抱く痛みは生きる意地
ちらちらと炎が揺れる。
夕食時だというのに、誰一人口を開くものはいない。
ただ淡々と、非常食の包装を解き、口へ持っていくのみの食事。
また明日も、尽きることのない怪物の群れに挑み続けるための、栄養を体内に貯めるためだけの、食事――。
「木ノ崎、ちゃんと、食え」
同僚の呼びかけにも、彼は応えない。テントの隅で二本の軍刀を抱えたまま、ぼんやりと縮こまっている。
「……放っておいてやれ。町田が目の前で喰われてんだ」
一人が彼に聞こえないよう彼に耳打ちすると、それでもういよいよその場でしゃべるものはいなくなった。
誰もが、彼ら二人が誰よりも仲の良い親友だったことを知っていた。
その景色は、ただ黒かった。
時折ちらちらと舞うものは、雪のようだが色が赤い――火の粉である。
黒と赤というコントラストに何やら穏やかではない感情を起こされて、彼はいつの間にか焦り始めていた。
その感覚を裏付けるかのように、突然その黒い世界の中に小さな白い影が現れる。
―――花耶!?
それは彼にとって一番大切だった人。大声で呼んだつもりだったのに、彼の声は音になっていなかった。
白い影は青白く浮かび上がるその顔に恐怖の色を浮かべて、一生懸命闇の中を走って行く。
彼はどうしてもその影に手を差し伸べることができなかった。
そうしたはずなのに、その場に自分の行動が現れることがない……。
彼は途方にくれて立ちつくした――いや、視点が彼に合わせて停止することはなかった。
彼の視界は、相変わらず白い薄着の花耶の姿を中心に捉え続けている。
そのうちに突然彼女の周りの地面が爆ぜたかと思うと、白い影はのけぞって……火の粉とは違う赤が散った。
ゆっくりと、彼女は地面に沈んでいった。白い姿が、その残酷な赤に染まっていく。
うわぁああああああ!
彼は叫んで、そして気づいた。
あぁ、俺はあの場に居ることができなかったんだ……。
一人薄汚れた天井を見つめる。薄っぺらな布団を押しのけて上体を起こす。周囲はまだまだ暗いまま。
仲間たちの寝息や鼾を耳に入れて、彼は再び布団に身を沈めた。すでに眠気など弾け飛んでいた。
その夜、彼はキャンプから姿を消した。
そこはもとは人が住み、栄えていた大都市の痕だというのに、化け物駆除のために大量の爆弾が投下されたことが原因か、それとも化け物たちが何かしたのか、今は瓦礫すらまばらな荒野と成り果てていた。
この地点に怪物がたむろし続けているということで、帝国軍の中の三つの精鋭部隊が派遣されていたが、相手の数が減る前に、こちらの数が激減していた。
そう、敵はいつまでもいつまでも消えなかった。倒しても倒しても出てくる。奴らは無限か? 皆疲労の色を濃くしていた。
この隊がこの場に配置されてはや一週間強。何故だか武器弾薬食料等の補給すら途絶え、他との連絡もつかなくなっていた。そのため彼らが使える武器は、ほとんどその鍛えられた強靭な体と、何故か今時支給されていた近代的ではない軍刀だけだった。
そんな頼りない単なる刀でも、何の道具も持たない化け物相手には充分通用する。ただ、まだ弾薬を切らす前よりこちらの犠牲は多くなっていた。
────ぎゃぁあああああああああ!
あの、底の見えない恐怖を持った断末魔の悲鳴が、耳の奥にこびりついて離れない。
化け物の口の中に今にも飲み込まれようとしていた首の、瞳が脳裏に灼きついて忘れられない。
洋────!
丸呑みにされただけなら、まだ助かると思った。けれど胎を裂いてみても、零れ出てきたのは親友の、残骸──。
コロリ、と、血まみれの何かが転がって──彼はそれと目が合った。
そうだ、妹だって両親だって、みんなめちゃくちゃにされて食べられていた。
助かるかもしれないなどと考えたのは、甘かったのだ。
俺は何故離れた! 二人で一緒にいれば、あんなことには……!
