谷間の奥の秘密。
出席番号2番 綾瀬みう
出席番号5番 石橋茜
◆◆◆
とてつもない虚脱感を感じながら、私は椅子に深く腰掛けていた。日本史の小テストが終わったのだ。
無理やり詰め込んだ日本の仏教に関する知識が、身体中の穴という穴から漏れ出ていくような気がする。もう踊れないよ一遍さん。
ふと、私の首に抱きついてくる細い腕。同時に、愛すべきマイルームのベットにある低反発枕より、はるかに柔らかい感触を後頭部に感じる。
「テストどうだった?」
いい匂いと共に、無邪気な石橋茜の声が降ってくる。ということは、私の後頭部を今圧迫しているこの感触は、茜のふんわりリッチなFカップなわけだ。
「なんとかー。今、耳とか鼻からお題目がこぼれ落ちてるよ。」
「だめだめ! せっかく詰め込んだんだからこぼさないで!」
そう言って茜は、私の首を抱きしめていた腕を解き、今度は両耳を塞ぐ。
私は、茜のちょっと大人びた、でも年相応の可愛さと瑞々しさはしっかりと持ち合わせた表情を想像しながら、ゆっくり振り返る。
目があって、にっ、と笑う茜は、今日もなんだかちょっぴりエロかった。
「そういう君はどうなんだい、リッチなFカップの茜くん。」
「私は無宗教なのだよ、愉快なCカップのみうくん。」
「その言い方はなんか不愉快だ!」
「ならば今すぐ脱ぐのだ……。汝の成長を見せてみよ!」
「やだ。えっち。」
「みう君、次は体育なのだよ。」
「ひゃーーーーー、まじで!」
小テストと、不毛な暗記から解放された私たちの無駄話は、すこぶる快調だった。口ばかりが動いて、ものの一分で終わる着替えが進まない。
「ねーねー、みう。付き合うならさ、誰がいい?」
「えー何それ! 妻帯はしちゃダメなんだよ。あ、でも浄土真宗はいけるのか。」
「あ、そうなんだ。でも遊びだよ遊びー! 結婚抜き!」
茜はそういう話が大好きだ。かく言う私も、別に嫌いじゃない。ええ、女子ですから。恋バナと呼ばれるサムシング。
「……親鸞……?」
「なんかわかる。みうらしい。しかも妻帯もできるし!」
「……そこは全然重視してなかった。」
「でもみう、日蓮も好きそうだけど。」
「んー……。なんか違うんだよね。」
えー! と、大きな声を上げながら楽しげに笑う茜の頭の中では、私と親鸞上人や、日蓮上人がデートしている様子が展開されているのだろうか。冷静になると、とんでもなくカオスな光景だ。一体どんな話をして盛り上がればいいのか。一緒に浄土の先まで行こうぜハニー。いやないでしょ。
「じゃあ茜はそう誰がいいの?」
「やっぱり、天海でしょ!」
「ごめん、テスト範囲以外はさっぱりだ!」
「徳川家康の側近だった天台宗のお坊さんだよ。
家康が江戸を選んだのは天海のアドバイスがあったからなんだよ!」
「つまり……?」
「江戸時代のハイスペック男子だね。」
「でたーーー好きねーーー!!」
口で言うほど非難はしてない。茜のような可愛い子は、将来年上のIT社長とかに貢がれて、そのままセレブ夫人になるのだ。それが世の中の摂理というもの。
それに茜だったら私は何も嫌な気がしない。きっとそうなってからも変わらず遊んでくれる。ものすごく高いお店におごりで連れて行ってくれるけど、チェーンの安い居酒屋にも付き合ってくれる気がするし。そして絶対チャンヂャとか頼んで、これがあればいいのー! と言ってくれる。
うちのお母さんが言っていた。すぐにチャンヂャを頼む人には悪い人はいないって。そう、茜はいい子なのだ。
「えー、それだけじゃないよ! みう、天海には秘密があるのです。」
「聞こうじゃないか茜くん。」
「天海は、実は明智光秀だって話!」
話の方向性が斜め上で、一瞬頭がついていかなかった。都市伝説的なやつ。そうきたか。
「尊敬していた上司を殺めて、天下を取ったと思ったら追われて……。
そして別の人間として生きるの。仏の道に入るけど、
ありあまるスペックで再び政治に関与する……。
圧倒的に背負ってる感! たまんないよねっ!」
「ほんとそういうの、好きだよね……。」
よくある夢見がちな女子の妄想、とも言えない。茜の場合は割と本気なのだ。
少し女子高生離れした茜なら、そういう訳ありな大人とも恋できてしまいそうなあたりが、いつも私を少しだけ不安にさせる。
「だってつまんないじゃん。普通の相手と、普通の恋しても。」
「宇宙人とか……?」
「未来人でもいいよ、超能力者でも。」
「ゴメン、振っといてネタが古かった……。」
「大丈夫、私はそんなことで憂鬱にはならない!」
にっ、っと深みのある笑みを浮かべた茜の瞳に、なんだか吸い込まれそうだった。世のお金持ちは、こういう瞬間、女の子にマンションを買ってあげたくなったりするのだろうか。一億円のスマイル!
私はそっと腕を伸ばして、茜の豊かなFカップの間にを埋めてみる。ちなみに茜は今、ブラウスのボタンを全部外して、前が全開になっている。茜は、ぎゅっと脇をしめるような仕草をして、私のてのひらを柔らかく圧迫した。すべすべで、あったかくて、とにかく柔らかい。すべての男子に対するささやかな優越感を抱きつつ、私と茜はしばしくすくすと笑いあった。
「恋はしているかね、みうくん。」
茜は、私の腕を抱くようにして、さらに柔らかな圧力を加えてくる。私はその感触を楽しみながらも、頭にちらりと浮かんだ顔を、すぐ隅の追いやる。
憧れと好きは、違う。
「ん……。多分してないです。」
「お~? のんびりしてちゃだめだよ。
そんなこと言ってるうちに、花の女子高生は終わっちゃうぞ~!」
「頭ではわかっているのですがー。」
「ならば心を開放しろ!」
茜は私の腕をさらにぎゅうぎゅう抱きしめながら、にやにやする。
「私はね……。してるよ?」
そう言って笑う茜は、とても可愛かった。まさに花の女子高生な青春を謳歌している、そんな自信に満ちていた。きっとその恋を、誰かに話したくてたまらないのだ。
でも、それ以上、茜が話を膨らませることはなかった。それは、合図。私と茜が親友でいるための約束。絶妙な不可侵の温度感。
私は茜の胸の柔らかさを楽しみながら、茜は私に胸の偉大さを見せつけながら、ただ深い意味もなく愉快に笑いあった。空っぽだけど、心はなんとなく通じ合っている安心感と、心地よく怠惰な甘え。
やっとのことで着替え終わった私たちは、小走りで体育館に向かう。さっきまでの会話はまるでなかったかのように立ち消えになる。刹那的なコミュニケーションを、私たちは繰り返し続けて、すぐに忘れていく。
そうやって、一切核心には振れずにいたかった。今後も聞きたくなかった。私の手のひらを包み込んだ柔らかい谷間の奥の秘密を、知らないままでいたかった。
ごまかし続けられるのは、いつまでだろう。考えたくなくて、私は少し先を走る茜を追い抜いた。
あおいはる。‐冬のレクイエム‐# GIRL/Fri.eND @girl-fri_end
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