第6章 クロウ=チャーティアへ-2

「はい、到着!」


 弥勒先輩の声とともに視界が開ける。

 見渡すかぎりの草原だった。地面は乾いた砂だからサバンナに近い気候なのかもしれない。

 遠く彼方に地平線が見える。地平線は砂色にぼやけていて、空の下端と区別がつかない。

 地球で言えばアフリカにありそうな風景だが、気温はさほど高くはなかった。

 あちこちに生えているバオバブに似た独特の灌木は紫からピンクのグラデーションをしている。あれは……土地の魔力によって変質した植物か。魔物化はしていないようだが注意は必要だな。


「ここが、セリカのやってきた世界ですか?」

「その通り。クロウ=チャーティアの位置は、セリカリアさんがやってきた時のログを次元観測所が解析して特定している。異世界転移装置による転送には安全な航路の確保が必要だが、わたしの《世界渡航ワールドトラベル》ならそんなのは関係がないからね」

「先輩の《世界渡航ワールドトラベル》は転移装置とは別の仕組みなんですか」

「《世界渡航ワールドトラベル》は正確には転移の能力じゃない。ある場所とある場所を直接接続する能力だ。君も、昨日の決闘フェーデで味わっただろう?」

「ああ、あの空間褶曲みたいな攻撃は、《世界渡航ワールドトラベル》の応用だったのだか」

「そういうこと」


 弥勒先輩がにやりと笑う。


「それにしても、人っ子一人見えませんね」

「一応、人のいそうな場所は避けるようになっているからね。ただ、人里から遠すぎる場所にも飛ばないようになってる。運が悪くても数日歩けば人里までたどり着けるはずだ」


 弥勒先輩の言葉に足下を見る。

 砂利のようだと思ったそれは、よく見ると陽光で煌めいている。これは土地の魔力の析出した魔水晶なのだろう。それが足を動かすたびにしゃくしゃくと霜柱を踏んだような音を立てる。


「ずいぶん、魔力の濃い世界みたいだね」

「そのようですね。となると文明も……」

高度な魔法文明と低迷する科学文明HMLSの典型的パターンかな。ふむ、興味深い世界だ」

 先輩が何度も頷く。

 が、俺の方にはそんな心の余裕はなかった。


「早くセリカを見つけないと……」


 《世界渡航ワールドトラベル》は未知の異世界に跳ぶ場合細かい座標指定ができないのだという。さっき先輩の言っていた「人が少ないが人里から離れすぎていない」くらいの条件しかつけられないらしい。

 一方、セリカの使った特定召喚権も、召喚地点を選ぶことができない。というより、積極的にランダムに召喚者を放り出そうという思想によって設計された召喚権だったらしい。この世界の怠惰な女神イティネラの悪意のほどが伺えようというものだ。


 とにかく、そんなわけで、俺とセリカは別行動を強いられることになってしまった。

 運良く比較的近い場所に転移していればいいが、ここは最悪を見越して動くべきだろう。

 セリカの言うところの「魔大陸」の南北の端にそれぞれ飛ばされたと想定した場合、大陸中央にある魔王城で合流できるまでに下手をすれば半月はかかってしまう。

 その間魔王城が持ちこたえられる保証なんてどこにもない。


 焦りを浮かべる俺を見て、弥勒先輩は揶揄するような笑みを浮かべた。


「わたしはこれ以上は手を貸さない」


 冷然と言ってくる。


「セリカのためでもか?」

「この程度で死ぬようなら、彼女はそれまでの存在だったということだ」

「厳しいな」

「パワーとマインドとリーダーシップ。勇者はこの3つを持っている必要があると習っただろう?」

「……習ったような気もする」

「帰ったらもう少し勉学にも身を入れたまえよ、《腑抜け》くん。とにかく、この勇者の持つべき3要素のうち、わたしはパワーが突出しているね?」

「ああ、たしかに」


 弥勒先輩のマインド――精神が弱いということはないが、セリカほどの使命感があるようには見えない。確固たる信念に基づいて行動するというタイプでもない。

 また、リーダーシップについても、突出しているとは言えないだろう。もちろん征徒会長を務めるくらいだから、リーダーシップがないわけではない。が、みんなが弥勒先輩に従うのは、先輩が突出したパワーを持っているからだ。


