第5話 鵜の目鷹の目

「旗鼓堂々としている。これは手強そうだ」


 ズラリと並んだ野球部の精鋭たち。その中で、彼らの正面に立つ慶介の姿は異様であった。太陽に煌めく銀色の装甲。そして、それに入る赤色のメタリックなラインの装飾。所々にある発光部分は黄緑色に光っている。

サイバースーツ“エクストラ”を着た慶介の表情はいつも以上に無であった。


「おい、慶介。もっと喜べ。男の子ならサイバースーツを着たらテンションマックスで『よっしゃあー』と叫ぶべきだろう」


 不思議そうな顔で旭は声を上げない慶介を見つめる。しかし次の瞬間、合点がいったというように左の掌に右の拳を合わせた旭は声を上げる。


「なるほど、喜びで声も出ないか。それならば、仕方ない。何しろ、エクストラはカッコ良すぎて太陽の下では製作者の私でも直視ができないほどだからな」


 それはただ太陽の光を反射して眩しいだけではないのかと思う慶介であったが、無言のまま立ち続ける。興奮した彼女に何を言っても伝わらないだろうと考えてのことだった。

 慶介は旭から目を正面の野球部員に向ける。その内の何人かは慶介の中学時代の先輩であった人物もちらほらと見える。そして、その他の部員もかつて敵同士として争ったことのある者たちだ。高校の校区が重なっているため、大会や練習試合で戦った中学時代の人物と会うだろうと思っていたが、それがこのような形でとは思いもよらなかった。

 彼らの視線は鋭い。練習を邪魔されてマネージャー発案のレクリエーションに付き合わされているのだ。自分たちに怒りを抱いても仕方のないことであると考えた慶介は頭を下げる。

 それが合図だった。野球部の部員たちも同時に頭を下げる。一律に揃った礼は慶介と旭を圧倒した。


「ふっ……面白い。それでこそ戦う意義があるというもの」


 隣の旭は冷や汗を流しながらも強がりを口にする。


「私が君専用にチューンしたエクストラ。そして、性能を十全に引き出すことができる神色自若な君ならば必ず奴らを捻じ伏せることができるだろう」


 圧倒的なアウェー感。

 その中でも、冷静で顔色を一つも変えない慶介の胸をサイバースーツ越しに叩き、旭は勝利を確信しているかの如く笑みを浮かべた。


+++


「それじゃあ、改めてルールの説明をします!」


 松本が声を上げる。部室棟では、坂田と話していたため賭けのルールに関しては全く聞いていなかった慶介にとっては僥倖であった。


「山本がピッチャー。で、バッターの9人全てをアウトにしたらサイバーなんたら部の勝ち」

「サイバー技術研究部だ!」

「そして、こっちのバッター9人の中で誰か一人がヒットを打てば野球部の勝ち!」


 ピッチャーマウンドに立つ慶介は顔色を変えないものの、こちらに随分と不利な状況であると溜息をつく。西条高校の野球部は名門として名高い。県大会常連である高校だ。

 そして、その力の源はパワフルな打撃に代表される多くのスラッガーを抱え込んだ打席。ピッチャーだけで打ち取るには難しいと言わざるを得ない。


 後ろを振り向くが、慶介の後ろには誰もいない。あくまで、野球部とサイバー技術研究部の戦いであり、二人の内の一人は運動音痴ということでベンチに座っている。つまり、慶介一人でバッター9人全てを三振で打ち取ることが要求される難しい局面だ。


「サイバー技術うんたら部が負けたら、山本を野球部に入部させること」

「サイバー技術研究部だ!」

「あり得ないけど、野球部が負けたらサイバー技術研究部に名前だけの幽霊部員として名前を貸すこと」

「サイバー技術研究部だ! ……あれ、合っているだと?」


 その上に相手の要求は厳しく、こちらの要求は緩い。実質、野球部が負けたとしても損害はほぼなく、サイバー技術研究部が負ければ活動もできない状況に追い込まれかねない。

 慶介の両肩にはあまりにも大きな重圧が圧し掛かっていた。


「山本、お前の所の部長が勝手に決めたことだけどいいのか?」

「ええ。おそらく、ここで逃げても禍根が残ると思われますので、それならいっそ行ってみる方がいいと思います」

「分かった。お前がそう言うなら」


 キャッチャーミットを構え、しゃがみ込むのは坂田だ。本来のポジションはピッチャーであるが、中学の二年間、山本の投げるボールを見てきた自分ならば受け切ることができると坂田は考えた。

