アルクアラウンド/「巡礼者」篇③

 森で道に迷ったのは、ある意味では運がよかった。森の中のたちと話す機会に多く恵まれたのである。

 旅の中ではどうしたって、森や山といった自然の中を進む必要が出てくる。人が住んでいればまだいいが、当然ヒトだけで進むには難しい場所だってあるし、今回のようなことが起こることもある。そこで僕は少しでも進みやすくするために、動物たちと「交渉」を行うことにしていた。自然に生きる動物たちは以外にも人に対する興味は強い(善しにつけ、悪しきにつけではあるが)。彼らは目の前にいる人間が自分たちと話せる存在であるとわかると、少なからず会話に応じてくれる。

 だから僕は、そのようなときには必ずこう言うことにしている。

「君たちの望む話を、できる限りしてあげよう。ヒトの生活でも、食べ物でも、いつ襲ったらいいかでもなんでも。なんだったら何かモノをあげてもいい。けれどその代わり、ここを抜けるまで僕らを助けてほしい。特に危険な時は、呼んだら必ず」と。

 もちろんいつもうまくいくわけではない。こちらの情報や物資を受け取っただけで何もしてくれないこともある。

 けれどどうやら、今回はうまくいったようだ。


「危ないところだったな、友よ」と真っ先に駆け付けた熊が言う。先ほど頭を撫でた熊だ。毛並みが整っていて、どことなく高潔さを感じさせる。熊じゃ呼びづらいから―トムにしておこう。

「やはり我々が先導し、この森の案内をすべきだった」と、もう一頭の熊―サムと呼ぼうかな―が言う。毛が逆立っていて、左目が大きな傷でふさがれている。「なぜ案内を断ったのだ、ヒトよ?」

。そう説明しただろ?」僕は言う。「ほとんど個人的な理由だけど―歩いてたどり着きたかったんだ、遠野宮には」

「解せんな。全く解せん。なぜヒトはこうも危険をはらむ道を選ぶのだ?」

 サムは言う。ほとんど憤慨している様子だ。

「その辺にしておけ、ヒトにはヒトの都合がある。」と、今度は一回り大きい熊―じゃあ、ビルだ―がサムを制した。おそらくボス格なのだろう、彼の一言でサムは押し黙ってしまった。「むしろ、助けが遅くなったことを詫びねばならん―すまなかった」

 ジムの声から申し訳のなさが伝わってくる。僕は言う。

「大丈夫、あまり気にしていないよ。遅れても、呼んだらちゃんと助けに来てくれた。それだけで十分だ。―それよりも今は、この状況を何とかしないと」

 僕は取り囲んでいる屈強な男たちをにらむ。突然の猛獣の登場に少なからず動揺しているが、ちらほらと平静を取り戻し武器を構えてこちらを警戒している者もいる。

 カイ老人に至っては―キセルをふかし始めていた。こちらを興味深そうに見つめているが、何かを言う気配はない。

「ああ、すぐにここを抜け出そう」と、トム。「我々は君を助ける約束をした。そうでなければ、もらったメシの恩に応えることができない。あれはとてもうまかった」

 多分、あったときにあげた握り飯のことを言っているのだろう。彼らには米を食べる文化がなかったようだ。

「では、俺たちはどうすればいい?」と興奮したようにサムが言う。「こいつらを食いちぎればいいのか?それとも八つ裂きに?」

「いや、そこまでしなくていいよ」僕は慌てて言う。「とにかく森を抜けられたらそれでいい。さっきも言った通り本当は自分の足で歩いていきたかったのだけど、もうそんなことも言ってられなくなってしまった」

「生ぬるいな、ヒトよ。ここでつぶさなければ、またこいつらはお前を―」

「黙れ!」

 さらに興奮気味になったサムをビルがいさめた。サムはすぐにおとなしくなってしまった。

「ヒトにはヒトの都合があるといったはずだ―我々の尺度で測るものではない」ビルが続ける。「すまなかったな友よ。こいつは昔ヒトからひどい目にあわされたことがあってな―今回の件、やたらと参加したがっていたのはこういうことだったか。今から追い返してもいいぞ、友よ」

「いや、かまわないよ。今は人手、いやクマ手が欲しい」

 僕は言う。実のところを言えば、今がなんとかなるのであればよかったのだ。

「そう言ってくれるなら嬉しい」ビルは言う。サムを一度にらみつけてから。「では掴まれ。ここを一気に駆け抜ける」

「こいつらはここらを根城にするごろつきたちだ」トムが言う。「人をよくさらい、食い扶持にしている森の侵略者だ。だがなぜか最近はおとなしかったから君にも特に注意するようにはいわなかったのだが―どうやら見当が外れたらしい。すまない」

