第6章 クロウ=チャーティアへ-4

 それから一昼夜飛び続けた。

 ギアによる観測では、悪竜ニーズヘッグの飛行速度は音速に近い。

 丸く見える地平線の先が白く染まり始める頃に、俺は白波に囲まれた大陸を眼下に望むことになった。


「これが魔大陸か」


 魔大陸というのはセリカ側(ミドラニア魔王国側)の呼び方で、人間側には別の呼び名があるのだという。

 また、ニーズヘッグは「見棄てられた大地」と呼んでいた。

 昨日までいたゾットの住人たちはそもそもそんな大陸があることを知らない様子だった。


 魔大陸は、ゾットのあった大陸と比べて地面が赤みがかっている。

 ギアによれば大地に魔力が染み込んでいるという。その魔力が、一部の人間に突然変異を起こし、魔族という種族を作り出した――そんな想像をすることもできそうだ。


「あれがツルガ連峰か。南側に向かってくれ」


 俺はニーズヘッグの頭の角の間に立ち、セリカの地図をギアによるAR表示で参照しながら、空飛ぶ悪竜のナビゲーションをする。


 そうすること半日。


 空が茜色に染まりかけた頃、俺たちは魔王城があるというミドラニア王国コーンウェル地方へと差し掛かっていた。

 それから数十分の飛行で、行く手に白亜の街並みと、その奥にある巨大な水晶の城が見えてきた。


《あの大きなものが『マオウジョウ』か。》


 ニーズヘッグが聞いてくる。


「たぶんな。大地に浸透した魔力が析出してできた巨大な魔水晶に、それを掘り抜いて作った城か。この世界の魔法技術は文句なしにAランクだろうな」


《よくわからぬが、あれが小さな人間の作ったものだというのか。》


 ニーズヘッグのうなり声には珍しく驚きの色が感じられた。


「あそこの主が清冽の魔王ザ・ピュリファイアージュヴノイノ・アシュケナージ――セリカの親父さんだ」


《あのような巨大な巣が必要とは、魔王とやらは我より大きいのではないか?》


 真面目に?言ってくるニーズヘッグに苦笑する。


「そういうわけじゃないさ。だが、俺たちの敵は、その魔王様を追い詰めてる奴なんだぜ」


 俺の言葉にニーズヘッグが身震いした。


「怯えてるのか?」


《まさか。武者震いだ。》


 ギアの訳語のチョイスが渋いが、だいたいの意味は合っているだろう。


「外道の方は俺が探す。ニーズヘッグは自分の子どもを探してやってくれ」


《待て。我も奴を引き裂かねば気が済まぬ。》


「両方いっぺんにはできないだろ。どっちが大事かを考えろ、ニーズヘッグ」


 ニーズヘッグが沈黙する。


「……ようやくか。無事でいてくれよ、セリカ」


 魔王城に向かって下降していくニーズヘッグの上で、俺はひとり険しい顔でつぶやいた。



 ◆


 夕闇を、白刃が切り裂いた。


「ぐああああっ!」


 斬られた男の背中から、夕焼けよりも赤い液体が迸る。


「死ねっ! 魔族が!」


 白銀色の鎧に身を固めた聖騎士が、地面に転がった魔族の兵士を剣で滅多突きにする。

 周囲には同様の装備に身を包んだ聖騎士が集まっていたが、死者への冒涜に等しいその振る舞いを注意する者はいなかった。


「ちっ、ようやく城門を破ったと思ったらまた城門かよ」


 聖騎士のひとりがぼやく。


「まあそう言うな。こっちは陽動みたいなもんさ。城門を抜ければ言うことはなし、抜けなくても勇者様が内部に潜入する時間を稼げればいい」

「まっ、いいけどな。一騎当千の魔王軍の精鋭と戦わされちゃたまらねえ。こうしてクソ雑魚な魔族兵を狩ってればいいんだから楽なもんだよ」


 魔族兵士を滅多突きにしていた聖騎士が血振りをしながら唾を吐く。


「勇者様は魔王の娘にご執心らしいな」

