鳥籠の中の俺の

 小鳥と紫煙、稲妻、カナリア、この四人の回復さえ十全なら、多分ムクが呼び出したっていう動物もどうにかできるだろ。宿り木を襲ったドーベルマンを蹴った時に感じたが、体には質感も重みもあったけど、あいつらたぶん多少のダメージを与えられればそれだけで退けられるかもしれない。

「右よ」

 目前に見える張り出した根は、改めてみるとそこらの建物と変わらない高さまである。この巨大な樹を支えるためなのか、それともよくある木の形状そのままに拡大した結果がこれなのか、俺にはよく分からないが、今はその形が役に立っている。

「紫煙の煙はすぐに分かるはずだから」

「ああ、そうだな」

 声はさっき宿り木に掴まれた手首から聞こえた。でもそこに口の形の何かは無い。代わりに小さな穴がいくつか。まるでスピーカーのようだ。

「便利ねえ、最初からそうしていればよかったんじゃないかしら?」

 こうして本人がいなくても道案内が出来るなら、最初からそうしていればあんな怪我をすることは無かったはずだと、ムトの言いたいことは分かるけどな。

「宿り木の手と紫煙ってやつの能力と俺の能力駆け合わせたら、かなり強力な手段になるんだよ。だから宿り木には来てほしかったんだ」

 紫煙の不定形な体に無数の四肢さえあれば、人を拘束すること、死角を突いて攻撃することも可能だ。だけど宿り木が紫煙に寄生をしていないなら無理だろう。

 律儀な宿り木の事だから、すでに寄生しているのならその事もきちんと報告してくれているだろうが、無いって事はつまりそういう事だ。

「あら、そうなの? じゃあ、その強力な手段よりも、彼女の安全を選んだんだあ?」

 からかうような口調だな。

「コメントは控えさせてもら」

 言いかけたところで、横道から犬が三匹こちらに向かって走ってきた。柴犬みたいなのと他二匹。多分雑種で三匹とも中型犬だ。立ち止まって逆にこちらか向かって行って足を振り上げる。

「チッ……」

 避けられた。まあそうだよな。でも、こっちは一撃でも食らわせれば勝ちだ。

 がむしゃらに蹴り付ければ、一匹はすぐに悲鳴を上げて消え去った。もう二匹は少し警戒をしたのかじりっと距離を取ってきた。

 構ってられるか。俺は走り出す。

「くそ、何なんだよさっきから。あんたがいたら襲われないんじゃないのか?」

 大型犬こそ来ないものの、宿り木たちと別れてからこれで三回目だ。

「ムクちゃんが近いんだわ。近い方が命令しやすいって言っていたの……でも、他の動物いないわねえ」

 命令って、人を襲うように命令してんのか?

「いないならいないで好都合だろ」

 いたとしたら熊とか猛獣の類だ。つくづく休日を満喫した自分が恨めしい。ジャージー牛の顎を撫でて満足している場合じゃなかった。

 ただ不幸中の幸いだったのが、俺が見に行った動物の中に空を飛ぶやつがいなかったって事か。

 いるにはいたけど、だいたいが飼育の関係で足に拘束用のリードのよう野な物が付いているか、網や檻の内側にいて飛べる状態にはなっていなかった。

 だからだろう、ちらと空を見上げても、底抜けに青い空には何の動物の影も無かった。

 視線を前に戻して俺たちは走る。紫煙がいるのだからユメトや小鳥のいる場所は目視で分かると宿り木は言うが、流石に大樹の幹回りは広すぎるので、これが終わったら大樹の根に番号を振って住所なり番地なりを作ろうと固く決意する。

「何をしている! ムト!」

 唐突に低い男の声が降ってきた。まるで聞き覚えが無い声で、ムトの事を知っている人物って事は、つまりこの声の主が……。

 俺とムトは立ち止まり、声が聞こえた方を仰ぎ見る。

 地上にせり出した大樹の根の上に立つ人影があった。何か適度なスポーツでもしていそうな、引き締まった体格なのが遠めに見ても分かった。背筋も伸びているし肩幅に開いた足もすらりと長い。悔しいがパッと見イケメンってやつだ。ユメビトってそんなのばっかなのか?

 男は二階建てのビルくらいはありそうな大樹の根から躊躇いも無く飛び降りる。

 俺立ったのは俺たちのやや手前で、表情が辛うじてわかる距離。ムトが男に駆け寄る。

「ムクちゃん!」

 やっぱりか。

 駆け寄るムトを、ムクは両腕を広げて抱き留める。あ、ムトも結構な長身だったけど、ムクはそれにもまして長身だ。百八十はあるんじゃないか?

「ムクちゃん良かった、ねえもう帰ろう。子供はもういいわあ、ゆっくり方法を見つけましょうよ? ね、誰か殺してまで欲しくはないの……ムクちゃんがいてくれればそれでいいから」

 ムクの厚い胸板に頬を寄せて、ムトは甘ったるく声をかける。俺に対して出していた声よりもよっぽど甘ったれた声だ。こいつら本当に恋人同士なんだな。

「ムト……」

 げ、人が見てる前で名にいちゃつき始めてるんだこいつら。

 ムクはムトの髪を撫でたり額に口付けたりと、むしろ俺に見せつけてるんじゃないかってくらいやたらとムトに触れる。いや本当に何で俺こんなの見せられているんだろうか。さすがに口が近付くとムトが「だめ」とか「見てるから」とか言って抑えるけど……いや、そいつ見せつけてるよな? 今俺の方視たよな?

 これってもしかして、俺はムクに間男だと認識されているんだろうか。

 相手のために人を殺してでも子供を欲しいと思ってる男だから、そりゃあよほどムトに惚れているんだろうとは思っていたけど、流石にこれはTPOを考えてほしい。

 襲撃しかけた敵地でやる事じゃないよな?

「……なあ」

 つい茫然としてしまっていたけど、本題があるんだった。

 俺が声をかけた途端、ムクはまるで俺が恋敵であるかのように睨みつけてきた。

「何故アレがいる?」

 むくはムトの肩を掴み胸から引き離すと、険しい声で詰問する。

「連れてきたのよお、ムクちゃんを止めたくて」

「何故?」

 ムトの声に涙が滲む。

「もういいの、ここはもういいから帰ろう? ね、ムクちゃん」

 しかしムクは舌打ちをしその言葉を遮る。

「絆されたのか? 俺以外の男に」

 待て、おい待ってくれ、何でそうなる。いや確かに情に訴えて説得はしたけど、ムクの言い方だとまるで俺がムトを誑かしたかのようだろ。

 ムクは忌々しそうに俺を睨みながらムトを自分の背後に突き飛ばす。何時の間にそこに来ていたのか、ムクの背後には一頭の大型の熊がいた。俺の記憶が確かなら……それ、ヒグマだよな?