「いいんだ。悪いのはこいつらなんだから。―でもそうなると、こいつらもそれなりに土地勘がありそうだ。ちゃんと抜け出せそうかい?」

 僕はちょっと意地悪く言ってみた。こんな状況で言えたことに自分でもちょっと驚いた。

「言うな、友よ」ビルが言う。ちょっと笑ったようなしぐさもした。「なに、こんなやつらの遅れは取らん―すぐにこいつらの姿は見えなくなる」

「改めて、上に乗ってしっかりと掴まるんだ」トムが続ける。「振り落とされないように、しっかりと」

 僕は言うとおりにしっかりとトムの上に乗り、その毛にしっかりとしがみついた。トムにしたのは、なんだか一番乗り心地がよさそうだったからだ。

 その様子を見て、カイ老人は不意に立ち上がる。そしておもむろに拍手をし始めた。

「素晴らしい。とてもいいものを見させていただきました。「動物との会話」ですかな?実に素晴らしい―して、ここを抜け出せるお話し合いは済みましたかな?」

 老人はキセルを構える。ちょっと悠長に話こみすぎたようだ。男たちは多数が平静を取り戻し、老人の合図を待っている。

「むろん簡単には出させませぬ。仕事ですからな。―行け」

 そういってキセルを高く掲げる。どうやらそれが合図のようだった。

 男たちが怒声を上げて迫ってくる。距離はそれほどない。

「―行くぞ!」

 それにビルは即座に反応した。彼は正面を突っ切り、ごろつきたちをなぎ倒していく。次々と襲い掛かるクワや鎌を器用にいなし、先陣を進んでいく。トム、サムもそれに続く。周りの風景が矢のように飛んでいく。

 そこからの記憶は断片的だ。男たちの悲鳴、カイ老人の荒ぶった声、サムの叫び声―。

 とにかく、ごろつきたちはトムたちのスピードに追い付くことはできなかった。徐々に彼らの姿は消え、僕たちは森の中に逃げ込むことができた。

 あとはこれから、彼らの案内で森を抜けるだけだ―。


 まず異変に気付いたのはサムだった。

「おい、おかしいぞ。なぜまだ森を抜けられない!」

「ああ、確かに変だ」ビルもそれに同意した。「この道を行けば抜けられるはずなのだが―、一向にたどり着かん」

 彼らは最短距離で―それこそけもの道を使って―森を駆け抜けてくれていた。今は追っ手も見えないということで、少し開けたところで腰を落ち着かせていた。

 しかし10分は経とうかというのに、未だに出口にたどり着けていなかった。

「どういうことだ―我々が道を間違えるはずは!」サムが絶叫する。ほとんどヒステリーに陥りそうな勢いだ。

「落ち着け、我々が取り乱してどうする」トムが言う。「だが確かに、まだ抜けることができないというのは―」

「これが落ち着いて―あの人間たちはまだ追ってくるぞ!」サムは言う。いよいよおびえたような響きも入ってきた。「こんなところで立ち止まっているわけには―」

 そう言いかけたところで、サムははっとしたような顔をした(ように見えた)。そしてトムの上に乗っている僕を見て、言った。

「そういえばヒトよ、あの時老人とともに森の中でいたのはどうしてだ?」

「立ち止まっていた?」僕は思わず聞き返した。確かに「家」はなかったようだが、かなりの距離を歩いた感触はある。

「ああ、お前たちは確かに立ち止まっていた」サムが言う。「お前たちは老人に会い4,5歩進んだあと、さっきまでいた開けた場所で急に立ち止まった。老人も一緒にだ。そして徐々にその周りへとごろつきたちが集まってきて、十分な数が集まったところでお前は特に抵抗することもなく縄で縛られていた。そしてお前が動いた時にはあの様だ。そして我々がお前の助けに応じて飛び出した」

「私もそれは見ていた」トムが続く。「しかも、「立ち止まり」は我々が潜んでいる間にも何度かあった。お前たちが「けもの道」を進んでいるときも。その時は一瞬だったから、それほど気にしていなかったのだが―」

 それを聞いて、僕は混乱する。立ち止まっていただって?

 いや、それよりも。

「―そんな状況でも、君たちは助けてくれなかったのか??」

「ああ、呼ばれなかったからな」サムは偉そうに言った。

 いやでも―

 ―言いかけて、やめた。ここで怒っていてもしょうがない。逆に今は貴重な情報が得られたことを喜ぶべきだ。

 そうすると、その「立ち止まり」が何らかの「奇蹟」とかかわっているのだろうか。

「―どうやら単純な幻じゃなかったみたいね」ここまでの話を受けて姉さんは言う。緊迫した声だ。これまでの逃避行の間はずっと黙っていた。あまり速いスピードになれていないようだ。

 姉さんはゆっくりと語る。

「私たちは立ち止まっていた―けれどそれに気づくことはできなかった。体は確かに動いていたし、間違いなく家に入っていた。でもその家も、私たちの目の前から消えてしまった。体験はすべて無に帰した。まるで―」

