これから
終章 雨のち晴れ
その日は朝からずっと雨だった。
サラはぼうっと天井を見上げていた。
本当に何も考えていなかった。
だから呼ばれていても分からなかった。
「……サラ」
アイリスが呼びかけながら、額に手を当ててくる。
しなやかな指先がちょうど良い温度で安心感を誘う。
それでようやくサラは『自分』が何であるかを認識し始めた。
「アイリス……さん、おはよ……ございま、す」
妙に声が出しづらい。体も恐ろしくだるいようだ。
「もう昼だぞ。……まだ熱が高いな。氷嚢を取り換える」
そう言ってアイリスは去っていった。
今は、どういう状況なんだろうか。そうだ、結局魔族は倒せたんだろうか? 一気に不安が襲ってくる。
だがこの部屋がグレン婆の屋敷のものであることを考えると、今は悪くて休戦中だということなのではないだろうか。
アイリスが新しい氷嚢を持って戻って来たのを見て、サラは質問を始めた。
「わたしたちは……勝ったんでしょうか?」
「……そう言えるのかは分からない。死傷者だらけだ。だが、魔族の排除には成功したようだ」
サラはそれを聞いて半分ほっとした。半分なのは──軍部や側仕えたちなども含めれば犠牲者が途方も無いせいだ──。
そしてそういう自分にも──不謹慎かもしれないが、少しほっとした。
この国にいる理由。この国への愛着。それが少しは芽生えているのかもしれない、と。
調子に乗って上体を起こすと、まだふらふらしているのが自分で分かった。
「起きるな。寝ていろ」
アイリスのすこしむすっとした声を聞きながら、窓の外の噴水のところに誰かがぼうっと座っているのを見てしまった。
「……セリ、さん……?」
驚きと心配の入り混じった目でセリを見つめるサラに、アイリスはため息をついた。
「反省しているつもりなのかもしれない。今はそっとしておくのが良い」
そして、お前は絶対に布団から出るな、と念を押されて、再びサラは横たわらされる。
サラをベッドに押し込めると、アイリスは林檎を剥き始めた。
「今日で王宮に乗り込んでから三日経つ。いろいろあったが……聞くか?」
「み、三日……?」
サラは顔をひきつらせた。そんなに長く寝ていたというのか。
「そうだ、三日だ。セリはああしてずっと庭にいる。今日は雨だがやはり動かない」
「お食事は?」
「何も食べない」
「……」
「他人の心配をしている場合ではないからな、お前は」
セリの状態に絶句したサラに、アイリスは釘を刺してきた。
「お前の体温は今、四十三度を超えている。動くな、寝ていろ」
そんな高熱今まで出した覚えがない。おとなしく従うことにした。
サラはこの時は知らなかった。人間の体温が四十二度以上に上昇すると、普通は体の構成要素の重要部分が凝固を始める──つまり現状彼女がこの程度で済んでいる原因はおそらく≪
「……犠牲者たちの埋葬は、すべて終わった」
そう言ったアイリスの顔は心なしか暗かった。
「あとは……養父殿がリーダーを辞めるとぼやいたので、全員で半殺しにしておいた」
それはどうなのよ?!
