第伍幕・鬼譚怪力乱神
もう目の前に鬼どもは迫ってきている。局長や中級の局員たちだけでは数は減らせても対処はしきれなかったようだ。
上級局員たちもすぐ傍まで来た鬼ども相手に大立ち回りを始めている。浮かせた剣を操る者、大規模な火界咒をもってまとめて一画を焼き払う者。変わり種だと、あやかしを模した形代を召喚してけしかける者もいる。
「いやはや、俺達が手を出すまでもなくこの勢いだと殲滅できそうなもんだけどな」
「上級のやつらには力を温存してもらわなきゃいけない。だから、私と貴方であいつらを蹴散らすのよ? 本当にわかってる?」
「もちろんだとも。むしろ足を引っ張ってんのは俺の方なんだから、それほど傲慢になれるわけもないだろうに」
呆れた顔でこちらを見る加茂。あまり冷たい目で見るなよ、ぞくぞくするだろ。
「さて、じゃあ私はあいつらを魅了して支配下に置いたあと、飯野を中心に集める」
「そして俺がそいつをまとめて吹き飛ばす。だが、今残ってる呪力で使える術式だと、鬼どもはなんとかできても飯野本人には何の効果も与えられない」
「別にいいのよ? 私が飯野を魅了しちゃえば今回の件だってもう終わりなんだから。まぁ正直対策は打ってるだろうから厳しいところだけれど」
「まぁ、お前は大概の相手に相性が良いからな。最初に対策するとしたらお前だろう。他のやつは最悪対策なしでも力押しで何とか出来ることが多い」
「魅力的だからこそその力をうまく活用できなくされる。本当に世知辛いわ。なぜ男たちは悦んで私の足の下に跪かないのかしら?」
それはお前の普段の素行のせいだろうが。実に不思議だ、みたいな顔してんじゃねぇよ。
まぁ茶番もそろそろ終わりだ。使う術式の選定も終わった。鬼に対しては特別な力を発揮するだろうが、人間に対してはそこまで影響を与えられないものだ。
本音を言ってしまえば俺も火界咒あたりで飯野ごと殲滅してしまいたいところなのだが、いかんせん呪力が足りない。あまり派手な術は使えないのだ。
久咲が近づいてきた鬼と対峙し始めた。流石にこの後方まで流れてくる鬼はまだ少ない。だが、このままでは局員たちの健闘虚しく全員が飲み込まれてしまうだろう。
俺たち二人の後ろにはまだ倒れたままの中級たちがたくさん転がっている。
熟練した中級と局長が前に出て立ち回り、上級が俺たちの後ろからそれを援護しながら倒れた人員の保護を急いでいるのだが、これもまた人手が足りていない。
それを指揮する晴天の顔も必死だ。かなり厳しい状況になってきている。それもあの鬼が出てきてからのことだ。
結局彼女の正体は何だったのだろうか。
あれほどの威圧感を有する、人型の鬼。女の童を象り、やる気を感じさせないのにその力だけは荒れ狂うあやかし。
飯野は知っているのだろう。あの鬼一匹で俺たちに全面戦争を仕掛けてくるほどだ。そう信じられるだけの実力を有する鬼なのは想像がつく。
だが、伝承というのはえてして事実が書き換えられたものであることも多い。そもそもの酒天童子伝説の事実ですら伝説に描かれたそれと違うというのだから、性別の違い程度など些細な事なのかもしれない。
……俺にとっちゃ全然些細じゃないんだけどなぁ。
「術式を組み終わったわ。私の方も同士討ちを避けるためにも人間を対象から外した。だから、飯野はあとから局長たちになんとかしてもらわなきゃ。ついでに言うとさっきのあの鬼……あれも術式強度の関係で魅了できない可能性が高いわ。当初の想定を超えられないってのは癪ね」
悔しそうな顔をする加茂だが、託されたことをやれれば俺たちの勝利なのだ。あとのことは局長たちがなんとかしてくれる。それくらいの信頼が俺達にはある。
あの人ならば古の鬼殺しをこの現代において今一度成してくれるだろう。
なにせ局長は英雄の子孫であり、局長本人もまた英雄なのだから。
「おうおう、なら始めてやってくれや。俺の方も準備をするからよぉ」
肩を回し余計な力を抜く。残り少ない呪力をかき集める。目が鋭くなるのを自覚する。懐から抜き放った札に描かれたそれは植物を表す紋様。
神聖なるという意味を増幅する沙羅双樹、それを囲った月桂冠に。
意味は豊穣、神聖、生命力。
「お前が鬼どもをどれだけ集められたかで戦果が変わる。くれぐれもとちってくれるな?」
「冗談。誰に言ってるの? どんなにむくつけき牡だろうが私の前には骨抜きよ。始めるわ」
そう言って術式の制御に入る加茂。加茂の扱う術式の効果は基本的に幻惑に徹している。別に他の基本的な術だって普通の術師より精度も高く使えるのだろうが、それらを行使する加茂の姿を俺が見たことはない。
加茂のその女豹の如き性質と魅了・幻惑の術との相性が抜群すぎるのだろう。どんな場面でもそれ以外の選択肢を選ばなくてもいいほどに。
「あ、そうだ加茂」
「……なによ。まだ言いたいことがあるの?」
「今からじゃ遅いかもしれんが、愛染明王系の魅了術があるならそいつを使ってくれ。それと連携させて効果を上昇させたい」
