第6話 昨日の綴れ、今日の錦

 野球部とのいざこざが終わった次の日。毎年恒例の春の大型連休の初日である。

 間に平日を二日間挟むが、慶介の高校である西条高校は大型連休を学生に提供するために、その平日の二日を休校にするという心憎い対応をしてくれる学校だ。

 学生は休みが多ければ多いほど喜ぶもの。

 多くの学生が大型連休を謳歌する中、一部の学生、特に部活に入部している生徒は三年生が最後の大会になるので、部活に力を入れる者も多く見られる。

 そして、昨日、野球部との賭けに勝ち、幽霊部員として何人かの野球部員の名前を手に入れて正式に部活として発足したサイバー技術研究部の部員である慶介も、その一部の部活に力を入れる生徒にカテゴライズされる。


 慶介は旭に呼び出され、学校へと来ていた。時刻はAM7:00。いつもより2時間ほど早い登校だ。靴箱で上履きに履き替え、廊下を進み食堂の前にある朝の定位置へと進んだ慶介はポケットの中から財布を取り出した。


 いつもと同じように学校の自動販売機で缶コーヒーを買い、それを喉に流し込む。春とはいえ最近は暑い日が続いており、早朝といえども冷たい飲み物を飲みたくなるほどの気温だ。

 そのような訳で、慶介は青いラベルの上に置かれている黒い色の缶のボタンを押したのだった。ガランという音がして、自動販売機の取り出し口にいつもと同じメーカーの缶コーヒーが落ちる。それを取り出してプルタブを引き、慶介はそれに口をつける。

 苦みが慶介の頭に覚醒を促す。缶を大きく傾けて、慶介は大きく息を吐いた。


 冷たいブラックコーヒーを全て飲み切り、自動販売機の隣に備え付けられているゴミ箱へと空になった缶を入れて、慶介は部室へと足を向ける。

 早朝であり、静かで清らかな空気が漂う学校はいつもとは違って見えた。自分の足音だけが響く廊下。廊下の窓から見えるグラウンドには朝靄が薄く掛かっており、世界を僅かに白へと染めている。普段は見ることのない学校の表情に慶介は僅かながら笑みを浮かべた。


「いい表情をするじゃないか、慶介」


 前から聞こえた声にピシッと慶介の表情が固まる。


「君にはまだ話していないというのに、気づくとは流石、私が見込んだだけのことはある。……そう、サイバスロンVer.2.2、つまり、学生サイバスロンの地区大会だ。それを予想して攻撃的な笑みを浮かべる君は、やはりサイバスロンにぴったりの人材だな」


 慶介は窓の外へ向けていた視線を前に戻す。慶介の視線の先、廊下の前方には朝日に照らされ、金色に縁どられた旭が立っていた。


「おはよう、慶介」

「おはようございます、旭部長。一つ質問をよろしいですか?」

「うむ、許可する」

「地区大会とは、どういうことですか?」

「ハハ。君も気づいているだろう? でないと、誰もいない廊下で笑みを浮かべる理由がないからな」


 いつもと違う学校を見て少し嬉しかったと旭に言えたら、どんなに楽だろうか。そう思う慶介であったが、彼女には笑みを浮かべた理由を言わないことに決めた。

 早朝の学校が珍しくて嬉しく感じたなど慶介は自分の口から説明することは、どうにも恥ずかしいことだと感じていたからだ。


「自分は旭部長から説明が聞きたいです」


 で、あるからして慶介は旭の話に合わせながら、情報を聞き出すことに決めた。旭の言い様からして、自分はサイバスロンVer.2.2の地区大会へとエントリーさせられるようだ。

 だが、サイバスロンVer.2.2のルールについての情報は全くない。ならば、知っていると思われる旭から聞き出すべきだろうと考えて、慶介は旭に向かって説明するように求めた。


「そう言われては仕方ない。私から説明しようか。これから、私たちはサイバスロンVer.2.2、俗にいう学生サイバスロンの地区大会に出場する。そこで、優勝して都大会、関東大会、最終的には全国大会を制覇し、栄えある第一回サイバスロンVer.2.2で頂点に立つ!」

「いえ、地区大会の具体的な説明をお願いしたのですが」

「そこは『応ッ!』と意気軒高に高々と言うべきだろう? どこまでも私に迎合してくれないのだな、君は。だが、そこがいい! 小さな疑問や不満を口にしてくれることでより良いものを作り上げることができるからな」