 膝が震えた。

 やばい……ヒグマは人間を食う事の出来る熊だ。

 グオウだかボオウだか分からない低い唸り声をあげるヒグマの背に、ムトは尻餅をつくように倒れ込む。

「や……ムクちゃん……」

「お前がもういらぬと言っても、俺には必要だ……お前との子が、お前が」

 ムクがムトへと振り返る。俺から顔は見えなかったが、その声はすこぶる甘くて優しい。

「待っていろ、すぐにでもこの国のユメビトを誘き出す」

 探し出すとか見つけ出すじゃなくて誘き出すって、それって俺を人質にしてとかか?じろっと向けられる視線が殺気に満ちてて痛い。逃げたいけど、熊ってどういう動きをしたら襲ってくるんだっけ?

 確か目を背けるとアウト、大きな音、急な動作、木に登る、他には何かあったか……。

 とにかく熊というも猛獣一匹いるだけで、逃げるという選択肢が潰されてる。ゆっくり後退りするしかない。

「待ってよムクちゃん、この国のユメビトはあたしたちには必要ないはずだわあ、だって子供を作るのには役立たないもの」

 俺との約束があるからか、説得を続けるムト。今はあんたが頼りだ、頼む。

 宿り木も俺たちのやり取りは見ているんだろうが、空気を読んでいるのか黙っている。ただ、僅かに唾を飲む音が聞こえた気がしたので、事の成り行きを慎重に見ているという所か。

「そんなことは無い、ムト、お前が俺の作る世界で満足していない事は知っている」

 ムクから返された言葉に、ムトは否定や肯定をせずに俯く。そういえば言ってたな、ビルばっかりでループする町だと。

 ムクは本当にムトにべた惚れなんだろうけど、そのべた惚れの分ムトの話しすら聞かずに自分が与えたいと思ったモノを押し付ける奴らしい。そのでムトの説得全く聞かないし……。

 熊さえいなきゃ……逃げて人質になるような事だけは避けるんだが……。

 犬のように蹴りつけてってのは難しいだろうな。

 もしかしたら、熊さんだったら熊の弱点知ってるんじゃないだろうか。今更思っても遅いか……。あの人ケツ撃たれてもピンピンしてたし、多分毛皮が厚い部分に攻撃してもあんまり意味はない。確か懐に入り込まれるのを嫌がっていたけど、あれはあの人の性格のせいかもしれない。ああでも、あまり内側に腕を動かすのは得意ではなさそうだったな。関節の作りとか、肉厚な体つきのせいかもしれない。

 だったら、いっそ懐に飛び込んで、動物共通の弱点である目とか鼻っ面狙ってみるのはどうだろうか。

 無理だな、普通に怖い。

「ムト、お前のためだ……大人しくしていてくれ」

 話し合いは決裂。説得はできなかったようだ。

 でもって、あのヒグマが何処から出たか分かった。石畳に落ちるムクの影が滲んでそこから三匹のツキノワグマが現れる。大人の身長軽く超えるような巨体のヒグマよりもずっと小さいが、それでも毎年襲われて大怪我をする人だっている十分な猛獣。

 ムクが俯くムトの額に唇を落す。ツキノワグマがムトを囲む。俺にけしかけるためじゃなかったらしい。

「お前は邪魔だな……処分しておくべきだったが」

 が、何だよ……。

「逃げなさい」

 宿り木の声が聞こえた。

 分かってるよ。俺はムクに背を向け駆け出す。

 品行方正とは言えないけれど、俺は喧嘩なんかしたことが無い。親に迷惑を掛けたくないというのもあるけれど、そもそもやり方なんか分からない。体育の授業で体を動かす時に、ふざけて漫画だのアニメだのの真似をして、クラスメイトと喧嘩の真似をすることはあっても、本当にあんな風に動くはずが無いってことくらい分かっている。

 だから逃げることを選んだ。

 熊がムトを大人しくさせておくために使われてるんなら、俺が背を向けても追ってはこないはずだ。背後が見えないのは心もとないけど……。

 とたん背中に固くて重い衝撃。たまらず前に体を投げ出す。骨がきしむ音が聞こえた気がした。物凄く痛い。とっさに利き腕を庇って、左の頬や肩を強打した。生理的な涙で視界が滲む。

「ぐ……何だよ」

 石畳に肘を付き首をめぐらせて後ろを見ると、ムクが俺の背に足を乗せていた。もしかして今俺蹴られたのか?

「死なせはせん、大人しくしていろ」

 ムクは低く言いながら俺の背に乗せた足を肺の裏へと動かし、ぐっと体重をかけてくる。こいつ……すごく重い。は、息できないんだけど。

 意識飛びそう……。

 一息に意識落とされるんじゃなくて、こうやってじわじわと踏み潰されるって、恐怖心煽られるんもんなんだな。

 夢の中で相手を重いって思うのは、相性が悪いからなんだったか。ああ確かに、こんな風に人の言う事も聞かなけりゃ、性格も壊滅的に悪い奴、俺こういう自分勝手な奴大嫌いだよ!

「止まり木!」

 聞こえてきた高い少年の声。一月ほど前に初めて聞いた時はここまで頼もしく聞こえるようになるなんて思っても無かったな。

 背に有った圧迫感が消える。肺に空気が流れ込んできて痛い。俺は転がりながら石畳を這いムクから距離を取る。

 濃い灰色の石畳から顔を上げると、目の前に居たのは、鮮やかな空色のロングパーカーを着込んだ少年で、本来腕のある場所には、身の丈よりも大きな翼が生えていた。ああ、綺麗な羽だ。

 少年が、小鳥が振り返る。

「お帰りなさい……痛い? でももう大丈夫、僕が守ってあげるから」

 にぱっと、歳よりも幼い笑顔で小鳥が言う。は、ほんと頼もしいことだな。

「怪我すんなよ」

 痛む背中に苦労しながらなんとか上体を起こし、小鳥の腕を掴む。少しでもこいつの疲労を癒せるように。

「あはは、心配してくれるの? 止まり木の方が怪我してるじゃん」

「いやだって、お前だって怪我したら痛いだろ」

 小鳥は自分の右頬を指さす。俺の頬擦り傷でもできているんだろうか。

「大丈夫、僕強いもん。だからね、君の事絶対守るからね、だから、終わったらいっぱい話そうね!」

 そう言うと小鳥は石畳を蹴って飛び出した。大きな羽、いや翼がばさりと羽ばたいて、細い体を空へと運ぶ。相変らずこの世界の空の青さに小鳥のパーカーが溶けていきそうだと思った。

 綺麗な光景。でも少し不安になる。

 小鳥は一度高く飛び上がると、まっすぐにムクへと向かって降下する。ムクはそれに狼狽える様子も無く腕を振り上げた。小鳥がわざとムクの腕を翼で受ける。大量の青い羽が散ってムクの視界を遮った。

 初めて見た時は驚かされたが今なら分かる。最初態と攻撃を受けるのは小鳥の癖のような物だ。それで相手に目隠しをして追撃をする。これがパターンのようで、宿り木や稲妻のようにしょっちゅう小鳥と手合わせをしている相手には読まれがちだが、初めてやりあう相手には十分有効な手だった。