それは単なる驕りでしかないのかもしれない。けれど彼には今、そうやって自虐することしかできなかった。
まただ! これで何回目だ!? 親も、妹も、妻も、親友も! 誰一人守ることなんてできなかった!!
「…………オオおおおおおおおおおお……っ……」
荒野に響くのは、悲痛な慟哭――
「────出て来いクソども!! 駆除したるァ!!」
キャンプ地から数キロ離れた戦場で、ジープを乗り捨て、彼はただがむしゃらに走っていた。
ここへ来れば絶対に奴らは出てくる。
敵の数が一向に減らない。それはいつここへ来てもいるからそう感じるのだった。
──もしかしたら、夜の間に増えてるのかもしれない。
夜の間というよりも、倒しても倒しても、後ろからどんどん送り込まれているのかもしれない──……
何故かなど分からないが、今までに化け物たちはキャンプまで人間たちを追ってきたことはない。そのためか、軍は大体一日で撤退し、翌朝またやってくるという単調な行動を繰り返していた。彼らのアスカ帝国は、世界全体がトチ狂うまで、戦争をしたことのなかった国だ。いくら援軍も来ないまま全滅するわけにはいかないからとはいえ、考えが甘かったのかもしれない。
そんなことを色々と考えているうちに、やはりレーダーがいくつかの生体反応を捉え始める。
のそり、と視界の隅で何かが動く。
彼はライトをそちらに向けた。──やはり、いる。
そう確信した瞬間に、そいつはもう目の前にいた。
──な……!
速い、と思った瞬間に体が動いていた。
ぎゃんっ!
細い刀が悲鳴を上げる。
「……っは! こちとらあいつの刀も持ってんだ。そう易々とはやられん!」
彼が刀二本で受け止めたそれは太く鋭い爪のようだった。
力任せに押し返して弾くと、相手はいったん飛び退り、間をおかずに再び突進してくる。
がぃん!
月光を反射した二本の白銀の鋼がそれを受け止める。
──っく……何だ? いつもより重い……!
押し負けることはなかったが、押し返すことは困難で、そのままジリジリと二者は睨み合っていた。
『…………く、くくくクククケケケ……にンげん……なぜよルにきた……?』
「――――な!?」
彼は驚きのあまり一瞬鍔迫り合いをしていることを忘れてしまった。
ガツッ!
「ぐぁ!」
その一瞬で競り負けて、彼は簡単に宙に飛び、ザササッと数メートル地を滑った。それでも二本の刀から手を離すことはない。その様子を見て相手は目(のような部位)を細めたようであった。
「クソッ」
直ぐに跳ね起きた彼だったが、そこにはもうそいつがいた。
ギイン!
『……はヤイね…………オモしロい、おもしロい』
ケケケ、と心底楽しそうにそいつは笑う。
「……てめぇ、何故喋れる!」
彼は虫唾がするのを噛み潰しながらそう聞いた。
『し、シらナいのカ?……ワタシたチは、にンゲンを、タベる……タまシイ、じぶンのもの。ワたシ、モとモト、ただのネこ』
「……っ!? 黙れ! ンなクソでけぇ猫がどこにいる!」
彼は叫びながら、渾身の力を込めてそいつを弾き飛ばした。
そいつはふわり、と着地すると、今度は再び飛び掛ってくることなく話し始めた。
『オマエ、わタシたチのなかま、ひルよワい、オそってキテイッぱイコろス。ニんゲン、フいうちシないと、タべれナイ。ケれドよルにはドコにいるのカイなくなってシマう……ワタしタちガひルよワイのシっテイルとおもっタ』
そこまで言うとそいつはもう彼の目の前にいた。
『おマエ、ナゼ、い、イま、キタ? タクさンイろいロおソった、オマえみたいなぶキもったヤつラミツかラナい……ドコにいた?』
「……っらぁ!」
答えることなく真は刀でそいつを薙ぎ払う。しかしひらりとかわされた。間合いが広いものに戻る。
昼は弱い、だと……? 一日で撤退するのはそういう訳だったのか!? いや、意図してのことではないかもしれないが……
真は驚愕の事実を一度に知って混乱していた。
色々襲った、武器を持っているのが見つからない、だと……!? じゃぁ俺たちがここでジタバタしてるうちに、周りは……!!
