臣くんから聞いたの?」


「うん」それと、土樹から。


「神栖くんはどこで知ったの?」


「ジュンからだよ」


ジュン。別のクラスの鷲見 希純のことか。


神栖くんとは中学で初めて知り合った仲なので、鷲見くんと神栖くんの二人は小学校からの友達なのだろう。


ぼくも鷲見くんのことをよく知っているわけではないが、体格としゃべり方からして、どちらかと言えば土樹よりの匂いを持っていた気がする。けれどその匂いは中途半端にぼくたちに近い。近いけれど連むのは土樹のような匂いを持つ人だ。


土樹が知っているのならば、鷲見くんも知っていておかしくない。


「買い取り屋のことも?」


「それはおれが、あのおじさんから訊いた」


「ワゴン車の?」


「そ。あれから何回か言ってるんだ。それですっかりおじさんと友達みたいになっちゃって。それであと二、三日ってこと聞いたんだ。秘密だぞって」


「秘密?」


「耳元でぼそっと言われた。でも、同じように何人か言われてるみたいだけど。あのおじさん、調子いいこというから」


確かに、ぼくにも秘密と言われたことが、実はみんなにも言っていたということがある。今回もそれなのだろうか。


けれど、消えることを秘密にして、なにになる?


焦らせたいなら大々的に言いふらすはずだ。秘密の皮を被せて噂と名前を変えようとしているのか? それともただ口から出ただけなのだろうか。あのおじさんを見ていると、そんな気がしてこないでもない。


「質問なんだけどさ、神栖くん。ワゴン車のおじさんは、ぞろ目のお札がこの辺りにことを知ってるのかな?」


「さあ……。でも今日言うつもりだよ。なんだか珍しいお札を欲しがってたし。10円ずつだけど、稼がせてもらったから恩返しをね」


「珍しいお札ってぞろ目のこと?」


「そろもあるけど、ほかにもあるんじゃない。吉雪堂にいる姿も見かけたし、古いお札にも興味があるんじゃないかな」


「ちょっと待って」


今聞いた言葉を巻き戻し、脳内で再生する。気になるワードは、聞き間違いじゃないはずだ。


「吉雪堂にいた? ワゴン車のおじさんが? 吉雪堂に?」


「そうだよ。知らないの?」


まるで周知の事実であるかのように言う。知らなかった。


「ああ、でも、おれが見たのは外に展示されていたお札をみているおじさんだったから吉雪堂に入ったかどうかはわからないよ。でも駅前にいるのはよく見るな」


「そう……じゃあ、もしおじさんがぞろ目のお札を手に入れたら吉雪堂に売る気なのかな?」


「どうだろう。ぞろ目のお札に執着はないみたいだったし、売るかもね。おれが聞いたときは『見たことないけど一度は拝んでみたい』みたいなニュアンスだったし、ずっと持っておこうなんて思わないかもね」


宝くじで三億円欲しいみたいなもんか。


「今日も行くつもりだけど? 夢見くんも行く?」


ぼくは首を傾げる。


「それ草臣くんにも言われた。一度家に戻って、一万の数かぞえてからでいい?」



英語の次は歴史だった。クラス移動はないので、自分の席に戻る。給食前の特有のけだるさと空腹を感じながら、ぼくはノートを一ページ破り取った。


今までの情報を元に、少し整理してみる。


まず、ワゴン車。


買い取り屋が来たのは五日前。そのときは宣伝で終わったらしい。そして警察に目を付けられたことから、今の場所に移った。


今の場所は、目の前に大通りが広がる小道。おじさん曰わく、警察に見つかったもすぐに逃げられるようにしているとのこと。けれど一万買い取り時に両替と偽装しているなど、矛盾はある。


おじさんの目的は不明。通し番号が誕生日のお札を探していると言うが、効率が悪い。メリットがない。


今日聞いたものではやっぱりぞろ目を探しているとのこと。今日ぞろ目が見つかったことが噂として流れており、おじさんは元々このあたりにぞろ目があったことを知っていたのではないかと思われる。