 ムクの視界を遮り蹴爪を叩き付ける小鳥。くぐもった声が聞こえた。効いているらしい

「止まり木! 何ぼうっとしているの! 早く紫煙を探しなさい」

「え、あ、でも……」

 宿り木が傍観する俺を叱咤する。

 そういや小鳥は何でこのタイミングで……そうだ、上。

 見上げると、にぱっと小鳥とよく似た笑顔を見せるカナリアが、大樹の根の上にいた。人差し指を口元に宛がい、手に持った棒状の何かを振って見せる。

 あ、それ暮れなずむ街の奴らが持ってたステッキ。

 カナリアがひょいと木の根から飛び降り、ムクの背後にいる熊たちの傍へと降り立つ。

 熊がカナリアに気が付きグオウと吠えかかると、舞い散る羽の中で小鳥と交戦していたムクが羽から逃れるように飛び出した。

 カナリアは一番手近にいたツキノワグマの頭をステッキで強かに殴りつけると、そのまま顔面に向かってステッキの銃口を押し当て礫を放つ。チュイン、と聞き覚えのある金属音がしたかと思ったら、一瞬でツキノワグマがはじけ飛んだ。

 げ……。ムトの言葉を信じるなら、これは元の夢に戻っていっただけなんだろうが、ちょっとどきりとさせられる光景だ。

「っく、また貴様らか!」

 ムクが怒りに声を震わせる。

 また? まさかもうこいつらすでに交戦済みだったりするのか?

 カナリアが熊を一匹吹き飛ばすと、残っていた二匹のツキノワグマが恐慌をきたしたように吠え、突然駆けだした。ムクが寄りかかっていたヒグマも立ち上がりゴウゴウと唸りとも吠え声ともつかない声を上げてカナリアを威嚇する。

「べー!」

 舌を出しカナリアが飛び上がると、ヒグマがそれを追うように腕を振り上げる。あわや掠めそうになるその手に、いつの間にか漂って来ていた濃い煙が絡みつく。僅かに動きが鈍ったその隙にカナリアは既にヒグマの手の届かない高みだ。

 小鳥がムクを追って舞い散る羽の中から飛び出し、大きな翼で殴りつける。

 鳥の翼ってのは結構な量の筋肉をもって動かされている。羽の硬度はそうないけれど、叩き付けられれば十分に痛いし怯みもする。ムクはビシビシと細かな鞭を纏めて叩き付けられるような小鳥の翼の一撃に、怯むようにたたらを踏む。

「餌、見っけ……」

 うわ、紫煙! あんた何時の間に俺の背後に。

 紫煙の不健康総肉の薄い体が俺に密着し、骨ばった腕が首に回され……締まってる締まってる!

「ぐううう」

「死ね、ここで今すぐ死ね」

「紫煙止めろ馬鹿! 止まり木死んだら元もこないだろ!」

 あ、このこえはいなづま……。

「ちょっと何やってんのよこのごろつき不良社会不適合者!」

 叫ぶ宿り木の声に意識が浮上する。今ムクに踏まれた時よりも確実に死にかけてたんだけど。

 気が付けば俺の首に回されていた紫煙の腕離れ、代わりに稲妻が抱き付いていた。

「悪い、ちょっと回復させて。さっきまでじり貧で籠城してたから」

「ああ、別にそれは……」

 構わない、言いかけるよりも先に紫煙が俺の脚に足払いをかけてきた。縺れるように倒れる俺と稲妻。そして俺の頭があったはずの場所を打つ黒くて長い脚。

 ムクがいつの間にか距離を詰めていやがった。

「油断してんな馬鹿。稲妻とっとと行け」

「言われなくても!」

 稲妻が俺から腕を離して飛び出していく。ムクの横をすり抜けてムトの手を取ると腰に腕を回して引き寄せる。ヒグマは既に逃亡済みだ。もしかしたらムクは熊を上手く扱えないからあまり出していないのか?

 小鳥が俺に向かって足を振り下ろそうとするムクに向けて上空から降下をかけると、ムクは舌打ちし俺から距離を取った。ムトが稲妻に気が付く。ムクが吠える。

「ムトから手を離せ下郎!」

「あいつ言葉遣いおかしいよな」

 言うな紫煙。俺もずっと言いたくて我慢してたんだから。

 それはともかく、ムクはムトを拘束する稲妻に向かって、影から呼び出した犬をけしかける。

 五匹、それもドーベルマン二匹にシェパード三匹だ。どちらもドイツが軍用に品種改良した犬だったんじゃなかったっけか。

 犬なら命令に忠実なんだろう、迷わず稲妻に躍りかかる。ムトを巻き込むんじゃないかと思ったけど、稲妻はムクを俵抱きに抱え走って逃げだす。馬鹿、そんなんじゃすぐに追いつかれ……ないか。稲妻はさっき俺で体力を回復したばかりだから、全力で動けば十分犬と競争できる速度で走れる。

 紫煙の煙が犬たちにまとわりつく。何時の間に。

 濃い煙で視覚と嗅覚を塞がれた犬たちが、グルグルと唸って立ち往生する。

「動物相手に随分慣れてるな……あいつら」

「多分籠城中に試せるだけ試したんでしょ。止まり木がいるなら体力の消耗を気にせずできるから、反撃に転じたんだわ」

 聞こえる宿り木の声が僅かに上ずっているのは、勝てる希望ができ出てきたからか。

「おのれ! ムトを返せ卑怯者!」

 お前が言うか。さっき俺を囮にしようとしていたよなあんた。

 本当に自分勝手で他人の事を考えない奴だな。

 煙の中からギャンという犬の悲鳴と「ごめんなさい」と謝るカナリアの声が聞こえてくる。いつまでも犬を拘束しているわけにはいかないし、倒すのは仕方の無いことだ。でないと宿り木の二の舞だろ。

 立て続けに四つの悲鳴が響いて、ようやく煙が晴れると、そこにはカナリアと紫煙だけでなく稲妻、それとムトもいた。

「もうやめようよムクちゃん」

 どうせ聞いては貰えないと思っているのだろうが、それでもムトは再三の説得を試みる。けどやっぱりムクは答えない。

 代わりにムクはムト達に向かって駆けよった。カナリアが手にしていたステッキから礫を撃ち出す。ムクの脚が止まり、稲妻が今度は横抱きにムトを抱えて走り出す。大きくムクを迂回して俺たちの方へ。紫煙もゆらっと煙に姿を変えてこちらに流れて、カナリアも飛んでくる。

