同窓会

黒猫大ちゃん

第1話

 そのハガキが舞い込んで来たのは、ちょうどこれから梅雨本番を迎えるかと言う季節の事であった。


 何の変哲もない中学の同窓会の開催を告げる往復ハガキ。


 しかし、私的に色々な出来事が重なり、正直に言うと、そんなハガキの事など頭の中からは完全に消え去っていたのだが……。


 突如、鳴り響く電話のベル。もう、夜の11時を回って、そろそろ眠らなければ明日の朝が辛く成る。そんな時間帯。

 かなり深い時間帯の無遠慮な訪問者に対して、俺の機嫌が、少し悪い方向に傾いて行く。


 そう。俺は、電話は嫌いだ。いや、正確に言うのなら、嫌いになった。

 つい最近……。


「はい、○○です」


 嫌いだからと言う訳ではないのだが、どうしても、よそ行きの着飾った声ではなく、普段通りのやる気のない雰囲気の言葉使い、及び口調で対応して仕舞う俺。

 そんな俺に対して、


「相変わらずの対応だな、○○」


 若い男の声でそう馴れ馴れしく話し掛けて来る電話の相手。

 微妙に記憶を刺激する声では有ったが、しかし、俺にはあまり聞き覚えのない声なのだが。


「俺の事、覚えているか。北山だよ、中学まで一緒だった」


 北山……。そう言えば、高校に入ると同時に疎遠になって仕舞った小学生時代からの友人の声に、その電話の向こうの若い男性の声は似ているな。

 しかし、高校一年生の時に引っ越して仕舞った俺の自宅の電話番号を知っている人間は、かなり少ないはずなのだが。


 いや、そう言えば、中学時代の友人たちは、住所すら知らない連中ばかりのような気がする。


「同窓会の返事、帰って来ていないのはオマエだけだぜ。まぁ、オマエらしいと言えばそうなんだけどさ。

 で、どうする。出席する、……で良いんだよな?」


 俺の返事を聞く事すらなく、勝手に同窓会参加の方向へ話を進める北山。

 しかし、今の……。いや、最近の俺の状態ではとてもではないが、そんな気分には成れないのだが。


「実は、女子の方の幹事から回って来て……なんて名前だったかな。ほら、メガネを掛けた、背の小さな女の子。オマエと仲が良かったあの子から頼まれて、わざわざ電話を入れてやったんだから」


 瞬間、何とも言えない感覚が、心の奥から蘇って来る。

 ……そうか、彼女か。

 彼女なら、俺の連絡先を知っていたはずだな。


 その後、同窓会の開かれる店の名前を聞いただけで、何故か有耶無耶の内に参加させられる事が決まっていたのだが。


 まぁ、彼女とも中学の卒業式以来、直接会った事は無かったか。

 そう思うと、何故だか急に懐かしくなる物だから不思議だな。


 そう、彼女との出会いは……。


 俺は、今でも、そう目立つ方でも無ければ賑やかな人間でも無い、取り立てて取りえのない面白みの無い人間なのだが、当時は、それに輪を掛けて目立たない男子生徒だった記憶が有る。


 そんな俺は、休み時間は友人と話をしたり、他の男子生徒たちがサッカーに興じたりしている最中に、一人で図書館から借りて来た本を読んで過ごしていた。

 ……と言っても、別に大した内容の物などではなく、基本的にはジュール・ヴェルヌやハーバード・ジョージ・ウェルズなどのSF物ばかりだった記憶が有るのだが。


 それで、その時は、偶々、石器時代の少年が成人した証として行う通過儀礼。一人で狩りに行き、最初に得た獲物の名前を自らの名前として得る、と言う内容の小説を読んでいたのだが……。