吉雪堂とライバル関係にあるようで、実は手を組んでいるかも……。


重要な点として扱われているお金は偽札じゃない。


ここ二、三日で買い取り終了らしいが、場所を変えるだけなのか本当に終了なのかわからない。また、おじさんが秘密にしてくれと言った意図も不明。


吉雪堂にいたという情報もあるが、外にいるのを見ただけだという。これはどうだろうか。敵情視察だろうか。それとも手を組んでいるという証拠になりうるだろうか。


あとなにか一つ、決定打になるものが欲しいところだ。


次、その吉雪堂。


ぞろ目を高値で買い取ってくれるところ。だがお札専門店ではなく、最近扱い始めたらしい。


お札を扱い始めた時期は不明だが、その前後でアルバイトが入ったらしい。お札を鑑定するのは店主らしいが、実際は不明。


最後に、ぞろ目のお札。


今回のキーアイテム。見たという噂が出たことで、ワゴン車おじさんの目的は予想ついた。だが、ぼくは見たことない。噂はしょせん噂かもしれない。


噂によると、ぞろ目の価値をそのおじさんは知っているらしい。だから売らないのだろうか。それとも買い取り所の存在を知らないのだろうか。


そうだ。噂のことについても少し考えなければならない。


子どもの間で瞬く間に広まった噂。ぼくがワゴン車に一万円を売る人を見たときも、そのほとんどが子どもだった。大人はプラス10円の利益に興味がないのかと思ったが、買い取り所自体知らないかもしれない。


噂はワゴン車おじさんが積極的に流しているようだ。秘密秘密と言っているが、実際大した秘密じゃない。


ワゴン車より高値で買い取る吉雪堂の存在も、ワゴン車のおじさんが噂を流しているようだ。そのおかげか、吉雪堂の知名度は上がっている。吉雪堂の広告車かと思われたが、不自然な点が多すぎる。


噂の広まり方が不自然で早すぎるように思う。誰かの意志を感じるが、意図は不明。



「さて……」


こうしてみるとやっぱり情報不足な箇所が目立つ。本当なら突き詰めなくてはいけないのだろうが、それはぼくたちの目的ではない。


ぼくたちはあくまでも、ワゴン車のおじさんが儲かる仕組みを調べることだ。今はそれだけまっすぐ追い続ければいい。


そして、ぞろ目が見つかった今、ぼくたちが調べなければいけないことは2つ。


まず一つ。吉雪堂とおじさんが共同関係であることを突き止めること。


続いてもう一つ。ぞろ目のお札が本当にあるか確かめること。


上手くいけば、期限までには調べられるはずだ。


「……ん?」


ふと机の中に手を入れると、指の先になにか触れた。さっき教科書を出したときは気づかなかった。プリントかと思ったが、少しおかしい。小さな紙を折り畳んでいるようだった。紙には罫線が見えるので、ノートの一部らしい。


折り畳んでいるものを開くと、文字が書いてあった。汚い字。癖の強い字。


土樹の字だ。


首を回していくと、土樹と目があった。確認するまでずっと見ていたのだろうか。クラス移動のときに入れたらしい手紙の内容を黙読する。



名前矛盾

俺との約束はなし

草臣たちとワゴン車に行け

了解したら机を叩け

了解できないなら机を蹴れ


景色写真



ぼくは机を叩いた。


そしてまた手紙を書く。2つの課題の内、一つをぼくが引き受け、もう一つを土樹に預けてしまうことにした。


土樹はぼくと役割を逆にしろと望むだろうが、行けと言ったのは土樹のほうだ。いやいや引き受けてやろうじゃないか。


土樹の手紙にぞろ目を探して欲しいとしっかりと書き、授業が終わるのを待つ。次は給食だ。席は自由に動ける。


土樹が嫌な顔をするのは目に見えていたので、それをなんと誤魔化そうかと考えて歴史の時間を終えた。



さて、そろそろ決着をつけますか。




昼休みの時間に神栖くんがぼくたちの机に来て、これからの予定を相談した。


神栖くんも草臣くんも、そして当然ながらぼくも一万円札を持っていなかったので、一度帰ってから集まることにした。場所はまた学校前ということだ。


ぼくは一万の数を確認してから決断するということになっていたので、家についたら二人にメールを送ることに決まった。少々めんどくさいが、しょうがない。


そしてもうひとつ、しょうがないと諦めたことがある。


今回はなぜか、ぼくも一万円を売らなきゃいけない流れになっていた。ぼくは売りたいと明言した記憶はないのに、「一万の数を確認する」の意味が「積極的に売りたい」になっていたらしい。日本語は難しいと感じながら、それでもいいかと否定しなかった。


