6-2


 巨大樹の根元にある憩い場に着くと、マンタとユイナが対面に腰掛けて俯いていた。

「何をふたりして顔を赤くしてるの?」

 ユイナが驚くのも無理はない。付き合いたての恋人同士でもここまでまごまごなどしない。

「えっと、お互いに書けたところまで読み合いをしてたんだ」

 二人の手の中にあるのは黒が映える表紙の本。どちらにもワールドクリエイター5と刻まれている。

「やっぱり自分の書いた物語を読まれるのって恥ずかしいよね」

「それもあるんだけど……」

 エミが歯切れ悪く言葉を濁すもんだから、不思議がって本を取りあげる。恨めしそう「あっ……」と息を漏らすが、抵抗まではしなかった。

 足をもじもじとくねらせて落ち着かない。

 つまりはマンタが書いた物語。

 中身を読まずとも、楽しみでならない。二人の反応を伺うべく、あえて仰々しく一ページ目を開く。

 マンタらしい均整のとれた読みやすい文字が並んでいる。章名は「君と出会えて」。

 冒頭は「僕は彼女から視線を逸らすことができなかった。いつか君と目が合うんじゃないか。淡い期待を抱いてちっぽけな勇気を振り絞った」だ。

 一言一句漏らさずゆっくりと読み進めていく。マンタはずっと俯いたまま。頬が紅潮し、恥ずかしそうに肩をすぼめている。

「……おいマンタ」

「なんでしょう……」

 感想を言う前からマンタの体が震えている。敬語を使われたのも初めて。だが俺にはマンタの挙動の理由が恐ろしく理解できた。

「マンタが純愛を描くとなんか気持ち悪いな」

「っ~!」

 マンタの顔が焼いた鉄より赤く染まる。その正面ではエミがテーブルへ顔を突っ伏した。

「しかもこれ、モデルはどう考えてもエミとマンタだろ」

 マンタは椅子を鳴らして立ち上がると「そそそ、そんなことない!」と声を大にした。しかしエミが物悲しそうな顔をした途端「嘘だ! これは僕とエミだ!」と半ば錯乱したように支離滅裂な言葉を吐き出す。

 ないがしろにしてきた二人の時間をこれ見よがしに埋めている。

 今は惚気を見ているのは心地よい。あの時とはずいぶんと感じ方が違った。

 何が違うのだろうか。

 先があるから?

 だとしたら腑抜けだ。山も谷もない物語など退屈で極まりない。ならばなぜ心地が良いのか。

「そういうナルはどうなのさ。原作者だろ」

「その言い方はよせよ。自分でもびっくりしてるんだ。まさか五巻があるなんて」

「白紙だったけどね」

 俺たちは皆んなで話合って、ワールドクリエイターの続きを書こうと決めた。物語なんて書いたことがなく、何をどうして良いのかも分からず、皆んな好き勝手に思い思いの物語を書き連ねる。

 奇しくも俺だけが全く筆が進まずにいた。

「もうナルには書きたいことがないのかなぁ?」

「本当は四巻で終わらせるつもりだったんだもんね」

「ナルが書いたら真っ先に僕が読んで笑ってやる……」

 言いたい放題言われるが、何も言い返せない。

 本当に俺はこの先の物語をどう描けば良いのか。俺にはまだ書きたいことがあるのだろうか。自分でも分からない。

 ただひとつ確かなことは書き足りないからここにいるということ。

「私は大地で暮らす人たちの物語を書きたい」

 ホワイトキャンパスから戻ってきた後、ユイナは飛べなくなった。理由は分からない。きっと以前に比べたら不自由になったに違いない。

 しかし悲観することはなかった。汗水を垂らして歩くことを今まで以上に楽しんでいる。

 堂々と歩く姿は大空を飛んでいる時と何ら変わらない。

 結局、ユイナが空を自由に飛ぶ姿は最後まで拝むことはできなかった。

 少し心残り。とはユイナには絶対に言えないけど。

「私は生きてるってことを書きたいな。体と心の痛みの表現」

「さすがエミ。テーマがしっかりしてるね」

 マンタが盲目的に絶賛するが、エミにはこけにされたようにしか聞こえなかったらしい。不満そうに上まぶたを下げ、マンタのお腹を叩く。

 見事にみぞおちを直撃したらしく、ひ弱なエミのげんこつにも息を詰まらせた。噎せながら「エミ、入った……」と腹を抱えてうずくまるが、エミは「私はもう治せないんだから気をつけてよね」と、ついとそっぽを向いた。

 ユイナと同じく、エミの治癒能力もまるで初めから存在しなかったみたいに失われた。その事実が知れると、エボルト中で話題になった。当然だ。エミの能力の損失は命の危機にも関わる。種族間でのエミ争奪戦は潔いほどなくなった。

 それはそれで少し遺憾でならない。しかしエミは「みんなの役に立てなくなったのは残念」と真摯に事実を受け止めていた。

 口には出さずとも無感情でいられるはずがない。そんな時にエミの支えになったのがマンタだった。

 マンタには……元々何もない。人生で誰にも期待をされずに生きてきた。だから何が苦しくて、無能が何を欲するか知っていた。

 マンタは何も言わずにずっとエミのそばに居続けた。少しずつエミの気落ちを和らげた。

 マンタらしからぬ粋な振る舞いにそれはそれで腹ただしい。

「見てろ。今にえげつない名作を作り上げてやる」

「それはやめてほしいな。刺激が強すぎそう」

「世界の破滅だね」

 当たり前だ。俺はこの世界に刺激を求めてる。

「刺激がなくなった時が、俺が終わる時だ」

 真面目な口調で言うと、ユイナに不意打ちでふくらはぎ辺りを蹴られた。歩くことが増えたからだろうか。スカートから覗く脚に以前より健康的な張りが出た気がする。

 なぜ蹴られたのかは分からないが、ユイナはもっと蹴りたそうに口端を持ち上げていた。

 嬉しそうなユイナは見ていると、いくらか胸の奥のしこりが取れた気がする。

 本当はいくつか構想はある。だが形にするのがこっ恥ずかしかった

「ナルどうしたの? 不機嫌そうだけど」

 空が青い。結局俺が見たかった景色はもう二度と見ることはないのだろう。見る必要もない。

 楽しそうに地面を蹴るユイナは笑っている。

 俺の視線に気がついたのか、不思議そうに目をぱちくりさせた。

 俺は静かに目を閉じ、ユイナの居ない世界にしばし入り込んだ。

 視界は暗い。が、陽光はまぶたの裏に透けてほのかに赤みを帯びる。見えずともマンタやユイナが俺の行動を訝しんで小馬鹿にしているのが聞こえる。絶対に殴る。

 俺は暗闇を十分に味わってからまた目を開けた。

 さっきと変わらない光景。

 まだユイナは俺を見ているが、何を言わない俺に苛立ったのか、眉根を寄せて口をへの字にした。

「変な顔だな」

 ユイナは顔を赤くして俺の肩を叩いた。痛くもかゆくもない。むしろ少し心地良い。

 目の前の景色が全てだった。

 くだらない戯言で内輪話するこの場所。

 とりあえず俺はマンタの尻を蹴飛ばして鬱憤うっぷんを晴らした。


 ワールドクリエイター

 著者 不明

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ワールドクリエイター たなちゅう @tanachu

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