#036 サライ旅館、ずっと遠い命令を

 #星歴682年 10月 17日  午後9時25分

  ユーフリア北部地方ファレム特別区アルティナ市(第5時空転移門ファレスティカ門跡)



 オアシス湖に架かる古い桟橋の上、風の中でユカと抱き合っていた。

 すると、桟橋を踏んで歩む足音が背中でした。

 振り返ると、エプロンスカート姿の綺麗きれいな女の人がにっこりと笑っていた。

沙夜さや法印皇女様ほういんこうじょさま、ようこそ鈴蘭館へおいでくださいました。お部屋のご用意ができております」 

 そう鈴の音の如くに言うとぺこりとお辞儀した。腰を折る仕草も流麗で、私はユカを抱いたまま、ぽうとしてしまった。


 この凄く綺麗きれいなエプロンスカート姿の女性が、そのサライ旅館をたったひとりで守っていた鈴蘭さんだった。廃墟のようなアルティナ市の中で、ここだけ六百年前の繁栄の時代のままであるかのように、オアシス湖畔に美しい旅館が佇んでいたの。


 廃墟になったアルティナ市にこんなお洒落なサライ旅館があるなんて。

 吹き抜けの天井から、橙色の暖かなランプがたくさん吊るされていた。お洒落なエントランスホール、その片隅にあるテーブル席に案内された。

 

 いまは、冬の寒さで客足が途絶えているけど、隊商が訪れる夏場には、このテーブル席はチェックイン待ちのお客様でごった返すらしい。

 不思議に思って尋ねたら、鈴蘭さんはこのサライ旅館のこと、凄くうれしそうに話してくれた。

「ここは寂れてしまったアルティナ市の中に残された唯一の、ぬくもりの場所です」

 柔らかい声が微笑む。

「寒かったでしょう、それに随分とお疲れのご様子……温まってください」

 私とユカ、二人分の紅茶が差し出された。たっぷりクリームが乗った紅茶のカップからは、柚子の香りがした。コーヒーじゃなくって、紅茶なのは不思議な感じがした。

沙夜さや皇女様こうじょさま、とりあえずの事情はユカさんからお伺いしています。昨夜から徹夜続きで大変でしたね。きっと、大丈夫ですから、後でお部屋にご案内しますから、ゆっくりお休みください」 

 ありがたいのだけど、私、あんまりのんびりしていられない。魔法機械まほうきかい獣魔ファランガルト様が私たちを待っている。おそらくだけど、私の推測では、ファランガルト様は、あの巨大で歪な機械獣魔きかいじゅうまの中にあって、たぶん、自由が利かない。ファランガルト様は私たちとの決戦を望み待っているけど、機械獣魔きかいじゅうまの方は魔法力の充填が済み次第、再び跳躍転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗ろうと〉を使い、今度こそ、飛び去ってしまうかも知れない。

 さっき、ガストーリュの操演そうえん室の中で見た不思議な光景から、そんな風に私は考えていた。

 思いを巡らせていたら、ころんと音がして、ティーカップの隣にスコーンが添えられた。たっぷりチョコレートのチップが散りばめられていて、サクサクしていて、甘い匂いがした。

 どうしようかと、ちらっと、ユカを見遣ると、栗色の髪が微かにうなずいた。

「一応のご説明をしてご協力を要請しております」

 ユカが、コンコンと咳こんだ。夜風の中で私を待っていたから、喉を冷やしたらしい。

「ユカ、風邪ひいたの? 大丈夫?」

「あ、すみません……ちょっと、咳が出ちゃって……」

 咳を堪えながらユカがティーカップに口を付けた。おいしそうにクリーム乗せ紅茶を飲んだ。

「あ、凄く、美味しいです。ありがとうございま……」

 ティーカップをお皿に戻したユカが、傍らに控えていた鈴蘭さんに微笑んだ直後、糸が切れた操り人形みたいに、ふらっと倒れた。 

「ゆ、ユカ……っ!?」

 ふいに気を失ったユカを慌てて、抱き留めた。するりと鈴蘭さんのエプロンスカートが歩み寄った。

「ご心配なく、ユカさんは大変にお疲れですからお休み頂きました」

 えっ? このやわらかい口調で紡がれた言葉が意味するところに気づいて、振り返った。

 鈴蘭さんは、ぬいぐるみの如くぐったりしているユカを、私の腕から抱きあげて、エントランスホールの片隅にあるソファーに運んだ。きっちり閉じていた襟元を緩めて、毛布を掛けた。手慣れているせいか、不安な感じはしない。