話し合いの最中、ときどき土樹が視界の端に写りこんできたが、二人がいる手前、どうすることもできないでいた。


いつも通り誰かと話していればいいのに、自分の席に座ったままぼくたちのほうを見ているもんだから不自然でしょうがない。


目が合う度に土樹がポケットに手を入れてるということは、なかに手紙を仕込ませているのだろう。


手紙の内容は愚痴や文句だと想像できたのだが、一応ということで読んでおく必要がある。これ以上『不自然』をクラスに放置しておくわけにはいかなかったので、ぼくはトイレに行くふりをして、教室から出た。



昼休みのため、休み時間以上に活気のある廊下。ここで会話するには場所が悪いので、土樹が教室から出るのを待ってから二階に上がった。一階のトイレは混んでたから、二階を使おう。そう自分に言い聞かせる。


職員室がある二階は、一階と違って静かだ。その分しゃべり声も響くので、トイレに入って土樹を待った。


土樹は入り口で待っていると思っていたのだろう。「なんだ、こっちか」と言いながら合流する。


「草臣くんたちが待ってるから、手早くね」


「おう」投げやりに土樹が言って、ポケットから手紙を取り出す。人差し指と中指で挟まれた手紙を読むと、内容のほとんどが愚痴で埋まっていた。読むに値しない内容の最後に小さく了解と書かれている。


「ったく、つまらなくて大変な仕事引き受けちまった。勝負をかける俺の役目かと思ったのに、まさかお前とはな」


「ぼくも予想外さ。でも景色写真直々の命令だからね。キチンとこなすよ。で、景色写真はどうやってぞろ目の持ち主を探すつもりでいるの?」


「ファミレスに張り込むよ。今日話しを聞いた女子に詳しく聞いたら、初めてきた客じゃなかったらしい。顔を見たら思い出すって言ってたのは半常連だからだって言ってたからな」


「半常連?」


聞き慣れない言葉だ。


「常連になりかけって意味らしい。最近来るようになったみたいだぞ。顔もようやく覚えだしたって」


「そうなんだ。最近ね」


「今日は1日張り込むつもりでいるが、もしかしたら来ないかもしれないぞ。毎日来てたってわけじゃなさそうだし。

お前はどうすんだ?」


「ぼくはあのおじさんに最後の鎌かけかな。そこで吉雪堂とおじさんの関係を突き止める」


「策はあんのか?」


「いたって素直に、スパッと単純に行くよ」


もう限界かな。トイレから出て、教室に戻った。土樹は戻ってこない。戻ってきたのは、昼休み終了を告げるチャイムがなったあとだった。


偽札じゃないと確信があっても、やはり少し怖いので一万円一枚だけもって家を出た。


自転車で待ち合わせ場所に行くと、今日は一番だった。この前最後だと思って気にしていたら、今度は早く来すぎたらしい。携帯を開くと、待ち合わせ15分前だ。二人の性格からすれば、あと五分かそこらで揃うだろう。


もしものときに備えて二台とも持ってきた携帯。解約済みの携帯で情報をおさらいしていると、もう一台が震えだした。


振動が長い。電話だ。


二人の内どちらかが来れなくなったのかと思ったら、画面にはどちらとも違う名前があった。


ぼくは眉をひそめる。深呼吸して、しっかりと心の準備をしてから通話ボタンを押した。


「もしもし、ホームズ」間違えた。「永家」


「お前、なに昔の渾名引っ張り出してんだよ」


「恥ずかしい?」


永家はちょっと悩んだ。吹き出す音がした。


「いいや、偽ホームズ」


鼻から息を吐く。偽ホームズ。それもずいぶん懐かしい渾名だ。永家と一緒にいたからだろうか。永家がホームズと言われた時期と同じくらいから、ぼくも同じように言われ始めた。


ホームズとその偽物。


ホームズに憧れた者と、なれなかった紛い物。


ぼくと永家は似たもの同士だが、違う部分も勿論ある。そこが頭の良さであり、考え方の違いだった。


推理力で比べるなら、ぼくは永家の影ですらない。鏡でもない。ドッペルゲンガーでもない。ただの模倣。


ぼくが黙っていると、向こうから笑い声が聞こえた。


「怒ったか?」


「怒る? なんでさ」


夢見 うつつは怒るかもしれないが、名前矛盾は怒らない。名前矛盾が生まれたとき、すでに永家とは関係なかったから怒る理由が見当たらない。


「別に。で、うつつ。事件は解決できたかな?」


「事件? あれは事件じゃないよ。調査だ」


「向こうはそう思ってないみたいだけど」


向こう?


