終章 続き

6-1


 陽射しが眩しい。

 まぶたを上げると、青空が広がっていた。

「あれ……?」

 自分がどこにいるのか思い出せない。顔を横へ向けると草花がそよ風に揺られている。時折り頬を撫でてむず痒い。

「寝ちゃってたんだ」

 身体の節々が痛い。草原とはいえ地面に寝そべったせいで体がすっかり固まっていた。

「そっか、これ読んでたんだった」

 脇に置いてある古びた本に目をやる。変なふうに閉じたせいか、一部のページが折れていた。

 題名は「ワールドクリエイター」

「おかしいな」

 両手の開閉を繰り返す。肌色を覆う輪郭、無造作に刻まれた皺。そして幾度となく剣を振るってできた血まめ。

 摩ってみれば当然硬い。

「緑だ」

 周りを見渡すとあたり一面の草原。後ろを振り返ると、草原の切れ目の向こうは荒野。さらに向こうには雑木林と土路がひとつ伸びている。

 エボルトの里へ続く道。俺が生まれ育って慣れ親しんだ光景。

「なんか、頭がもやもやする」

 地面へ置かれたワールドクリエイターへ手を伸ばすと、俺はまたパラパラとページを捲り始めた。

「あれ……?」

 すぐに違和感に気がつく。

「白紙だ」

 最後まで捲っても白紙。結局その本には一文字も刻まれてはいなかった。

 自分の記憶をゆっくりと辿っていく。

「確かこの草原は断崖絶壁で……」

 もうずいぶんと長い夢を見ていた心地。始まりから記憶を辿る必要もないのに、丁寧に順序立てていく。

 思いだせば思い出すほど今の長閑な光景とは懸け離れた世界。もっと激情的で、最後はあっけない。

 自分アルの物語は幕を下ろした。はず。

 雲の流れは早く、目で追っているはずなのにいつの間にか見失う。形を留めず青空に溶け込むように消えていった。

 空は地上よりも風が強いのだろう。

 気持ち良い快晴の空をしばしぼんやりと見つめる。

「ナル、調子はどう?」

「え、あ」

 突然の呼びかけで声の方へ顔を向ける。馴染みのあるが気兼ねのない声。そよ風の似合う金色の長い髪。空を映したみたいな薄青色の瞳。

 もうずいぶんと顔を見ていない気がした。

「ユイナ……。だからこそこそ近づくのはやめろって」

 長丈の衣をなびかせ、いつの間にかユイナが隣に立っていた。

「この調子じゃ全然だね。私はもう半分くらい書けたよ」

 書けた? 何を?