『ヨルニきタ、おまえ、ツよイかラか?』
何故そんなことを執拗に問うてくるのか。しかし化け物の思考回路などどうなっているか分かったものではないので、そんなことは考えても仕方がないのかもしれない。
「フン、さぁな」
彼にも正直分からなかったのだ。たった一人でこんなところへ来て何ができるというのか。肉親や親友の敵討ちをするためという訳でもないだろう。ただ、胎の内で燃え滾る激情に任せて、突っ走ってきたのである。その激情とは、度を越えた怒りだろうか――。
『オマエ、ツよイ、たベル、わタシも、ツヨい』
「簡単に喰われる訳ねぇだろ!!」
叫んで彼は突進した。
ギャィン!!
二刀の攻撃は、あっさりと爪に止められる。
『………あァ、なカまきた、おモしロイ、なくナる』
「─────な!」
それの言う通り、辺りには言いようもない不吉な気配が幾つも幾つも立ち込めていた。
「がぁあああ!」
彼には既に自分がどういう状況にあるのかもあまり理解できていなかった。
おびただしい数のモノに囲まれ、暫らくは抗したが、さすがに数には勝てない。
何度か意識を失ったのかもしれないが、もう彼には自分に意識があるのかないのかさえ分からなかった。
何故すぐに喰われないのだろう。
もういっそ殺してくれ。
……は、何のために俺はここへ来た?
生きられなくなった奴らの分も生きるって……その意地は守るって誓ってた筈なのに。
────バカだな、ただの。
それがどれくらい続いたのだろうか。
気付けばただ砂の上に彼は転がっていた。
頬の下がざらざらとして痛い。
そう思うと、突然全身が燃えるように痛いことに気がついた。痛くてのた打ち回ることも声を洩らすこともできない。ただ──
──死んでないのか? 俺は……
それだけが純粋に不思議だった。
『お前は、何者だ』
……………………何だ? さっきの奴らよりも言葉が明瞭──言葉、なのか? あれ? 奴ら、いなくなったのか──?
それは直接頭の中に他人の考えが入ってくるような感覚だった。
『お前は、何だ?』
それは再度問うて来た。しかし答えようにも答えられない。入ってくる意思が自分なりに飲み込めているのが不思議なくらい、ただ痛みに支配されていた。
『仕方がないな』
その瞬間、ふわりとした何かが自分の中に流れ込んでくるのが分かった。
それは──力?
暖かなモノに包まれる──。
『どうだ、もう喋れるだろう、お前は何者だ』
「俺は──木ノ崎真一。単なる人間だ。あんな化け物とかじゃない」
どうやら何が起こったのかは分からないが、そばにいる何かに彼は癒されたらしい。まるでゲームである。
『単なる人間なものか。ではあの光は一体何だ』
彼の正直な答えにそいつは不満を洩らす。
「は? 光? 一体何のことやら……」
身を起こして声のする方を見やった彼は絶句した。
うすら白い顔に黒色の髪。整った顔をしてはいるが、額からどう見ても邪悪っぽい捩れた角が二本も生えているのでは全てがぶち壊しである。
しかも目など黒い瞳孔は縦長くおまけに虹彩は銀色をしている。それでなくても全体的に奇ッ怪で、鈎爪のついた鳥のような手と青黒い鱗に覆われた体、そして漆黒の翼と獣の二本足……どう見ても怪しい悪魔である。当然男なのか女なのか分からないし、そういった区別のある生き物かもわからない。そもそも生き物なのか。
「あんたの方が何モンだよ……」
思わず彼は身構えた。幸い刀は洋のものも自分のものも足もとに転がっていた。
『私は自分が何かなど知らん。それよりお前は一体何だ。私の力の色濃い影響下にあるこの地であそこまでの光を出すものなどいるはずがない。弟は私に従順だからな』
「あ? いきなり出てきて何なんだよお前。体治してくれたみたいだからいい奴でも出てきたのかと思えば格好も言ってることも訳分かりゃしねぇ」
『とぼけるな、我が駒ども数百を簡単に消し去っておきながら何を言う』
我が駒──だと!?
となればコレが化け物の親玉──!