「土樹のこと?」


「電話で言ってたぞ。なんか今日張り込むんだって? 刑事みたいだなって声は弾んでたぞ」


永家から情報は鵜呑みにするなと言われた。けれど裏とりは不要だろう。張り込むことは向こうから話したこと。土樹から聞いたに違いない。


永家に話すということは、張り込むのは土樹 空海だろう。景色写真じゃないのはなぜだろうか。


「言いつけは守ってないようだな」


「言いつけ?」


「あまり踏み込みすぎるなって」


ああ、そういえば忘れてた。


「おれも頼まれたからさ、少し自分で調べてみたんだよ。調べれば調べるほど、おれの危機センサーがガンガン反応してる」


「根拠は?」


「無い。勘だな」


「ぼくは誰かさんに情報は鵜呑みにするなって言われたからな」


誰かさんは面白そうに言う。


「お前もヤバいって薄々気付いてんだろ」


「…………」


否定しない。だが、永家の言うほどのものではない。


「今日結論付けるよ」


「乗り込むのか?」


「一歩確信に踏み込むだけ」


「踏み込みすぎると戻れなくなるぞ。お前が偽物って言われるのはそこの見極め不足だからだ。名探偵と呼ばれたいなら解ける事件だけを引き受けるのがコツだ。解けない事件に一つでも当たったならば、そいつは探偵に格落ちしちまう」


「解けない事件と解ける事件の見極めはどうすんのさ」


「直感」


鼻から息を吐く。じゃあ無理だ。ぼくは昔から勘の働きが鈍い。


「土樹に頼れ」


ぼくの考えを読んだように永家が言った。


「あいつは勘がきく。おれよりピンと来るのが早い。けど、あいつはおれたちと違って好奇心が強いからな。ヤバい香りがしても解けないとわかっていても突き進むことしか知らない。お前はそこを見極めなきゃいけない。嫌だ。そういうだけであいつは止まるだろ?」


「……さすが、よくおわかりで」


永家とぼくの関係は半身であり半同一。二人で一人のような、一人で二人の関係。でもセロテープでくっついているような状態だからすぐに外れる。そして外れても大して影響はない。


でも、土樹とぼくは違う。別称を使うとき、ぼくたちは一心同体だ。


ぼくは土樹がいなくちゃなにも決められない。土樹がいなきゃ情報も得られない。土樹は土樹で、ぼくがいなきゃ情報があるだけで組み立てられない。一人だと暴走したとき止めてくれる人がいない。


名前矛盾が言う「嫌」は景色写真唯一のブレーキだ。だが、そのブレーキは弱い。高速道路を走る車に自転車のブレーキをかけるようなものだ。それでも無いよりはいい。ブレーキをかけていると土樹に気付かせるのが目的だからだ。


もしぼくが必死にブレーキをかけても、土樹が止まる素振りすら見せなくなるようになると、ぼくたちはお互いを必要としている意味がなくなる。


「そもそも、土樹の好奇心だけでここまで来ちゃったからね」


正直、ぼくに好奇心はほとんどない。ということは、永家にもない。


わからないことを進んで解決しない。頼まれたらする。


いつも受け身でいればいい。


名探偵は、事件に出会うようにできている。解決を頼まれるようになっている。


少なくとも、ぼくの経験上、それが間違ったことは一度もない。


「ホームズはなんらかの答えを見つけたの?」


「おれの予想だと、やっぱりあいつらは犯罪に関わってるな」


「偽札?」


「……かもしれない。でも、もしそうならおそろしく効率悪そうだけどな」


「永家は10円が偽物だと思ってるの?」


言ってから、それじゃなんも意味が無いことに気づく。声から察したらしい永家は、そこを触れなかった。


「お前の予想だと、偽札が使われるそうなのは最終日だけだろ? 最終日にバーゲンみたく人が蟻のように群がれば話しは別だが、あれみたく一人一人相手してたら逃げる暇ないだろ。交換した一万を使わないなんて確信がないとその場になんかいたくないぞ」


