「萌える嫁の話」
うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。彼女は祖母から猫又の血を引いているが、本人は特別な力を持っているわけでもなく、平素はフツーの社会人として働いている。
妖怪が出てくる物語は、だいたいなにかしら、不思議なことが起きるのが常だった。ページをめくれば、ドラマやサスペンスが盛り込まれているし、うっかり涙をこぼす感動的な逸話をあるだろう。
しかし残念なことに。
本物の猫又と結婚した場合、そういうことはまったくない。
俺の職業は絵描きだ。イラストレーターをやっている。
この前も、頭の上から猫耳を生やしたメイドさんのカードイラストを入稿したが、うちの嫁は猫耳を生やしたりしないし、メイド服を薦めても(たぶん)着ない。日曜日になると、完全な黒猫の姿で、ポチポチとスマホゲーをして、無料ガチャを回している。
ハッキリ言ってしまうと
「まったく萌えないな……要素が皆無だ」
「ふえ? 萌え?」
「いや、ただの市場調査的なアレだよ」
「そうですか」
まさか自分のことを言われてるとは思いもせず、さらりとスルー。
平日の夜。自宅のリビングの席に座って、なにやら書類と格闘している彼女に、追及してくる余裕はないらしい。
せめて毛並を撫でさせてくれるのなら可愛げもあるが、さわろうとすると、スッ……と無言で避けられる。やっぱり可愛くない。
「もー、なんで記入項目多いんですかー、印鑑とか押すとこもめちゃあるし……資源のムダムダムダムダーっ」
嫁さんは影響を受けやすい。最近見た某アニメにもすっかり口ぐせが移っていた。そもそも普段から、子供っぽくダダをこねる。朝は一人で起きられないし、まれに服を着替えるのも面倒くさがった。
――そういうの、萌えるじゃん。美人限定だけど。
とか思ったやつは、1年で300日以上、美人だけど私生活に難のある女性と、同じ屋根の下で暮らしてみると良いと思う。
萌えるとか萌えない以前に、感情が麻痺する方が早いから。
おっと、少し話がそれてしまったが、とにかく、俺たち夫婦の間には、サスペンスやドラマは無縁だった。
おたがいの実家の両親も幸い、今のところ元気だ。彼女の『義母』は100歳を超えてなお、田舎の方で幼女の姿で畑をたがやしているが、ぜんぜん元気だ。たまに漬物を送ってくれる。
非日常的なことは起きないし、格別に心のあたたまるハートフルストーリーも皆無だ。両親と同じく、俺たちもおたがいに仕事をして、金を稼ぎ、飯を食って、週末はたまに遊ぶ。夜になれば同じベッドで寝る。
繰り返される毎日を、退屈だと言いきれる時期はとっくに過ぎた。それぐらいは大人になれた。仕事を続けられることの安定と平穏が、ありがたいと思われるぐらいには歳を重ねてきた。
「……はぁ。家でも書類と格闘するなんて、鬱でどうかなりそう……」
それでもやっぱり彼女は妖怪だった。種族の枷と負わされていた。
つまりどういうことかと言うと、
「あああああ! もー! めんどーくさいにゃー!! わたし人間なのに、なんで妖怪用のマイナンバー発行通知せにゃならんのですか!? 明日も仕事ですよ! はよ寝たい!!」
キレていた。
「マイナンバーって、国民の身分証明になるアレだよな」
「そーなんですよー! なんかー、妖怪の間でも海外からの不法妖怪労働者とかー、消えた年金問題でモメてたりしてですねー、本来はおばーちゃんみたいな、純粋なニッポン妖怪にだけ、番号が振り分けられる予定だったんですけどー、なんか先祖返りしてるわたしも審査通しておかないと、後々困るみたいでー」
「……妖怪を名乗るのに審査がいる時代か……で、通ったらどうなるんだ?」
「んー、なんかー、先に旦那さんが死んだりしたら、わたしは人間やめて、妖怪としてじんせー再出発することもできるそうです。妖怪保険もいくらか出るとか」
「おだやかじゃないな」
「旦那さんがわたしの秘密をバラさない限り大丈夫ですよ。それに正直言うと、わたしの立場って、けっこう微妙なんですよ」
「微妙ってなにが?」
「今は人間の旦那さんのお側で、人間のお嫁さんやってるじゃないですか。すーぱーえりーと社会人として、がんばってるじゃないれすか」
この前,自分のことを『しゃちくぅ』とか言ってた気がするが。
ちょっと出世した途端に、人間社会に身も魂もささげる気になっている。チョロい。