「何を言ってるのかさっぱり分からねぇが、俺はお前を許さんというのだけは確かだ」
『ほう……私は知っているぞ? お前の伴侶は人間が殺した。違うか?』
ソレはにやりと口元を吊り上げた。彼は瘡蓋を抉り取られた気がした。
「────ッそうだ! だから何だ! 俺の肉親や親友はお前が殺した!」
『私は人間がこの星を腐らせるから、わざわざ駒どもに力を与え、人間を殺せと言っているだけだ。人間どもが腐ってさえいなければ、私はこんなことはしなかったのだ……まったく、何度滅ぼしても同じように星を腐らせようとすることに変わりがないとは何とも進歩のない生き物だ。しかもどういうわけかいつも完全に滅びない……私は地上を隈なく浄化しているのに……本当にしぶといことだ……だから、今度は自分たちで殺し合いをさせることにしたのだ。その方が効率が良い……』
キュィイイィィイイイイ…………
彼は頭の中に強制的に何かが送り込まれてくるのを感じた。
「……それ、でも……俺は……」
ソウダ、ニンゲンガセカイヲコワサナケレバ、コイツガアバレルコトモナク……
カヤダッテ、キタナイサクリャクノタメニコロサレタ……
タブン、コノマエホロビタらーさっとガヤッタンダ……
クソゥ、コノテデホロボシテヤリタカッタノニ……
ホロボシテヤリタカッタノニ……
「ぁあああああっあうわぁあああああああああああ!」
だめだ! それは違うんだ!!
そんなこと考えたいんじゃない!
そんなこと願いたくなんかない!
俺は、皆のことを忘れないために、ただまともに生き抜いて行きたいだけなんだ!
だめだ! だめ…………だ……ッ……!
『本当に、しぶとい……何故素直に憎しみに身を委ねようとしない? あんなにも人間は汚いのに』
「俺だって、もともとキレイなんぞじゃぁ……ねぇが……お前……汚い人間が厭なんだろう……? 自分で……汚ねぇ人間、作ってどうするんだよ……」
『…………お前などに何が分かる! 例え汚くない人間などがいようとも、その子孫もそうとは限らんのだ!!』
「……ッふわっ!」
ミシミシミシ……
両手の刀が、掌に食い込んでくる。体中が何かザワザワいっている……。
──じゃあ、汚ぇ奴の子孫も汚ぇとは限らねぇってのも同じだろーがッ!!
自分が、壊れる。
意識が、弾けた。
────だめぇええええ!
…………花耶?
彼は最後に、最も大切なものの叫びを聞いた気がした。
空を翔け、地を這い、最早自分が何をしているのかも分からない。ただ、存在しているのは破壊衝動だけ。それだけで動いている。
壊せ、喰らえ、焼き払え、滅ぼせ!!
内にあるものは、たったそれだけ……。
何かの上げる苦痛の悲鳴が、至上の快楽……。
その時が来たのは、いったいあれからどれだけの時が経ってからだったのだろう……。
体が灼かれる……いや、灼かれているのは自分だけではない。世界の全てが、灼き払われていた……。
あぁ、やっと終われる。
やっと、開放されるんだ……。
──ごめんね、結局止めてあげられなかった。
全てを灼きつくす光の中で、彼はまた、あの声を聞いた。
───花耶? そうか……お前はずっと俺の中に……
──あたしだけじゃないよ、みんなずっと、真くんの中にいたの。
──はは、幻覚か? 父さん……母さん……夕奈……洋介……涙花さんまで……。
──勝手に人を幻覚にすんなバーカ! てめぇこの俺を何だと思ってやがる!
──まさか私のこと忘れてんじゃないだろーね!? まで、とは何だい、まで、とは!
──お兄ちゃんのバカッ! 全然気付いてくれないんだもん!!