「合流!」

 稲妻はニカリと笑うと俺の横にムトを降ろす。

「この人止まり木と一緒がいいってさ」

 俺も一緒にいてもらった方だいいと思っていたから都合がいい。ムトがいればムクもめったやたらに命令を聞かないような猛獣出さないと思うし。出されたら困るけど。

「ごめん、ムクちゃん説得できないみたい」

 いいさ、っていうか、多分普段からあんな感じであんまり人の話聞かないんだろうな。犬の住処でのムトは俺に話を聞いてもらってとてもうれしそうだったから。

「止まり木無事でよかったあ」

 カナリアが思い切り腰に抱き付いてくる。それを真似るように小鳥も降りて抱き付いて来た。

「そのステッキどうしたんだよ?」

 そういや、カナリアの持ってるステッキ……。

「ラムさんから貰った」

「一本だけ? あんなにいっぱいあったんだからもっと貰っとけば」

 暮れなずむ町と戦った後のやつは向こうの奴らが回収したらしいけど、貰える物だって言うなら、それは武器として使えるしもっと会っても良かったんじゃないか。

「人の夢から持ってきた物って、ちゃんと何かと交換しなきゃ……次に起きた時消えてるの」

 カナリアは僅かに顔を伏せる。熊さんが俺たちにステッキを取ってきてくれた時もそうだったな。あれはどうなったんだろうか。

「そうか……大事な物と交換したのか?」

「ううん、大丈夫」

 否定なのか肯定なのか……雰囲気からすると肯定か。

「ごめんな、お前達ばっか戦わせて」

 攻撃手段の殆どない俺の方こそ、それが必要なんじゃないのかって思う。カナリアは俺が謝るとは思ってなかったようで、弾かれるように顔を上げると慌てて首を振る。

「止まり木は悪くないよ。僕がちゃんと戦えるようになりたかったから」

「人の弟泣かせてんじゃねえショタコン野郎」

 紫煙がカナリアを俺から引き剥がし脛を蹴りつけてきた。痛い。誰がショタコンだそっくりそのまま返してやる。

「別に泣かしちゃいない……で、これどうすりゃいいんだ?」

「どうって、どういう意味でかしら?」

 宿り木が答える。俺に宿り木が寄生している状態なのは、多分額を見れば分からうだろうから、いちいち小鳥たちには説明しない。

「どうやったらこれ戦闘終るんだよ……相手はこっちの説得効く耳持ってないし、いつでもこっちに来ることができるんだろ?」

 宿り木は分からないと音に出して答え、代わりに小鳥が僕知ってるよと手を上げる。

「えっとね、ユメトがあいつを食べたら終わり」

「ムクちゃん食べちゃうの?」

 ムトはそれは駄目だと慌てる。まるで一方的に剥くが惚れているように見えて、ムトも十分ムクに情があるんだろう。

「そうしないとあの人諦めそうにないもん」

「……もう一回だけ、話しさせてもらえないかしら?」

「無理、絶対話聞きそうにないし、そうしているうちに起きる時間になっちゃう。

 明日ももう一度同じ夢見なきゃいけないって、僕もしんどい」

 小鳥がムトの頼みを一蹴する。

「あのね……ずっと戦う夢見るのって、すっごく疲れる」

 そうか、これは小鳥の夢でもあるんだよな。こんなにも連戦を続けるってのは、小鳥にとっては寝ても覚めても気が休まらないって事なのかもしれない。

「決着付けなきゃ駄目。徹底的に叩き潰すか、ユメトに食べてもらう」

 小鳥の虹が燃えるような目がきゅうと細められる。いつもにこにこしているこいつらしくなくて、見ていて辛かった。

「悪いムト、こいつがそういうなら……俺は小鳥に従う」

「……仕方ないわあ、ごめんなさいな、無茶を言って」

 話は決まったな。ムトには悪いがムクを討つ。

 ユメトは今ここにはいないけれど、それはムクに見つからないように隠れているからだろう。多分小鳥たちは居場所を知っているはずだ。

 だから俺たちはまずムトを抵抗できないようにして、捕縛する。

 ムクはさっきからこっちを覗ってはいるが、ムトが人質に取られてると思ってか動かない。

「話が決まったなら後は行動あるのみよ。止まり木がいる限りこっちは体力は無尽蔵なんだから、力の出し惜しみは無し、相手は動物を使ってくるけれど所詮動物は動物、さっきみたいに小鳥と紫煙で攪乱しながら、カナリアは一撃離脱で、止まり木と稲妻はムトをしっかり捕まえておきなさい。稲妻二人をしっかり守るのよ」

 宿り木が指示を出す。作戦とも言えない作戦だけれど、相手の使う手も動物を呼び出すっていう単純な物なのだから、その対処も単純になるというものだ。

「分かった」

 返事を返したのは稲妻とカナリアだけ、小鳥と紫煙はさっそくムクへと向かっ手飛びかかっていた。

 ガンと、視界が揺れた気がした。

 小鳥がビタリと空中に制止する。煙となっていた紫煙も姿を戻すと、すぐにカナリアの傍へ戻ってきた。

「何だよ今の……」

 答えは、すぐに表れた。

 俺たちとムクとの間の空間に、大きな亀裂が入っていた。

「僕の夢壊れた!」

 小鳥が甲高い声で叫んだ。

「どういうことだ?」

「分かんない、でも夢が壊れて変な感じ!」

 夢の主である小鳥にしかわからない感覚なのだろうか、バタバタと翼を振るって慌てる小鳥。

 亀裂がじわっと広がって、まるで卵の殻が禿れ落ちるかのようにぼろぼろと崩れ始めた。亀裂の向こう側は何もない真っ黒な空間……。

「これって……ゲームで言うならボス戦とかにありそうな演出だよな」

「あー……悪い止まり木、俺あんまりゲーム知らない」

 まじか。稲妻の家って厳しいんだな。

「異界の魔王とか、出てきそうよねえ」

 代わりにムトが答える。ああ確かに。

 だが、そこから出てきたのは異界の魔王じゃなくて、巨大な体を持つモンスターだった。

 それはどこからどう見ても実在する動物ではなかった。強いて言うのならファンタジーゲームに出てくる竜に似ているかもしれない。

 細部は微妙に違うものの、メガネカイマンという種類のワニとクロコダイルを足して割ったようなシルエットに緑色の鱗、オオコウモリの羽、エゾ鹿の角を足して赤味の強い馬の鬣を生やしたような姿をした、象よりも一回りか二回り大きなそれが、竜以外の何かであるだろうか。

「何だよあれ!」

 稲妻が思わず叫ぶ。それで何を思ったか、ムクの腰に腕を回すと横抱きに抱え上げた。

「竜だろ」

「そんな動物存在しないだろ!」

 竜がゆらっと上空を旋回する。

 稲妻がぎゃあぎゃあと悲鳴じみた叫び声をあげる。煩いって。

「ムクちゃんが前に食べたユメビトの力よお。架空の生き物を記憶にある動物を繋ぎ合わせて作れるの……でも、命令された行動しかできないから、子供を作る事はできなかったの」