「魔王の娘ぇ? まだ十代半ばにもなってないんじゃなかったか?」

「勇者様はそれくらいのまだ青い果実を貪るのが大好きなのさ」


 聖騎士たちが笑い合う。


 その会話を、建物の陰で聞いていた者たちがいた。

 身を隠していた魔族の兵士だ。

 まだ若い彼らは聖騎士たちの話に激昂した。


「死ねぇぇぇぇっ!」


 建物の陰から飛び出し、魔族兵が聖騎士に斬りかかる。


「おっと」


 聖騎士は不意打ちのように見えた一撃を軽くかわし、魔族兵の腹を蹴り上げた。

 それだけで、魔族兵の身体が1メートルは浮く。

 魔法によって身体能力を強化しているのだろう。


「がはぁっ!」


 もんどり打って倒れた兵士を、聖騎士が踏んづけて動けなくする。


「おうおう、生きがいいねぇ。ちょうど暇をしてたところなんだ。遊び道具になってもらうぜ」

「ぐわっ!」


 聖騎士が魔族兵の脇腹を蹴り上げる。

 無理やり立たされた魔族兵は、ふらふらと他の聖騎士の方へと倒れこむ。

 今度はその聖騎士が魔族兵を蹴り飛ばす。

 魔族兵をサッカーボールにでもしているつもりなのだろう。


 ……もう少し様子を探りたかったが、しかたがない。


 俺は身を潜めていた物陰から水鋭箭ストリーム・アローを放つ。


「ぐぁっ!?」

「ちっ……」


 高圧の水の矢は聖騎士に当たったが、致命傷にはならなかったようだ。

 あの白銀の鎧に魔法を遮断する効果でもあるんだろう。


「何者だ!」


 聖騎士たちが一斉に剣を抜いた。

 クズの集まりだが、練度だけはなかなかだ。


 俺はミストルティンをぶら下げたまま姿を現す。


「なあ、勇者様はどこにいるんだ?」


 無造作に質問した俺に、聖騎士たちがぽかんとする。


「正直、この世界の問題に深入りするつもりはないんだ。ただ、セリカのやつを手伝って、ロクでもないおたくらの勇者を始末できればそれでいい」


 肩をすくめて笑ってやる。


 聖騎士のリーダーらしき男が叫ぶ。


「――殺せ!」


 号令一下、聖騎士たちが俺を取り囲むように散開する。


 なかなか的確な判断だ。

 こっちも素直に話してもらえるなんて思っちゃない。


 聖騎士たちが微妙な時間差を置いて剣を突き出してくる。

 逃げ場はない。

 こいつらはいきなり現れた不遜な男を仕留めたと思っただろう。


「――紅蓮旋嵐フレイム・テンペスト


 右足を軸に旋回しつつ、ミストルティンを薙ぎ払う。

 ミストルティンには風と炎の精霊が集っている。

 紅蓮の炎風が、俺を中心に吹き荒れた。


「あああああああっ!」


 一番遠くにいた聖騎士のリーダーが、焼けただれた自らの身体を見下ろして絶叫している。

 その顔もまた重度の火傷を負っていた。

 もっと近くにいた他の聖騎士たちは、白銀の鎧だけを残して炭と化していた。


「じゃあ聞かせてもらおうか」

「ああああ、ああああああっ!」

「……ちょっと火力が強すぎたか?」


 俺はしぶしぶ生命の精霊に頼んでリーダーの火傷を少しだけ癒やしてもらう。

 ついでに異空間収納インベントリからAWSOで使われている麻酔薬を取り出す。注射器の針をリーダーの肩にぶっ刺して薬液を注入。


「きさ、貴様……!」

「なんだ、元気じゃないか。それより、早く答えろ。勇者様はどこにいる? 魔王軍に魔王女が合流しなかったか?」

「だ、誰が答えるか!」


 リーダーが強情を張る。

 麻酔まで打ってやったのはやりすぎだったか。


「よく聞け。今おまえには一時的に痛みがなくなる薬を打っている。だからこれだけの火傷でも痛くないだろう? でも、それは所詮身体を騙してるだけだ。麻酔の効果が切れたらどうなると思う?」