一度に何人も交換できたらいいが、あの買い取り屋はひとりひとり丁寧に接しての交換だった。偽札を交換した人がそのまま自販機に寄らないという保証はない。そして偽札だとバレたとき、買い取り屋が接客中であってはマズいのだ。


「まあ、払うのが10円だからいいのかもしれないけどな。払った10円だけ取り戻したいなら、三枚偽札と交換したら十分だろう。三枚なら、なんとかなるかもしれないな」


でも、それだけの為に偽札を用意して、5日前から仕掛けをつくるだろうか。


「じゃあ、永家は偽札の可能性は薄いって?」


「あるとすれば一枚だな」


「一枚? 最終日最初の一人だけに偽札を使うの?」


「なぬ? あはは。違う違う。まあ、おれが言ってるのは仮定だ。気にすんな」


気にするよ。


もっとホームズも推理を聞きたくなったが、時間切れだ。草臣くんたちが来た。


永家に切るよと告げると、最後に。


「ワゴン車の人に聞いてみな。ぞろ目をいくらで買い取るかって」


そう言われた。


それを聞く意味あるのだろうか。そう思ったが、頷く。







「待ったか?」


草臣くんが言った。携帯の時刻は待ち合わせ8分前。


「全然」


「良かった。よし、じゃあ行くか」


さて、行きますか


土樹と一緒におじさんに会ったとき、客はバトンを受け取るとように代わる代わるおじさんの前にいたのだが、今日は暇そうだった。


欠伸なんかして、ぼんやりしている。


いつもの場所に自転車を止め、近寄る。おじさんはすぐにぼくたちに気付いたようだった。パイプ椅子に預けていた体重を前に向け、膝に肘をつく。


神栖くんが先頭になって、おじさんの元に行った。ぼくはけっこう緊張していたのだが、二人は慣れたようにおじさんと話しをしている。


「また来たのか。お金持ちだな」


おじさんはぼく以外を見て言った。お金持ちと思われるほど来ているのか。


「今日は何枚だ?」


草臣くんは指を二本、神栖くんは三本立てる。うんうんと首を振るおじさんが、ぼくを見て、ぼくが立てた人差し指を見て止まった。


「お―、君は始めてだね。てっきり君は売らないと、おじさん思っていたんだが」


「一枚だけですいません」


「いやいや、売りに来てくれただけで嬉しいよ。なにせ、もう少しでおじさん別の場所に移動しなきゃいけないからな」


豪快におじさんが笑う。その情報はすでに神栖くんから聞いていたが、細部がちょっと違った。やっぱり秘密じゃないのか。


おじさんはお礼を言いながら車に潜り、10円が入った缶を取り出す。蓋を開けたら、10円だけじゃなく、一万の束が入っていた。


「財布に入れるのが面倒でね」おじさんは笑う。そして6枚一万を掴んだ。


「じゃあ、両替しよう」


順々に交換し、全て両替が終わると缶に一万を入れ、10円を手渡した。そのまま蓋を閉める。


「あれ……番号はいいんですか?」


おじさんが番号を見ずに缶に入れたのを不思議に思う。おじさんは「あッ」と慌てて缶を開けたが、フッと肩から力が抜けた。


「そうだね。君たちになら話していいかな」


番号を確認することなく、おじさんが蓋を閉める。


「実はね、見つかったんだよ。目的のお札が」


にんまりと笑う。


「ぞろ目ですか?」


神栖くんが訊いた。おじさんは、


「ん?」


首を傾ける。


「違う違う。誕生日のほうさ」


ぼくの眉がピクリと動く。見つかったのか。今すぐ携帯を取り出したいが、ここじゃ無理だろう。隠れる場所も時間もない。


誕生日のお札と聞いて、ぼく以外の二人は大して興味がないないようだった。


「良かったですね。目標達成ですね」


「おお。これで胸を張って帰れるよ」


社交辞令にも笑顔でおじさんは答えてくれる。愛嬌のある笑顔だが、犯罪に関わっているかもしれないと思うと途端に気持ち悪いものに変わる。


「目的のものが見つかったなら、なんでまだここにいるんですか?」


ちょっと踏み込む。ちょっとだけ。まだ大丈夫だ。


「いやー、見つかったらすぐ買えるつもりだったんだけどね。みんなの嬉しそうな顔を見たらもう少しだけいいかなって思っちゃったんだ」


