第6章 クロウ=チャーティアへ-1

「さあ、受け取るがいい。これがクロウ=チャーティアへの特定召喚権だ」


 弥勒先輩はそう言って、応接テーブルの上にクリスタルのキューブのようなものを投げ出した。

 ミネラルウォーターのペットボトルくらいの大きさのクリスタルの内側には、この世界の半導体印刷技術を用いてミスリルで極小の魔法陣が描きこまれている。

 セリカのもの問いたげな視線に頷くと、セリカはクリスタルキューブを手にとった。


「これが……」


 セリカは何度も裏返しながらキューブを覗き込む。

 たしかに、機械文明の発達していない世界の住人にとっては物珍しく見えるだろう。


 今俺たちがいるのは、〈夜明星アカツキ〉に割り当てられたパーティルームだ。

 一般の大学の部室のようなものを想像してくれれば間違いない。

 〈夜明星アカツキ〉はDランクだからパーティルームも必要最低限の広さだった。

 もっとも、征徒会長率いるSランクパーティ〈至高神オーディーン〉との決闘フェーデに勝ったことで、近いうちに一挙にAランクまで引き上げられるという。


 決闘フェーデで賭けられたものの受け渡しは勝者側のホームで行うのが通例だ。

 弥勒先輩は俺たちのパーティルームまで景品を持ってやってきた。


「使ったことはないだろうから説明してあげよう」


 シャーロットの淹れた紅茶を飲みながら、弥勒先輩が言う。


「そもそも、特定召喚権とは何か? 優秀な海野くんならわかるだろう?」

「……説明するんじゃなかったのか?」

「なんだい、ノリが悪いね。まぁいい、負けたのは事実だ。ここはわたしが説明しよう」


 弥勒先輩はセリカに向かって座り直す。


「まず、AWSOの用語で言うところの『特定召喚』とは何か、だね。学術的な定義は置いておくとして、ごく簡単にいえば、異世界の住人に特別な力を与えて自分の世界に召喚することだ。要するに、異世界から勇者を呼び出すことだね。ここまではいいかい?」


 先輩の確認にセリカが頷く。


「ちなみに、特定じゃない普通の異世界召喚もある。この場合、召喚される者は何ら特別な力を与えられないまま異世界へと放り出されることになる。特定召喚に比べて普通召喚の死亡率は桁違いに高い」


 平和な日本で暮らす一般人が突然異世界に召喚されて、強盗や魔物などの脅威から身を守れるわけがない。まれに、日本にいる時から特殊な異能を持っていたり、実戦的な武術を高いレベルで修めていたりする者が、かろうじて生き延びることがある程度だ。


「リュウトさんが異世界に召喚された時は、特定召喚だったのですね?」

「ああ。クリスガルドに渡る前に、精霊神から精霊たちに命令を与える力をもらった」


 AWSOがまだ発見していない世界に召喚され、日本からの助けを期待できなかった点では俺は不運だった。が、いきなり普通召喚された人たちに比べれば、まだ運が良かったともいえる。


 弥勒先輩が話を続ける。


「特定召喚権は、その特定召喚を受ける権利だ。異世界に勇者として招かれる権利ということだね。このことをメリットと取るかデメリットと取るかは人による」

「勇者の力を得られる点ではメリット、勇者として魔王などとの戦いを強いられる点ではデメリットというわけですね?」

「その通り。せっかく大枚はたいて特定召喚されても、向こうでおっ死んでしまっては意味がない。だから、特定召喚権を購入する者は、同時にオーソドクスに入学する」


 オーソドクスには俺の通う高等学校相当のクラスと、社会人以上の入学を認めている一般クラスが存在する。その意味ではオーソドクスは高校というよりは大学に近い組織形態をとっていた。


「でも、わたしには時間がありません」

「うん。本来ならオーソドクスでみっちりと勇者としての心得を叩き込んであげたいところだけど、そういう事情なら仕方がない。ただし、もちろんその分だけリスクは高くなる。勇者能力を頼りにしているかもしれないが、勇者能力には当たり外れが存在する」

「覚悟の上です」


 真剣に頷くセリカを、弥勒先輩がじっと見つめる。


「あの……?」

「ああ、すまない。君の覚悟のほどが知りたかったんだ。でも、詮ないことだったね。生半可な覚悟でうちのパーティを破れるはずがない。たとえ海野くんの力を借りたところでね」


 弥勒先輩が肩をすくめた。


「それで、どうする? 権利をすぐに使うかい? それとも、もし一週間でも時間があるなら、オーソドクスの方で短期集中講座を組んであげてもいい」

「……ずいぶん気にかけてくれるんだな?」


 俺は思わず聞いてしまう。


「当たり前だ、わたしはここの征徒会長なんだよ? それに、彼女の真っ直ぐさは好ましい。うじうじしてた君なんかより、わたしはセリカくんの方が好みだね。前も言ったかもしれないが、わたしは女の子の方が好きなんだ」


