一輪の薔薇
ヒロカワ
一輪の薔薇
「…………はい」
仕方なしに玄関のドアを開ける。昔、居留守を使ったら一時間粘られた事があるさすがに近所迷惑になるので拓馬はそれ以降、居留守を使うのをやめた。
「お届けものです」
そう言って玄関先に立つ男は、宅配業者ではなかった。スーツに身を包み、手には届け物を持っている。拓馬は心底飽き飽きした。
大手IT企業に務める拓馬は、入社三年目、丁度仕事にも慣れてプロジェクトのリーダーを任されるまでに成長していた。入社当時は周りの同期に付いていけず何度辞めてやろう、と思ったか分からない。
「よろしく頼むよ」
上司にそう言われ、どれだけ嬉しかったか。今でもプロジェクトのリーダーを初めて任された時の事は忘れない。
「キミがリーダーね、宜しくー」
ヘラヘラしながら手を振る男、
「豊島さん、いい加減にしてください。非常識です」
「俺もいい加減に拓馬の答えが聞きたいんだけど?」
「だから、無理ですとはっきり言ってるじゃないですか!」
「うん。分かった。じゃあ明日も来るねー。拓馬の気が変わるまで俺は諦めないから」
毎日決まった時刻に現れるのは、拓馬と同じIT会社に務める豊島で、渡される物は、一輪の薔薇だった。初めて会話をしたあの日からもうずっと続いている。最初は戸惑った。しかし、今は迷惑でしかない。
「だから、来なくていいと…………」
「ねぇ拓馬、全く気持ちは変わらない?俺、一途だよ。自慢じゃないけど優しいし、顔も悪くないと思うんだけど」
確かに豊島は整った顔立ちをしていた。しかし問題なのはそんな事ではない。
「こんな時間に、その好きな相手の迷惑を考えずに、迷惑でしかない花を渡す神経が俺には理解できません」
もう、部屋中ローズの香りでいっぱいだった。むせ返るほどのその匂いに拓馬は吐き気すら覚えた程だ。
「律儀に飾ってなくていいのに。優しいよね、拓馬は」
「じゃあ菓子折りとかにしてくれませんかねぇ!」
「そうしたら、気持ちよく受け取ってくれるの?」
「それは…………」
言葉に詰まる。明日から菓子折りを持って来られたら自分は嬉々と貰うのだろうか。そんなに自分は安っぽい男だろうか。考えて、答えを出す。
「受取りません」
「じゃあ花でいいじゃん」
「だからっ……」
豊島を見ていると拓馬は苛々した。仕事は出来るし顔もいい。なのに、自分を好きだと言う。とても勿体ないと思った。これだけ完璧な人間ならすぐに彼女が出来て、結婚も出来て順風満帆な人生が築けるはずなのに。何故、豊島はそれを自分から捨てるのだろう。その事にとても苛々した。
「とりあえず、中で話さない?ほら、この時間だし、寒いしさ」
「それは俺の台詞ですけど上がらないでください。今すぐ帰ってください」
「えー、って言っても、俺今月からここのマンションに引っ越してきたから」
「いや、意味が分かりませんストーカー被害で訴えますよ」
「いや、ホント偶然ってすごいよね。たまたま、拓馬の隣の部屋が空いてるなんてさ」
「…………マジかよ」
もう、諦める他なかった。
*****
豊島は、拓馬より三年先に入社した二十八歳で拓馬の隣の部署に配属している。仕事面ではほとんどミスもなく、愛想がいい為、誰からも好かれているように見てとれた。それにあのルックスだ。女性社員は豊島に彼女が居ない事を知ると我先にと豊島に話しかけた。それをいつもの感じで交わしつつ、それでも相手の機嫌を損ねない話術は尊敬に値した。
「で、それ受け取ったら帰ってくれるんですか?」
結局押しに負けて、拓馬は豊島をリビングに案内した。2LDK家賃八万のこのマンションはやっと貯めたお金で引っ越した場所だった。会社から電車で三十分。拓馬にとっては好立地だった。それまでは実家から電車で二時間掛けて通っていたのだから、引っ越した次の日の出勤は感動の他なかった。
「あ、お酒買ってきたんだ。あとご飯。食べる?」
「酒は持って帰って飲んでください。ご飯は……頂きます」
きゅるる、と腹の虫が鳴った。
「ふふ、拓馬は正直だ」
「お金、いくらですか!」
腹の音を聞かれたのが恥ずかしくて拓馬は大きめの声でそう言った。そして、そこで初めてある事に気付いた。
「そういえば、花の代金、いくらなんですか?」
「ん?気にしなくていいよ。俺が好きで拓馬に買って来てるんだし」
「良くないです!今まで一体いくら注ぎ込んだんですかっ」
「何々、急にどうしたの」
「ていうか、こんな事にも気付かなかった俺も馬鹿だ何やってんだほんと……」
財布から万札をだそうとする拓馬動きを制止して、豊島は口を開いた。
「いらないよ。これは俺の気持ちなんだ。金で片付けられたらそれこそ格好悪いじゃないか」
「あ、すみませ……」
「とにかく、ご飯を食べよう」
ニッコリと笑って豊島は自分の買ってきたコンビニ弁当の入ったビニール袋を拓馬に手渡した。
*****
「ご馳走様でした」
「いえいえ、お粗末さまでした」
ま、俺が作ったんじゃないけど、と豊島が続ける。
「お酒飲む?」
「もう帰って下さい」
「えーちょっとくらいいいじゃんー」
まぁまぁ、と言いつつ豊島は缶ビールのプルタブに手をかけて蓋を開ける。
「はい」
「……頂きます」
完全に流されている。しかし、それを変える術を拓馬は持ち合わせていなかった。ビールを流し込む。苦味が口の中に広がった。
