31 Fly Me to the Moon――のばした指の先は、あなたの月
“夜間飛行”のステージから見える客席は満員だった。
私と、ハニーと、アイリーンの、私たち三人の大切な人たちが集まっていた。
私の大切なこの場所に。
私の両親、ハニーの両親、アイリーンの両親、私の弟、ハニーのお兄さん、一之瀬君、双海君、吹奏楽部の友達、私のピアノの先生、ハルキさん、ハルキさんの音楽仲間、”夜間飛行”の常連のお客さま、そして夏緒さん。
“夜間飛行”の雰囲気はすでに暖まっていた。会場全来が一つのうねりの中にあるみたいな、演奏者と観客が一つの塊になったような、そんなグルーブ感で満ちていた。
音は弾み、演奏はスイングし、音楽は広がっていく。
私たちは上気した気持ちと、荒くなった息を整えて顔を見合わせた。
そこに余計な会話は必要なかった。
目を合わせれば、全てが分かった。
私たち三人が、このバンドに、この演奏に、このスイングに、このグルーブ感に手ごたえを感じていることは言葉にするまでもなく明らかだった。
私たちは、三人で一つの楽器になったみたいだった。
演奏に必要なことの全てが分かっていた。
この心地の良い一体感を、客席と“夜間飛行”全体を巻き込んで感じられるように、全ての人と分かち合えるように、私たちは必死に演奏をした。
そして今、最後の曲を前にインターバルをとっていた。
私は肩から下げたサックスをスタンドに置き、ピアノ席に向かって腰を下ろす。
席にはマイクが設置されていて、私はマイクに向かって声を送った。
「えーっと、次の曲が最後の曲です。今日は私たち“南方郵便機”のライブにお越しいただき、そして最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。えーっと、遅くなりましたが、ここでメンバー紹介をさせていただきます」
私が本日のライブ初めてとなるMCを行うと、客席からは溢れんばかりの拍手が巻き起こった。お父さんやお母さんが楽しそうに手を叩いている。空は少し戸惑った感じてデタラメな手拍子。ハルキさんと、その音楽仲間は慣れた感じてリズミカルな拍手を送り、常連のお客様たちは控えめに、一之瀬君は私と目があって慌てて手を叩いた。
夏緒さんはカウンターの中から、きざっぽく小さな拍手を送ってくれていた。
「ベースのハニー」
私が紹介すると、ハニーは簡単なベース・ソロを披露してみせた。
「ドラムのアイリーン」
アイリーンも私の紹介にドラム・ソロで応える。
客席の双海君が熱い視線をおくっていた。
「そして、サックス、ギター、ピアノ、ヴォーカルのハルー」
「そして、サックス、ギター、ピアノ、ヴォーカルのハルー」
ハニーとアイリーンが声を揃えて私の紹介をして、私は慌ててピアノ・ソロを演奏した。
“きらきら星変奏曲”をジャズ調にアレンジしたのものを少し長めに。
これは完全に不意打ちだった。
私の紹介も私がやるっていう打ち合わせだったのに。
私たちは顔を見合わせて微笑みあった。
「えーっと、それじゃあ、最後の曲の紹介をします」
私はゴホンと喉を鳴らした。
「最後の曲は、“Fly Me to the Moon”――“のばした指の先は、あなたの月”です。私が日本語の詩をつけて歌いますので、最後まで笑わずに聞いてください」
私はMCを終えて、ハニーとアイリーンをちらと見る。
三人で頷きあい、アイリーンがドラムのスティックでリズムを刻んだ。
私はピアノで“Fly Me to the Moon”の前奏を演奏する。
前奏の後を追うように、ベースとドラムの音が重なって響きわたる。私たちの音は一まとまりメロディとなり、リズムとステップを踏み、楽譜の上を飛び跳ねて、楽器を離れて観客に向かっていく。
私たちの音を一つに、鼓動を一つに、そして一かたまりのうねりに、グルーブ感になる。
演奏をとびきりスイングさせるために。
たっぷりと前奏を演奏した後、私はマイクへと顔を向けた。
そして、私の詩をのせた“Fly Me to the Moon”を歌った。
Fly me to the moon
夜空にのばす指
あなたの面影を探している
あなたはどこに
あなたはいるの?
あこがれの
海に浮かぶ月に
私を連れて行ってほしい
あなたが恋しい
あなたが欲しい
あなたはどこに
あなたはいるの?