「本を書くのって難しいね。途中から勢いになっちゃうし」

 思い出した。みんなで物語を書こうという話になったんだ。

「家じゃお父さんがいるから集中できないって言ってここに来たんでしょ。昼寝をして全部忘れちゃったの?」

 記憶が徐々に鮮明になっていく。

 ユイナは呆れた湿っぽい視線を送り、ため息をついた。

「自分だけ書かないとかはなしだからね」

 右手に持った白紙の本へ目を向ける。

 題名はワールドクリエイター。その脇に5と刻まれていた。

「私たちの物語は続いてるんだよ。ちゃんと生きなきゃ」

 薄青色の瞳が凛とこちらへ向く。

 空を映し出したみたいな瞳で見つめられると、自然と背筋が伸びる。

「続けたのはナルなんだからね。責任持ってよ?」

 今度はついと視線を逸らし、遠くの空を見つめる。ユイナの視線の先には真っ白な雲がひとつ浮かんでいた。

 不適切な表現かもしれないがやたらと濃い白色な気がした。

「戻ろ。エミとマンタにも嘘つかないで情けない報告するんだから」

 ユイナが踵を返すと、顎でエボルトの方を刺して俺を急かす。

「いこ」

 意気揚々としている割には自分から歩き出さず、俺を待っていた。俺が一歩目を出すと、測ったように歩調を合わせる。

 ユイナの歩調は軽く、気分よさそうに弾んでいた。


 西の崖から巨大樹へ向かう途中で、子供たちが無邪気に騒ぐ姿が目についた。

「あれは火の民?」

「みたいだね」

 広場で焚き火にもならない炎を灯し「できたー!」などとはしゃいでいる。

「なんか、ナッシュがいた村の子供たちを見てるからだいぶ違和感を覚えるな」

「あの子たちはみんな火力がすごかったからね」

 岩山の村で出会った炎の種族に到底及ばない。同い年くらいの子でも戦闘に使える火力を誇っていただけに、比べるのもおこがましい。

 もし火の民の価値を火力で判断するなら、そこには差別にも似た大きな隔たりがあるだろう。

 俺は子供たちが楽しげに遊んでいるのを見て、どこか複雑な気分になった。

「ナッシュがエボルトに来た時にね、色々と世話をしてくれたんだよ」

「ナッシュが? 火の民を?」

「うん、もう火の民の子供たちからすごい人気者になって。大人たちからは『神が参られた!』って大騒ぎ。どこにいても人気者だった」

「そっか……」

 あの性悪男が。と口にするとユイナに「嫉妬?」と失笑された。

「まだ能力に目覚めてない子にもコツを教えてあげたり、自分が住んでいた村の人たちと比べることも全然なかった。むしろ話題にも出さなかった。ちょっと尊敬しちゃった」

「俺だってあれくらい」

「できないでしょ」

 食い気味に遮られる。口ごもっているとまたくすくすと笑われる。なんとなく面白くない。

「あ、ユイナおねーちゃーん!」

 不機嫌そうに歩調を早めようとすると、広場で遊んでいる子供たちがこちらへ寄ってきた。どうやらユイナが目当てらしい。

「ユイナは種族に関係なく人気者だな。俺と違って」

「うん」

 ユイナは軽快に頷くと、走ってくる子供たちに歩み寄る。俺に対する扱いは相変わらず非道い。子供たちの目の前ではずかしめるエピソードがないか思考を巡らせる。

 しかし、ユイナの失敗談などあまり思い浮かばず、苦虫を噛み潰した。

「ユイナお姉ちゃん。ナッシュはどこにいるー? 僕ね、ナッシュに教わった通り練習したら火が出せるようになったんだよー!」

 前歯の欠けた男の子がユイナのスカートの裾を掴んで嬉しそうに笑顔を見せた。他の子供もユイナの袖やらスカートを掴み「ナッシュはー?」とせがむ。

「ごめんね。ナッシュは今エボルトにはいないんだ」

「えー! どこ行ったの? また来る? 僕、今度ナッシュが来たら、勝負を挑むんだっ。そして僕は師匠を越えていく。そしてこれからは僕がエボルトの里を守るんだっ」

 鼻を鳴らして胸を張る姿に一点の曇りもない。

 ユイナは少し嬉しそうにはにかみながら「ナッシュに笑われないように特訓だね」と男の子の頭をくしゃりと撫でた。

「行こっか。マンタとエミも待ってるし」

「またねー!」と大きく手を振る子供たちに、ユイナは小さく手を振り返す。

「ナッシュの奴、やっぱり気に食わないな」

「きっとナルは一生ナッシュに勝てないね」

 エボルトにまで自分の意志を引き継いでいる。言葉にしなくても逞しい背中が生き様を示していたのだろう。

 俺は「うるせえ」とがさつに答えると、ユイナの一歩前を少し歩調を早めて歩いた。無性に何かしたい衝動に駆り立てられるが、触発されたと思われるのは癪だった。

「恋にライバルは必要なんだよ」

 今はエボルトにいなくても、俺の物語の構想にナッシュはどう考えても登場する。傍に抱えた白紙のワールドクリエイターが早く綴れと急かしているように思えた。

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