「セリカリアさんは、マインドが突出した勇者だといえる。パワーは勇者のランクで言えばCに届くかどうか。リーダーシップもさしてないだろう。姫様だというけれど、たくさんの配下を指揮するような経験はなさそうだ」


 先輩の分析は正しいと思う。


「わたしはパワーがあるだけに、絶対的な逆境に陥ったことがない」

「自慢か」

「自慢じゃないよ。マインドを高める機会がなかなかないと言ってるのさ」


 そうかもしれない。

 パワー、マインド、リーダーシップ……だったか。3要素とやらのうち、どれかが突出していれば、どうしてもそれに頼りがちになり、他の要素が育ちにくいだろう。

 ただし、3つのバランスを取るのが必ずしも正解ではないはずだ。魔王という絶対強者を相手にした場合、中途半端に伸ばしたすべての能力が通じないという結果にもなりかねない。弥勒先輩がパワーに特化しているのにも理由があるのだ。


「つまり、何か? あんたがセリカに執着するのは、自分にはないものをねだってるってことか」

「その理解で間違いじゃないよ。物語の主人公にふさわしいのは、わたしのような絶対強者のバランスブレイカーじゃない。彼女のように、常に自分の無力と向き合いながら、不屈の精神で逆境を打ち破っていくような人物なのさ」

「そりゃ、物語の話だろ。俺だって、力だけで解決できるならそうしたい。それがいちばん楽だからな」

「さすがは腑抜け、言うことが違うね。セリカリアさんの爪の垢でも煎じて飲んでみるといい」


 先輩はそう言うと《世界渡航ワールドトラベル》の準備に入った。

 行きにも見たが、《世界渡航ワールドトラベル》の発動には人数に応じて準備の時間がかかる。準備時間は指数的に増えるらしい。そのせいで、異世界に連れていけるのは4人が限度だという。その場合ですら、準備時間は1週間にもなってしまう。〈至高神オーディーン〉が4人制パーティなのにはそんな理由があったようだ。

 俺がシャーロットたちパーティメンバーを連れて来られなかったのも同じ理由だ。


「じゃあね、健闘を祈るよ、海野くん」

「ああ。助かった。ここからは俺の仕事だ」


 弥勒先輩が虚空に掻き消える。


 周囲は、相変わらずの見渡す限りの葦原だ。


 まずは人里を探し当てる必要がある。

 そこで情報を得て、現在位置を確定する。

 セリカからもらった地図と照合すれば、セリカの目的地である魔王城へのルートがわかる。


 セリカは最短で魔王城を目指すと言っていた。

 魔王城は勇者によって包囲され、兵糧攻めを受けている最中だったと言っていた。時間は何物にも代えがたい。セリカは俺との合流より魔王城への到着を優先したのだ。


 もっとも、俺もクリスガルドで旅慣れているし、移動に使える精霊魔法も知っている。

 よほどの僻地に飛ばされていない限り、セリカより先に魔王城に到着できるはずだ。


 ――そう、思っていたのだが……。



 ◇


「……どういうことだ?」


 俺はなんとか確保した宿の一室で唸っていた。


 この世界に着いてから半日ほどで、俺はそこそこ大きな街を見つけることができた。

 この世界の人口密度を考えればかなり幸運だったと言える。

 入市税の支払いで一悶着あったものの、所持していた銀塊を預けることで街への立ち入りも許可された。


 この街の名前はゾットというらしい。

 人口は、ざっと数万人程度だと思う。

 フェルミ推定という、限られた情報から大きな情報を当て推量する技術がある。未知の場所に飛ばされても可能な限り情報を得られるように、オーソドクスではさまざまな統計学的テクニックを教えている。その中ではフェルミ推定は簡単な方だ。度重なる追試のおかげで、劣等生の俺でもそれなりにはできる。

 もちろん、限られた情報からの推測だから精度もそれなりだ。それこそ、ここに委員長でもいれば、通りを行き交う人々の数をカウントし、身なりや種族で分類して、この街の人口構成や景況感について2、3時間で詳細なレポートを書き上げるだろう。