出て行くのは10円だしね。とおじさんは笑う。目的の一万がいくらで売るのはわからないが、今日出て行く10円分だけならなんとかなる金額なのだろうか。


見るかい?とお札を勧められたが、断った。目的が何番か聞いていなかったし、興味もない。誕生日のお札がなんなのか分からない二人は、しきりに顔を見合わせていた。


「あ、そうだ。おじさん」


財布に一万をしまい終わった神栖くんが言った。


「知ってる? ぞろ目があったよ。しかも7のぞろ目でしかもピン札だ」


神栖くんにとってはビッグニュースだったのだろう。“しかも”を二回つけて強調させるほど、声は熱を帯びていた。けれどおじさんは興奮した様子は見せずに、


「ああ、らしいね」


「あれ? 驚かないんですか? あんだけ欲しがってたのに」


「いや―……。欲しかったんだけどね」


苦笑いみたく、はははは、と笑う。


「実はね、来てくれたんだよ。その人」


アルミの蓋を開けたり閉じたり、ペコンパコンと音を鳴らす。


「おじいちゃんでさ、来たのは昨日だったかな。ちょうど暇なときひふらっと現れて、『ここが一万を買ってくれる場所か』って。そうだって答えると、ぞろ目のお札を見せてさ、『価値がわかるか。20万で売ってやる』って言われたんだ。20万だよ? 断ったよ。おじさんはせいぜい三万……頑張って五万程度しか出せないからさ」


「20万ですか?」


草臣くんが訊いた。


残念そうなおじさんと違って、草臣くんは笑っていた。神栖くんも笑っている。


そりゃそうだ。二人は吉雪堂が30万で買ってくれることを知っている。20万で買ったら10万の利益。そりゃ笑顔になる。


「そうだ、20万だ。値切っても無駄そうだったし、もう諦めたよ。目的のお札も見つかったから、欲張ることはしないんだ」


それがいいよと二人が慰める。欲張ったらいいことないよ。何事もほどほどがいいんだよ。と。


それからおじさんと世間話に花を咲かせていたが、正直ぼくは聞いちゃいなかった。


仮定が崩れた。


綺麗に。


ぼくの仮定だったら、20万提示なら、買ってなきゃいけない。20万なら吉雪堂で売っても利益になる。吉雪堂以上の買い取り屋ならそれ以上の利益になる。


もっと安く買い取れると思っていたのだろうか。五万買い取りでやっと利益が出るほどだった?


考えれば考えるほどわからなくなる。


「あの……おじさん」


焦りで狭くなった気道から必死に息を吐く。


「ん?」


「吉雪堂、知ってますよね」


「ああ、知ってるよ」


吉雪堂は知っても、買い取り金額はしらない?


神栖くんは吉雪堂でおじさんを見たと言っていた。だが、中に入ったところは見てないという。


このまま直接確信に向かって切り込むべきかと思ったが、横の二人の視線が嫌なので諦める。友情が崩壊しても名前矛盾は困らないが夢見 うつつが困る。


「吉雪堂の店主と知り合いですか?」


「店主と? はは、まさか。もう一人の人とも知り合いじゃないよ」


「そうですか」





ますますわからなくなる。


おじさんと別れたあと、草臣くんと神栖くんはなにやら話し合っていた。


自転車に乗ることはせず、押しながらひそひそと会話を交わしている。二人の後ろにいるぼくはその内容は聞き取れなかったが、おそらくぞろ目を探そうとしているのだろう。なにせ儲けが10万円だ。


「夢見くんは知らない? ぞろ目を持っている人はどんな人か」


草臣くんが急に話題を振ってくる。ぼくは頭を振った。


「知ってたら教えてるよ」


少なくとも、夢見 うつつはそうしているはずだ。


「なんか、夢見くんは興味なさそうだね」


草臣くんが不思議そうに言った。


「そんなことないよ」


興味は人並みにある。ただそれ以上に気になることがあるだけで。


おじさんの儲かる仕組みがわからなくなった。いや、誕生日のお札を探しだしたのだから、わかったと言えばわかったのだが、すんなり納得できない。


なんたって効率が悪い。見つかるかどうかわからない番号を探していた?


