エピローグ
七月十一日。
期末試験も今日で最後だ。数学と英語を同日に行った教師陣にはエンドレスに呪いをかけようと思う。くたばれ。
気分を変えて、明日の県大会に備えようと思う。
あの試合で、俺はベンチ入りピッチャー三名の内の最後の一枠に滑り込んだ。エースの称号である一番を背負ったのは中野。キャプテンは怪我がうまく治らないらしくて、十番の背番号となった。
御嶽は十六番で外野手登録となった。結局足が速いのが気に入られたみたいで、代走の切り札になりそうだ。
一年でベンチをつかんだのはその三人だった。
最後の科目のテストが回収されたタイミングで、日野が後ろからハイテンションで近寄ってきた。
「夏休みだぞー!」
「まだ終業式やってねぇだろ」
「うるせぇなそんなもん学校のうちに入らねぇよ」
「それもそうか」
このあと、二日間謎の休みがあり、そのあとテスト返し、終業式がある。
それでも午前授業なので、大した苦にはならない。日野のようにもうすでに夏休み気分に突入しているやつもいる。
「開店からゲーセンに入り浸ってやる」
「ほどほどにせぇよ……?」
「大丈夫、メダルならすでに五万枚くらい貯めてあるから、金は使わないんだ」
「お前すごいやつだったのかよ」
そこまでいくのにいくらつぎ込んだんだろう……社会の闇だ。
「んじゃ、俺は帰るからな」
「ん、お疲れー」
日野は半袖ワイシャツの肩にカバンをかけると、ダッシュで帰っていった。ああいうのを世間では廃人という。
飯でも食うか……と思い立ったので、適当にベンチを見つけて弁当を頬張る。部室は汗くさいし、教室は誰もいないので、適度に人がいて空気がきれいな中庭で食べるのが一番いいってことに最近気づいた。風も心地よく、日陰になっているので、暑い日も快適だ。至福の一時。
「あら、羽村くんじゃない」
至福の一時、終了。
「なんでお前もこんなとこにいんだよ」
「ちょっと図書館に用事があったの。新しく入った本のチェック」
「図書館とか行かねぇし」
「そうね、そんな顔してるもの」
「どういう意味だよ」
「言葉通りよ」
それがわかったら苦労しねぇっつの。
「……今日も自分で作ってきたの?」
「そうだよ。冷凍食品万歳。三分でハンバーグ食えるっていうね」
「ちゃんと野菜とってる? 添加物ばかりだと体調崩すわよ?」
「お前は母親か」
「栄養管理が行き届いている、いい奥さんじゃない」
「奥さん?」
「冗談よ」
笑ったのは口元だけ。
そこで、五ノ神は図書館に行ってしまった。いまいち腑に落ちなかったが、まあこの際どうでもいい。
部室に行く前に、一旦トイレに行っておこう。部室からだとトイレが遠くて、さらにグラウンドと逆方向なので、行くのがすでに億劫なのだ。
と思ってベンチから立ち上がろうとしたところで、今度は拝島が現れた。
「羽村くん、こんなところでお弁当食べてるの?」
「午前授業のときだけな」
毎日これやってたらただのぼっちじゃねぇか。そんなことはない。よな?
「そうなんだー、隣、いい?」
「え、あ、うん」
唐突な申し出に、よくわからず頷いてしまった。
隣に座った拝島は制服がよく似合っている。こいつ多分ユニフォーム来たらもっとかわいいと思う。胸の辺りとかすごくなりそう。
ていうか俺はトイレに行きたかったはず。生殺しだ。こいつと絡むとき大抵俺こういう状況なんだよな。
「明日、だね」
「ああ、だな」
「順当に行けば負けることはないと思うんだけどね。まさかがあるからね」
「怖いこと言うなよ、先輩を信じようぜ」
「それもそうだね。マネージャーが仲間を信じなくちゃね」
拝島は手をぐっと握りしめている。決意を固めたように。
こうして横並びになってみると、こいつが単純にかわいいということに改めて気づく。マネージャーという札を取れば、俺は拝島と関わることもなかったのかもしれない。
すみわたる青空に、飛行機雲が映える。一筋、飛行機を追いかける雲はいつまでも途切れることはない。
「――ねぇ」
拝島が唐突にこちらを向く。二メートルくらいの横幅のベンチ、こんな至近距離で拝島の顔を見たことはなかったので、変な感じだ。
「……なんだ?」
顔をそらすわけにもいかないし、かといって思いっきり見つめあうのもなんか違うと思う。中途半端な位置に視線を置いて、拝島の言葉を待つ。
「なんでもない」
百パーセントの笑顔でそう言うと、拝島は立ち上がった。
「じゃあ、また明日」
「お、おう」
小走りでどこかへ行ってしまう拝島を目で追いかける。
なんでもないて、こっちがどんだけ考えたと思ってるんだよ。生殺しだ。
あとやっぱりスカートがギリギリのラインでひらひらしている。見えちゃうぞもっとやれ。
部室に到着するなり着替えて、グラウンドに出る。公式戦前の練習は軽い調整だけで、あとは明日に備えるというのが今日の練習。
吉祥寺を座らせて、投球練習。
「お前って変化球はカーブとスライダーだけなの?」
座ったまま吉祥寺が問う。
「そうだけど」
「じゃあさ、この前、お前が斎藤から三振とった、あの変化球は? スライダーやカーブより球速あったよな」
「ああ、あれ? あれは高速スライダー」
「高速スライダー?」
「球速の速いスライダー。荻窪先輩と二人で練習してた」
「そうなの? 知らなかったんだけど」
「荻窪先輩に投げ方教わった。あの人ピッチャーやってたんだって。だから肩が強いらしい」
「そうなのか」
「そうなのだ」
周りの一年はもうすでにグラウンド整備を終わらせたようだ。そろそろ向こうの練習に合流しないと。
「あとひとつな」
「おう」
大空に両腕を突き上げて、左足で地面に踏み込み、そのまま腕を振り抜く。
まっすぐでは通用しなくても、変化球なら、まだ希望は残っているのかもしれない。
それは野球に限らず、俺のなんというか、高校生活もそのまま表していそうだ。
夏空は、遥か彼方まで続いている。
吉祥寺はホーム手前でいきなり変化したボールをギリギリキャッチした。
うまく決まったその高速スライダーの余韻を感じながら、こんなことを思う。
これが、正しい変化球の投げ方かな、って。
正しい変化球の投げ方。 奥多摩 柚希 @2lcola
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