第4話 恐れ入谷の鬼子母神

 廊下に響く慶介の足音。それに気づいたのか、言い争っていた二人が止まった。


「慶介!」

「山本!」


 二人の内、ジャージ姿の少女が慶介の近くへと駆け寄る。


「坂田先輩から聞いたんだけど、野球部に入らないの? いい返事は聞けなかったって坂田先輩が言っていたけど、どういうこと? それに、昨日、サイバーなんちゃら部の嘉瀬と一緒にここに来ていたのを見たけど、一体、どういうこと?」


 『サイバー技術研究部だ!』と後ろから怒鳴る旭を無視して、目の前の野球部の少女は声を張り上げる。慶介の中学校からの知り合いで野球部のマネージャーであった松本まつもと 瑞樹みずきだ。


「松本さん。俺は野球部には入りません」

「何で? って、ごめん。聞くまでもないよね」


 松本は目を伏せる。しかし、一転、彼女は強気に慶介へと尋ねた。


「けど、山本はそれでいいの?」

「ええ。それに、嘉瀬さんから入部しないかと誘われて入部しました」

「そのことは嘉瀬から聞いた。けど、山本の気持ちが知りたいの。野球はもうしたくないの?」

「そういう訳ではないのですが……」

「じゃあ、決まり。野球部の入部届けを用意するから書いて」

「おい」


 イライラしながらも、どこか得意げな声が松本を止めた。


「慶介が困っているじゃないか。それに、野球よりも慶介はサイバスロンがしたいに決まっている。お引き取り願おうか?」

「そんな訳ないでしょ。どうせ、嘉瀬さん。アナタが何か卑怯な手を使って山本が断れないようにしたんじゃないの?」

「グッ……」


 正解である。松本の意見に言い返せなくなった旭の様子を見て、松本は唇に孤を描く。


「あらぁ? どうしたの? 山本に何かしたの? 例えば、弱みを握るとか」

「うっ!」


 旭の反応から図星だと判断した松本は続け様に彼女を攻める。


「アナタが脅して部活に山本を入部させたって先生たちに知られたら一体どうなるのかしら? 良くて、部活停止。もしかしたら、部活がなくなるかも」

「な、なんだと!?」

「だからね、山本を開放してくれない?」

「それは……できない。私にとっては慶介しかいない」

「なら、先生たちに言うしかないかもね」

「くっ!」


 自分のことなのに、自分の意見が全く介在しない今の状況をどうしたものかと慶介は頭を回転させる。しかし、妙案は浮かんでこなかった。このような人間関係についてのアレコレが上手いのは弟のタクヤであって、決して自分ではないというのに何故巻き込まれているのだろうか? いや、得意ではないからこそ巻き込まれているのか?

 頬を掻き、取り敢えず、自分はサイバー技術研究部の部員として入部届を出したことを松本に伝えようとするが、その前に走り寄ってくる音が外から響いた。


「松本! 何してる? ミーティング始めるぞ」


 窓の外から大きな声で松本を呼ぶのは、野球部のユニフォームをキチンと着こなした坂田だ。窓に阻まれて少し坂田の声が聞こえ辛くなっているため、慶介は窓を開けて音の通り道を作る。


「ごめんな、山本」

「いえ、慣れているので」

「ちょっと! 慣れているって何? どういうこと?」

「山本は言えない性格をしているし俺が言う。お前が人を振り回すことに慣れているって話だよ、松本」

「坂田先輩、酷ッ!」

「いいから、早く行くぞ、松本」


 そう言って、坂田はグラウンドを親指で示す。しかし、『すぐに来い』という坂田のサインに松本は従わなかった。


「坂田先輩! 山本は脅されています! サイバーなんとか部の嘉瀬によって」


 『サイバー技術研究部だ!』と訂正を要求する旭を坂田はやや強い視線で見つめる。


「松本の話は本当なのか?」

「はい」

「慶介!?」


 慶介の淀みない答え。味方にも裏切られたと感じた旭はヨヨヨと膝をつく。


「ですが、自分がサイバー技術研究部に入ろうと思ったのは事実です」

「山本!?」


 慶介の答えに今度は松本が驚く番だった。すかさず、立ち上がり胸を張る旭。堂々とした旭の“それ”と自分の“それ”を見比べて表情が陰る松本の様子を見た旭はニヤリと笑った。


「フッ。君とは違って私は他人を引き付ける魅力がある。というより満載だ。君にも分けてあげたいものだが、何分、天より与えられた魅力を他人に与えるなど無理なことだからな。諦めたまえ」

「このッ……」

「いえ、嘉瀬さんの魅力などは関係ありません」

「慶介ェ!」


 声を上げる旭から目線を松本に移した慶介だったが、松本は目下の所、旭に対して勝ち誇ることに忙しそうに見えたために坂田に顔を向ける。


「加瀬さんより見せて貰ったサイバースーツに興味が出てきたので、新しくサイバスロンを始めるというのも悪くないと思いまして入部しました。申し訳ございませんが、その都合上、野球部の方は……」