「その本は……」


 突然、左斜め後方から、そう話し掛けて来る女声コエ。俺に話し掛けて来る女子生徒など居る訳は無いのだが……。

 そう訝しげに考えながら、振り返った俺のすぐ傍に、一人の女子生徒が立っていた。


 メガネを掛け、ショート・ボブと言うには少し短い髪の毛をした背の低い同じクラスの少女。


 いや、これではまるで、彼女の方が俺を見つけたように思えるかも知れないな。


 確かに、話し始めたきっかけはそうだったかも知れない。しかし、彼女の事を見つけたのは、多分、俺の方が先だったはずだ。


 最初に彼女の事を見つけたのは、理科の授業中。プロジェクターを使って、何かの説明を行う授業だったのだが、その内容の事までは覚えてはいない。

 窓側の一番後ろの席で、映し出された映像を見る訳でも無く、ただ、真面目に授業を受けているクラスメイトたちを眺める俺。いや、そのやや室内の明かりを落とした無機質で画一化された空間自体に、奇妙な圧迫感のような物を覚えていたのかも知れない。


 そして、その中に、俺は一人の少女を見つけたのだ。


 別に、取り立てて美少女だと言う容姿では無かった。いや、俺としては別の意見が有ったのだが、ただ背が低いメガネを掛けた大人しい少女。

 それが、彼女に対して下されていた周囲の評価であった。


「○○くんが借りていたのね」


 ……それが、彼女と話し始めたきっかけだった。



☆★☆★☆



 桜が舞い散る中をゆっくりと、俺と彼女は歩いていた。

 そう。この頃から、俺は傍に歩く相手の歩調、歩幅に合わせて歩くようになったと思う。

 それに、俺の左側に立って歩くのは、彼女ともう一人だけ。


 ……いや、今は、もう誰もいないか。


 これは、中学の卒業式の日の思い出だな。


 自らが見ている夢に対して、自らが解説を行う状況。

 確か、この時が二人きりで歩いた最後の場面だったような記憶が有る。


 そう。本当は同じ高校に通う心算だったのだが、俺の住む県は総合選抜制と言う制度を取っていて、最終的にはくじ引きに因って通う高校が決まるシステムを採用していた。確か、この日の何日か後に、俺がその当時新設の高校の方に合格している事が判明し、そして、彼女は一番近い高校の方に順当に合格している事が判明するのだが……。