「やってるな」
「そうです。やってるんですよ。でも旦那さんが、もしも事故で無くなったりしたら、わたし人間として生活できいかもしれないんですよ」
「やっぱり〝事故扱い〟になるのか……」
妖怪にも『秘密守秘義務(暗殺部隊)』とか、いるのだろうか。
非日常と縁がないので知らんけど。
「実は妖怪市役所みたいなのに、そーいう取り決めがあるんですけど、この線引きがまたほんと、ビミョーでして」
「役人が杜撰でしっかりしてないと困るよな」
「そうなんです。なのに定時にはしっかり帰りますからね、これだから役所の連中は。えーと、なんの話でしたっけ?」
「妖怪ナンバーの話だよ」
「そうでしたそうでした。つまり、ちゃんと妖怪の役人が発行したマイナンバー通知を持ってないと、扶養家族の旦那さんが〝とつぜん謎の失踪〟を告げられたりした時に、わたしが『ニホン人の成人女性(人間)だった』と法的に証明する根拠に欠けるんですよ」
「妖怪の証明じゃなくて?」
「いえ、むしろ、カードを発行できることが、人間社会に馴染んでる証明になるんです。ほら、だから一生けんめい書類書いてるじゃないですか」
「あぁなるほど。字がちょっと汚いかな。あと漢字間違えてるぞ」
「普段はパソコンでカタカタやってるからいいんです」
学力低下が叫ばれるゆとり世代の申し子だったか。
「だからとにかく、日曜日になるまでに、この資料を片付けて、土曜日の間にでも役所にいかなきゃなんないんです。あと身元保証妖怪人として、おばーちゃんにも名前と印鑑押してもらわないといけないし」
「俺も一筆いる?」
「いります。旦那さん、去年の年収ってわかります? 職業って、自由業よりは、イラストレーターの方がいいんですかね?」
「どっちでもいいと思うけど。ちょっと待ってな。毎年、確定申告の時に税金の計算やってるから、持ってくるわ」
「お願いしますー。はぁ……いくつになってもこういう資料って、めんどうですよねぇ。あっ! 印鑑の向き逆だった! あぁもう!」
キレていた。
「めんどーだけど、書かねばっ。ヒトとして、来年も旦那さんと一緒に生きていかねば!」
「はいはい。そうだな。俺も秘密は守るよう善処する」
俺は自分で言うのもなんだが、口が堅い。仕事柄、アニメやゲームなどの機密事項に携わっているのもあるが、内容を漏らしたことも一切ない。あまりそういうことで、自分が特別なんだと想ったりしないからだろう。時々、まだ若いのに「欲がない」とか言われる。
そうかもしれない。俺はフィクションのイラストを手掛けるが、俺自身はべつに、ドラマも、サスペンスも存在しない。
子供のころから、両親が家で働いている姿を見てきた。リアリティというにもあまりに薄いかもしれないが、あの頃から、あたりまえの淡々とした毎日が連続している。
「――でもさ、その資料が郵便で届いたの、だいぶ前だよな」
「仕事に忙しくて……」
社会人なら一度は口にしたいいいわけ、仕事に忙しくて。
「もう〆切が来週すぐなんですよ~!」
「夏休みの宿題かな?」
「旦那さんは、7月の間に終わらせる派でしょう!」
「そうだよ。嫁さんはどうせ、8月31日に終わらせてたんだろ。そういうのって、大人になっても影響するんだよなぁ」
「夏休みは始業式も含まれるから大丈夫なんですよ!」
「役所にロスタイムはないからな。急げよ」
「ふえぇん……! 大人になんてなりたくなかったよぉお!」
「俺と結婚しない方がよかったか?」
「それはないです」
せっせとボールペンを走らせ、半泣きで書類と格闘する嫁さん。
彼女はあまり人間の女性には向いてない。だから『迷惑をかけると思いますが』と――本物の妖怪のお義母さんは言っていた。
迷惑なんて、ありふれた日々のできごとだ。厄介ごとなんて、毎日山ほど現れる。俺はそういうのを片付けるのは好きな方だ。人からはよく真面目だなとからかわれる。だから、彼女の存在は貴重だった。
「確かにほんの少しだけ、萌える、のかもしれないな」
「市場調査ですか?」
「いや、たぶん、俺にとっては、だよ」
「旦那さんの萌えポイントですか! 興味あります!」
「いいから。書類かけよ」
釘をさす。俺たちの毎日は、まだ続いていく。
「日曜日の嫁さんの話」 秋雨あきら @shimaris515
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