 言葉を濁す慶介に『気にするな』というように坂田は笑顔で手を振る。しかし、一転して厳しい顔付きの坂田が疑問を口にする。


「だけどな、山本。脅されているというのはどういう意味だ?」


 坂田の言葉に松本と話をしていたのを切り上げて旭が答える。


「そこまでしないと慶介は手に入らない。少々、強引な手段であったが仕方のないことだ。それに、脅すなど……瑞樹が針小棒大に言っているだけ」

「はぁ!? アナタの言い方から山本を脅しているのは間違いないでしょ? それに、山本も頷いていたし」

「慶介はお前の言葉を否定しないようにしていてくれたことを分からないとは。瑞樹、それでも君は部員たちを管理するマネージャーか?」


 旭は松本をせせら笑うものの、慶介の目には彼女の額に汗が玉となって流れているのが目に入った。そのことに気づかず、一歩後退しながらも口論は続ける松本から目を離し、坂田は窓の手すりに手を置きながら慶介に尋ねる。


「山本。もしお前が本当に困っているんだったら、俺が力になる」

「大丈夫です」


 にべも無く言う慶介の様子を見て、坂田はどこか諦めたような笑みを浮かべる。坂田の中で慶介は常にそうだった。中学時代、共にピッチャーとして切磋琢磨していた頃に坂田はそれを知った。どんなに困っていることがあっても慶介は感情を表に出さなかった。9回裏2アウト満塁同点でサヨナラホームランが打たれそうな状況でさえも、当時中学一年生だった慶介は淡々と自分に割り当てられた仕事をこなし、無表情で三振でバッターを打ち取っていた。

 そんな慶介が困っている時に感情を出さないということを坂田はよく知っていた。そして、感情を出さない慶介は常に行動と言葉で必要なことは伝えてくれていた。ならば、大丈夫と本人が言っている限りは問題はないのだと結論を出した坂田は慶介から視線を外し、旭に目を向けた。

 『慶介は君に任せる』

 そう言って、松本をグラウンドに連れて帰ろうとした坂田の耳にとんでもない言葉が飛び込んできた。


「ええ、その条件を飲んでやるわ! 勝負よ!」


 松本の声が廊下に響き渡った。


「山本、何かごめんな。ごちゃごちゃしたことになりそうだ」

「いえ、慣れているので」


 旭と松本が話していた内容を二人はよく聞いていない。だが、これまでの経験から何やらよくないものが迫ってきている予感が二人にはあった。


「私と慶介でお前たち野球部を一人残らず仕留める」

「望むところよ。野球部が勝ったら山本をウチの部が貰うわ」

「こちらが勝てば、5人ほど名前を頂くぞ。部員が少なくて、まだ、部活として体を成してはいないからな。君の提案は渡りに船だ」

「言ったな、嘉瀬 旭ィ……ひゃん!」


 額に井桁模様を作る松本の首根っこを掴み、坂田は旭に目を向ける。


「大体分かった。お前たちは山本を賭けの対象にしようとしているな?」

「そうですけど、坂田先輩! これには深い訳があるんです!」

「深くはなさそうだけどな」


 坂田は旭に対して厳しめの顔付きを作る。


「君は我儘だな。山本はモノじゃないぞ」

「我儘でも! ……私には叶えなければならない夢がある」

「それで、他人の時間を奪っても?」

「奪うことにはなるが後悔はさせない。絶対に」


 真摯に自分と目を合わせる旭を見て、坂田は息を吐いた。結局、彼は首を縦に振る。野球部の代表のような性格をしている彼は熱血に弱いのであった。


+++


 ガララという音を立ててサイバー技術研究部の部室の扉が開く。その中へと旭は慶介を誘導した。


「それで、詳しいルールは何ですか?」


 坂田が松本を連れて野球部に説明をするということで部活棟から離れたが、勝負の詳細についてはまだ聞いていない。一体、今から何をしようとしているのか? 疑問を口にした慶介に旭は答える。


「野球部の選抜メンバー9人を慶介、君がピッチャーとして全員アウトにすることだ」

「無理です」


 さらりとできないと答えた慶介だったが、彼の答えに旭はニヤリと魔女のような笑みを浮かべる。


「そのままなら、な。しかし、瑞樹はサイバースーツの使用を認めた。つまり、これから、勝負する君は今までの君とは別物だ。屠所之羊の野球部の奴らに引導を渡してやれ」


 悪い笑みを浮かべる旭を見ながら、ほんの少し眉を顰める慶介。自信があるように見える旭には策があるのだろうと考え、彼女に指示に従うべくサイバー技術研究部の部室の奥に進む。


「さぁ、出番だぞ……Extraエクストラ


 旭はマネキンに付けていた部品の一つ一つを手慣れた様子で取り外していく。


「ああ、慶介。そこの掃除用具入れを衣装箪笥に改造したものに専用の衣装が入っている。君の体にぴったりなものを用意したから着替えてくれたまえ」


 いつの間に……。

 そう思いながらも、自分のことを以前より知っていた、いや、狙っていたと思われる旭のことだ。自分の身体的なデータを持っていたとしても不思議はない。

 そう考えた慶介はマネキンからサイバースーツの部品を取り外し続けている旭から離れ、普通の教室では掃除用具入れとしてしか使用されていないロッカーの扉を開ける。そこには旭の言ったように、確かに一着、衣装が入っていた。

 それを見た慶介の眉がピクリと動く。

 全身を覆うタイツ、色は白。芸人が着るような、いや、例え芸人が着たとしても失笑しか誘うことのできない衣装がハンガーに掛けられていた。


 これを着るのか?