 ゾット自体は、どこの世界にでもありそうな、ありふれた人間の街だと思う。


 しかし、俺はこの街の名前を知らなかった。

 事前にセリカから、大陸にある主要な都市の名前は可能な限り聞き出し、簡単なものながら世界地図を作成してある。

 その地図の中に、ゾットという地名が見当たらないのだ。


「たんに、規模の割に戦略的価値がないとかで名前の知られていない街なのか?」


 そう思って、地図を片手に街で聞きこみをした。

 地図はギアのARディスプレイで見ることが可能だが、それとは別にこの世界の文明水準に合わせた羊皮紙製の「それらしい」地図も用意してきている。

 銀塊を両替商でこの地方の貨幣に替え、俺は道行く人や酒場の主などに用意した地図を見せてみたのだが――


「なんだこりゃ?と来たもんだ」


 地図は、何もかもが間違っているらしかった。

 大陸の形が間違っている。主要な河川の名前が間違っている。目印となる高い山の名前も間違っている。もちろん、都市の名前はひとつ残らず間違っている。


 いや、間違っているんじゃない。

 この地図は、この大陸の地図ではなかったのだ。


「まさか、弥勒先輩に違う世界に送られた?」


 特定召喚権を賭けで失った腹いせに、俺を知らない世界へと放り出した?

 まさか。

 先輩は勝負の結果に納得していた。

 だいたい、いくら征徒会長だからといって、生徒ひとりを異世界に置き去りにして誤魔化せるとは思えない。


 となると、


「世界は合ってる。ここはクロウ=チャーティアだ。違うのは大陸か?」


 セリカの話ではクロウ=チャーティアにはひとつの巨大な大陸があるのみで、その周囲は激しく逆巻く海原に取り巻かれているという話だった。

 その海原の先に、セリカも知らない未知の大陸があったのだとしたら……。


「たぶん、セリカの大陸とは言語も違ったんだろうな」


 俺の場合は勇者能力によって現地語への自動翻訳がなされている。

 だから、ゾットの人間が話している言語がセリカたちの話している言語と別のものだったとしても気づけない。


「――ギア、言語の解析は?」

《ゾットと呼ばれるこの都市で使用されている言語・バルラビ語の解析の進捗度は現在13%です。》


 ギアの回答はピントがズレていた。


「つまり、セリカの話していた言語と、バルラビ語とやらは別なんだな?」

《その通りです。》


 それならそう言えよ!と言いたくなるが、現時点での人工知能の能力はその程度のものだ。気づかなかった俺が悪い。


「弱ったな……」


 セリカの話では、セリカの住んでいた「巨大な大陸」は潮流の激しい荒海あらうみに取り巻かれていたという。海路での行き来は絶望的だということだ。

 ついでに、セリカは「巨大な」大陸だと言っていたが、他の大陸の存在を知らなかった以上、セリカの大陸の方が小さかったという可能性もある。


 セリカの目指す魔王城に向かうには、広大かもしれないこの未知の大陸で港を探し、外洋航海が不可能と言われていた荒海を超えていく必要があるということだ。


「セリカもこの大陸に降り立った可能性もあるが……」


 そうでない可能性もある。

 セリカは既に目的の大陸に到着していて、魔王城に向かって強行軍をしている最中かもしれない。


「くそっ……とにかく、港だ。船をチャーターしなけりゃ始まらない」


 もっともこの世界に荒海を超えられるだけの外洋船が存在しなければ話にならないが……。


「困難は分割せよ。とりあえずできることからだ」


 俺は自分に言い聞かせるように言いながら宿の部屋を出る。


 その瞬間、宿屋が大きく揺れた。


 近くにいた精霊たちが悲鳴を上げる。


「な、なんだ……?」


 俺は注意しながら階段を駆け下り、宿屋の外へと出た。


 通りを、大きな影が高速で駆け抜けていった。

 わずかに遅れて、砂埃が視界を席巻する。

 俺は風の精霊に頼んでとっさに砂埃をかき散らし、上空を通り過ぎていった何物かに目を向ける。


「……竜?」


 それは、黒紫の禍々しいフォルムをした巨大な竜に見えた。

 いや、竜ではなく龍というべきか。

 ティラノサウルス型の西洋風の竜ではなく、オリエンタルな胴の長い龍だった。


「――ニーズヘッグだ!」


 通りで誰かが叫んでいた。


 ニーズヘッグ? 俺はギアに聞く。


「ギア、ニーズヘッグと聞こえたんだが?」

《ニーズヘッグとは、北欧神話に登場する蛇の名です。古ノルド語で「怒りに燃えてうずくまる者」を意味していたとされます。勇者能力による翻訳でそう聞こえたということは、それに近しい存在なのでしょう。》