 もちろん、西条高校のキャッチャーは別にいるが、今の坂田以上の急速を誇っていた中学の時の慶介の球を取ることは難しいだろうと考えてのことだ。


 ちらりとバッターボックスに坂田は目を向ける。

 1番手は将門まさかどか。動体視力が図抜けている将門相手に山本はどこまで粘れるか。

 坂田は慶介へと視線を移すが、慶介は少し俯いたまま腕を回すなどをしてサイバースーツの調子を確かめている。どうやら、緊張はしていないようだと考えた坂田は一人頷く。


「プレイボール!」


 松本の声がグラウンドに響いた。

 すっと慶介の目が細くなる。集中している証だ。


「慶介!」


 と、彼の集中を乱す者がいた。他でもない旭だ。


「真っ直ぐ、思いっきり投げろ。それで万事上手くいく」


 元より慶介の持つ球種はストレートのみ。

 一度、旭に向かって頷いた慶介は集中を取り戻すために目を一瞬だけ閉じる。ゆっくりと目を開けた慶介の視界に映るのはキャッチャーミットだけだった。

 大きく腕を振り被る。彼の体を覆うサイバースーツは動きを阻害することなく、モーター音を響かせながら慶介の動きをアシストして力を高める。

 ダンッと踏み込んだ慶介の左足はピッチャーマウンドの土を跳ね上げた。そして、慶介の手から離れた白球はバッターにバットを振らせることなく、キャッチャーの構えた場所に寸分の狂いもなく吸い込まれた。


 グラウンドで発せられる音はボールがグローブに当たる独特の音だけだった。誰も言葉を発する者はいない。それだけ、慶介の投げたボールに魅了されていた。


「ふっ……ふふふ。どうだい、慶介。エクストラの力は?」

「凄いです」


 旭の得意げな声に返す慶介の言葉は淡泊なものだった。サイバースーツの銀色の外骨格に包まれた右腕を見つめる慶介の頭には衝撃しか残っていなかった。


 部活から離れて半年ほど経ち、筋力の衰えでサイバースーツのアシストがあったとしても、全盛期ほどの速さは出ないと踏んでいた慶介であったが、実際は全盛期以上の速さだった。

 ポカンとした表情を浮かべるバッターの将門の様子を見て慶介は思い知らされる。


「さて、スピードは……。165キロか。悪くない」


 投げた球のスピードを計るスピードガンで、気づかない内に慶介が投げた球のスピードを計っていた旭の呟きに野球部の面々が顔色を変える。


「165キロってプロでも中々出せねーぞ」

「元々、山本は中学の時でも140キロは普通にオーバーしていたから、おかしいってことはないかもしれない」

「いや、おかしいだろ。どうやったら20キロも上げれるんだよ。160オーバーとか高校生の限界を超えているだろ」


 騒めく野球部の様子を横目に得意げに旭は言い放つ。


「さぁ、慶介! 続きだ! 一人残らず打ち取ってしまえ。前哨戦として、文句なしの華々しい結果を飾ろうではないか!」


 そこからは、一方的な蹂躙だった。

 コースが分かっていても普段の練習では見られない剛速球は振り遅れてしまう。次々と三球で打ち取られていく野球部の精鋭たち。皆一様に狐につままれた表情で次々とアウトになっていく。

 完全に振り遅れる者、ボールが来る前にバットを振ってしまう者。それをジッと見つめ、自分の打順を待つ者がいた。


「さて、後一人か。初の装着にしてはいい結果だ。残念だが、慶介は野球部にはやれないな……む?」


 勝利を確信した旭は隣に居た松本に声を掛けるが、松本の姿はそこにはなかった。


「松本さん」

「最後のバッターは私。野球部マネージャーを嘗めるなよ、山本」


 バッターボックスに立った松本は金属バットを慶介に向ける。


 ――必ず打ち返す。


 松本の行動を表情から彼女の心を読み取った慶介は静かに、そして、大きく息を吐いて集中し直す。


 ――ただでは打ち取れない。


 ならば、自分の全力をぶつけるまで。

 右手に適度な力を籠め、腕を振るう。鞭のようにしなる右腕から射出されたボールは松本の横を通り過ぎて、坂田のキャッチャーミットに収まった。

 『ストライク』と判定の言葉を返して、坂田は慶介にボールを投げる。


「ここまで速いなんてね。嫌になる」


 バットで地面を数回叩いた松本はぼやくが、すぐにバットを構え直して視線を慶介へと向ける。

 射貫くような視線。しかし、その視線に曝されながらも慶介の体はベストパフォーマンスを発揮した。

 一球目のシーンの焼き直しのように、松本の横を通り過ぎたボールは坂田のキャッチャーミットへと再び吸い込まれた。


「ストライク」


 坂田の声が響いた。

 2ストライク。もう松本には後がない。

 しかし、そのことを分かっていながらも松本の表情は獲物を前にした肉食獣のように上位者の風格が漂っていた。

 慶介は表情を更に引き締める。坂田から投げられたボールを捕まえ、前方にいる松本の視線を真っ向から受け止めた。


 緊張が走る。それは慶介と松本だけではなく、旭や坂田、見守る野球部も目を見開き、身じろぎするものはいなかった。


 と、風が慶介の頬に触れた。それが最後の合図となった。

 身に纏ったサイバースーツを太陽に煌めかせながら慶介は投球フォームを取る。


 勝負は一瞬だと慶介も松本も心のどこかで確信していた。

 風を切る音に合わせて慶介の手からボールが離れたと同時に松本は腰を回転させる。どこにボールが来るかは松本には分かっていた。攻撃的な笑みを浮かべた松本が振るうバットがうねりを上げる。