「それで、地区大会とは?」


 『だからと言って、気分が乗っている時に冷静に意見を言われるのは困る。本当に』と呟きながら、旭は廊下の後ろを指す。


「地区大会の詳細については部室に行きながら説明しよう」


 慶介は頷き、旭の隣に歩みを進める。隣に慶介が来たと同時に旭は足を踏み出し、部室棟へと向かいながら口を開いた。


「地区大会が行われるのは高田運動公園の陸上競技場だ」

「高田運動公園というのは、ここから電車で5駅ほどの所にある公園でしょうか?」


 高田運動公園はスポーツの総合施設の名称である。陸上競技場だけではなく、サッカー兼ラグビーの人口芝のグラウンド、テニスコート、バスケやバレーで使われる体育館、アーチェリーにも使われる弓道場、そして、野球のグラウンドまで保有している。

 慶介は中学生の時に、高田運動公園で野球部の地区大会が行われていたために、この場所のことをよく知っていた。


「そうだ。高田運動公園でサイバスロンVer.2.2の地区大会が今日、行われる。それの準備のために君を学校に呼んだ訳だ。30分から40分ほど時間を見積もっているために私たちは早朝から学校にいる」


 サイバー技術研究部の部室の鍵を開けて、扉を開いた旭は慶介に入るように促す。慶介は彼女に軽く頭を下げると、部室内へと入っていく。


「地区大会の会場までは我が校である西条高校からは少し距離がある。それに、サイバー技術研究部の正式な発足は昨日の上、顧問の先生は名前しかない幽霊顧問だ」


 幽霊顧問とは、また珍しい言い様だなと考えながら、慶介は立ち止まった旭の数歩後ろで足を止める。旭が止まった前にはサイバースーツ“エクストラ”が昨日のようにマネキンに着せられていることを慶介は気がついた。


「つまり、エクストラを運ぶための足がない。顧問が車に載せて会場まで運ぶということが通常であるが、私たちはその手段を使うことができない。となれば、エクストラを運ぶ手段は限られてくる」

「自分が運ぶということですね?」

「いや、少し違う。君と言えど、それなりに重量のあるエクストラを手提げカバンなどで運ぶのには体力を消費することは避けられない。大会前に無駄に体力を減らすことは避けるべきだ」

「では、どのようにすればいいでしょうか?」


 旭は振り返りエクストラに向けていた体を慶介へと向ける。


「君がエクストラを着て電車で会場に向かう」

「お断りします」


 慶介はにべもなく断る。銀色でギラギラと目立つサイバースーツを着て、電車に乗り込むことは慶介にとって認められなかった。

 ただでさえ、不特定多数の乗客がいる電車内。下手をすれば、SNS等で自分の恥ずかしい恰好を拡散される危険性がある場所へと、ノコノコ向かうことは慶介には認められなかった。


「そういうと思って、君にはギリギリまで話さなかった訳だ」


 まだ短い付き合いながらも、旭は慶介の思考回路を読んでいた。慶介がエクストラを着て、電車に乗るということは絶対にしないと考えていた旭は首を横に振る慶介に笑みを浮かべる。


 マズイな。

 短い付き合いながらも、慶介もまた旭の思考回路を少しばかり理解していた。旭があのような笑みを浮かべるのは彼にとって非常に追い詰められる状況にされるということが分かっていた。しかしながら、それに対する手段を慶介は持ち合わせていない。


「慶介。君がエクストラを着ずに電車に乗るということは、我々がサイバスロンVer.2.2に出場する機会を失うということだ。時間までに会場に着かなければ、そこで我々の進路は断たれるということと同義だ。ならば、私はそれを防がなければならない」


 やや残念そうな表情を浮かべる旭であったが、彼女の頬は少し上がっていた。これはつまり、彼女は今の状況を全く残念だと思っていない。何か手を考えているのだろうと慶介は冷静に当たりをつける。


「慶介。君はエクストラを着てくれない。そして、君がエクストラを会場まで持っていくことは先ほど言ったように体力の消耗が考えられるからダメだ。そして、私の腕力では重いエクストラを運ぶことはできない。と、なれば……私がエクストラを着て会場に向かうしかないな」


 そういうことか。

 慶介は旭の狙いに気がついた。


 旭がエクストラを着て会場まで向かう。つまり、目立ちすぎる恰好で電車へと乗り込むということ。そして、その傍にいる西条高校の指定の制服の自分もまた、銀色で身を包んだ旭の隣で電車に揺られるということ。