「ま、まさか……」

「そうだ。ここなんか、焼けただれて水ぶくれになってるじゃないか。うわっ、ここなんて骨が覗いてるぞ。痛覚が戻ったらどんなことになると思う?」

「お、おまえがやったんじゃないか!」

「そんなの、今は関係ないだろ? 素直に話せば治癒することも検討してやる」

「ほ、本当か!?」

「本当だとも」

「ゆ、勇者様はこことは反対側から魔王城に潜入しているはずだ。エルフの長老を脅して巻き上げた変わり身の指輪で魔族に化けると言っていた」

「なるほど、さすが外道、やることが違うな」

「魔王女のことは知らん! ほ、本当だ! なんでも魔王城に伝わる魔法で逃げ出したとかなんとか……もう十日くらい前のことだったと思うが……」


 リーダーに嘘を付いている様子はない。

 セリカはまだ魔王城に着いてはいないようだ。

 転移してからまだ2日しか経っていないのだから当然かもしれない。

 もちろん、このリーダーが知らないだけという可能性も捨て切れない。もしセリカが空間転移のような勇者能力を獲得していたら、勇者陣営に気づかれずに魔王城の中に入ることもできただろう。


 しかし、セリカがいるにせよいないにせよ、魔王城はまだ陥落していない。

 陥落の瀬戸際にはあるようだが、


「ふむ。なんとか間に合ったか」

「お、おい! 治してくれるんだろうな!?」

「まぁ死なない程度にはな」


 生命の精霊に再び頼み、リーダーの火傷を死なない程度に治してやる。

 異空間収納インベントリから拘束用の手錠を取り出し、リーダーを適当な家の柱につなぐ。


「運が良ければ生き残れるだろ。本当は魔王軍に引き渡して処断してもらうべきなんだろうが、あいにく人を連れて動く余裕はなくてね」

「なっ、おい……!」

睡昏スリープ


 リーダーを魔法で眠らせ、立ち上がる。


「あ、あんた……」


 聖騎士におもちゃにされていた魔族の兵士が起き上がって声をかけてくる。


「な、何者だ? 見たところ人間みたいだが」

「俺か? ただの勇者さ」

「ゆ、勇者……?」

「ただし、違う世界の、な。セリカに頼まれてこんなところまで来ちまった」

「セ、セリカリア様はご無事なのか!?」

「たぶんな」


 そこで魔王城の方から大きな音がした。

 魔王城の根本から白い煙が立ち上る。


「セリカは無事だろうが、魔王様の方が危なそうだな」

「そ、そうだ! その聖騎士は魔王城に勇者が潜入すると……!」


 兵士の言葉をみなまで聞かず、俺は魔王城に向かって駆け出した。


 すぐに城門に行き着く。

 ミドラニア王国の王都ミドラニアは城壁が4重に築かれた城塞都市だという。目の前の城門は、内側から数えて2番めのものだ。

 この城門はまだ、魔王軍の支配下にあるらしい。


 見た目が人間である俺を見た魔族の兵士たちが矢を射かけてきた。

 身体をずらしながら一気に駆け抜け、城門の根本にたどり着く。

 そこからどうするか?