 この時は、未だどちらも同じ高校に通えると信じていたはずだったな。


 もう、何を話したのかさえも覚えていない微かな思い出。

 だから、何かを話しているはずなのに、彼女の声さえも聞こえて来る事はない。


 ただ、何を話しているのかは覚えていないのだが、少しはにかんだような笑顔を夢の中の俺に対して向けるその仕草が、より彼女に相応しい仕草のような記憶が有る。


 その微笑みの中で夢幻泡影の例えの如く、淡く、俺の思い出ユメは消えて行った。



☆★☆★☆



 俺はアルコールの類は好きでは無い。職場の人間とのコミュニケーションを行う為に飲みに出掛ける事もあまり好きでは無かった。

 もっとも、今日の目的は、飲むついでに旧交を温める為に来た訳ではなく、たった一人の女性の顔を見る為だけにやって来たのだが。


 一次会の居酒屋に居なかったのは確かだが、大して気に留める事もなく、二次会のカラオケボックスに移動して来たのだが……。

 しかし、そこでも彼女の姿を見つける事は出来なかった。

 ……無駄足だったのか。


「なぁ、北山。△△は都合が悪くなったのか?」


 未練かな。そう考えながらも、彼女の事を聞かずには帰る事が出来なかった俺。

 しかし、この同窓会の幹事役の北山は、彼女の名前を出しても、怪訝そうな顔で俺を見つめて、


「△△って、誰の事だ?」


 ……と聞き返して来るだけであった。

 ……何、冗談を言っているのだ、この男は。


「オマエが、俺の電話番号を聞いた相手の事だよ」


 少しムッとした雰囲気で、そう問いを続ける俺。本来ならそう声を荒げるタイミングでもないのだが、矢張り、少し精神的な余裕を失っていたのかも知れない。

 それに、そもそも俺は彼女の名前が出て来なければ同窓会に来る気は無かったのだから。


「え、俺が、オマエの家の電話番号を聞いたのは、坂田だぜ。ほら、女子バドミントンの部長だった」


 しかし、俺の不機嫌な理由を斟酌する心算もないのか、中学当時と変わらない呑気な口調で、そう返して来る北山。


 成るほど。確かに彼女なら知っている可能性も有ったな。確か、△△とは親友の様な関係だったと記憶している。

 そう思っていた俺の方に、北山に呼ばれた坂田が俺の方に近寄って来た。


 中学時代は長い髪の毛を普段はストレートにしていて、スポーツをする時などはポニーテールにしていたか。今は、長い髪の毛は変わらないみたいだが、ポニーテールにする事は有るのだろうか。


「おひさ、○○くん」


 見た目は十分大人の女性となっていたのだが、言葉使いは中学時代のままの彼女が、そう挨拶をして来る。

 思わず、失って終った時間が戻って来たかのような錯覚を起こす雰囲気。


「久しぶり」


 少し、あの頃の自分に引き寄せられながら、そう答える俺。いや、この同窓会に誘われた最初の段階から、失った時間に引き寄せられていたのは確かだ。

 しかし、この同窓会には、彼女に会うために来た訳ではない。彼女の親友に逢う為に来たのだ。


「なぁ、坂田。△△が来ていないが、今日は用が有って来られなくなったのか?」


 北山に行った質問を、再び彼女にも行う俺。かなり未練がましいような気もするが、矢張り、今、一番顔を見たい相手の事を聞きたい欲求の方が勝ったのだ。


 しかし、少し訝しげな表情で俺を見つめる彼女。そして、俺の再びの質問に返された答えも、先ほどの北山の場合と同じ物で有った。


「○○くん。△△って、誰の事?」


 彼女……坂田が△△の事を忘れるはずはない。彼女と△△は親友だったはずだ。

 まして、俺が多少なりとも、この目の前の元少女と話しをしていた記憶が有るのは、△△と彼女が何時でも一緒にいたから。

 それで無ければ、俺と彼女の間に接点など有る訳がない。


「△△の事を、オマエが知らない……」


 悪い冗談。いや、そんな悪趣味な事をする人間では無い。俺が知っている中学時代までの彼女のままなら。

 まして、北山は、テニス部でダブルスを組んでいた相手だ。アイツが冗談を言う時は大体判る。


 しかし、未だ納得していない俺の目の前のテーブルに、青い表紙の中学の卒業アルバムを広げる坂田。そう言えば、先ほどからこの卒業アルバムが女子の間では廻されていたな。

 ぼんやりと、そう考える俺。それに、彼女……坂田がこれを持ち出してきた理由は判る。


 おかしいのは俺。異分子は俺の方なんだと思う。


 そして、判り切った質問が次の瞬間に為された。

 自らの病名を知る死期の迫った患者のような俺に対して。


「ねぇ、○○くん。△△さんって、どの娘の事?」



☆★☆★☆



 結局、俺の記憶に有る彼女との思い出は、すべて坂田との思い出に置き換わっていた。

 更に、当然のように、彼女の名前と写真が有るべき卒業アルバムには彼女の写真はなく、次の名前の女生徒の写真がそこに有るだけで、彼女の名前も、そして写真すらも何処を探しても見つける事は出来なかった。


