第6章 クロウ=チャーティアへ-5
めまいのような感覚に続いて、高所から落下するような浮遊感が襲う。
思わず身構えてしまうが、そのことに意味はない。
どういう理屈が働いているかは不明だが、世界の境界を越える時に人間を襲う感覚は落下のそれに酷似している。
俺はセリカと手を取り合ったまま「落下」し、世界の境界をくぐり抜ける。
気づけば、俺はさいたまユグドラシルツリーのアナザーポート――異世界港にあるドーム状の空間の中にいた。
「勇者様!」
めまいから立ち直っていない俺に、誰かが抱きついてきた。
白金色の髪と純白のドレス。その背には、かつてはなかった銃剣がたすきがけにされている。
「……シャーロット」
「はい。よくご無事で……お
「ああ。ただいま」
俺がシャーロットの翡翠色の瞳を見つめていると。
「ごっほん」
と咳払いが聞こえた。
そちらを向くと、そこにはエレナとステラが立っていた。
「いきなりふたりの世界に入らないでくれるか?」
女格闘家――エレナが言う。
「隣のセリカ嬢が可愛そうだろう?」
「えっ……あっ!」
うっかりしてた。セリカとはまだ手を握り合ったままだった。
「……べつに、いいんですよ?」
「セ、セリカ?」
「リュウト様が女性にもてるのはわかります。わたしは国を救ってもらった身。正妃にしろとは言いません」
セリカは俺の手を払うと、拗ねたように横を向いてしまう。
エレナは反応に困る俺を笑ってから言った。
「ま、どうせ無事だろうとは思ってたけどな。お還りさん」
お還り、というのは異世界から帰ってきた者に対するねぎらいの言葉だ。
「エレナ・ロデーシャは心配していた。自分もついていくべきだったと繰り返し主張してシャーロット・ウルフレアを困らせていた」
ステラが淡々と言う。
エレナが慌てた。
「そ、そんなことはないぞ! 相手が勇者だと聞いて心配してはいたが、
そう言ってエレナがちらりと横を見る。
そこに、ドームの壁にもたれるようにして弥勒先輩が立っていた。
「お還り、海野くん。ちなみに私は君のことはかけらも心配していなかった」
「……でしょうね」
「違う違う。〈
弥勒先輩がいたずらっぽく笑う。
それから征徒会長の顔に戻って言った。
「――さて、早速で申し訳ないが、報告を聞かせてくれないか?」
「ああ。……だけど、報告の相手はあんたでいいのか? 理事長じゃなく」
「君は今回異世界に単独で干渉を行った。AWSOの依頼を受けたわけじゃない。ということは、君の行動の管轄はAWSOではなくオーソドクス征徒会ということになる。教職員側からは
そう言われて目を向けると、離れたところに狐管先生が立っていた。
「お還り、海野君。無事戻ってくれてよかったわ」
「心配をおかけしてすみません」
「いいのよ。私だってこの学園の教師です。生徒を戦場に送り出す覚悟はできているわ。もっとも、それは死んでしまっても構わないというわけではないけれど」
本当に安心した様子の狐管先生を見て、張り詰めていた気持ちが緩むのを感じた。
だが、まずは報告だ。
「俺は、
あの後行った聞き取りによって、外道勇者は「ユキヤ・サカザキ」と名乗っていたことが判明している。
「そうか。セリカくんの主張通り、クロウ=チャーティアの魔王は善性、勇者は悪性だったわけだ。まぁ、女神がああだった時点で、その疑いは濃かったわけだが」
「勇者には異世界での大きな行動の自由が認められているから、『人道に悖る勇者』指定は滅多なことでは適用されません。多少の悪は、突発的に召喚された『勇者』にとっては避けられない場合がどうしてもありますから……」
弥勒先輩と狐管先生がそう答える。
「俺は勇者判断でサカザキを『人道に悖る勇者』と認定しました。事後の聞き取り調査では、サカザキには大量虐殺及びその煽動、捕虜の虐待、女性への暴行、人体実験など人道に悖る行為をおこなっていたという多くの証言が得られています」
転移者にはほとんど無制限の行動の自由が認められているが、その例外が「勇者判断」だ。要するに、他の勇者から見て目に余る行動を取っている場合、その勇者の判断で強制執行を行ってよいというルールである。
「事実だとしたら、これまでのAWSOの判断は的外れもいいところだったことになるね。私もかの世界の女神イティネラを捕らえた時に、警告を発してはいたのだが」
弥勒先輩が悔しそうに言う。
幾多の世界を渡ってきた勇者だけに、サカザキがどのような外道を行ってきたかが具体的に想像できてしまうのだろう。