思うが、アイリスのような大雑把な説明では真相がよく分からないので聞き流しておく。
「ルーナ様は街頭演説や≪ネットワーク≫を使用して皇帝の交代を正式に発表された。今も『魔族』が行った悪政の掃除に大忙しなご様子だ」
そこまで言ってから、アイリスは器用に剥いた林檎をサラに差し出した。
「食えるなら食え」
「ありがとうございます」
自分の声が弱弱しすぎて情けなくなる。食べられるものは食べておかなければ。
冷たい林檎の瑞々しい食感が心地良い。サラはゆっくりと咀嚼した。
「……お前はこれでも、この国に残りたいと思うか」
今ここでそう問われる意味が分からず首を傾げる。
「はっきり言って、この地上で最弱の国家になるぞ。課されたのは数か月とはいえ、重税で民は衰えた。他国には各種同盟からの脱退を取り消してもらうよう願い出なければならない立場だ。よこしまな同盟から脱退しようとその陰はすぐにはぬぐえない。軍人が一人も生き残っていない。……挙げればきりがないほどの弱点だらけなのが現状だ」
「そんなの、どうでもいいです」
サラの即答に、アイリスは怪訝な顔をした。
きっと高熱で頭など回っていないだろう、と、サラは自覚していた。それでも、国の弱さなんてどうでもよかった。
「この林檎が美味しいから、わたしはこの国に残ろうと思います」
「……子供のくせに妙な言い回しをする」
サラの真意に気づいてかアイリスはしかめっ面をした。
『同じ釜の飯を食った仲間がいるならば、どこであろうと居場所にできる』
意訳するならこうなのかもしれない。
「美味しかったです、ありがとう、アイリスさん……そして……おやすみなさい……」
実を言えばふらふらくらくらが収まらないのだった。
「ああ、休め」
そう言ってアイリスは立ち上がった。残りの林檎は、恐らく庭に持っていくのだろう。
──アゼルには、どんな手紙を書けるだろうか──。
彼女が部屋を出るより早く、サラは眠りに落ちていった。
一週間ほども経つとトゥルフェニアは見た目普通の国に見えるまでに回復していた。
ルーナはどんな田舎だとしても自ら足を運んで色々と計算しているようだった。
それにはエリディアや仏頂面のウィルも同行しているらしい。
サラの体調も全快して、どうやって鈍った体を鍛えなおそうかと考えていたところ、彼女の目に自分の鞄が映った。
(あ……)
数瞬迷ってから、くるりと首だけアイリスの方を向き、問いかける。
「あの……わたしの鞄の中にシリウスさんの遺品があるのですが……どこかにお墓などは……?」
アイリスは目を閉じる。少ししてゆっくりと目を開け、サラを見つめた。
「弁当でも作って、一緒に昼飯を食べに行ってやろう」
シリウスはもういない。だからそんな行為は生存者の気休めでしかない。
だけど、彼女たちにはその気休めがまだ必要だった。
墓守に頼んで蓋石を開けてもらう。
当然遺体などは残っていないので、そこには土しかない。
軍人や近衛兵の墓というのはこういうものが珍しくなく、墓守も手慣れた様子だった。
まるで耕されたばかりの畑の土のようにきれいなそこに、アイリスはサラの鞄に入っていたシリウスの遺品を並べていった。並べ終わると、トゥルフェニア式の敬礼をとり、黙祷を一分。そして墓守に蓋石を元の通り閉めてもらった。
「実を言うと実感がまだ湧かない」
アイリスがぽつりと言った。
シリウスが引き裂かれたのも、拡散していったのも目の前で見た。だけど、信じられない。
イロリが目の前で食われたのも、沢山の人々が首を落とされたのも、現実味がない。全部夢だったのではないだろうか。
ふるふるとアイリスは頭を振った。
「見ていろ、シリウス。この国は絶対守り抜いて見せるから」
「あたしが、二人分、働くよ」
セリシアは目つきが明らかに変わっていた。一歩間違えば狂人に下っていたかもしれない目。
「あー腹減った。シリウスの好きなマッシュポテトは俺がおまえの分まで食ってやるから安心しろ」
「何でシリウスの好物を知っているんだ?」
シールの
「最初に会った時、婆ァの家にたどり着くまで延々とセリシアが食い物の話ばかりしていたからな」
「よく覚えてるわね」
セリシアがアンニュイに笑う。
「じゃ、そろそろお昼ということで! さーさー、今日は案外料理が上手いお姉ちゃんのお手製だから皆味わって食べるんだよーう!」
先ほどの様子がどこへやら、セリシアが空元気に言って、一同何とも言えない笑顔を浮かべた。
そうだ。これからわたしたちは、こうやって前に進んでいかなければならないのだ。
たとえどんなことがあっても────。
蒼穹に映る月 千里亭希遊 @syl8pb313
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