第一巻一条の物語

千里亭希遊

暁に消えた花

(──奇跡だ)

 ヨウは思った。見つけられたことも、まだ息があることも。けれど血を流しすぎている。

「おい! おい! 返事しろ! ばかやろ! 寝たふりすんなって!」

 必死で叫ぶシンの声が聞こえたか、青白い顔のカヤはうっすらと目を開ける。

「……! すぐ医者んとこに連れてってやっから!」




 もう何年も、笑い合ったり、ぶつかり合ったり。

 けれどいつかと、夢に見ていた。

 こうして一緒になれることを。

 そうしてそれが叶ったとき、二人は静かに泣いていた。

 微笑みながら、涙していた。

 絶対に守り抜くのだと、ずっと支え続けるのだと、改めて強く想った。

「……あっちじゃバンバンやってんのに、俺たちこんなに幸せでいいのかな……」

 カヤはあえて構わずに、シンにしがみついた。

「……ずーっと一緒だよ」

「……あぁ、ずっとな」

 シンはカヤの意図を知りながらも、不穏な光を見つめていた。



「……行っちゃうの……?」

「……みんな頑張ってるんだ。俺たちだけみんなの頑張り隠れ蓑にしてぬくぬくしてるとかそりゃ最悪だろ」

「……ううぅ……」

「……決めたんだ。もう何回も言っちまってるけど、お前は俺が守る。ほかのヤツに守らせてちゃ、ただのチキンだ」

「……でも……」

「……ほら、泣くんじゃないって……。絶対帰ってくる。だから、待ってて。……死ぬわけないって! お前いるのに」

「うん、うん……」




 もう誰も暦など気にしてはいなかった。テロによって相手も自らも諸共にすべて消し去ろうとする集団、そしてそれに報復を加えるもの、理由を作って攻撃するもの、報復の報復をする集団…………。

 そうやって人間どうしがいがみあい血を流し合い、認め合うことを忘れ、どれか一つの考えの下に世界をまとめようと争って争って、世界を巻き込む大戦争に到り……そのうち背後には別の敵が現れていた。それは見たことも聞いたこともない存在。何から進化したのかすら分からない。恐ろしいばけもの……人間達は慌てたが、すでに人間どうしの争いで疲弊しきっていて、気付けば生き物はほとんど食べられてしまっていた……。




「きっともうすぐ終わって、シンくん帰ってきてくれる。帰ってきてくれたら終わってなくたってもう行かせないんだから……きっと疲れてるから、いっぱいおいしいもの食べさせてあげるんだ」




「もうだいぶ帰ってねぇんだろ? カミさん淋しがってるだろーに」

「手紙でやりとりはしてるけどなー。……俺だって淋しいから、あいつは絶対そうだろうな……」

「……のろけやがって」

「……しっかしお前んトコのルイさん強ぇなぁ……一緒にあのばけもの何百体撃退したんだ?」

「てめーうちのカミさんゴリラみたいに言うな、かわいいんだぞ!」

「わかってるって! ……あいつどうしてっかなー……」

「帰ってやれよ、たまには」

「今ンなコト言ってらんないだろ? お前んトコの形とは違って傍にはいないけど、俺らはいつも一緒なの」

「っかー! くせぇ! おーい! 誰かこいつ蓋してどっかに埋めに行かねぇ!?」




 まだ暗かった。けれどとんでもない物音で目が覚めた。気がついたら何だか周りがオレンジ色だった。無我夢中で駆け出した。

 何十分も逃げ続けた気がした。人が逃げていく波に乗って、同じ方向に駆けていた。

 その時────

 ─────────────

 音が、消えた。



「おい! おい! 返事しろ! ばかやろ! 寝たふりすんなって!」

 誰かが必死で叫んでいる気がした。

「……! すぐ医者んとこに連れてってやっから!」

 目の前では懐かしい顔が涙でぐちゃぐちゃになっていた。その顔が見えたと思ったら、どんどん大きくなって、しまいには表情も見えなくなった。髪の感触も懐かしい。

 あれ? ……えーっと……シンくん帰って来たんだ?

「しゃべらなくていい、じっとしてて……」

 いいよ、近くに医者なんているはずないもん……

 それに全然痛いとかないよ? 苦しいとかないよ? お医者なんて要らないよ……。

「カヤ? カヤ?」

 なぁに? ……あれ? シンくんどこにいるの……?

「おいって、おい、カヤ、カヤ!」

 あ、近くにいるんだね、何か暗いなぁ……。

「……おかえりなさ……い……あたしずっと待ってたよ……良かったぁ……無事なんだね……」

「しゃべらなくていいって……!」

「なぁに? もう……せ……かく帰って、きたんだから……おしゃべりしよ……」

「カヤ……!」

「あたし、ね……ちゃんとおりょ……り覚えたよ……もうばかにされないんだからねー……何、食べたい? ざい……りょ、は、ないけど、おいしいの、できんだから……」

「……」

 シンくん帰って来たらね、もう行かせないって決めたんだ。誰かにチキンって言われたっていいよ。あたしにとってはそうじゃないもの。だってあたしなんて性別が違うってだけで行かずにいても何も言われないんだよ? ……ずーっと一緒にいよう。どこまでだって逃げて行こう。あたしたち運動部だったからあの化け物たちだって追いつけないって。それに、隠れてたらきっと気付かれないんだから……。

「だい、す……き……ず……とい、しょに、いよ……ね……」

「……あぁ……! ずっと、ずっと一緒にいるんだ……!」

 カヤの顔が、ぎこちなく笑った。そして───

「────────────────!」

 言葉にならない絶叫が、あたりにいつまでも響いていた。



 しばらくして、彼の親友は、そっと彼の肩に手を置いた。

「……ヨウ、すまねぇ、わめいたりして……お前もこの前の襲撃で……」

「いや、気持ちは分かるから……」

「……もう、何が何なんだか分からねぇ……ッ! ……俺、何のために……?」

 二人は黙り込んだ。

 しかしヨウは何か考えて続けていたのだろうか。そのうちふと口を開いた。

「…………誰だって、間違いだなんて言える奴ぁいねぇよ。お前も含めてな……」

 ヨウは自分にもそう言い聞かせているように言った。

 瓦礫でできた地平線から、ゆるゆると生み出された明るさが、周囲に累々と横たわる人体と、悲惨な町並みの姿をはっきりと浮かび上がらせ始めていた。

 ゆらゆらと立ち上る煙と炎。シンはもう動くことのないカヤを抱き、ヨウはルイの遺品に手を触れながら、静かにシンの故郷を後にした。




 もう誰も暦など、気にしてはいない。訳も分からないうちに襲ってきた意味の分からない存在たちとの戦いによる混乱は、破壊を続けようとするモノたちに絶好の機会を与えてしまった。




 そして、すべてはめちゃくちゃになった。

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