 城門を駆け上ってしまえばいい。


「な、なんだこいつは!」


 城門を垂直に駆け上る俺を見て、魔族の兵士が動揺する。


「待て、味方だ! と言っても無駄か。すまんが押し通る!」


 兵士の矢や槍や魔法をかわしつつ、最小限の乱我ディスタブマインド睡昏スリープを放っていく。

 兵士たちの一部が立ちすくむ。

 その合間を縫って突破する。


 魔王軍の支配領域に入った。

 遭遇する魔族兵士たちがいちいち俺に攻撃をしかけてくる。

 面倒だが説明している時間が惜しい。

 俺は無理やりに駆け抜ける。

 途中、隊長らしき魔族がいたが、ミストルティンで2合打ち合い、3合目で吹き飛ばした。それ以外は完全に無視だ。


 最後の城壁を乗り越える。

 前の城壁と同様に兵士たちを切り抜ける。

 だんだん兵士たちの練度が上がってきている。

 中枢が近いからだろう。


 魔王城は、近づくにつれて、のしかかるような巨大さで見る者を圧倒する。


 しかし、その城門は何らかの大規模魔法によって打ち破られていた。

 勇者だ。

 城門には魔法を使った防御障壁の残骸があった。

 このレベルの防御障壁を打ち破れるような存在など他にはいない。


 城門の周囲には魔族兵士の死体が散乱していた。

 俺が魔王城に足を踏み入れても誰何の声すらしない。

 絢爛豪華にして荘厳な城内も、兵士たちの死骸で埋め尽くされていた。


 まさか――手遅れだったのか?


 俺は嫌な予感を押し殺しつつ城内を駆ける。

 迷う余地はない。

 死骸の転がっている方に進んでいけばその先に魔王と勇者がいるはずだ。


 複雑に交差した螺旋階段を踏破すると、


「……剣戟、か?」


 行く手からかすかな剣戟が聞こえてくる。

 俺は足を早める。

 回廊は先に進むにつれて高く、広くなっていく。

 この先にいるものはそれだけ大きな存在なのだと訴えているかのようだ。

 しかしこの先にいるはずの魔王は勇者に追い詰められているだろう。

 そういえば、俺は勇者の名前すら知らない。

 魔族側には勇者の名前が漏れていなかったのだという。

 まず間違いなく、地球から召喚された勇者だろう。AWSOに目をつけられることを恐れて名前をひた隠しにしているのか。


 回廊の奥からは、剣戟とともに光が漏れてきている。

 俺は高さ7メートルはありそうな重厚な鉄扉の前にたどり着く。

 鉄扉はこじ開けられていた。

 その奥では――


「ちっ!」


 ダッシュをかける。

 俺に背中を向けていた人物が振り返る。

 黒髪黒瞳。典型的な日本人の顔。眉と唇が薄く、目が細い。年齢は20代以上だが不思議と特定できない顔立ちだ。

 日本人はミスリル製の鎧に身を包んでいた。ただし、細かい細工は日本の鎧の方に似ている。手に握られているのは刀。異世界で、自分で作り出したのか。となると、それなりの期間この世界で暴れまわっていたことになる。つまり、勇者能力の扱いにも慣れ、命をかけた戦いにも順応しているということだ。


 だが、関係ない。

 日本人の手にした刀の切っ先が前に突き出される前に、ミストルティンを日本人へと叩きつける。


 日本人はミストルティンを受け止めなかった。

 ただその場から消えた。

 俺は背後から濃密な殺気を感じて転がった。

 ぶん、と俺の首のあったあたりを日本刀が薙ぐ。

 前にいたはずの日本人が、俺の後ろにいた。


「……空間転移か」

「そのツラ、てめぇも日本人か。さしずめお役所AWSOの犬ってとこか」


 言葉とともに振り下ろされた日本刀をミストルティンで受け止める。


「リュウトさん!」


 俺のすぐ背後、玉座のある側から聞き慣れた声がした。

 さっき飛び出した時に確認している。

 セリカだ。

 日本人の勇者はセリカに日本刀を突き刺すところだったのだ。

 狙いは急所ではなかった。

 いたぶり殺すつもりだったのだろう。

 いや、聖騎士の話を信じるならもっと酷い意図があったに違いない。


「君は――」


 セリカのさらに背後、玉座から若い男性の声が聞こえた。

 彼が清冽の魔王ザ・ピュリファイアージュヴノイノ・アシュケナージ――セリカの父親か。

 ちらりと見る。

 思った以上に若く、威厳のようなものはあまりない。

 ただ、有り余るほどの魔力を持っていることは精霊たちの反応からもわかる。

 パワー、マインド、リーダーシップ。

 弥勒先輩の言っていた勇者の3要素をこの魔王に当てはめるなら、パワーは強大だがマインドとリーダーシップにはいささか欠ける人物だということか。優しげで、父親としてはよさそうに見えるけどな。


「これからがお楽しみだったのによぉ。マジ空気読めよおまえ」


 外道勇者が日本刀の刃に舌を這わせながら言ってくる。

 俺は外道勇者に嫌悪の視線を向けながら言う。


「わかってるのか? 俺は勇者だ。そこにいるセリカも特定召喚されて勇者になった。その後ろには魔王陛下もいる。おまえにもう勝ち目はない。投降しろ」

「わかってねぇのはてめぇだよ。俺がただの勇者だと思ったのか? 舐めんな! 俺には特別な力があるんだ。勇者だの魔王だの言って浮かれてる連中とは格が違うんだよ」


 ……こいつは何を言ってるんだ?