 あの赤い夕焼けに染まった図書室での会話も。体育祭のフォークダンスも。修学旅行の思い出も。

 そして、卒業式の桜舞い散る中での会話も……。




 矢張り、未練かも知れないな。


 そう自嘲的に考えながらも、当時通っていた中学校を見上げる俺。


 尚、彼女の家の有ったはずの場所には……。

 そして、俺の知っていた彼女の電話番号も……。


 もう、かなり諦めながらも、矢張り、最後の部分では……。


 彼女と歩いた桜並木の道を辿り、現在、本校舎と成っている3階建ての真新しい校舎を抜け、当時本校舎だった建物の一階部分に何食わぬ顔で侵入する。


 えっと、そうしたら、俺が通っていた当時は正面玄関だったトコロから最初の角を左に曲がって、その突き当りの教室。

 そう。先ずは一年生の時に、初めて彼女を見つけた教室を訪れてみる。

 そして、初めて彼女の方から声を掛けられた教室に。


 もっとも、この教室は、俺達に取っては、一年生の時の教室で有り、二年生の時も同じ教室だったのだが。


 しかし、鍵の掛かったそこ……一年三組と二年七組の教室に、彼女の残り香など存在する訳はなく、ただ夏休みの夕方に相応しい、熱気に包まれた。しかし、寂しげな雰囲気が漂うだけの空間が、ただ存在しているだけで有った。


 ………………。


 このまま帰るか。それとも、彼女と良く行った図書室に向かって見るか。

 ……それとも、最後の一年を共に過ごした教室の方に向かうか。


 少し、視線を上げて廊下側の窓から見えている北校舎の、流石にこの位置からは見える事のない三階の端の部屋が有るべき空間に目を遣る俺。そして、もう一度視線を戻した時には次の目的地は決まっていた。


 一年三組の教室の横に存在する階段を使いそのまま三階に。そして、校舎の端から端までを進む俺。

 その突き当り。当時の三年一組の有った教室を目指して。


 元三年一組の教室の前に立つ俺。友人達とふざけていてガラスを割った事なども、今と成っては懐かしい思い出の一場面と成っているその教室。

 但し、俺の思い出の中には、他の誰の思い出にも登場しない重要な少女の姿が必ず存在していた。

 それも、一番重要な登場人物として。


 試しに手を掛けて見た扉が、今度は何の抵抗もなくするすると開いて行く。

 何かに導かれるように。そして、淡い期待の籠った瞳で教室内を覗き込む俺。


 しかし……。


 しかし、そこには、俺が通っていた時と違わない机の並んだ、ごく一般的な中学の教室が存在していただけで有った。

 もっとも、試験の時にぼぉっと眺めていた俯瞰の景色が、今では真新しい校舎のみと成っていて、俺の知っている教室とは違う場所のような、微妙に圧迫感の有る雰囲気を醸し出していた。


 そう。そして、その教室には彼女も。そして当然、少年の頃の俺の姿も見つけ出す事を出来はしなかった。

 一瞬毎に濃く成って行く夕刻。夕暮れの気だるい光の中、普段は人の姿と気配に満ちる空間に、今は誰ひとりとして存在していない。


 結局、自らの思い出の補完にも、そして、諦める為の踏ん切りに繋がる何かを掴む事も出来ずに、紅い光が差し込む教室の中にじっと佇む俺。


 夕陽だけはあの頃と変わらない、か……。


 少し感傷に浸るかのように瞳を閉じ、そこから小さくため息。視線を夕焼けの方向……開け放したままに成っている教室の入り口の方向に向け、そしてもう一度、俺の席……窓側の一番後ろの席を見つめ。そして、最後に、彼女の席の有った教室の真ん中辺りを自らの瞳と、想い出の中に焼き付けるように見つめた。


 ゆっくりと進み、入り口に到着。そして、最後にもう一度だけ振り返る。しかし、そこには矢張り、主役が不在の夕闇に沈みつつ有る教室がただ存在するだけで有った。


 入って来た時と同じように教室を出て、ゆっくりと扉を閉じる。


 そのまま、敢えてゆっくりとした足取りで、登って来た階段ではない、最初の階段の場所にまで歩を進める。

 刹那、背後……誰も居なかったはずの三年一組の教室の扉が開く音が聞こえる。


 振り返った俺の瞳に、教室内に入って行く人影がひとつ。

 いや、より正確に言うのなら人の気配と、翻ったスカートの裾の部分が見えただけ。


 しかし……。


 その次の瞬間。人影の後を追うように、再び懐かしい教室の入り口に近付く俺。


 そこには、先ほど確かに、未練を断ち切る為に閉じたはずの扉が開いている。

 そして、覗き込んだ扉の先。その教室の中には……。




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