──夕、やめなさい、お兄ちゃんが悪いんじゃないのよ……。
──いい、いい、言ってやりなさい、真にはいい薬だ。
散々な言われようである。真はさすがに腐った。
おいおいおいおいおい……
やっぱり俺を庇ってくれるのは母さんか花耶だけじゃねぇかよ……
皆、そんな真の様子を見て、にやにやしたり、あははと笑ったりしていた。
──ねぇ、真くん……ちょっと、お話があるの。
そこへ、花耶が神妙な様子でそう切り出してきたので、真は普通に戻ってそちらを見た。
──あのね、あなたの魂を元に戻すのは、とても難しいの……
──ありゃぁ、大魔王みたいなモンらしいからな。お前が克てねぇのもしょうがねぇさ……。
洋がそんなに切なそうな顔をするのも珍しい。
あ? お前ら一体何言って────
真は気付いた。
灰色の肌。刃物のような長い爪。緑の瞳。黒い眼球。鋭く黒い牙。烏のような漆黒の羽。黒い鈎爪のある鳥のような黒い足……。
あぁ、そうだ。これが俺だ。町も人も化け物も何もかも、ここ数日の間に破壊しつくしてきた、この体────
……あはははははははは!
お前らこんな……こんな化け物、怖くねぇのかよ!?
俺…………! なんもかもっ! 壊しまくって……ッ!
いっぱい……殺し……
──やめて、もう、言わないで……
お前を護ることだってできなかった!
──でも、そのことに呑み込まれないでいられたから今こうやって話していられるのよ! あなたがみんなのことを大切に思っていてくれたから、そうやって自分が消えてしまわないで済んだのよ……! あたしたちがこうして真くんの中にいられたのも、あなたがあなたのまま残ってたからなの……!
真は黙り込んだ。
……ねぇ、真くん……
きっと、あなたにはまだやるべきことが残ってる。
きっと……その姿でその心でいるのは……とても辛いことよ……
だけど、あなたは伝えるために残って……
いつかきっと……誰かが…………
あたしたちには、もうここまでしかできない。
だけど……あなたは生きて。
ずっと、生きて……
そして、あたしたちを忘れないでね。
花耶の言葉に、真ははっとして彼女の方を見た。
花耶は笑った。
どんなに姿が変わっても……中身は変わっていないもの。
真くんは真くんだよ。
……もし、自分のしたことを悔いるなら……
あとは自分のできることをこれからやればいい。
……違う?
花耶……? みんな……?
もう、どこか行ってしまうのか……?
彼は心細げに皆に手を伸ばす。
すると、六人は彼に暖かな笑顔を送った。
──いいや、いつだってみんな、お前の中にいる。
彼の父がそう言うと、六人の体が徐々に輝き始めた。
「……みんな……?」
六人は笑顔のまま、あっという間に一つの光の塊になって、真の方へ飛んできて、衝突した────
そのまま、彼の中に吸い込まれるように光は消えた。
視界いっぱいに広がるのは、写真で見るような、この目で見ることは叶わないと思っていた青空だった。
そして辺りに茂るのはまるで何百年も息づいていたような木々。
「……み……ん、な……?」
その姿を探そうとして、彼は自らの胸のうちがほんのりと暖かいことに気が付いた。
………………………………あぁ。
みんなはきっと、俺が根本から変えられてしまって、何も判らなくなっていたときにも、ずっと呼びかけ続けていてくれたんだ。
それは、花耶が言っていたように、俺の思い出の中の皆の残像なのかもしれない。
しかしもしそうだったとしても、皆の存在が俺を元に戻してくれたことに変わりはない……。
────そうだ、みんなは俺の中にいる……
きっとあの時、数百いたという化け物を消してくれたっていうのも、あの六人なんだ……。
暖かさに心安らぎながらも、彼はふと空腹感を覚えた。
「…………くっ……」
そうか……姿まで元に戻らなかったことからも……完全に人間に戻れたわけではないらしい。
喉の渇きと空腹が、また破壊の衝動を連れてくる。
人間の血が欲しい、人間の肉が欲しい、人間の恐怖が欲しい……
しかし。
「……俺は、人間だ」
彼は凛として頭上を見上げた。
雲ひとつない澄んだ空の、どこまでも続く明るい蒼。
そしてその中にただ一点、光輝く命の宝玉……
花耶、俺は生きるよ。
みんなのことを忘れないために。
そしていつか……償えるように。
俺は…………生きるよ。
シンは、口の端はを吊り上げて不敵な笑みを浮かべた。
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