 ムトが稲妻に抱えられたまま説明をくれる。

 見ればムクは肩で大きく息を吐き、ひざを折ってこっちを睨んできていた。相当消耗するらしい。そうまでして出すような物なのかこの竜は

「大きいのを作ると動けなくなるくらい疲れるけど、ムクちゃんの命令には絶対従うし、犬とか他の動物とかと違って、多分ちょっと怯ませたくらいじゃ消えないわ。帰る場所が無いから、怯ませても元の夢に戻るって事が無いのお。それに、命令できるって事は、ムクちゃんの傍から逃げないから楽なのよねえ」

 犬や熊より厄介そうだなそれ。

 というか、犬や熊以外は命令無視して逃げていたんだろうか。そういえば人魚の噴水広場に居た動物たちは、到底ムクの命令を聞いているようには見えなかったな。ムトも言う事を聞かない子は連れて行っていないと言っていたか。

 竜はゆらりと建物の二階の屋根の辺りの高さを泳いでいる。非現実的な光景は散々見てきたと思ったけれど、流石にここまで来るともうなんというか……何でも有りにもほどがある。秩序の無い夢ってのは見ても忘れることがほとんどだろうけれど、こんな夢俺は今まで一度も見たことなかったよ。

 あー、少しヤバイな、俺現実逃避しかかってる。

「紫煙……あんた今から宿り木の所まで行って、寄生してもらう事ってできるか?」

 この竜を相手するのに、出来れば手数は多い方がいいんだが。

「無理だな、煙だけならすぐにでも向かわせられるが、本体じゃないから寄生しない」

 そういうものなのか。紫煙の能力ってどこまでが本体なのか黙視ではわからないから本人が言うのならそういう物だと納得するしかないか。

「少しくらいは足止めできるかもしれねえからお前らは散れ。カナリアを逃がす囮になれ」

 このブラコンめ。言うが速いかブラコンは体を煙に変えて空を泳ぐ竜に向かって登っていく。

「いつもの事だから気にすんな止まり木、先に行くな」

 さすがに稲妻は慣れていると言った様子で、ムトを抱えて走り出す。小鳥とカナリアも翼を広げてそれぞれにこの場を離れる。俺も逃げた方がいいんだろうか。取りあえず大樹の方へと走る。

 後ろを振り返れば、煙が竜の体に纏わりつき絡め取ろうとしていた。とたん竜がドリルのように体を回転させ、紫煙の煙を千々に散らしてしまう。

「何あれ!」

 宿り木にも見えていたんだろう。あれ確かに所見は驚くよな。

「ワニが獲物をしとめる時にする動き。あれで首の骨へし折ったり水に引き込んだりするんだ」

 まさか煙を散らすのに使えるなんてな。あれではきっと小鳥の羽も役に立たないだろう。軽い物は吹き飛ばされる。

 あの竜はワニの動きが基礎になっているんだろうか。あの巨体だから機動力はそれほど高くないと思うけど。

 竜が今度はこちらの番だとばかりに起きな口を開き咆哮する。羽が御菊羽ばたいたかと思ったら、尾をくねらせまるで水中を泳ぐかのように俺に向かって突っ込んできた。って!何で俺だよ!

 小鳥足が俺の肩を掴んで一瞬で空へと引き上げる。

「助かった……」

 大型バスが全力で突っ込んでくるようなワニの突撃に、石畳がボゴンと音を立てて砕け、浮き上がる。あー、そういや石畳ってタイルとかブロック状の物じゃなくて、実際は棒状の石だったよな。こんなのがみっちり詰まって馬車が通ってもぬかるむことのない丈夫な作りの西洋の道、これを一瞬で破砕しするような竜の突進を食らったら、きっと生身の人間はひとたまりもない。

「稲妻とどっちが強いかな?」

 小鳥が声を上ずらせる。笑い話のようにしようとしているが出来てない。

「多分この竜だな。一回に攻撃できる範囲が違う」

 俊敏さとか小回りは稲妻の方が上だろうけど。

 竜がのそりと顔を上げる。緑の艶やかな鱗は汚れただけで傷がついているようには見えなかった。

「石畳より硬いのかよ……」

「嘘、だったら稲妻しか攻撃通じる人いないよ」

 稲妻は確か初めて会った時に石畳割ってたもんな。

 考えてみればあいつここで一番のパワータイプだったんだな。小鳥とか紫煙の方が活躍してたから気が付かなかった。

「稲妻は何処?」

 宿り木に聞かれ稲妻を探すも、あいつ何処まで行ったんだか、すでにこの辺りに姿はない。

「見当たらない。小鳥、とりあえず俺を大樹の入り口に連れてってくれないか?」

 この樹の中なら多分あの竜の攻撃は受け付けない。稲妻が本気でぶつかっても平気な樹だ、あの竜も……。取りあえず中に逃げ込んで作戦なり対策なりを考えなくては。

 でも竜もそんな事を許してくれるほど悠長ではなかったようで、石畳を軋ませながら地面を蹴ると俺たちに向かって飛び上がってきた。

「逃げろ! 小鳥!」

「分かったー!」

 大きさに合わせた制動力しかないのが救いか、それこそ大型の車のように急にブレーキをかけることができないようだ。空飛んでりゃ摩擦もないし余計にな。

 俺たちよりもだいぶん上に通りすぎ、ようやく止まった竜。グウグウとくぐもった音を出しては俺たちを威嚇する。

 小鳥はとにかく大樹の幹に近付こうと飛ぶ。

 視界が薄く暗くなる。上を見れば大樹の枝の影に入ったことが分かった。枝が高い位置にあるから、陽の光が斜めに入りそこまで暗いと言うほどではないが、それでも真昼の室内くらいには暗い。

 確か俺の大樹の枝にはLEDが付いていたんじゃなかったか? 俺が誘拐されている間に消えていたと言われたっけ。

 俺が戻ってきたんだから点いてもいい気もするが。

 思った途端枝にたわわに実ったLEDに明かりが灯る。

 急な明転に俺も小鳥もたまらず目を覆った。まるで室内から急に真夏の昼の太陽の下に引きずり出されたかのようだ。

 小鳥はふらりとバランスを崩し、地上にせり出し絡まり合っていた大樹の根の上に落ちた。

 竜もまた俺たちよりもずっと高い場所から樹の根に落ち、体勢を立て直せずに石畳へと滑り落ちる。

「二人とも大丈夫!」

 宿り木が悲鳴を上げるが、俺は衝撃はあったけれど不思議な事に全く痛くない。まるでジェットコースターの降下時のような、ふわりとした無重力感を感じただけだった。

「へいきー、ここだと止まり木のおかげであんまり痛くないよ」

「そうなのか?」

 小鳥がパーカーの袖に戻った両腕を突き上げて、本当に何事も無かったように元気な声で無事を伝える。少し額が赤くなってるように見えっるんだが……。

「いつもここで練習したりする時って、痛くないんだよ、知らなかった?」

「知らなかった……」

「そうなの? でもだから僕たちここに逃げ込むことにしたんだよ。痛くないから」

 樹の根が迷路みたいになってるからじゃなかったのか。確かにあの高さ、ビルの五階くらいは有ろう高さから落ちて痛くないってのは、小鳥たちにとってはかなり便利なのかもしれない。見ればもう額は赤くない。