「ユキヤ・サカザキという人物については、警察に照会して行方不明者リストから該当者を割り出してもらいます。といっても、もう死んでいる以上何ができるわけでもないのですが……」
「もし生きていれば『勇者監獄』行きは固かっただろうね」
「勇者監獄ですか……」
噂ではとある無人の異世界に作られた絶対に脱出の不可能な牢獄……だったか。
日本では死刑が十数年前に廃止されている。その代わりに懲役百年というような極端な刑期の設定が可能になっていた。
しかしそもそも異世界での犯罪を日本の刑法で裁くことができるかは法学上の論争になっている問題だ。
が、実際に「罪」を犯した者――それも、強大な力を持つ勇者を野放しにはできない。
さまざまな政治的なせめぎあいの結果として、異世界にある勇者監獄に幽閉(島流しとも言う)するという形を取ることになった……らしい。
らしいというのは、日本国政府もAWSOも、公式には勇者監獄の存在を認めていないからだ。
要するに、勇者を裁く場合は超法規的措置が取られているということだ。
俺は続いて、細々とした経緯についても報告した。
ギアが一連の行動ログを記録しているからそれを見ればわかることだが、口頭での報告の技術は異世界干渉官の基礎的技術として事あるごとに仕込まれている。
「……ふぅん。じゃあ、君に協力してくれたニーズヘッグとやらは、魔王国の庇護下に……いや、魔王国の守護者になる、と」
「ええ。子どもは無事見つかりましたし、ニーズヘッグは魔王国の水晶宮にいたく感心したらしくて」
そのまま居着いてしまった、というわけだ。
「……報告は以上です」
「ご苦労。それなら、急ぎたまえよ?」
「……?」
「おいおい……異世界ボケかい? 今日は平日、オーソドクスの授業日だ。君はこれから授業があるだろう」
「……あっ」
忘れてた。
「で、でも、今日くらい……」
「ダメです! ただでさえあなたは成績が危ういんですから、出席くらいはしてください! 点数をオマケするにも限度があります!」
「そんなぁ」
結構疲れてるんだけどな。
午前中はほとんど寝てるだけになりそうだが……出るだけは出るか。
◇
セリカは、今後のことを相談するために弥勒先輩とともに征徒会室へと向かった。
俺はひとり、ユグドラシル90層にある教室へと向かう。
時間は始業ギリギリだ。モチベーションの高い我がA組の生徒たちはもう既に教室の中にいる。
俺はガラガラとアナクロなデザインの扉を開けた。
その途端、教室内が静まり返った。
なぜか全員が俺の方を見ている。
そして、
「「「お還り!」」」
クラスメイト全員が声を揃えて言ってきた。
俺は首謀者とおぼしい奴に目を向ける。
「……委員長のしわざだろ」
「違うわよ? 打ち合わせなんてしてないわ」
委員長が肩をすくめる。
そこで、クラスメイトたちが立ち上がり、俺の周りを取り巻いた。
「弥勒先輩との試合、見たぜ! なんだよ、どんだけ実力隠してたんだよ!」
「未踏破の異世界に行ってきたって本当!?」
「向こうで魔王を倒したって聞いたぜ!」
「違うだろ、倒したのは外道勇者って話だ!」
わいのわいのと、クラスメイトたちが話しかけてくる。
俺が困惑していると、
「――はいはい、みんな。海野君をいじるのは後よ!」
いつのまにかやってきていた狐管先生が俺の背後からそう言った。
先生は俺の背をそっと叩いて教壇に登る。
俺も自分の席へと向かう。その途中で周りの席のやつからあっちこっちを叩かれた。
不思議と、うっとうしいとは思わなかった。
「さて、海野君が無事に戻ったわけですが、今日はもうひとつニュースがあります」
先生の言葉にクラスがざわつく。
「じゃあ――入ってきて」
先生が扉に向かってそう言った。
「失礼します」
と言って入ってきたのは、見慣れた少女だった。
メタリックな光沢のある銀色の髪とルビー色の瞳、色白の肌。
異世界人の中でもかなり特徴的な容姿をしている。
言うまでもなく、
「セリカリア・アシュレイと申します。本日からこのクラスで学ばせていただくことになりました。よろしくお願いします」
セリカだった。
セリカは俺を見ていたずらっぽく笑っている。
今後の相談と言っていたのはこのことだったのか。
「それから――リュウト様は私の心に決めた殿方ですので、手を出される時は覚悟をなさってくださいね?」
にっこり笑って言うセリカに、俺は深い溜息をつくのだった。
異世界転生学園の元勇者 天宮暁 @akira_amamiya
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