「嫁さん、出張する」

 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。正体は猫又である彼女は、平素は社会にでて働いている。


「旦那さん、旦那さん。わたし、来週、初出張になりそーなんですが」

「え、出張? 日曜はどうするんだ?」

「水曜から土曜日までの、短期出張っぽいんです。上司先輩のお付きという立場で、ついてこいと」

「なるほどな。んじゃ、がんばってな」

「旦那さん、冷たい」

「へ?」

「もっと別れを惜しんでくれてもいいじゃないですかぁ」

「たかが三泊四日ていどで……修学旅行中の学生じゃあるまいし」

「ぶーぶー。愛がたりてませんよ、愛がー」

「じゃあ俺も、出張の土産とか期待してていいのかな?」

「キーホルダーとペナント。どっちがいいですか?」

「せめて食べられる物にしてほしい」

「やっぱり愛がたりてない。あと出張中も、モーニングコールをお願いしますよ」

「愛がたりてなくても、必要なんだそれ」

「奥様は朝に一人で起きられませんからー」


 言いきったな、おい。

 修学旅行中の学生だって、朝は一人で起きてくるはずだろう。



 平日の朝。目を覚ますと嫁さんがいなかった。昨日から県外に出張中で、家には帰ってきていない。たいへん静かな夜だった。


「さて、そろそろ嫁さんを起こさないとな」


 俺はいつも通り、家の一階の台所でつぶやいた。手をざっと洗い、廊下の棚上で充電中のスマホを取る。彼女の番号にかけてみた。


「…………」


 呼び出し音のコールが続く。

 3回……5回…………8回鳴ったところで


『…………………はいー、もひもひー……?』


 向こうから、すばらしくぼけた声が聞こえてきた。


「嫁さん? 朝だよ。起きろ」

『無理っしゅ……眠いれしゅ……』

「起きろ、社会人」

『あ~……もう無理無理……わたし昨日まで、ほんとよくやったと思うんですぅ……だから今日は会社やすんで明日からがんばりますぅ……」

「じゃあそのまま寝てな。今ビジネスホテルなんだろ? 心配した上司がそのうちやってくるだろうから、直接、お叱りの一言でももらっとけ。そんじゃ、おやすみ、嫁さん」

『……ひ、ひどい! 旦那さん、いつも以上に愛がにゃい!』

「忙しいから切るぞ」


 電話を切った。そのまま、調理の支度に戻る。魚を焼いて、大根をすって、あと昼用の煮物も少し作っておく。できたらそのまま流れるように朝の食卓についた。


「いただきます」


 手を合わせて、もくもくと食べる。食べ終えたら、経済新聞の一面にだけ目を通してから、食器を片付ける。洗濯を干して、軽くふき掃除なんかも終える。一息ついたらコーヒーを煎れつつ、今日の仕事のスケジュールを確認した。


「……なんだコレ……まるで無駄がない……驚くほどに朝の作業がスムーズに進む……空気が美味い……」


 清々しい平日の朝だった。頭も冴えわたっている。


「余計な雑事がなければ、こんなにも、ヒトは覚醒できるのかっ!」


 独り言をつぶやいているのを承知で、椅子に座ってペンタブを動かし続けた。絵仕事の進捗はスムーズに進行した。自分で言うのもなんだが、俺は実にイキイキとしていた。気がたかぶっていた。


「たまには1人もいいもんだな。マジで……」


 なんていうか。リラックスできるよな。心が洗われるようだ。


 そして連日、俺は嫁さんに言われた通り、電話でモーニングコールを行ったが、通話自体は最終的にどんどん短くなっていき、最終的に10秒ほどで済ませるに留めた。


 土曜日の夕方。嫁さんが出張から帰ってきた。


「……ただいまぁー……」


 露骨に、すごく不機嫌そうな顔で、にらまれた。

 そんな彼女に向け、俺はさわやかに告げた。


「嫁さん、次の出張はいつかな?」

「今後、出張の話が来ても、ぜんぶ断ります」

「そんな。もったいない。せっかくなんだからさ、キャリアアップを目指してもっと出張した方がいいって」

「それ以上言ったらですね。旦那さんが二階から階段を降りる途中に、背中を蹴り飛ばすんで覚悟しておいてください……」


 たとえが具体的すぎた。嫁さんの怒りをひしひしと感じる。


「あれですね。遠距離恋愛ってきっと、こーいう感じなんですね」

「たぶん違うと思うぞ」

「旦那さんうるさい。黙ってて。わたし疲れたので、お風呂入って寝ますから」

「わかった。ところで、出張のおみやげはどこかな?」

「ありません。そちらのご実家の方には送りましたけど。あなたにあげるおみやげなんて、ないんですよーだ」


 床を踏みしめながら階段をあがっていった。ということで、今日も嫁さんは相変わらず、朝は一人では起きない。起きられない日は続いていた。

 

 *


「なぁ、嫁さん?」

「なにー?」


 そして今日も、ベッドから起き上らない妖怪の頬を軽く叩いて、告げるのだった。


「君が無遅刻、無欠勤をほこる裏側には、とても献身的な相方の存在がいることを、人々はもっと知るべきだと思わないか?」

「そんな事実を世間に公開してはいけません。今日はお外が寒そうですね。ずっとお布団に入っていたいです……」

「日曜はまだ先だよ。むしろ今日から月曜日だよ」

「……月曜こわい……」

「いいから起きろよ。ほら、またギリギリになるぞ」

「旦那さんが月曜をやっつけてくれたら、起きます~……」


 無茶言うな。

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