 先輩の言葉にセリカが顔を赤くした。


「先輩、セリカの世界ではそういうのはあまりオープンにしないみたいですよ」

「でも、ここは地球世界ガイアだ。そしてわたしは弥勒玄魅だ」


 弥勒先輩が胸を張る。

 まるで地球は自分を中心に回っているとでも言うかのような態度だった。


「で、どうする? 集中講座は必要かい?」

「いえ、不要です。今のわたしにとって時間は千金にも代えがたいものです。今からでもこの権利を使いたい」


 セリカがノータイムでそう答える。


「今からだって? わたしたち〈至高神オーディーン〉と決闘フェーデをした直後に?」

「ゆっくり休んでなどいられません」

「……と、彼女は言ってるけど、どう思う、海野くん」


 弥勒先輩が俺に話を振ってくる。


「ダメだ」

「リュウトさん!」

「なら聞くけどな、おまえの敵は、疲れた身体でなんとかできるような生易しい相手なのか?」

「それは……」

「体調管理も勇者の仕事だ。冒険の前には無理せず宿屋で休むんだよ」


 冗談めかして言ってみるが、セリカにこの世界の冗談は通じなかったな。

 パーティを組んで以来やりとりする中で、セリカもだいぶ俺たちに馴染んできていたから、たまに異世界人であることを忘れそうになる。


 だからこそ、放っておけない。


「セリカ、俺も行く」

「えっ……!」

「たとえ勇者能力が得られるにせよ、セリカひとりでは分が悪すぎる。こう言っちゃ悪いが、既に魔王軍が滅んでいる可能性だってある。その場合、セリカは向こうで孤立する」

「で、でも……」

「ひとりでも戦うっていうんだろう? だけどな、俺たちはもうパーティなんだ。戦う時は一緒だ」

「リュウトさん……」


 セリカが俺に抱きついてきた。

 びっくりして受け止めそこねるところだったが、勇者の身体能力のおかげでなんとかなった。


「あーあー、妬けるねぇ。そういうのはどっかよそでやってくれないかな? いや、ここは君たちのホームなんだったね」


 弥勒先輩がからかってくる。


「でも、どうやってクロウ=チャーティアに渡るつもりなんだい? この特定召喚権は片道だけの使い切り型だ。そのお嬢さんを勇者として向こうに送り込むだけの力しかない」


 先輩の指摘は正しい。

 この特定召喚権ではセリカしかクロウ=チャーティアに渡れない。


「――先輩、お願いが、」

「わかってるよ。《世界渡航ワールドトラベル》で送ってほしいっていうんだろ?」

「……はい」


 先輩は珍しい世界間渡航能力の持ち主だと言っていた。


「500億」


 先輩がそう言ってニヤリと笑う。


「うっ……」


 俺はたじろぐ。

 こうなるとわかっていたら、決闘フェーデの条件にそれも含めるんだった。

 あの時点では、セリカに特定召喚権を渡したらお役御免だと思っていたのだ。


「……と、言いたいところだけど、まぁいいさ。〈至高神オーディーン〉を打ち破ったんだ、そのくらいの特典はつけてあげよう」

「ありがとうございます!」

「ただし!」


 先輩が不吉な溜めを作ってから言う。


「この一件が片付いたら、セリカリアさんはオーソドクスに入学すること。そしてゆくゆくは征徒会を手伝ってもらおう」

「わたしが……ですか?」

「うん。言っちゃなんだけど、セリカリアさんはわたしの好みのタイプでね。そばにはべらせておきたいんだ」


 先輩が返事に困ることを言い出した。


「それは……わたしに身売りをせよ、と?」

「そこまでは言わない。わたしは恋愛は自由であるべきだと思ってるからね。束縛はしないよ。ただそばにいて、わたしに口説くチャンスを与えてほしい」


 セリカは悩むそぶりをみせる。

 そりゃそうだろう。同性にこんな風に迫られたら対処に困る。

 セリカはなぜか、俺の方をちらりと見た。

 俺が首を傾げると、セリカは小さくため息をつく。


「……わかりました。その程度で厚意に報いることができるのであれば」

「決まりだね」


 弥勒先輩が立ち上がる。


「だが、やはり今日一日は身体を休めるべきだ。本当は、大きな戦いの後は2、3日の休養をとることが推奨されてるんだけど。ゲームと違って、生身の人間は一晩寝れば体力全快!なんてことはないからね」


 今度は素直に、セリカが頷く。


「じゃあ、出発は明日の正午ということにしょう」


 弥勒先輩は一方的にそう告げると、俺たちのパーティルームを出て行った。

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