「にしても……あの竜は目で見て周囲を判断してるんだな」

「それって重要?」

 宿り木は少し呆れているようだけど、動物ってのは必ずしも目で見てるとは限らないからな。イルカやコウモリのような音波で周囲を見てたり、蛇のように温度で生き物のいる場所を把握する生き物だっている。そういう動物にはどう対応すればいいかは分からないが、あの竜が俺たちと同じ目で見て周囲の状況を判断するんだとしたら、その感覚器官を攪乱するのは、いつもの小鳥たちのやり方で十分だって事が分かる。

「重要。紫煙の煙を嫌がったのも、視界を遮られたくなかったからだろ。だったら視界を塞いだり目を攻撃するってのはあいつに有効なんだよ」

「そっか! 止まり木凄いね!」

 だてに動物園行ってないからな。弟達の動物好きに感謝だ。

 小鳥が腰にしがみ付いてくる。体力回復を図っているんだろう。

「なら竜がさっきみたいな回転が出来ないようにするべきよね。上の方の枝と枝の間、股になっているところに誘い込めないかしら? 大型の車って路地に入ると制御が難しいでしょ?そんな感じに」

 宿り木の言葉に促されるように頭上を見上げる。LEDが少し眩しいが、確かにできそうだな。

「動きを制限して視界を妨げて攪乱、目か口の中のような鱗に覆われてない所を狙って攻撃……カナリアの持ってたステッキがあれば……」

「目を狙うの? 痛そうだね」

「痛くなきゃ弱点じゃないだろ」

 こんな時でも小鳥の声は驚くほど無邪気だが、俺の腰に回された腕にはぎゅうと力が籠っていて、それがカラ元気なんだということが分かった。

 こいつまだ中学生くらいだもんな。思わず弟達にするように、柔らかい髪を撫でた。

 小鳥がびっくりしたように顔を上げてくる。少しだけ、眉尻の下がった笑み。

「勝てるさ」

「うん」

 竜がグガアと吠えた。もう視力も回復しているのだろう。

「俺も一緒連れてってくれ」

「うん、僕もそうして欲しかった」

 一人であんなのと対峙するの、絶対怖いもんな。

 小鳥が翼を広げて俺の肩の上に飛び乗る。爪でしっかりと掴むとそのまま俺の体を運び頭上の枝へと向かって上昇していく。

 グオウグオウと竜が吠え、俺たちを追うように飛びあがった。

 やっぱこいつ俺を狙ってるっぽいな。

 ムトが言うには補給を断って小鳥たちを追い込むつもりなのかもしれない。稲妻もじり貧だったと言っていたっけか。

 小鳥よりも竜の方が上昇するスピードが速い。

「追い付かれる!」

 宿り木が悲鳴を上げる。しかし追い付かれるより先に、竜の視界を妨げるように煙がまとわりついた。紫煙だ。

「カナリアも近くにいる?」

「多分な……俺を狙ってるっぽいから、散っても意味が無いって分かったんだろ」

 小鳥がカナリアを探して首を巡らせる。止まった視線の先に黄色い姿があった。

 狙いを固定していないなら誰を狙うか迷わせ、時間稼ぎもできるが、そうでないなら散るのは戦力の分散でしかない。多分俺よりもこいつらの方が場数踏んでんだから分かってるよな。

 ちゃんと仲間が傍にいることに安心したのか、小鳥は竜を気にせずぐんぐんと大きく太い枝に近付いていく。

「一度俺を枝の上に降ろしてくれ」

「分かった」

「枝の股の部分に俺が行くから、そこまで竜が来たら、視界を塞いで、目と口の中」

 作戦を復唱する。小鳥はそれにも分かったと頷き、目的の枝の上へと俺を降ろした。

 巨大な樹の枝は巨大すぎて、表面の湾曲による傾斜なんてほとんど気にせず上に立つことができた。枝分かれした場所へと走る俺の横を、紫煙を振り払った竜が通り過ぎた。うわ、今物凄く引っ張られるような感覚があった。

 こいつ近付くのもヤバイな。高速で走るトラックのように、周囲の空気を引き込みながら動いているんだ。

 枝の股になっている部分についた。ここにあの竜を嵌めるには……ギリギリまで近づけなくちゃ駄目だよな。

「けど具体的にどうすりゃ」

 枝の股の間から飛び降りてみるか?

「危険か……」

 いくらこの樹にぶつかっても痛みが少ないとはいえ、全く怪我をしないわけでもないんだ。俺が悩んでいるうちに、いつの間にかターンを済ませた竜が戻っていたようで、俺の頭上に影が差した。

 しまった、逃げる先が無い。

 枝の上を走っても、俺の足じゃ普通に追いつかれる。

 どうせ逃げ切れないならと、俺は枝分かれした股に足を進める。竜は丁度頭上から来ている。

 ええいままよい!

 考えてもらちが明かないのなら飛び降りるまでだ!

 ふわと、体が重力に引かれ落ちていく。けれどそれがやけにゆっくりに感じた。その瞬間思い出すユメトの言葉。「降りれるよ、多分この樹の枝が伸びている辺りまでなら、君は飛び降りれるし、自由に行き来できると思うけど……想像力があれば」

 想像力さえあれば……。

 頭上を見上げる、竜が狭い枝の股めがけて突進していたのを、空中で制動をかけようとしているところだった。させるか。

 想像力ならある。ゲームだアニメだで育った現代っ子を舐めるな!

 頭上の枝にたわわに実る球形のLEDが、竜めがけて降り注いだ。

 ガシャガシャンとガラスが割れるような音ともに、LEDは砕け散って光の欠片になって空気に溶けていく。

 体中に降り注ぐ衝撃に竜が吠えた。翼の被膜はぼろぼろに穴が開き、体を上手く御せないのか枝の股に向かって落ちてくる。身を捩ってなんとか体勢を立て直そうとしていたようだが、枝の上に前足を着くことができても、下半身はずるりと滑り落ち、体が重みに引かれて落ちる。全て落ち前に切るワニ特有の大きく左右に張り出し頬骨だけで引っかかった。