 ――キャッチャーミットの中心、ド真ん中だ。


 中学の時の慶介は常にそうだった。勝負に出る時は常に自分の出せる最高速度のボールをストライクゾーンの中心に放る。そのことをずっと見てきた野球部のマネージャーであったからこそ、前の8人とは違いバットにボールを当てることができたのだ。


 金属バットは甲高い音をあげて、青い空へと白い球を運ぶ。憎々しいほど澄み渡った空に彼女が呟いた声が吸い込まれていった。


「ああ、悔しいなぁ」


 高く舞い上がったボールは重力に従って、地面へと落ちていく。それを伸ばした左手で慶介が受け取るのを見た松本は寂しそうな笑みを慶介へと向けた。


「サイバー技術研究部の勝ちだね」


 松本の声に反応した坂田は声を上げる。


「ゲームセット!」


 踵を返し慶介に背中を向けた松本は野球部の面々、バッターボックスへと立ってくれた部員たちに頭を下げていく。

 それを横目に坂田は立ち上がり、慶介の傍まで歩いていく。


「山本」

「坂田先輩」


 慶介から少し離れた位置で足を止めた坂田は彼に向かって微笑んだ。


「凄いボールだった。サイバースーツの力とお前の力が上手く噛み合っていたな」

「そう……なのでしょうか?」


 不安気な表情を浮かべる慶介の肩を叩きながら坂田は大きく頷く。


「ああ。あれだけ早いボールを投げることができるんだ。お前ならサイバー技術研究部でもいい結果を出せるさ。……野球部もお前は欲しかったけど」

「すみません」

「あ……皮肉とかそういうことじゃなくてだな。それに、謝るのはこっちの方だ。無理に付き合わせてしまって悪いな」

「いえ、お気になされずに」


 首を横に振り、何でもないと坂田に伝える慶介を呼ぶ声がした。


「慶介! 部室に戻るぞ」


 旭だ。

 彼女は変わらず、腰に手を当て堂々とした様子を見せながらも優しい微笑みを浮かべている。

 慶介は一度、坂田に頭を下げ、次いで野球部の部員たちにも頭を下げた。


「それじゃ、練習始めるぞ!」


 坂田の声を背に、太陽にサイバースーツを煌めかせながら慶介は旭と共に校舎へと歩いていったのだった。


+++


 部室でスポーツ飲料を出された慶介はそれをチビチビと飲みながら旭の様子を観察する。

 『まさか瑞樹に打たれるとは』『もう少し出力を上げた方がいいか?』『いや、だがそれ以上はバッテリー駆動時間が』などと一人で呟く旭に声を掛けるタイミングを計る。

 『う~ん』と天井に視線を泳がせた旭を見て、タイミングはここだと感じた慶介は彼女に声を掛けた。


「嘉瀬部長」

「何だ、慶介? ああ、先ほどから気になっていたのだが、私のことは“あさひ”と呼んでくれ。または司令でもいい」

「旭部長。なぜ、自分が野球部の人たちに勝てると思ったのですか? あれほど、条件が悪かったというのに」


 『司令が良かったのに』と小声で語る旭だったが、少し髪を揺らして慶介を真っ直ぐに見つめる。


「決まっている。私は君を信じているからだ」

「信じ……ている?」

「君の能力、性格。全てを考えた上での行動だ。この程度、できない訳はないと私は考えていた。……最後の瑞樹には驚かされたが。」

「しかし、自分が野球部に勧誘されて、そちらに心が動いていたら自ら負けを選ぶことになっていたかもしれません。それなのに、何故?」

「君は私と共に頂点まで駆け上がるパートナーだと思っている。故に、君がサイバスロンを選ぶことは私にとっては自然なことだ」


 呆けた表情の慶介に気づかず、旭は言葉を続ける。慶介にとっては彼女の“パートナー”という一生残り続ける言葉をサラリと言う旭は踊るように慶介へと自分の体を向けた。


「そうそう、我々の初勝利を祝おうじゃないか。何か欲しいものはあるかい? 私がお金を出そう。ああ、私にして欲しいことも可だ。全身マッサージは軽くだが勉強しているから自信はある」


 一つだけ、慶介には望みがあった。


「動画を……」

「ん?」

「動画を消してください。自分が猫に話しかけた、あの動画を」

「ああ、あれか。君が昨日、サイバー技術研究部の部室に来た時点で削除している」

「え?」

「そもそも、アレは君にサイバスロンのことを知ってもらうための餌のようなものだからな。サイバスロンを君に知って貰った後、あの動画に意味はないから消したが……もしかして、欲しかったのか? ならば、復旧できる店を探すが」

「いえ、結構です」


 首を横に振る慶介を不思議そうに見る旭を見て、慶介は思った。

 きっと、これからは旭部長に振り回される日々が続くのだろうな、と。


 しかし、心の中でそれを楽しみにしていることを否定することは慶介にはできなかった。

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