 だけど……


「ユカに、なにをしたの? それに……」

 ユカが口にしたものと同じ飲み物が私にも出されていた。鈴蘭さんの雰囲気はまあるくて柔らかい。頑張って意識して睨まないと、にっこり笑顔に呑まれそうになる。

「ご心配には及びません。緊張を解して入眠を助けるお薬ですから」

「やっぱり薬を? 作戦行動中の天空騎士てんくうきしにこんなことをして、無事に済むと思っているの」

 それに、騙されたユカのことを嘲笑った――そう、感じた。

「それは誤解ですわ。だって、ユカさんは嘘を見抜ける聡明な方です。ですが、存在しない嘘や悪意を見つけることは無理ですから」

「どういうこと?」

「わたくし、嘘や悪意は持ち合わせていませんもの」

 くすりと鈴蘭さんの笑顔が嬉しそうに笑う。

「存在しない嘘や悪意の幻が見えるほど愚か者では――ユカさんはありません。そうでしょ? だから、お出しした〈薬湯〉を飲んで下さったのです」

「そんな理屈なんて……っ!」

 ユカが突然に倒れたショックで声が荒くなった。でも、言葉にした直後、あれ? と疑問符が私の脳裏に浮かび上がった。


 魔法の音韻おんいんが聞こえたの。


 すごく微弱で風の音に紛れてしまうどころか、ランプの炎が揺れる微かな音にさえも隠れてしまうくらいに小さな音色だった。

「あら、あら……あら……もしかして、聞こえますか?」

 鈴蘭さんが驚いたような呆れたような顔をした。私は、その笑顔を無視して、サライ旅館の中、この広くてお洒落なエントランスホールの隅々に意識を飛ばした。


 すぐ近くに複雑に絡み合った旋律を奏でる魔法機械まほうきかいがある……


 ぐるりと目と耳と意識で、ガラスの天窓にたくさんのランプを吊るした空間を探し回った。籐編みの衝立の陰に、ガラス張りの食器棚に飾られたグラスたちの後ろに、果物の籠盛りの隙間に…… そして、やっと、気づいたの。


「鈴蘭さん……!」

 音色の源に気づいて鈴蘭さんのエプロンドレスを見詰めた。

 鈴蘭さんが、ぐっすり眠るユカの髪を撫でてから、小さな嘆息の後に立ちあがった。すっと、魔法の音色の源、自らの胸元へ右手を当てた。 

「さすが、貴姫様きひめさまのお眼鏡に叶っただけの逸材ですわ」

 ゆっくりと腰を折った。

 鈴蘭さんの胸元には、心臓の代わりに、恐ろしく高性能な魔法機環まほうきかんが宿されている。私は信じられない気持ちで、その清楚なエプロンスカート姿を見詰めた。

 私の魔法に対する感覚は、もう答えを出していた。でも、常識的にその答えが信じられなかった。


 ――鈴蘭さんも、貴姫様きひめさま魔法機械騎士まほうきかいきしなの?


 甘く柔らかい微笑みが嬉しそうに、うなずいた。

「さすがは貴姫様きひめさまが、新しい朝顔の種とお認めになられた逸材ですわ」

 魔法機械騎士まほうきかいきしがこんなに小さく、しかも美しい女性の姿をしているなんて信じられなかった。使役魔法に出てくる聖霊なら、見た目だけなら取り繕えるけど、魔法力は全然足りない。

 いま改めて気づいたけど、鈴蘭さんはこのサライ旅館をひとりで守り続けているの。聖霊はもちろん、人間だって、広い旅館を……お掃除も、ベッドメイキングも、食事やお風呂の用意……色々なこと全部をたったひとりでするなんて、絶対できない。

 でも、圧倒的な魔法力を秘めた魔法機環まほうきかんを力の源にする魔法機械騎士まほうきかいきしならば……貴姫様きひめさまの魔法技術ならばできてしまうの。


 ため息をついた。


 目の前に常識では考えられないほど高度な魔法機械騎士まほうきかいきしがいる。それも、こんなに清楚で可憐な、鈴蘭の花のような。

 

 それに――

 貴姫様きひめさまは、月属性跳躍転移魔法〈ランペル・シュルーペの漏斗ろうと〉を最大限に活用していたの。空の高みに架かった時間と空間を超える魔法の架け橋を使い、この世界に眠る、かつて自らの指揮下にあった魔法機械騎士まほうきかいきしたちにメッセージを飛ばしていたらしい。

沙夜さや様には感謝申し上げています。おかげさまで、六百年の久方ぶりに、敬愛する主から再びご指示を賜りました」

 鈴蘭さんが言うには、サライ旅館を冬季閉店にして冬ごもりの準備をしていた。寒くなり隊商すら訪れなくなり、すっかり客足の途絶えた旅館のエントランスホールで、こんな感じにうたた寝していたら、夢の中に貴姫様きひめさまが現れたというの。

「ご指示はみっつです。ひとつめは、沙夜さや様とユカ様を歓待すること。お食事と温かい飲み物とお風呂を用意せよと仰せです。ふたつめは従前の命令を継続、このぬくもりの場所、サライ旅館を守り続けなさい。それから……」

 鈴蘭さんはもう瞳を潤ませていた。

「もうすぐ会いに行くから、また、抱っこしよう――以上をご下命頂きました」

 もう心の中、〈鳥籠〉の中で貴姫様きひめさまがうずうずしている様子が伝わってきた。

 半分、私は呆れかえっていた。

 こんな恐ろしいほどの魔法機械まほうきかい技術が、呆れるほどに可愛らしい目的のために稼働しているのだから。私たち、天空騎士てんくうきしはどうして漆黒の貴姫様きひめさまに勝てなかったんだろうってね。

「交代します。あとは、貴姫様きひめさまにお任せしますから……」


 途端、貴姫様きひめさまは鈴蘭さんをぎゅっと抱きしめた。私の身体を借りているのだから、背丈は鈴蘭さんより大幅にチビだけど、でも抱きしめた。抱き着いているみたいになってしまう。けれども、それでも、貴姫様きひめさまが鈴蘭さんを愛おしいと思う想いは変わらない。


 この世界の片隅で、ぬくもりの場所を守りなさい。


 六百年前に与えられた命令を、魔法機械騎士まほうきかいきしである鈴蘭さんは、誠実に守り続けていたの。


 もっと早く気づけた。ヒントはあったの。

 〈鳥籠〉の中を飾る籐編みの調度品は、このサライ旅館にあるものと同じだった。つまり〈鳥籠〉にある籐編みの椅子も、洗濯籠も、衝立も……全部、鈴蘭さんが作って貴姫様きひめさまの御座船に納めたものが、そのまま〈鳥籠〉の中へ引き継がれていたの。


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天空海戦物語 魔法機環と少女と 天菜真祭 @maturi

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