 俺は、さっき「ニーズヘッグだ!」と叫んだ中年男を捕まえて聞く。


「おい、あれはいったいなんなんだ?」

「あんた、よそ者か?」

「ああ」

「あいつは悪竜ニーズヘッグだよ! なんてこった、生きてやがったのか!」

「どういうことだ?」

「もう半年以上前のことだ。ニーズヘッグに生け贄を要求されて困っていた時に、ふらりと旅の者が現れた」

「旅の者?」

「そいつは、あろうことか自分は勇者であるとのたまった。だが、実際この街の恐れ知らずどもが戦いを挑んでこてんぱんにされたくらいだから、実力者であることは間違いねえ」

「勇者か。ということは、その勇者がニーズヘッグを?」

「そうだ。勇者はニーズヘッグを倒してやると言った。だが、その引き換えにいくつかの条件を呑むようゾットに迫ったんだ」


 悪竜に生け贄を捧げていた街の弱みにつけ込んだわけか。


「その条件ってのは?」

「この街でいちばん美しい生娘を差し出せ、だとよ」


 中年男が吐き捨てるように言った。


「反吐が出るような話だな」

「まったくだ。この街の奴ならたいていはそうだと思うが、思い出すたびにはらわたが煮えくり返ってしょうがねぇ」


 男ははっきりとは言わないが、この街はその要求を呑んだのだろう。いや、呑まざるをえなかったのだ。


「さっきの口ぶりだと、ニーズヘッグは倒されたんじゃなかったのか?」

「そのはずだ……実際、勇者がニーズヘッグを倒したと言ってその片目を街に持ち帰って以来、ニーズヘッグは街には現れなかった」

「死体を確認しなかったのか?」

「勇者によれば、ニーズヘッグは倒した途端、毒の沼に変わったんだと。その沼というのは俺も見た。向こうの湿地の中に、それまではなかった毒々しい沼ができてたんだ。だから、街の住人は勇者の言葉を信じた」


 上空から咆哮が聞こえた。

 ニーズヘッグは街の上空を旋回しているようだ。

 まるで、何かを探しているようだ、と俺は思った。

 近くにいる精霊たちも同じ意見のようだ。

 ニーズヘッグは狂おしく泣き喚きながら、大切な何かを探している。


「その勇者はどうした?」

「すぐに街からいなくなったさ。街一番の美少女を傷物にして、責任も取らずにいなくなった。その子は市長の娘だよ。可哀想に、明るくて市民たちにも好かれてたのに。どんな目に遭わされたんだか、すっかり塞ぎこんじまってよぅ」


 中年男の目頭に涙がにじむ。

 噛み締めた唇が青くなりかけていた。


 その時、ギアが空気を読まずに報告する。


《ニーズヘッグの使用している言語の解析が終了しました。》

「……なんだって?」


 あいつは、何か意味のあることを喋ってるっていうのか?

 しかしそれだったらどうして俺の勇者能力で翻訳できない?


《言語、というと語弊があります。正確には、ゴブリンやオークのような亜人系の魔物が使う未分化言語サブランゲージです。翻訳しますか?》

「もちろん」


 ニーズヘッグが上空で啼く。


《――我が子を返せ。》


 再び吠える。


《――勇者を出せ。》


 ひときわ高く飛び上がったニーズヘッグが、こちらを見下ろしながら叫ぶ。


《――この命に代えても許さぬ。》


 ニーズヘッグが、はるか高みから俺を見た・・・・


《――その強き力――勇者か!》


「……くそっ。面倒なことになったな」


 俺は異空間収納インベントリからミストルティンを取り出しつつつぶやいた。

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