第19話 GW
ゴールデンウィーク、初日の土曜日。
いつもなら学校に行く時間、俺はカーテンの隙間から差し込む朝日に照らされながら、ベッドの中で何度も寝返りを打っていた。
予定通り、昴からは朝の5時過ぎに「ログイン完了! 徹夜レベリングの始まりだぜ!」という極めて治安の悪いメールが送られてきていたが、俺が待っているのは当然それではない。
数時間後
――ピピ。
イヤホンから、馴染み深いシステム起動音が響く。
『夏彦。時刻は19時00分を回りました。天織氏の「今日はお母さんとお菓子を作る」というタスクが完了、あるいは佳境を迎えている時間帯と推測されます。沈黙を破り、最初の通信プロトコルを実行する最適なタイミングです』
「……い、いざとなるとやっぱり胃が痛いな。本当に送るのか? 連休初日からクラスの男子にメールされるとか、天織さんからしたら実は大迷惑なんじゃないか?」
『分析:天織氏は昨日、あなたに対して「連休中に何をするか」を自ら開示しました。これは「進捗を聞いてほしい」という暗黙のアクセス許可に等しい挙動です。あなたの心配は、非論理的な自己防衛システム(チキンハート)によるノイズに過ぎません』
キューの相変わらず容赦のない冷静な分析に、俺はぐうの音も出なかった。
確かに、せっかく繋がったメールだ。ここで臆して何もしなければ、連休が明ける頃には元の「ただの同じクラスの人」に戻ってしまうかもしれない。
「わかった、送るよ。送ればいいんだろ……! ええと、文面はこれで行く」
俺は事前に用意していた下書きをキューに見せる。
【天織さん、こんばんは。ゴールデンウィーク初日だけど、クッキー作りは上手くいった? ちなみに俺は、今日の晩ご飯のハンバーグが上手く焼けたので写真を送ります(少し焦げたハンバーグの画像)】
『システムチェック……。夏彦、自身の失敗(焦げ)を開示することで相手の緊張をほぐし、かつ話題のハードルを下げる見事なデバッグ作業です。不審者レベル:極めて低。ただちに送信しなさい』
「よし……っ!」
俺は心臓の鼓動が耳の奥でうるさく響くのを感じながら、送信ボタンを親指で強く押し込んだ。
送ってしまった。
画面の上に「19:05」という数字と、俺の送ったちょっと焦げたハンバーグの画像が並ぶ。
そこからの時間は、まるで1秒が1時間に感じられるほど長かった。
スマホをベッドに伏せ、用もないのに部屋の壁を見つめ、やっぱり送らなきゃ良かったと頭を抱えてのたうち回る。
「キュー、やっぱり今すぐ送信取り消しを――」
『不可能です。ターゲットがパケットを受信しました。画面に「既読」が表示されています』
「えっ!?」
慌ててスマホをひっくり返す。画面には確かに【既読 】の文字。
ピコン。
待ち望んでいたその音が、静かな部屋に響き渡る。
【今川くん、こんばんは! メッセージありがとう。ハンバーグ、とっても美味しそうだね。少しカリッとしてる方が絶対に美味しいよ!】
その優しいフォローだけで、俺の胸の中の緊張が一気に弾けて霧散した。
だが、彼女の返信はそれだけで終わらなかった。
【私もね、さっきクッキーが焼き上がったところなの! 初めてにしては、可愛くできた気がするんだ。今川くんに一番に見せたくて(星の形をした、少し不揃いだけど綺麗なクッキーが並んだ画像)】
そこには、お皿の上にちょこんと並べられた、焼き立ての星形クッキーの写真があった。
画面越しなのに、なんだか甘くて香ばしい匂いが漂ってきそうなほど、温かい写真だった。
「……一番に見せたくて、だってさ」
俺は思わず、スマホを持ったままベッドの上に仰向けにぶっ倒れた。
天井の照明が、なんだかいつもより眩しく見える。
『夏彦。天織氏の応答速度、および文面の糖度(心理的距離の近さ)は想定を上回っています。彼女にとってあなたは、すでに「自分の成果を真っ先に共有したい友人」のプロトコルに配置されています』
純粋に「今日こんなことがあってね」と報告し合える関係。
学校の外でも、こうして自分の日常の片隅に俺を置いてくれていることが、たまらなく嬉しかった。
「なぁキュー。なんて返せばいい?」
『「星形、すごく可愛いね。食べるのがもったいなさそうだ」という共感パケットを送信し、その後は彼女のお気に入りの本などの話題へ自然にシフトしなさい。夜はまだ始まったばかりです』
「そうだな。……よし、そうする」
窓の外では、5月の少し涼しい夜風がカーテンを優しく揺らしている。
俺はキーボードを叩く指に少しだけ力を込めながら、お揃いのように並んだクッキーの写真をもう一度見つめ、静かに微笑んだ。
第19話•完
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Q.P.D. 感情のない天使 おいら @Oilaa
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