 竜は慌てて下半身を持ち上げようと翼を羽ばたかせる。動きが酷く取り難そうだ。

「今だ」

 そう俺が口にしたのと、竜の周囲に濃い煙や青い羽が舞い散ったのは同時だった。竜がグウグウと唸る。回転して煙を散らすことができない。

 チュインと金属を弾くような音がした。カナリアもいる。

 グガオウと竜が大きく吠えた。その声は怒りでも含んでいるのか酷く引きつったような音だ。

 足が地上に張り出していた樹の根につく。と同時にジャンプをしてみる。スーパーマリオだってこんなには飛べないってくらいに体が高く舞い上がる。

 竜が挟まる樹の枝の上に着地すると、そこには小鳥とカナリアがいた。

 小鳥は竜の右目を、カナリアはステッキで左の目を同時に攻撃していたようで、竜の量の目からは血が流れて出していた。

 竜が激しく身を捩り身悶える。顎が枝から外れ竜が樹の根の上へと落ち、大きな音を立て叩き付けられた。そこからさらに地面へと滑り落ちる。

 仰向けに倒れる竜の白い腹に、小鳥が真っ直ぐ降下する。胸の辺り、肺か心臓を狙っているのだろうか、他よりも薄い鱗に小鳥の蹴爪が突き刺さる。

 竜の体がびくりと跳ねた。小鳥は再び飛び上がる。竜は地面を転がりビクビクと体を揺らす。

 紫煙の煙が悶える巨体へと絡みつくと、竜は身動き取れず痙攣のように震えながらも転がることは無くなる。

 カナリアが降下し、竜の傍へと降り立つ。小鳥がカナリアからステッキを受け取る。そのステッキの先が、潰された竜の目へと押し当てられた。

 チュイン、甲高い金属音。

 竜はひときわ大きく体を震わせたと思ったら、とたんくたりと体を弛緩させ、そして砂細工のようにざらりと崩れ落ちた。

「……もしかして、勝った?」

 俺は枝から飛び降りて小鳥たちの傍へと駆け寄る。

「紫煙、あのムクって奴を拘束して!」

 宿り木の声に紫煙は言葉は返さずに石畳へと膝を付くムクへと流れる。

 紫煙の煙は濃くすれば質量を伴う。拘束されればそう簡単には逃げられないはずだ。

「ぐ……おのれ」

 いや、だからあんたの言葉使い……。いやまあいい。

「敵は捕まえたし、あとはユメトね……こいつを諦めさせるために説得するか、ユメトに食べてもらうしかないわ」

 宿り木の言葉に俺は素直に頷けなかった。

 ムトは何処だろうか。

 ムクに目をやれば、まるで覚悟はできているとばかりに口を真一文字に結んで素直に石畳に座っていた。

「小鳥! 止まり木!」

「すごおい! あんなの倒しちゃうなんてえ、すごいのねえ!」

 竜を倒したのをどこかで見ていたんだろう、稲妻がムトを抱えて走ってきた。空を飛ぶ敵にはジャンプくらいしか攻撃手段が無いからってのは分かるが、稲妻は逃げてただけだったな。

 良かった。これでもう一度ムクを説得す出来る。いくらこいつが嫌な奴だったとしても、平和ボケの日本人である俺の頭には、こいつを死なせるって選択肢はないんだ。

「やっと終わったあ」

 気の抜けた声が背後から聞こえた。俺たちは揃って声の主を振り返る。

 ユメトだ。少し離れた樹の根の影から、ちらとこちらを覗いて手を振ってきていた。

 何時の間にそんなところにいたんだよ。

「ユメト! ねえこっち来て―、もう大丈夫だからさあ」

 小鳥が明るくユメトを呼ぶと、ユメトは軽い調子で「はいはーい」と返事を返し、一切急ぐ様子も無くへらへら笑って歩いてくる。

 こいつ……ついさっきまで自分が命の危機に晒されてたって自覚無いのか?

 いつもの人を食ったようなゆるい態度が、今日に限ったは本当に腹が立った。これは多分俺だけじゃないよな。

 事が終わってからへらへらと現れたユメトに注がれるのは、呆れ切った冷たい視線と、俺の突き放す言葉。

「お前一度食われとけ」

「えーやだなあ、そんなこと言わないでよ、僕と止まり木の仲じゃないか」

 俺とユメトの仲というと……ある日突然現れて自分の主人のために役に立てと一方的な望みを要求してきた奴と、要求された無辜の一般人という仲だな。

「やっぱ食われとけ」

「ちょ……止まり木今日はやけに辛辣じゃない?」

「ユメトがふざけるからじゃない?」

 俺との受け答えに、流石の小鳥ですら冷めた目でユメトを見やる。あんな化物と戦った後に、こいつのテンションは正直腹立つもんな、分かるわかる。

「ふざけてるつもりはなかったんだけどね……まあいいか。本題に入ろうか?」

 最初からそうしてろ。もう誰もユメトに突っ込まない。寂しそうな顔をしても誰も突っ込まないからな。

「……ちぇ。えっと、ムク? 君の事なんだけどさ」

 拘束されたムクの前に立ち、相変わらずのへらへらとした笑みでユメトは話を切り出す。ムクはそれをすげなく睨み返すだけで答えようとはしない。

「あはははははあ、いい事を教えてあげようか? 僕は世界を作るのが上手いと思われがちなんだけどさ、本当は世界を作るのが上手いだけじゃないんだよねえ。他人の意識の中から使いたい情報を探し出して引き出して、それを夢に反映させるのが上手いんだよ。

 だからね、僕は君の事や君の主人の事を今まで調べてたんだ」

 ぴくりとムクの肩が揺れた。そういやこいつの主人ってどんな奴なんだろうか。ムトはムクの主人の事をムクのパパと言っていた。世界で一番大切な物を見つけろと願っていたんだっけか。

「寿命だろうね……もうそんなに長くないのかな?」

「貴様……」

 ムクはあからさまに動揺し声を震わせる。それはユメトが言っている言葉が真実だって認めているようなもんだ。

「うそ! だってムクちゃんのパパ毎日夢に来てくれてるじゃない」

「だからだよ。ムトさんだっけ? 君の主人は事故で亡くなったんだよね? だから知らないんだろうけど、夢の主人ってのは衰弱によって寿命が来る場合、夢の中に滞在する時間が長くなるんだよね。体と精神が乖離し出すんだ……それをユメビトは察することができるそうだよ」

 思わず叫んだムトに、ユメトは笑みを消してそう説明した。

 ユメビトにとって主人ってのが、相当重要な存在なのは、こいつ等を見ていたら分かる。そんな大事な奴を放っておいて、何でムクは暮れなずむ町や空と大地の鳥籠を襲ってたんだろうか。

「もしかして……主人が死ぬ前に、何としても自分の子供なりなんなりを作って、主人が望んでいたことを叶えたぞ、って示したかったのか?」

 答えないけど分かりやすく目を逸らすムク。分かりやすい奴。

「そんな理由だったの!」

 宿り木が怒りを孕んだ声でありえないと叫んだ。

「そんな理由で他人を殺したり犠牲にしようとしてんのあんた」

「そんな理由っていうか……主人の願いを叶えたいっていうなら、それは僕達ユメビトの存在意義そのものなんだけどねえ」

 宿りの言葉に反論を返したのは、その犠牲にされかかったはずのユメトで、宿り木がその言葉にぐっと息を飲んだのが分かった。

「あのさムク、僕は別に君を責める気はないし、君と食べたいとも思ってないんだけど……どう?」

 ユメトはムクの前に屈みこみ、石畳に膝を付いて目線を合わせる。それは言葉通り、ユメトがムクに対して何の恨みも無いことを示しているように見えた。

「どうとはどういう意味だ」

 自分の行動理由を丸裸にされたからだろうか、ムクは今にも悔しさで死んでしまうんじゃないかというくらいに顔を歪め、睨みつけるようにユメトを見やる。

「いや、もまだ僕の事狙うのかなって? 君僕をどうこうするつもりもないってんなら、別に僕も君の事どうとも思わないし、君の主人はきっと君がいなくなったらひどく悲しむと思うから……同じように主人を愛する者としては、大人しく帰って欲しいんだけど」

