第6章 クロウ=チャーティアへ-3

「ひぃぃぃっ!」


 俺と話していた中年男が逃げ出した。

 無理もない、悪竜ニーズヘッグがこちらに向かって一直線に降りてきたのだから。


 俺はただじっとニーズヘッグを待ち受ける。

 目は絶対に逸らさない。

 目をそらしたら、その時点で力関係が確定してしまう。

 俺はニーズヘッグにとって戦うべき相手から狩るべき相手へと格下げされてしまう。

 もちろん、そうなったとしても戦いようはある。

 が、その場合はこのゾットの街を焼け野原にするような熾烈な戦いを覚悟しなければならないだろう。


 ニーズヘッグは上空に留まったまま、長い首を俺にへと近づける。

 ニーズヘッグの片方の眼窩はえぐれ、生々しい傷跡がのぞいていた。


《――違うな。あの者ではない。我が子はどこなのだ。》


 おおよそ、事情が飲み込めてきた。

 俺はニーズヘッグに向かって堂々と呼びかける。


「悪竜ニーズヘッグ!」


 ぐるるる、と不快気な喉音。

 ギアが一瞬遅れて通訳する。

 

《――生意気な。》


「偉大なる龍に聞きたい! どうしておまえは人の街にやってきた!」


 俺の言葉をギアが通訳する。


《――龍の言葉を使う人間だと?》


 ニーズヘッグは、あまり頭がよくないようだ。

 言葉を話すと言っても、高等な言語ではなく、群れの中で通じる合図の叫び声が多少複雑化した程度の未分化言語サブランゲージにすぎない。

 だから、なるべくシンプルに話を進めないと必要な情報が得られないだろう。


《どうして? 我が子を取り戻すためだ!》


「おまえの子どもはどうしたんだ?」


《おまえらがさらったのだろうが!》


「待ってくれ。この街の人間はそんなことをしていない」


 十中八九、それは「勇者」とやらの仕業だろう。

 ニーズヘッグの子どもをさらって刺激し、街を襲わせる。

 そこにふらりと現れて、法外な要求をしてニーズヘッグを退治する。

 ニーズヘッグは、片目をえぐられたものの、なんとか逃げ延びたのだろう。

 困った勇者は沼地に毒魔法を撒いて毒沼と化し、これがニーズヘッグの成れの果てだといって街の人たちを騙したのだ。


 だが、これだけ複雑な事情を、目の前の怒れる龍に呑み込ませることができるだろうか?


《嘘を言うな!》


 咆哮とともに衝撃波が飛んできた。

 俺はそれをあえて避けずに受け止める。

 十メートルくらい吹き飛ばされたが、空中でトンボを切って着地する。


「嘘じゃない。どうしたら信じてくれる?」


 ニーズヘッグの隻眼を見つめながら言う。

 ニーズヘッグは少しだけ落ち着いた様子でうなった。


《おまえはあの勇者ではない。我が子をさらった者ではない。》


「その通りだ」


《だが、嘘をついているかもしれない。おまえも勇者だ。》


 ニーズヘッグは、どういうわけか勇者とそれ以外を見分けることができるようだ。

 そういう力を持つ者はまれにいる。

 勇者。そして魔王。

 この2つの存在は、どの異世界であっても特異な特徴を持っているらしかった。


《我と戦え。》


 ニーズヘッグが言った。


「戦ってわかるのか?」


《戦いは、真贋を見極める。》


 格言みたいなことを、ニーズヘッグが言う。


「それで気が済むならそうしよう。ただ、ここで戦えば周囲に被害が出る」


《そのようなことは知らぬ。》


 ニーズヘッグの全身がうねる。

 ブレスか!

 俺は風の精霊に頼んで上空へと飛翔する。

 そして叫ぶ。


「こっちだ!」


 ニーズヘッグの開いたあぎとが俺を向く。

 俺の視界が紫と茶褐色の泡で埋め尽くされる。

 毒。酸。呪い。

 ありとあらゆる状態異常が詰め込まれた毒色のカクテル。

 避けきれない。

 俺はミストルティンを突きの形に構える。


風翔墜ジェットストライク!」


 ぶぉう、という風のうなり。

 全身に強力なGがかかる。

 意識すら飛びそうになる中で、視界が一瞬紫と茶褐色に染まる。

 が、瞬きひとつの間に毒色のグラデーションは後方へと過ぎ去った。


 直後、俺はニーズヘッグの大きく開いたあぎとの中にいた。

 暴れる舌を両足で押さえ、閉じようとする上顎うわあごを頭上に掲げたミストルティンで受け止める。

 ニーズヘッグのおそろしい力に全身が軋む。

 一度ではなく、断続的に数度もだ。


「ニーズヘッグ! 負けを認めろ!」


 俺は叫ぶ。


「俺がここで魔法を放てば、おまえは無事では済まないだろう! だが、俺はそうしない!」


 ニーズヘッグのうなりが口内にいる俺に直接響く。

 一拍遅れてギアの通訳。


《なぜだ?》


「俺は、おまえの力を借りたい!」


《なんだと?》


「俺は、おまえの言う『勇者』に心当たりがある! あいつは俺にとっても敵だ!」


 もちろん、心当たりというのはセリカから聞いた外道勇者のことだ。

 こんな外道を働く勇者が、ひとつの世界に何人もいてたまるか。


《奴はどこだ?》


「別の大陸だ!」


《別の大陸……?》


荒海あらうみを超えた向こうにある大陸だ! 龍! あんたなら知ってるんじゃないか!?」


《あの「見棄てられた大地」に奴がいるのか。》


 ニーズヘッグが戸惑ったように喉を鳴らす。


《我が子はどこに?》


「それは……わからない。奴に使役されているかもしれないが……」


 外道勇者が既に殺してしまった可能性もある。

 ただ、それなら死体だけでも残っていなければおかしい。

 勇者には異空間収納インベントリがあるかもしれないが、幼体とはいえ龍をまるごと収納するのは難しいだろう。


 だとすれば、街から逃げる時に、幼龍を使役して飛び去ったという可能性もある。

 そもそも、荒海を超えなければ魔王城のある大陸には行けないのだから、外道勇者は船以外の足を持っていなければおかしい。


 ニーズヘッグはしばし喉を鳴らし続ける。

 考えてくれているのだろうが、口内にいる身としては生きた気がしない。


《……わかった。おまえは嘘をついていないようだ。》


「わかるのか?」


《おまえは、最初のブレスが街に及ぶことをおそれて、自ら囮になってみせた。仲間を捨て石にして我が左目をえぐりとった彼の者とは違う。おまえは同胞愛を知っている。》


 同胞愛とはまた大きな話になったな。

 ギアの訳語が硬すぎるだけなんだろうが。


《奴と我が子は「見棄てられた大地」にいるのか。》


「その可能性が高いってだけだ」


 一応言ってみるが、ニーズヘッグが理解したかはわからない。

 そこまで複雑なことは考えられないみたいだからな。


《ならば、我は「見棄てられた大地」へと赴かねばならぬ。》


「俺も連れて行ってくれ。足手まといにはならないはずだ」


 俺の言葉に、ニーズヘッグがぐるると啼いた。

 ギアが訳すまでもなく、了承の合図だとわかった。

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