In other words, I love you! (つまり、愛してるの)
歌を歌い終えて演奏が後奏に入ると、私たちの演奏と音にためらいの色が混じった。リズムは少しだけピッチを落して、余韻を引きずるように重々しくなっていく。
その理由は、目を合わせるまでもなく分かっていた。
私たち三人ともが、まだこの演奏を終わりたくないと思っていた。まだまだ演奏を続けたいと、音楽を響かせたいと思っていた。
だけど、どんな曲にも終わりというものはくる。
それは仕方のないことだった。
私は演奏を閉じるために、ことさらゆっくりとピアノを演奏して、最後のフレーズを弾き終わった。
すると、ピアノを演奏し終えた私の指が鍵盤から離れる前に、音が鳴った。
演奏の最後の音が鳴り、そのメロディの余韻が響いている空間に――
新しい音が一つ生まれた。
まるで私たちの演奏を引き取って、新し演奏に繋げていくかのように。
静寂の一歩手前で新しく生まれた音を追うようにして、また一つ新しい音が生まれた。
その二つの音は、私のよく知る音だった。
とても大切な、そしてとっても大好きな私の音だった。
いつの間にかアコースティック・ギターを持った夏緒さんと、サックスを持ったハルキさんがステージの近くに腰を下ろしていた。
二人は私たちの演奏の余韻を引き取って、新しい演奏をはじめた。
演奏される曲は、もう一度“Fly Me to the Moon”だった。
サックスを構えたハルキさんが、驚いている私にウィンクをしてくれた。
アコースティック・ギターで演奏を引っ張っている夏緒さんが、私に向かってこう言った。
「アゲイン」
私の胸は高鳴った。
「もう一回。そうだよ。まだまだ演奏は続いていく。音楽は終わらないんだ」
そう思ったら、私は嬉しくなってもう一度ピアノの演奏に戻った。
今度はヴォーカルはなし。
いつの間にかハルキさんの音楽仲間が、コントラバスで、フルートで、ヴァイオリンで、マンドリンで、タンバリンで、演奏に参加してくれた。次から次へと演奏に参加した演奏家たちの全員が、それぞれの演奏を主張するように、それでいて演奏全体の調和を乱さないように、絶妙のバランスで演奏をつくっていく。
私も負けじとピアノの演奏を見せた。
そして、まだ演奏に参加しいていないハニーとアイリーンに視線を向けた。
「二人ともついてきて。まだまだ、音楽は終わらないよ」
二人ともすぐに頷いて演奏に参加してくれた。
客席の方を見ると、いつの間に手拍子が生まれていた。
全ての人が、この演奏に参加していた。
私たちはまるで一つの楽団になったかのように、この場にいるすべての人とともに、この演奏を完成させていた。
私の隣に座った夏緒さんが小声で耳打ちする。
「ハル、もう一度歌って」
私は恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。
詩を送った相手にもう一度歌ってと言われるのは、失敗した告白をやり直させられているみたいで恥ずかしかったけれど、私はためらわずにマイクに向かった。
そして、私はもう一度歌った。
何度でも歌いたかった。
いつまでででも演奏していたかった。
どこまでも行けるような気がした。
夜空にのぼる月にだって行ける、そんな気がした。
夏にだって追いつけるような気が。
私たちは、最高にスイングしていた。
ふと、手拍子の鳴る客席を見ていると――
私は、“夜間飛行”入り口の前に立って、扉のガラス越しに必中を覗いている可愛らしい観客を見つけた。その観客は、必死になって私たちの演奏を見つめている。
私はピアノ席を立ち上がり、店の入り口に向かった。
そして扉を開いて、その小さなお客さまをお店の中に誘った。
「あなたも、どうぞ」
「あの……ごめんなさい。私……すごく楽しそうだったから」
小さな女の子は恥ずかしそうに俯いてそう言った。
私は嬉しくてたまらなかった。
「さぁ、中に入って。私たちと一緒にスイングしよう。それに、私がとびきり甘いコーヒー牛乳を入れてあげる」
「うん」
私は小さな女の子の手を取って、お店の中に入れてあげた。
ふと、扉の隙間から顔を出し暗くなり始めた空を眺めると、そこには綺麗な月がのぼっていた。
そして、一陣の夏の風が、私の心と体を吹き抜けた。
私は一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
自分自身を見失いそうになってしまった。
だけど、直ぐに大丈夫なんだと気がついた。
音楽が鳴っている。
大切な人たちがいる。
スイングしている私がいる。
ああ、私は今、青い春の中にいるんだ。
青い春をかける少女 七瀬夏扉@ななせなつひ @nowar
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