 それは、エクストラを自分が着る以上に危うい。特に制服姿である慶介は自分の所属まで分かってしまう状況となる。

 目立つ者の横にいる自分も不審な目で見られることは間違いない。


 ――策士だ。


 そう旭へと心の中で呟くが、慶介に取れる手段はなかった。仕方なく慶介は旭に向かって首を縦に振る。


「分かりました。自分がエクストラを着て会場へと向かいます」

「ありがとう。君なら、そう言ってくれると信じていた」


 旭はロッカーから白タイツを出して慶介に差し出す。


「私は部室の外に出ていよう。これに着替えたら呼んでくれ」

「はい」


 旭から全身を覆う白色のタイツを受け取りながら、慶介は頷く。いや、頷くことしかできなかった。


 ドアから旭は出ていくのを確認した慶介は大きく溜息をついて、着替えを始める。

 着替えには、それほど時間は掛からなかった。白タイツを着込み、部室の中から旭を呼ぶと、すぐに扉が開いて旭の姿が見える。


「そこに立ってくれ」


 旭は昨日と同じように手早く慶介の体にエクストラを装着させていく。手早くとは言っても、全身に分解したサイバースーツを着けて、更にそれを固定していくのは、それなりに時間が掛かる。大体1/3ほど時計の針が動く中、朝の清聴な空気が二人を包み込んでいた。


「……よし。終わったぞ」


 旭の声で慶介は動いて、部室の中にあった全身を映す鏡の前に立った。

自分の体を全て覆うように着けられた銀色の甲冑。このようなギラギラした格好で電車へと乗るしかないのかと暗鬱たる気持ちに沈んだ慶介の前へと旭が手を出した。


「これを着けてくれ」


 旭の手にあったのは、バイク用の銀色を基調としたヘルメットだ。フルフェイスタイプで、更に全面にあるシールドは黄緑色に光を反射している。スモークミラーで装着者の顔が見えないタイプとなっており、慶介は胸を撫で下ろした。これなら、エクストラを着たまま電車に乗っても顔を見られることはない。


「ありがとうございます」


 慶介がヘルメットを被ると、旭は爪先立ちをして慶介へと寄り掛かった。旭の突飛な行動に内心ドギマギするものの、旭はそれに気づかない様子で慶介が被るヘルメットの側面へと手を伸ばした。


 ピッと軽い音がヘルメットの中で響き、慶介は驚いたように目を少し開く。


 一体、何が?


 慶介が旭の行動を読み取ろうとしている間に、旭は傍の机に置いていたヘッドセットを耳に着けて、スイッチを入れる。


『慶介、聞こえるか?』


 耳元から旭の声が聞こえたことに対して、慶介は自分が被っているヘルメットがスマートヘルメットだと理解した。


 スマートヘルメット。

 元々、バイクのツーリングなどで使われるヘルメットである。内部に通信機能を備えたヘルメットである。ツーリングの際にバイクのアクセルから手を離さずに相互に情報をやり取りするために開発されたヘルメットだ。

 その他にも通信を利用して現在の位置情報、交通情報をヘルメットのシールドに半透明に表示させるカーナビゲーションシステムを備え持つ。

 その機能の一部を改造して旭が着けているヘッドセットと通信ができるようにしているという所だと想定した慶介はヘルメットの中で口を動かす。


「聞こえます」

『うむ、良好、良好。こちらも君の声がヘッドセットから聞こえる。さて、前準備はこの程度で十分だろう。昨日の野球部との賭けで試運転も上手くいっていたし』


 旭はヘッドセットを外して慶介を正面から見つめて腹から声を出した。


「では、くぞ。勝利を取りにいく」

「ええ」


 部室から出た二人を照らすのは黄金色の朝日。

 太陽の光を反射したエクストラは二人の武器であり、防具であり、勝利への道筋を照らす希望である。


「慶介、君となら行ける。頂点まで」


 呟いた旭の声はヘルメットに阻まれて慶介には届かなかった。だが、心の中は慶介も旭と同じだった。

 まだ、サイバスロンについては分からないことばかりの慶介だったが、その道の先には光輝く未来があると信じていた。そして、その道を共に進む友もいる。


 今の二人には不安は微塵もなく、新しい風が吹く場所まで走り切るだけだった。

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