 異世界で好き勝手やるうちにおかしくなったのか?


「……見せてやるよ。俺のとぉくべつな力をなぁっ!」


 外道勇者は日本刀を逆手に握り替えた。

 斬りかかってくるか?

 俺の予想は裏切られた。

 外道勇者は日本刀を自分の腹へと突き立て、横一文字にかっさばいたのだ。


「じ、自殺!?」


 魔王がうろたえた声を上げる。


「――違う!」


 俺は思わずそう叫んでいた。

 が、自分でも何が違うのかわからない。

 ただ、外道勇者に切腹して死ぬようなつもりがないことだけはたしかだった。


 外道勇者は自分の腹に手を突っ込んで、自分の腸を引っ張りだす。

 いや――!


「蛇っ!?」


 セリカの短い悲鳴。


 そう。外道勇者の腹から蛇が這い出してきたのだ。

 蛇は後から後から這い出してくる。その総量は既に勇者の腹に収まる量ではない。


 外道勇者が瞳に恍惚を浮かべながらつぶやく。


とおみ13みくら御位、サーペンタリウス……顕現ッ!」


 ゴォッ――と、謁見の間を暴風が吹き抜けた。

 いや、それは物理的な実体のある風ではない。

 人の精神を摩耗させ、狂乱させる腐れた魔力――瘴気。

 物質的な暴風と紛うほどに濃密なそれが、外道勇者から噴き出していた。

 息詰まる瘴気に、俺もセリカも身動きがとれない。

 その中で外道勇者だけがゆらりと動く。

 ヤバい!


「エーテリアル・ピュリフィケーション!」


 背後からの声とともに、清冽な風が吹き抜けた。

 魔王が浄化の魔法で瘴気を吹き散らしてくれたのだ。


 これ以上見ているだけなのはマズい。


 直感的にそう悟る。


火炎剣フレイム・グライダー!」


 恍惚としたままの勇者に斬りかかる。

 猛火の精霊剣は勇者を縦に2つに両断した。


 が。


「くけけけけけけけけけけけけ――っ!」


 真っ二つに割れたまま、外道勇者が笑い声を上げる。

 いや、違う。

 腹から這い出した蛇のすべてが、赤い口を大きく開けて嗤っているのだ!


「蒼古にして悠久たるエーテルの流れよ、今我が身体をその端末として、清らかなる暴威を顕現させ給え――ゴッドプレッシャー!」


 俺の背後で魔王が魔法を放つ。

 魔王を名乗るだけはある膨大な魔力の奔流。

 10メートル以上ありそうな聖堂バシリカの天井付近に、俺でも感じられるほどの巨大な「何か」が凝集する。

 そしてそれは、一本の透明な柱と化して外道勇者へと降り注ぐ。


「ぐぎぎぎぎぎぎぎ――!」


 外道勇者がもはや人間ではない声を上げる。

 あまり効いていない!

 が、魔王の放った一撃は外道勇者だった「何か」の動きを止めていた。


「――今のうちに、早く!」


 魔王の言葉には焦りが滲んでいた。


「リュウトさん、先に仕掛けてください!」


 セリカが腕を金属に変化させながら言ってくる。

 セリカには勇者能力が宿ったはずだ。

 こんな状況だから確認もできないが信じてみるしかない。


「わかった! ここならあれが使えるか……水晶と宝石の精霊よ、その幻惑、その可憐、その幾何学的な美しさで、我が敵を蝕み屠れ――幾星晶の封蝕陣ルミナス・エロージョン!」


