今、闇医者。昔、狩人。Ⅱ

「おーこわ」


 鏑木はわざとがましく両手で耳を押さえていた。尭哉の視線に気がつくと、困っているようには見えない困り顔で肩を竦める。


「……鏑木さん、あなたどうして雨宮さんにかまうの?」


 そんな鏑木の態度に違和感を覚え、尭哉は聞いた。

 鏑木とリリの接点はこのクリニックだ。だから滅多に会うことがない。けれどもその「滅多」の度に、鏑木はわざとリリを威圧し、怖がらせて怒らせているように思う。


 鏑木とリリの会話から分かるように、リリは芸能界に入る前、思春期の荒れていた時期にドラッグに手を出していた。そして偶然知り合った尭哉に助けを求め、ドラッグを断ち切り、足を洗う手伝いをして貰い、その後のサポートまで頼んでいた。

 リリが何のしがらみも後腐れもなく、華やかな世界で活躍できているのは、ひとえに尭哉の尽力があってこそだった。


 リリの世界と鏑木の世界は、もう別の世界だ。だからこそ、今日のように鏑木がリリにかかずらう理由が、尭哉には分からなかった。


「じゃあ先生は、あの顔で外に出ろっていうのかい? モデルさんに?」

「他に言い方があるんじゃないって、言いたいのよ」


 そして言ってから尭哉は気付いた。鏑木には、リリと同じくらいの年頃の娘がいたと聞いたことがあったのだ。

 悪い遊びで娘を亡くした鏑木は、リリをその亡くした娘に重ねているのかもしれなかった。わざと嫌われ、日陰から遠ざけようとしているのではないか――と、そんな考えが頭をよぎった。

 けれどもそれは想像でしかなく、鏑木の真意など、鏑木にしか分からないのだ。

 尭哉はいささかわざとらしく咳払いをすると、話を変えることにした。


「まぁいいわ。それで、今日は鏑木さんは……」

「あぁこれ、もうすぐなくなりそうなんでな」


 懐から鏑木が取り出したのは、白い蓋の黄緑色の容器だった。十数粒程度、錠剤が入っていた。


「そうだったわね。どう? 変わりない?」


 尭哉はパソコンに表示されたカルテに目を通しながら言った。それは、グラフや表になった数値など、ぱっと見何が書いてあるのか分からないほど複雑なものだった。


「うーん……、平気っちゃ平気なんだが、物足りないような気もするんだよなぁ……」

「そう……。数値の変化もあるにはあるけど、許容範囲内なのよね……。あまり強いのは出したくないから、もう少しこのレベルで様子を見てもらっていい?」

「かまわないよ」

「じゃあ一月分出しておくわね。どうしても我慢できなくなったら、すぐに知らせて。私は昼間でも夜中でも大丈夫だから」

「どうしても我慢できなくなったら――ねぇ。先生直々のでも、してくれるのかい?」


 サングラスの奥の赤茶色の瞳が、赤く妖輝した。


「灰になりたいの?」


 鏑木の視線が、首の絆創膏に向いていることに気づくと、尭哉は何の感情も伺えない笑顔を顔に貼り付けて言う。

 なにとなく言ったようだったが、かえってその普段以上に普通の声音に、鏑木は空恐ろしさを感じないではいられなかった。

 そして気付く。どこからか幽かに、金属音がしていた。鈴を細かく震わせて一つの音にしたような、不思議に響く音だ。


「……冗談だ」


 降参だという意味を込めて、呟いた。尭哉の気配に気圧された鏑木の額には、冷や汗が浮いていた。


「――血を啜ることしか考えられないケダモノが」


 詰めた息を吐いた直後、突然浴びせかけられた侮蔑的な言葉に、鏑木が驚きに目を見張る。

 先程までの尭哉の声と同じ声だとは思えないほど、その言葉は暗く強い憎しみが込められていた。

 尭哉は鏑木の表情が変わったことで、はっとして口を押さえ、俯いた。罪悪感で鏑木の顔を見ることができず、リノリウムの床に目をやったまま、謝罪の言葉を口にした。


「す、すみません……」

「……仕方ないさ。狩人ハンターってのは、そういう生き物なんだろ?」


 鏑木の声は怒っている者のそれではなかったし、そういうつもりで言ったのでもないのだろう。だが《狩人》というその言葉に、尭哉の胸の内は否応無しに重くなった。

 切ろうとしても切り離せない過去が、尭哉にまとわりついて離れない――それを端的に言い表しているようだった。


「……すみません」

「先生に暴言吐かれんのは慣れっこだよ」


 その謝罪は、鏑木に向けたものでもあったが、自分自身の存在に対する、言い訳のようでもあった。

 自分がこうなるたびに軽く流してくれる鏑木に、有り難さと申し訳なさで心苦しくなった。


「……本当に、すみません」


 鏑木が退室し、一人きりになった診察室に、尭哉の悲痛な謝罪がぽつりと落ちた。


 その後、予約の入っていた診察をすべて終えると、尭哉は早めにクリニックを閉めた。

 鏑木に暴言を吐いてしまったことが気になって、気分が乗らなかったということも理由の一つになったが、尭哉には、鏑木のことがなかったとしても、そうしようと思っていたある理由があった。


 クリニックの戸締まりを終えると、尭哉は廊下の奥へ向かった。診察室と繋がっている処置室とは別の処置室で、使う頻度があまり高くない部屋だ。

 外から鍵を開けて部屋に入ると、廊下から差し込んでいる光が届かない暗闇に目を向ける。壁のスイッチに手を伸ばして、部屋に明かりをつけた。

 尭哉が視線を落とした先には、床に仰向けに倒れている一人の少年がいた。


「――気分はどう? 箕姫影耿君。……私は最悪よ」


 その少年の胸には、青い刀が深々と突き刺さっていた。

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Night Holic 砂原 @tourniquet15

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