「―

 僕は姉さんをさえぎるように口にした。

 つまり、僕たちは立ちながらのか。

「にわかには信じがたいけど―でも、それなら」

「ええ、私のかも。でもそうなると―」

 姉さんは、そこで一度口をつぐむ。姉さんの顔が一層厳しくなった。

「私たちは今も夢を見ているかもしれない」

 姉さんがそう言った瞬間、ビルの悲鳴が上がった。

「ボス!」サムが叫ぶ。トムは僕たちに気を遣いながらもビルに駆け寄る。

 ビルのほうを見る。その足元の近くには、。そのクワが、ビルの足を貫いている。

 サムがその手に襲い掛かる。その手は振り払われ、すぐに消えた。

 同時に、僕たちの周りの風景がゆがみ始める。今まで森であった場所の輪郭がぼやけてきた。

「これは―」

 トムが周囲を見て、困惑する。サムはビルに夢中で気づけていない。

「夢だと疑い始めたから、空間が形をたもってられなくなってきているんだわ!」姉さんが叫ぶ。「現実にあるはずの「手」を認識できたのもそのせい―まずい、周りで大勢の「意識」が集まりだしてる!」

「姉さん、場所は!」僕も大声で叫ぶ。下のトムが驚いたような表情を見せる。

「今「手」があった場所、だから―」

「―サム、、ボスの背後につっこめ!」

 僕は勝手につけたあだ名だということも忘れて、サムに向かって叫んだ。

 だが何とかわかってくれたようで、サムは無我夢中でビルの後ろに向かって突進した。

 そしてという音がしたかのように、周囲の森が姿を消していった。

 「現実の」光景があらわになったときには、またごろつきたちが多く集まってきていた。そのまま突っ込んでいったサムも、いきなりの変化に戸惑ったのか男たちに取り押さえられてしまっている。

 目の前にいたのは、やはりカイ老人だった。

 しかし彼は「奇蹟」を持っていない。眼の色がそう告げている。

「―お見事ですな。よくぞ見破られたものだ」老人はまた拍手をしている。とてもとてもうれしいというような表情をしながら。「やはり、私の目は正しかった!流石にここまで来られたことだけはある。そうでなくては面白くない―」

「―僕はちっとも面白くないな」僕はビルを一瞥してから言う。「誰がやっているんだ?」

 老人はそれを聞いて笑う。クツ、クツ、クツという、あの奇妙な笑い方だ。

「それはさほど重要な話ではありませんなあ―それをきいてもどうしようもない」老人は言う。「重要なのはこの状況!ご自身がどうなっていたかを見破られたところで、不利な状況は変わっていない!」

 ひとしきり叫んだあと、老人はふと神妙な顔になり、言う。

「けれど、それだけではないのでしょう?あなたにはあるはずだ」

 僕と姉さんはそれを聞いて、一転して剣呑さを強く感じ始めていた。

 そして同時にこう思う。

 こいつはどこまで知っている?

「初めて見たときには驚きました―まさかそんなことがあるとは!」老人はほとんど陶酔しきった表情で言う。「何かコンタクトで隠しているようですが、儂の目は欺けませぬ。その奥にあるもう一つの輝きを―!」

 ―僕は、無言でトムから降りた。



 ヒトが神を信じてから「奇蹟」は起こった。しかしそれは現象としてだけではない。いままでの科学では説明のできないような人の能力として発生するという例も生まれたのだ。

 奇蹟に目覚めた人間の共通点は二つ。一つは信仰心がさらに強まり、神さまのために力を尽くすこと。

 もう一つは、その瞳の色がその人種ではありえない色に変化すること。

 今僕の目は緑色に輝いている。「動物との意思疎通」、それが僕の「奇蹟」ということになる。

 しかし、輝いているのは左目だけ。コンタクトで隠した右目は、白くきらめていている。

 そして、



 トムから降りた僕は、ゆっくりと右目に手をかけてコンタクトを外し、白く輝いているはずの眼をあらわにした。

「友よ―これはいったい?」

 トムは困惑したように言う。

 僕はちょっと振り向いて笑みを見せた後、すぐに老人に向き直った。

「―姉さん、あとはお願いした方がいいみたいだ」

 僕は、姉さんに向かって言う。もう人目をはばかる余裕はなかった。

「ええ、むしろちょうどいいものね」

 姉さんも同意する。自信に満ち溢れたようなその声に、僕は少し心配になる。

 だが僕は少しかぶりを振って、まっすぐに老人を見る。

「―じいさん、そんなに見たきゃ見せてやるよ―」

 そういって、は静かに目を閉じた。



 そしては、ゆっくりと目を開いた。

 周囲の人間たちが驚いているのがわかる。熊―トムのほうを見る。もう彼の言葉はわからない。けれど、彼が驚いた表情をしていることは何となくわかった。

 それはそうだ。今までだった人間が、に変わっているのだから。

 老人はもはや拍手すらも忘れて、こちらに見入っている。

「これは―まさか―」

 また何か言おうとしている。

 あまりうるさくなるのも嫌だったので、老人の腕を素早くつかんでその「意識」を切った。

 そしてすぐさま、老人はその場に倒れた。糸の切れた人形のように。

 周囲の動揺が伝わってくる。―頭が痛い。

「ほどほどにね、姉さん」

 私の中のコウが忠告してくれる。心配そうな声だ。

 ええ、大丈夫。わかってるわよ。





 ― 一つの体に二つの魂を載せるには、あまりに荷が重すぎる。

 だから、私たちは神様にあわなければいけない。

 神様が7年前に合わせた魂を、もう一度元に戻してもらうために。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神話、あるいはたちの悪い噂話 @w2c

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