「ねぇ、拓馬」
「はい?」
豊島も同じ様にビールを煽りながら話し出した。
「いつもありがとね。俺の我侭に付き合ってくれて」
「……別に、っていうか、何急にしおらしくなってるんですか」
「いや、嬉しくて」
何が、と言おうとしたところで、豊島の目線の先にある物を拓馬も見つめる。急に恥ずかしくなり、言い訳の言葉を探した。
「あれは別に、花が可哀想だからです。あんたに貰ったからとか関係ないッ」
「解ってるよ。俺は、そんな優しい拓馬だから、好きになったんだ」
花瓶に、入りきらない程の薔薇が飾ってあった。それは拓馬が毎日水を変え、枯れた物は抜き、きちんと世話をしている証拠だった。それを嬉しいと喜ぶ豊島。当たり前の事をしているだけなのに褒められた気がして拓馬の顔はみるみるうちに赤くなった。
「俺は別に優しくなんかないです。豊島さんの方が優しいし、直ぐ困ってる人助けてあげたりしてるじゃないですか」
「それは、仕事で必要な事だから。でも、拓馬のは仕事じゃないだろ」
「俺は……」
回答に困ってしまう。手に持ったビールの缶を煽るようにして一気に流し込んだ。
「あまり、褒めないでください。普通に嬉しくて困ります」
「そんな困ってる拓馬の顔が見たいんだけど?」
豊島もビールを飲み干す。もう一本いる?と聞かれたので貰うことにした。この恥ずかしさを消したくて。
「ねぇ、拓馬」
「何ですか」
「今やってるプロジェクト、大丈夫?」
「どういう意味ですか」
「今日も課長に進み具合が遅いんじゃないかって言われてただろ」
「あぁ、聞いてたんですか」
何故だか泣きそうになった。拓馬は泣きそうになるのを堪えて、ビールを一口飲んだ。
「大丈夫です。挽回できます」
「たまには、誰かを頼る事も必要だよ」
急に豊島の手が伸びてきて、頭を撫でられる。こんな事されるの、小さい頃以来だなと拓馬は考えていた。豊島の手は大きくて温かい。いやいや、こんな事許していたらこの人は調子に乗る。酔っているせいか、判断の鈍っていた拓馬だったがふと冷静になる。手を払いのけようとしたところで、その豊島の手にぐっと力が入った。気付けば、豊島の胸板に自分の頭が押し当てられていた。
「ちょ、豊島さん、離して……」
「拓馬もっと俺を頼ってよ。俺はプロジェクトの一員で、そして何より君の事が大好きなんだ。放っておけない……」
真剣な豊島の声に拓馬の体温は上昇した。素直にその言葉が嬉しかった。
「でも、俺はリーダーです……」
「リーダーってなんだろうね、拓馬」
「チームをまとめて、引っ張っていく人の事です」
「拓馬らしい回答だ。でも、俺はそうは思わないよ」
「え?」
顔を上げる。豊島の顔がやたらと近くにあった。
「ねぇ、聞きたい?俺の考え」
「はい……」
「じゃあ、先にキスさせて。そんな拓馬の顔みてたら我慢できそうに無い」
「だからふざけないで……ッ」
顎を持ち上げられそのままキスされる。ビールの味がした。
「今日の拓馬は隙だらけだな」
「なっ何してるんですか!」
「何ってキス……」
「お、俺、はっ初めてだったのに……」
「え……?」
「キスですよ!あぁ、可愛いショートボブの女の子と付き合ってキスするっていう俺の夢が……」
「いやに限定的だね」
「なのに、男としかも、豊島さんとだなんて…………」
「そんなに落ち込まなくても……何だかすごく悪い事をした気分になるじゃないか」
「悪いことしたんですよっ返してくださいよ、俺のファーストキスっっ」
「拓馬……」
「何ですか」
「可愛すぎ……」
またキスされる。息が上手くできない。ビールの味しかしない。それなのに……。
「俺は、どうしたらいいか分からなくなるじゃないですか。明日から、どう貴方と接したらいいか……」
「じゃあまず、俺を頼って?」
また、唇が重ねられる。抵抗することを忘れてしまった拓馬は素直にそれを受け入れた。
「でも……」
「大丈夫。拓馬。君は一人じゃない。全部を君が背負う必要は無い。その為のチームだ」
「豊島さん……」
「俺がいるよ」
何だか、とても頼もしく思えた。この人と一緒なら何も怖くない、そんな気さえした。ふわりと薔薇の香りがする。豊島が新しく持ってきたものだ。
「水に、つけなきゃ」
枯れてしまう。そう思った拓馬立ち上がろうとする。しかし足がもつれてそのまま豊島の体の上に飛び込むする形になってしまった。
「大丈夫?拓馬っ」
「あ、すみません、俺酔ってるみたいで……豊島さんからもらった薔薇水につけなきゃって……」
動けない。心地いい。このまま眠ってしまいたい。
「おれ、貴方を頼っても良いんですか?」
「え?」
「そしたら、なんだかきっと安心出来る気がする……」
そのまま拓馬は寝息を立てて寝てしまった。まいったな、と豊島は思う。
「こんな無防備な拓馬は初めてだ」
ギュッとその細い体を抱きしめる。少し苦しそうにした拓馬だったがまたすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
「愛してるよ、拓馬……」
薔薇の香りだけが二人を包んでいた。
一輪の薔薇 ヒロカワ @hirokawa730
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます