二三

「うん。駄目だった。うん。あんなに何度も読んでくれたのに、うん……。最終選考には残ったけれど、え? 諦める? ……そうね。……うん、元気出す、飛田君の声を聞いたから。うん、今度、反省会しようね。あ、それから、今日は佐々先輩に譲るけど、私、諦めないから、小説家も、その、征爾君も……。メリークリスマス」


 小町との電話が終わり僕は家を出た。夕暮れだった。団地の棟から出ると、夕陽と鉢合わせした。彼女は赤い袢纏はんてんを着ていて、両手を袖にしまい、背中を丸めながら寒そうに歩いていた。今からコンビニに行くらしい。


「お、決まってるね。もしかしてデート? ふーん、いよいよ告白かー。うまくいくといいね。んー? ……振られろなんて言うわけないっしょ。そこまで野暮じゃないよ。でも、ま、骨は拾ってやる。そんときは、またデートしようね。今度はお汁粉がいいかな」


 そう言って夕陽は笑った。

 途中まで一緒に歩き、橋のところで別れた。僕は虎子の家に向かった。

 声をかけ、母屋の玄関で待っていると、奥から彼女が出てきた。和装だった。美桜が訪問着として使っていたものだ。


 留袖で、青色に裾で散る白牡丹、純白の肩掛け、手には白いハンドバッグ、長い黒髪を紅の玉簪ぎょくしんで結い上げ、右から左へと流している。

 唇にはピンクの口紅、頬にも少しばかりの化粧が施してあった。

 僕が見惚れていると、虎子は自分の姿に目をやり、言った。


「やはり母のようにはいかないか」


 僕は強く否定した。


「そ、そうか」


 虎子は嬉しそうに俯いた。

 二人で市街地に繰り出し、映画を観た。僕も彼女もハリウッドのアクション映画が好きだったので迷うことなく一択だった。


 幕が下り、映画館を出ると、外はすっかり暗くなっていた。空は曇っていて、朝の天気予報によると雪が降るらしい。

 僕たちはコーヒーショップで映画の感想を話し合い、青いイルミネーションに彩られた大通りを歩いた。


 それから裏路地に入って、あの洋食屋でビーフシチューを食べた。

 デミグラスソースからの手作りで、牛肉に野菜、ハーブ、赤ワイン、別に何か特別な食材を使っているわけでもないのに美味しかった。

 しつこくなくあっさりとしていて、また食べたくなる味だった。


 パンを千切ってバターを塗っていると、やや緊張している虎子から、場慣れしているではないかと言われた。

 僕はここでアルバイトをしているからね、と答えた。


 帰り際、まだ忙しい最中なのに、料理長が出てきて挨拶をしてくれた。言葉遣いも敬語で、他の客と何ら変わらずに接してくれた。

 僕は虎子を紹介して、ホールを見回した。さすがに先生はいなかった。


 今夜は特別な夜だ。きっと奥方のそばにでもいるのだろう。彼は馴れ初めを恥ずかしげもなく語るぐらいの愛妻家だから……。

 僕たちは店を出た。

 虎子を自宅に送る。


 二十一時を過ぎていた。

 途中、僕は彼女を神社に誘った。氏神に挨拶したいからと、彼女も報告したいことがあると言って賛同した。

 参拝を済ませ彼女を一人拝殿の前に立たせると、僕は上着を脱いで彼女の肩に掛けた。

 これから僕と虎子にとってとても大切な話をするから聞いてくれと言った。


 僕は境内の真ん中に立ち、息を吐いた。白く濁る。

 雪が散る。

 あの時、道場で泣く虎子を前にして僕は何も言えなかったが今は違う。

 僕は虎子に言った。


「虎子」

「……はい」

「君との出会いはいつだったか、今となっては思い出せない。僕が物心ついた時には、すでにそばにいて、もしかしたら生まれる前からずっと一緒だったのではないか、そんな確かめようのない考えさえ浮かんでくる」

「……」

「もし、君がいなければ僕はどうなっていたのだろうか。多分、今の僕とは全く違った人間になっていただろう。それが良いことなのか、悪いことなのか、現時点で僕にはわからないけれども、これだけは断言できる。僕は今の自分をとても気に入っている。理屈っぽく、頭でっかちで、教師や上級生に噛み付いてばかりいて、顔はいつも青白く目は虚ろ話し掛ければ無愛想――」


 虎子がくすりと笑う。僕もつられて笑った。


「……そんな面倒くさい男だけれども、今こうして佐々虎子という女の前で話せることに僕はとても満足している。きっと君と出会ったこと、そばにいられることは僕にとって、とても良いことなのだろう。つまり僕は幸せなのだ。君と一緒にいるから」


 僕は一息ついた。静かに聴き入る虎子の顔を見て、心の奥底から湧き上がる強い想いを感じ取る。

 この想いは言葉と歴史が創り出したものだ。その想いが今新たなる言葉となって未来を創ろうとしている。


「でも、なぜ、僕は幸せなのだろうか。それは歴史があるからだと思う。この神社を巡る四季の彩りのように君は僕を染め上げた。春の桜、夏の祭り、秋の紅葉、冬のま白、巡り巡り、回帰する。君を見れば僕がいる。君と言葉を交わせば僕の言葉がある。どこにいても、どんなときでも、君が心に浮かび、君ならこう言う、君ならこうする、いつもいつも僕に語りかけ、勝ち気な君の声が、優しい囁きが、剣術の型のように僕を導こうとする。だから――僕は幸せなのだ。だから他の人間では駄目なのだ。おそらく飛田征爾という男は佐々虎子という女が創ったに違いない、愛されるために。そして、佐々虎子という女は飛田征爾という男が創ったに違いない、愛するために。これはムスヒ、君と僕が生みだした宿命なのだ」


 僕は虎子に歩み寄り、両肩を掴んだ。


「僕は佐々虎子を愛している。君が女だから愛するのではない。愛する君が女だったのだ。いつもそばにいて欲しい、これからもずっとそばにいて欲しい。二人で良い人生を創っていこう」


 虎子が両手を上げて、僕の顔を触った。冷たい。


「……うむ、私もだ。子供の頃からずっと好きだった。これからも、よろしく頼む」


 虎子が初めて見せた女の顔、とても華やかで、もっと間近に見たかったが、もう僕は耐えられなかった。

 虎子の両肩から手を離し、後退した。腰を曲げ、両手を膝に突いて体を支える。


「どうした?」

「……負けた。僕の言葉が、虎ちゃんの言葉に負けた」

「そんな勝ち負けでは……」


 虎子が言葉を止めた。

 僕は嗚咽を我慢できなかった。肩の震えを止められなかった。

 ……虎子が僕の頭に手を置き、撫でた。

 涙が零れる。心が零れた。言葉にならず落ちていく……。

 僕は虎子を抱き締めた。

 これ以上零さぬよう、この瞬間を抱き締めた――。




(万葉零るゝ・了)

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万葉零るゝ 機杜賢治 @hatamorikenji

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