「水に流すのか?」

 驚いてそう聞いたのは稲妻。その横でにへっと小鳥が笑う。

「ユメトだもん、流すよ」

「こいつ俺らの事も許したからな」

「ねー、懐かしい」

 小鳥に追従したのは紫煙とカナリア。って、もしかして……。

「なに? お前らもしかして以前ユメト襲ったことあるの?」

「うん」

 小鳥が肯定する。

「僕がそれ許してるから」

 あ、と手首から声が聞こえる。あ、そうか、そういや小鳥はユメトの主人としての権利かけて、戦いを挑むことを宿り木や稲妻に許してたじゃないか。

「正気か?」

 ムクはまるで豆鉄砲を食らった鳩のような顔で、何故か俺に向かって聞く。

「知るか。こいつ等にとっては正気なんじゃないか?」

 だって俺が初めてこの夢の世界に来た時からそんな感じだったし。

「……ムクちゃんの事許してくれるのお?」

 おずとムトが、やっぱり何でか俺に問う。

「許すんだろ、多分」

 暮れなずむ町のラムの事も許してたみたいだし。

「ならば、ムトを……ここの国の住人とすると約束をしてくれ。それならば、俺はここから手を引く」

「え!」

 ムク以外の全員の声が揃った。それはまさかの交換条件だった。

 特にムトは大きく目を見開いて顔から色を失くしている。まさかムク……ムトが裏切ったから……。

「こいつは誰よりもか弱く寂しがりやなんだ……俺の世界では、満足させてやる事が出来ん」

 あ……ああ、そうか、何だ……。

「何だ、あんた世界一大切な物見つけてんじゃん」

 自分勝手で相手の話は聞かない奴で、正直俺は嫌いなタイプだけれど、こいつの行動原理の全ては自分のためじゃなくて、自分が好きな誰かのためだけに終止している。

「あんた一度もっとちゃんと自分の主人とかムトと会話をしてみればいいんじゃないか? 多分、もうとっくに見つけてるよ……大切な物」

 俺の言葉に、ムクは不思議そうに首を傾げた。物わかり悪い奴だなあ。

 だから、会話をしろって言ってるんだよ。

 人ってのは言葉でコミュニケーション取る事に特化した生き物なんだから、その言葉使わなくて、人の気持ち全てわかるわけもないし、自分が伝えたい気持ちを悟ってもらえるわけじゃないんだ。

 だから……言葉って大事だろ?


「祐樹、祐樹、大丈夫?」

「は? え?」

 目が覚めたら見覚えのある顔が俺を覗き込んでいた。普段はあっけらかんと笑っている顔が、今は不安そうに眉根を寄せていた。

 俺、今まで寝ていたのか? まるでずっと一晩起きていたかのように疲れているんだけど。

「珍しく寝坊してると思ったら……祐樹魘されてたのよ?」

 寝坊って……。

「今……何時?」

 俺の喉から出てきたのは、自分でも信じられないくらい掠れた老人みたいな声。

 やらなきゃいけない事があるんだ……。俺それくらいしかできないから、ちゃんとしなきゃ。

「八時半」

 は? いや、だって、そんな……。

「っやべ、ハル達の弁当!」

 慌てて飛び起きようとする俺の肩を母さんが掴む。思いの外強い力でベッドの上に押し倒されてしまう。

「それは母さんが作って後で持って行くから大丈夫」

 俺をベッドに戻すと母さんは苦しそうな顔で頭を下げる。

「最近無理させ過ぎてたよね、ごめん」

「無理なんてしてない」

 母さんが苦笑しながら俺の額に手を当ててくる。あ、すごく冷たくて気持ちいい……もしかして俺、熱があるんだろうか?

 そういや頭も痛いし体も痛い。特に左の肩とか腰とか関節。

「今日は学校休むって連絡入れるから」

 額から母さんの手がどけられる。ひどく名残惜しい。いつもだったらこんな甘えた気持ちにはならないけど……。何考えてるんだろ俺。恥ずかしい。

 だって俺もう十七だし、多少マザコンとかファザコンとか叔父コンとかブラコンとかシスコンの気はあると自覚はしているけど、でもいくら何でもちょっと熱出したくらいでこんな甘えたいなんて思うなんておかしいだろ。

 でも、甘えたい。

 今甘えておかないと、もしかしたらもう一生こんな風に話をして、触ってもらって、声を聞けなくなるかもしれないし。

 いきなり何でこんなことを考えてしまったのか分からない。熱が出て、自分が病気だと思った途端気が弱くなるってやつなのかもしれない。

 何か悪い夢でも見ていたのかもしれない。

 夢だから起きてすぐ忘れてしまったけれど、起きた時からずっと何かをしなきゃいけないって焦燥感があった。

 どうして忘れてしまったんだろうか。とても大事な事で覚えておかなきゃいけない事だと思っていたのに。

 不安で不安で堪えようもなく涙があふれてくる……。俺男なのに。

「かあ……さん」

「なに?」

 母さんが俺の髪を撫でる。もしかしたら俺の目に涙が浮いてるの気が付いているんだろうか。恥ずかしい。

「ありがとう」

 母さんの目がいつもより大きく開かれる。

「いつも……俺に頼ってくれて」

「ん?」

「俺がココに居ても良いって……思わせてくれて」

「うん」

「俺の母さんでいてくれて……」

 恥ずかしいけど、今、言っておかなきゃいけない気がしてる。

「そうね……ふふ」

 母さんが綺麗に笑う。

「ありがとう」

 ずっと、ずっと言いたかった。ちゃんと言えずに、またさようならをする日が来たりしたら、俺きっと一生後悔するから。

 言葉っていう、形にして伝えなきゃって……そうだ、ずっと夢の中でそう思ってた。

「じゃあ、今度は母さんからね」

 え?

「母さんって呼んでくれてありがとう。一緒に生きてくれるって言ってくれてありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう、祐樹」

 母さんは、とてもとても綺麗に笑う。

 生まれてきてくれてありがとうだってさ。

 俺……この人には一生敵わないんだろうな。

 目に溜まっていた涙があふれた。息が苦しくなる。ひっくひっくと自分でも情けなくなるくらい俺はしゃくりあげて泣いていた。

 ありがとう、ありがとう、ありがとう。

 言い足りない。

 でも上手く息が出来なくて、しゃくり上げるばっかりで言葉にならない。

 それでも母さんは俺が泣き止むまでそこに居て、俺の頭を撫で続けてくれた。



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寝物語戦争 @morino_yu-zo-

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