 ミストルティンに微細な水晶の糸が絡まる。

 菌糸のように繁茂したそれは輝きながら徐々に肥え太り、ミストルティン全体を絢爛なクリスタルで覆い尽くした。

 樹氷のようになった精霊剣で、動けない外道勇者を横に薙ぐ。

 クリスタルは斬線の形に固着、そこから侵食を再開し、外道勇者の身体を蝕んでいく。

 いくつかの蛇が水晶に呑み込まれ、窒息するようにあえいでいる。


「セリカ!」


 声をかけつつ振り返り――絶句した。

 そこにあったのは巨大な砲身だった。

 セリカの腕から伸びたそれは、自衛隊の所有している最新式戦車(29式戦車)の砲身だった。

 29式戦車はそれまで制式採用されていた10式とは比較にならないほど強力な戦車だ。主砲と砲弾、装甲の被覆に神金属オリハルコンが潤沢に使われ、10式を相手にしたシミュレーションでは、29式1台で10台以上の10式をダメージを受けずに撃破可能だと言われている。その防弾性・攻撃性の高さから、29式は「弁慶」の異名で呼ばれていた。「弁慶」は北海道北部や国境の島嶼などに配備され、隙あらば異世界からの利益を掠め取ろうともくろむ異国の軍隊に睨みをきかせているという。


「わたしが獲得した勇者能力はものを錬成する能力でした」


 錬成。

 比較的ポピュラーな勇者能力で、汎用性は高いが、使いこなすのは難しい能力だ。


「事前のブリーフィングで聞いた限りではあまり戦闘向きの能力ではないそうですね。使いこなせば強いそうですが、今はその時間もありません」


 砲身から衝撃波が走った。

 それが戦車砲の発射だということに、すぐには気づかなかったくらいだ。


「ですが、もともとわたしは竜と鉄を象徴する魔族です。変形と錬成。相性はとてもいい」


 セリカの声は途切れ途切れにしか聞こえない。

 轟音。

 そう形容するしかない音の暴力が続いていた。


「リュウトさんの世界の情報に触れられたのもよかった。銃火器や戦車を召喚する能力を手に入れた時のために、あらかじめその使い方や性質をレクチャーしてもらったのも役立ちました」


 外道勇者を見る。

 外道勇者は、もうそこにはいなかった。

 ただの肉片と化して――いや、ただの赤い「何か」となって、謁見の間の床を湿らせているだけだ。


「……倒したの、でしょうか?」


 セリカが聞いてくる。


「かつかつかつ」


 硬いものが響くような音。

 俺とセリカと魔王がぎょっとする。


 謁見の間の奥に、その音を立てているものがあった。


 それは外道勇者の上顎から上の頭部だった。


 セリカの戦車砲は外道勇者の身体を消し飛ばしたが、速力がありすぎてその部分だけが残ったらしい。


「かつかつかつ……かっかっか……」


 外道勇者の頭部が振動する。


「ドウシテダ……アノカタノイウトオリニシタノニ……」


 どういう仕組みか、頭部の振動がそのような声に聞こえた。


「あの方? 誰のことだ! さっき、『とおみ13みくら御位、サーペンタリウス』と言ったな!? おまえは誰からその力をもらった!」


 答えがあるとも思えなかったが、俺は聞かずにはいられなかった。

 勇者。

 魔王。

 どの世界にも共通しているファクター。

 それを逸脱する力を、外道勇者は持っていた。


 外道勇者の頭部が振動で言葉を作った。



「ザ・ファントム……ドルト、ムント」



「――ッ!」


 聞こえてきた言葉に。

 その名前に。

 俺は言葉を失っていた。


 それは、悪夢だった。

 今でも繰り返し見る悪夢。

 俺が敗れ、世界が滅び、魔王が嗤う。


 その魔王の名を――幻影の魔王ザ・ファントムドルトムントという。


「どうして……おまえがその名前を知ってるんだ!?」


 俺は危険も忘れて外道勇者の頭部へと近づく。


「けたけたけたけた……」


 頭部の発する振動は、もはや言葉にはならなかった。

 かつかつかつ……と十数秒も震え続けて、外道勇者の頭部は動かなくなった。

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