ぞろ目だってそうだ。吉雪堂と手を組んでいるなら、断る理由がない。なぜ断った? 本当にライバルなのか?


「夢見くん?」


「ん?」


「オレ達これから駅前に行こうかと思ってるんだけどどうする?」


駅前。行き先は吉雪堂だろうか?


ぼくは少し考えて、断った。頭が混乱しているときに新しく情報を増やしてもダメだ。


整理しなくてはいけない。


「そ。じゃあまた明日」


「バイバイ」


二人は同時に自転車またがるとペダルを勢いよく踏み込み、ぼくから遠ざかった。


完全に見えなくなってから、ぼくは携帯を開いて目的の番号を探した。電子音は二回も続かなかった。


「……もしもし? どうした? まだぞろ目の持ち主は見つかってないぞ」


「ああ、土樹。なんか、大変なことになった」


「どした?」


情報をどれだけ言うか迷う。けれど、土樹の周りに誰がいるのかわからない。


整理しきれない頭で、それでもなにか言わなきゃと思っていると、唐突に永家が頭に浮かんだ。


「永家」


「あ? ああ、永家に張り込みを伝えたことか? それがなにか大変なことに繋がったのか?」


「いや……」


今更永家に伝えたことをとやかく言うつもりはない。


今、永家が言った事が頭に蘇ってきたのだ。そして新たに仮定が組み立てられる。


「名前矛盾? なんかあったのか?」


「ねえ……土樹」


新たに産まれた仮定に思考を巡らせたい。携帯にある情報と合わせて、矛盾がないか確かめなくてはいけない。焦る気持ちを抑えながら、とりあえず最優先事項を伝えた。


「ぞろ目の持ち主を見つけたら、いくらで売ってくれるか訊いて」


「……いいのか?」


「うん」


背中にじっとりと汗をかく。


「もしかしたら、ぼくは勘違いしてたのかもしれない」


永家の言いたかったことがなんとなくわかってきた。


時間にして5時。まだ十分遊べる明るさだったので、ぼくは自転車を土樹がいるファミレスへ向けた。普段あまり外食しないぼくはどこになんのファミレスがあるかわからなかったか、そこは知っていた。そのファミレスの上に古本屋が入っているのだ。古本屋はぼくのテリトリーである。


自転車を止めてファミレスに入る。店員が接客に来たので、待ち合わせであることを告げた。


キョロキョロと見渡すと、左の方で手が上がった。「あそこです」店員に軽く会釈して、手の方へ向かう。


土樹はボックス席にいた。ニ、ニで向かい合って座れるタイプ。よく一人だった土樹がこの席に案内されたと思ったが、ぼくが来るとわかって移動したらしい。


ありがたいことに、ガラス面から遠く離れた席で、外から簡単に見えない席だ。


「まあまあ、座れよ」


コーラをちょびっと飲み、土樹が対面を勧める。素直に従って、近くにいた店員にアイスコーヒーを頼んだ。


「飲み放題を頼めばいいのに」


「いいんだ。すぐ出てくから」


店員が来るまで、会話はなかった。その間、辺りを注意深く伺って、友達や顔見知りがいないことを確認する。じっくり確認し終わったころに、アイスコーヒーが来た。


喉を潤す。


「今日、行ってきたんだけどさ」


「おう」


土樹の目はぼくを見ていない。ぼくの後ろのレジを見ているのだ。


「いろいろ話すことがある。ます一つ。おじさんは目的を達成したみたいだよ。誕生日番号が見つかったって。二つ目。ぞろ目の持ち主が、ワゴン車に売りに来たことがあったらしい。でも20万で売ってくれると知って、おじさんは断った。三つ目。おじさんは吉雪堂と手を組んでいない。そう言った。以上。質問は?」


