もう君の声は聞こえない
それは三千年以上前のことらしい。
もうおぼろげにしか覚えていない。
俺は何であったのか。俺は何のために存在を選んだのか。
すべてを喰らい吸収し、もう、何が本当なのかすらわからない。
引っかかる、引っかかる。
それでも衝動に突き動かされながら、忘れて、忘れて。
とうに壊れているのかもしれない。
アスカの帝国はもうない。今の世界などどうでもよかった。
あのひとさえ、いない。家族さえ、いない。友達さえ、いない。
失ったものは戻らない。
聞こえていたはずの声が聞こえない。
皆はどこへ行ってしまったのだろう。
皆? 皆とは一体誰だというのだ。
第六章十五条・紫姓。あいつはどうにも気に入らない。
なので監視する。そしてセーブする。
しかし所詮やることは同じ。
彼は、喰らうもの。
存在するために、必要だから。
踏み入れてはいけない領域に、侵入などできないはずなのに、あの二人はいったいどうやったというのだろう。
彼がひた隠しにしているのは、少し周りと思うところが違った。【あれ】が守られるべきとは思わない。無条件に同族はあれの秘匿・守護を刷り込まれているようだが、何か自分の中では違った。
何にしろ、『誰にも』知られたくないことだった。
あそこには、【それ】もいるのだから。
忘れていること、覚えていないこと、思い出せないこと、きっとそれは大切なことで。
今流されている自分に違和感を覚える。
だけど、存在するためには糧が要る。
「
それは普通目にしない者だった。
第二巻一条・
相変わらず何の脈絡もなく何の感情もなくそれは現れ、爪痕を残す。
『近々思い出す時が来る』
彼女は歪な響きの声で告げると拡散するように消えていった。
やつが出てくるとろくなことがない。
彼は嘆息した。
人を喜ばせることは存外に大変なことである。
糧は、感情の高ぶった人間の魂。
そのもっとも単純な引き出し方が、苦痛・恐怖・恐れなどの負のベクトルのもの。
だから紫姓が後者に傾倒するのはしかたがないことなのかもしれないが、やはり自分には合っていない。
──だがついつい世話を焼いてしまう。理由は、事象を最小限にしたかったからだろうとぼんやりと思う。
何故こうも自分は甘いのか。
彼らの存在理由は敵対勢力の掃討。
──何をためらうことがある?
「真理のシン……! 返せ、返せ返せ返せ!!!」
その赤色の少年は繰り返し叫ぶ。
できれば今は会いたくなかったが、居場所を突き止められた。最上位として情けない。
「無理な相談だ。もう、捧げた」
「……ああ! ああああああああ!」
それはかくかくと不自然な動きをしてうずくまる。
何をこだわっているというのか。
あんな顔くらいどうでもなりそうなものだ。
「僕は何で満たせばいい! このベクトルを、何に向ければいい!」
そうとう怒っているらしい。
「……自分で見つけろ」
少しイライラしながらつっぱねてその場を去る。
背後で紫姓の咆哮がこだましていた。
──この後、紫姓に任されたモノと自分に任されたコトに、シンは抱いてはいけない何かを思った。
けれど────忘れた。
六年が経つ。
すっかり忘れていた。
捧げたものが育ったのに、潰された。
いったい誰が潰したのだ。
気になって追う。
それらはまだ、付近に居た。
結晶化したそれらを眺めて、一様に肩を落としている。
「本当に、何もできないの?」
リリアは焦燥を隠せない。
フィレンは押し黙っている。
サラはシオンの腕に支えられながら、ぼんやりとした意識のままやっとのことで立っていた。
「これじゃあサラは……!」
リリアがもどかしそうに言って頭を振った。
「治らないのは、六年前に千里眼の預言者が告げたことです」
サラは意外にはっきりした口調で断言した。
「あの人の言葉は、信用に値します」
ぼんやりとその少女を眺めて──シンは。
「※○▼%……」
今では使われていない言語を口にした。
「何?!」
リリアが警戒露わに振り返る。
そこにはずたぼろの軍服のようなものを着た、人ではないものがいた。
短いねじれた二本の角、黒い髪、眼球が黒く虹彩が緑色。手足が異様に長く爪がひどく長い。からすのような翼を今は折りたたんで、そこに呆然と立っていた。
「まぞ……く……!」
サラが顔をしかめる。
「なんだと」
フィレンは鋭い目つきで森を睨みつけた。
「※○▼%……」
真理のシンは繰り返す。
もはや、彼女しか見えていない。
「?!」
その魔族の行動はまったく目で追うことができなかった。
少しも目を話していないのに、シオンの腕からサラが消えている。
かわりに、その異形の者の手の内に。
「なんなの、あんたは!」
リリアが叫ぶが真理の森は聞いていない。
「※○▼%……」
ただそう繰り返し、長い爪でサラの輪郭をなぞる。
「そうか、ここにいたんだな」
どうりで、声がきこえないはずだった。
そうだ、思い出した。
皆、俺を止めようとしてくれていたのだ。
けれど、俺は────。
「ぐっ……」
真理の森は苦悩する。
「……いつか、元に、戻ってみせる」
それだけのために、存在し続けるのを選んだのだ。
ああ、そうだったのだ。
そして───。
真理のシンはそっとサラに口付ける。
彼女はぼんやりとした意識の中でも、理不尽な行いをされていることにもがく。
他の者たちはぽかんとするしかなかった。
唇を離し、焦点の定まらない彼女の目を見つめる。
「それまで、待っていて」
そして彼は、自分が捧げたものが彼女の大切な人たちだと知るのだった。
第一巻一条の物語 千里亭希遊 @syl8pb313
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