「ご心配無用よ。相手が鬼どもなんだから、愛染明王の功徳が一番効くに決まってるじゃない。最初からその予定」
「こういうところの相性はいいから、なんだかんだずるずるとぬるま湯のような関係が続くんだろうな……」
「あら、心変わりしたならいつでも婿養子に来てもらって構わないのだけれど?」
「抜かせ。俺は蘆屋の現当主だぞ。んなことできるわきゃないだろうが」
「いつまでも意地張ってなきゃそれだってどうにでもなるでしょうに」
ま、それはいいわ。
と、自分から切り出しておいて引っ込めるその様は、まさに女といった風情である。実に忌々しい。
俺が苦々しさを顔に浮かべているのもどこ吹く風で、加茂はその魅了の術を完成させつつある。加茂からは甘い香りが漂い。一部の中級のやつらが加茂に熱い視線を送っている。おい、人を対象にしていないとか言ってたくせに余波だけで影響受けてるやつがいるぞ。なんとかしろよ。
そればかりか前言を覆しちゃっかり俺を対象にしてやがる魅了の術の余波を処理しながら、俺は俺で術式を始動する。
「お前覚えとけよ。後で絶対にしばく」
「はっ、閨なら歓迎ね」
「ったく。オン・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャクウン・バンコク 」
愛染明王に仕え奉る。
本来ならば煩悩を祓うはずの仏に魅了を願うのはかなり失礼だと思うのだが、俺もこの隣の女もその他数々の術師にしても運用する代表的な術だから、それについてはしょうがないよしとしよう。
だが、だからといってそれだけが愛染明王の司る功徳ではない。男女の仲を取り持つだけの仏が最上位の明王であってたまるか。
「その矢をもて衆生の一切の煩浴を祓わん。急々に律令のごとくに行え」
簡略化した祝詞でもってその功徳を宿した弓を手元に現出させる。別に弓がなくたって本命の術は使えるが、たかが一工程されど一工程。この一手間があるだけでどれだけ効果が変わるかというところだ。
少ない呪力で大きな効果を出すためには一つ一つの要素を大事にしなければならない。
「さぁ! 喰らいなさいむっさい鬼ども! この私の魅力に取り憑かれるがいいわ! 今鮮烈に華開け大輪の未敷蓮華!」
俺がちゃくちゃくと用意を進める最中に加茂の術が発動する。
飯野の頭上に現れた紅蓮よりもなお赫き蓮華の蕾は、噎せ返るような香気とともに花開く。
欲望を肯定しその上で昇華を目指す愛染明王に相応しい真紅の未敷蓮華。その匂いに誘われ艶やかな様を幻視した鬼どもは、一匹残らず加茂の虜となっていく。
そして広がるその香りはなぜか、きちんと対処をしていた上級を除きその場の全員を魅了していく。
「ふぅ! 私ってばいい仕事するわね! これなら飯野だっていちころよ!」
「おぅ、やってくれたなてめぇ……」
俺はもう呆れを隠せないが、一応責任者としてこいつを諫めなければならない。でなけりゃ、向こうでその巌のような顔をさらに厳つくしている局長からどれだけ怒られるか想像もつかない……。憂鬱だ。
「なんで味方を巻き込まないっていうそれだけのことがてめぇにはできねぇんだよ!? おかげで中級のやつらは全滅だ! 使い物になりやしない! この人手が足りない時になんてことをしてくれやがった!?」
「や、やーねー。ちょっと欲望が漏れただけよ? この術式、私の適性が高すぎるせいかちょっと思っただけのことをすぐ反映しちゃうのよね。最初の予定では全然巻き込むつもりなんてなかったのよ? 合法的に私の虜を増やせるだなんて……ぐへへ、少ししか考えなかったわ!」
「よし、てめぇは頭冷やして来い。一応要件は果たした。局長にこってり絞られてくるんだな」
そこまで聞いて局長の方を見た加茂は慌てて首をこちらに向ける。そのこめかみには冷や汗が一滴たらり、と流れている。まぁ、あの般若よりも恐ろしい顔をした局長を見れば、どんな罪を犯した罪人だって反省することだろうよ。
「行かないと、だめよね」
「行かなきゃだめだろうな」
「…………さようなら、貴方のこと、割と好きだったわ」
去り際にそれっぽい台詞を吐いていくのはいいのだが、せめてもう少しときめく台詞にしてほしかった。そんなんだから気安い女友達としか見れないのだということにそろそろ気づかないものだろうか。
逆に気づいていてやっているというのなら、それはそれで光栄というやつだが。あの女に限ってそんなことはないだろうとも思う。蟷螂のような女だからな。
流刑地へと流される罪人のようなその後ろ姿に、どんなに緊迫した状況だろうと自分の欲望を貫くその潔さを重ねた。
空を見上げれば、星々の輝く夜空に歯をきらりと輝かせた加茂の姿を幻視する。
……うん、まぁ、達者でな。
真譚・妖怪小町 雨後の筍 @necrafantasia
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