話す番号が増えていくに連れ、土樹の顔が曇っていった。コッ、と音を立ててグラスを置くと、レジに向けていた視線をぼくに移した。


「どういうことだ?」


「そんなのわからない。でも、ぞろ目を買い取って利益を得るっていうぼくの仮定は見事に打ち砕かれたんだ」


「……おじさんが嘘を言った可能性は?」


「どんな?」


「二つ目がまるまる嘘で、実際は売りに来てないとか」


「嘘にする意味がない」


「じゃあ三つ目はどうだ。三つ目が嘘」


「その可能性はある。というか、ぼくもそう思ってる」


「事実確認は……無理そうだな」


「親しく話してるところを見たって人がいたらいいんだけどね。電話を使われたらそこまでだよ」


「ぞろ目を買い取らないってことは、それじゃあ、あのおじさんは本当に誕生日番号を探していたってか?」


「今のところは、そうなる。あと二、三日あそこに残るのは、売ってくれる人の笑顔が嬉しいからだって」


「そりぁ嬉しいさ。10円貰えるんだから」


コーラを一気に飲み干す。氷がキャラキャラと音を立ててグラスを滑った。


「お前の仮定通りにいかないってことは、また一から組み直しか?」


「…………いや」


ぼくはゆっくりと首を左右に振る。


「なんかあんのか?」


「実は今日、永家から電話がかかってきてね。ホームズの推理を聞いたんだ」


ホームズの名前で土樹が反応した。そりゃそうだ。誰だって名探偵の推理は気になる。


「俺は土樹 空海で電話に出たぞ」


「別に責めちゃいないよ。永家も調べたらしいし。永家が直接動いたかどうかはわからないけど、全部自分が動いて調べたってことはないだろうね。誰かを使ったんだろうけど」


永家の学校に、小学校からの友人はいないはずだ。けれど、この辺りにはいくつかの小学校がある。別の小学校から来た友達に、永家が調べるように頼むことは十分考えられる。


永家は名探偵だ。それを永家自身よくわかっている。必要な情報は自分の下に集まるとわかっているのだ。だから、誰を使っても得られるモノは同じだと考えている。


「永家はなんらかの答えを出したみたいだけど」


「へ―」


「さすが永家」


「お前は? 名前矛盾」


「まだだよ。残念ながら」


「なるほど。悔しいのか」


「…………ん?」


「悔しいんだろ。永家にわかってお前がわからないのが」


「あいつだって、わかってるとは限らない。はずれてるかもしれない」


「名探偵は推理を外さないから名探偵なんだぜ」


永家と同じことを言われる。土樹も永家を認めているからだろう。永家が推理しているところを何回か見ているから、当然かもしれないけど。


にしても、悔しい、か。


「名前矛盾。本当にお前はわかっていないのか?」


「え?」


「永家とお前は似たもの同士だっただろ? 双子みたいにシンクロしてたじゃないか。なんとなくわかってないのか」


「…………本当に」


「本当に?」


「嫌になるほど鼻が利くよね。景色写真って」


呆れるほど勘が働く。訓練さえすれば、それだけで事件を解決しそうだ。


「あるよ。永家と、おそらく同じ解答が」


ここに来るまで、ずっと仮定の真偽を考えていた。永家が犯罪犯罪とやかましく口にしていたから、注意深く、細部まで議論したつもりだ。


けれど、考えれば考えるだけ、永家が正しかったと思えてきて、ちょっとだけ嫌だった。手を引けば良かったと、警察に任せるべきの事件だと、そういう結論しか導き出せないのが嫌だった。


「それはなんだ? 名前矛盾」


「その前に、言っとくことがある」


「あん?」


「おそらく今ぼくたちが調べているのは、犯罪に関わってる。下手したら、その人たちから敵としてみなされるかもしれない。危険だよ」


土樹は「なにを今更」と言って笑った。


「危険なのは承知の上だ」


「……ならいいけど」


楽観的な土樹は多分わかっていない。けれど、いちいち相手にしてられない。土樹 空海はそういうやつだ。


「仮定は八割出来上がってる。あとは、ぞろ目の持ち主と会わなきゃいけない」


「会うだけでいいのか?」


「会ってからは、電話で話したよ。『それをいくらで売ってくれるか』それがわかればいい」


「20万じゃないのか?」


「それを確かめる意味もある。けど、実際の目的は違う。もし買い取り金額が30万以下ならもう一言付け加える。それで完全だ」


「……俺は全然わからないんだが」


「別に大丈夫だよ。それでも」


アイスコーヒーを一気に飲み干し、席を立つ。ぞろ目の前にもう一つ確かめることがあるからだ。土樹はここに残る必要があるし、動けるのはぼくしかいない。


「ぞろ目の持ち主が見つかったら電話して。多分駅前にいるから」


「駅前?」


「うん。吉雪堂に行ってくる」

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