 他に何かないかとロッカー内にくまなく視線を向けるが、他に衣装は一着もない。手に持つ白タイツを見つめる慶介の顔は陰が重く差していた。

 とはいえ、着ないことには話は進まない。横を見て、旭がまだエクストラに掛かり切りの様子を見ながら慶介はブレザーに手を掛ける。

 女子の前で着替えるのは恥ずかしいものの、仕切りなどはない。部室には全面にカーテンが閉められ、外から中の様子を見られないだけマシかと考えた慶介はなるべく早く着替えを済まそうと服を脱ぎ始める。


「終わったぞ、慶介。君は……」


 旭が振り返ると、そこには服を脱いだ慶介。均整の取れた肉体。ほど良く割れた腹筋は弾力があり、体を鍛えていたことがよく分かる。太陽によって焼かれた小麦色の肌は健康そうで、その下の筋肉と合わせて女性の動物的な本能を揺らすには十分な効果を持つ。

 上半身だけでそれなのだ。そこから少し下に行ってしまった旭の目は大きく丸くなる。

 季節に合わせたのか若葉色の鮮やかな男性物の下着が旭の目に入った。つまり、今の慶介の恰好はパンツ一丁だ。


 その光景を見て唖然とする旭。それもそうだろう。カーテンで外と完全に仕切られた薄暗い教室の中に若い男女が一組。これはどう考えた所でそうなのだろう。

 目を瞑り、両手を前に突き出した旭は声を震わせながら首を横に振る。


「慶介! 落ち着け、落ち着くんだ! 私が魅力的なことは認めよう! 身長165cm、体重46kg、そして、胸囲はFカップ。君が興奮するような官能的な体であるが、しかし! このような大切なことは節度を持ってだな、手、ててて、手を繋ぐことなどから始めるのが筋というものだろう?」

「終わりました」

「終わったって何が!?」


 色々と考えることがあったのだろう。顔をこれ以上ないというほどに赤く染めた旭は、慶介の言葉に思わず、きつく閉じていた目を開ける。


「着替えです」

「あ、そう……」


 自分が予測していたことと大きく隔たりがあったのだろう。全身を覆う白タイツ姿の慶介の姿を見る旭の表情はとても冷たかった。


「着替えた後はどうすれば?」

「そうだな。ここに立ってくれ」


 旭は自分の前に慶介を誘導する。それに従い、慶介は旭の前に出る。静かに佇む慶介の体に、マネキンから取り外したサイバースーツの部品を旭は黙々と着けていく。まず、胸の装甲を付け、次いで、背中にも装甲を取り付ける。


「済まないな、慶介」


 沈黙を破ったのは旭だった。


「強引な手段ということも分かっていた。君の気持ちを考えるとするべきではないといいうことも分かっていた。しかし、諦めきれないんだ。技術革新が行われ続けている今の世界で取り残されそうな気がしてな」


 しゃがみ込み、慶介の足にサイバースーツを着けていく旭の独白は続く。


「何分、私は人付き合いが上手くはない。それは自覚しているし、直そうと思ったこともあるし、実践してみた。だが、違うんだ。『これは私じゃない』と思ってしまう。そして、私が私ではなく日々を過ごすことは、それは私の人生じゃないと思ったんだ。だから、私は私の心が赴くままに生きるべきだと結論を出した」


 『だが』と旭は言葉を切り、上、つまり慶介の顔を見上げた。


「君と私は一蓮托生。共に大会を勝ち抜いていくパートナーだ。私の行動で気に喰わないことがあれば、口に出して欲しい。できるだけ改善する」

「いえ、嘉瀬さんはそのままでいいと思います」


 慶介の言葉に一瞬驚き、ついで、花が咲き乱れるような笑顔を浮かべた旭は慶介の腕に手を伸ばす。旭は楽しそうに慶介の周りを舞うように彼を銀色で覆っていく。


「そうだな。私は私らしく行動しよう。つまり、野球部の奴らに私と君の力を見せつけコテンパンにしてやろうではないか! 強大無比な力で奴らに目にもの見せてやろう! ……慶介!」

「はい」

「慈悲は捨てよ。圧倒的な我らの力を見せてやろうではないか!」


 クククと悪趣味に笑う旭の姿を見て、慶介は頭の中を通り過ぎた一文を否定することができなかった。

 ――この人と共に部活を行うというのは、果たして大丈夫なのだろうか?

 慶介は自分の言葉を否定をすることができなかった。

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