揺れている間の話
@amauchi_haruomo
電車の中で、天使は話しかけてきた
いつも通り会社に行く為に電車に乗った。
人が所狭しと並ぶ車内は昔、教科書で見た奴隷船の図のようで辟易する。
仕事をして家に帰る間に買ったご飯を食べて眠るだけ。それだけを何年も続けている。
休日は仕事をするために体を休めるだけで過ぎていく。昔はやりたいことがあった気がするけれど、もう思い出せない。
明日の自分に期待しなくなったのはいつからだろうか。
天国が本当にあるとするならば今すぐにでも連れて行って欲しい。
最近は、ただこの生活の中から抜け出して楽になりたい。そう思うことが増えた。
ひとつ前の駅で大勢の人が降りていく。目の前の空いた席に座って外を眺めていると河原に反射して朝日が目に刺しこんできた。
いつも通り数人だけが残ったの車両の中で、光に目が眩む。瞑った眼を開くと一人の少女が目に留まった。
「なんの話してるの?」
彼女は近くにいた女子高校生に声を掛けていたが肩を寄せ合う彼女らからはただ寝言が出るだけで返事は返ってこない。
今日は暖かい陽気からか寝ている人が多い気がする。
しばらくうとうととしながら見ていたが眠気に抗えなくなってきたので会社に着くまでにもう少し眠ろうと思い目を閉じてうつ向いた。
「———ねぇ。お兄さん。」
目を開いて顔伏せたまま腕時計を見ると降りる駅まではまだ5分も残っていた。
勘弁してくれよ。お前と違って俺にはこの時間でさえ勿体ないんだ。
無視を決め込む事にしてまた目を閉じる。
「お兄さんってば。」
なんなんだよ。ほんとに。
嫌々顔を挙げて彼女の方を見る。
「なに? 宗教勧誘なら他の人にやってくれ。そういうの信じてないから。」
目の前に現れた彼女はアプリゲームから抜け出してきたんじゃないかと思えるほどに奇抜な恰好をしていた。
修道着というやつなのだろうか。黒を基調とした服装。頭には白と黒で層をなした布を覆いかぶさっていた。
外から差し込む日に照らされて輝く白髪が幻想的で関わるのさえ嫌になる。
「もしかして見えてる?」
何言ってんだこいつ。
「お兄さん私のことが見えるんだよね。やっぱ選ばれた人は違うねー。」
彼女はなぜだか上機嫌にこちらを見つめる。
うわ、地雷踏んだかな。無視し続ければよかった。
「俺に何を期待してるのか知らないけど。多分、時間の無駄だよ。もう降りるから。」
次の電車でも会社には十分に間に合う。
鞄を手に取って立ち上がろうとすると彼女に肩を抑えられた。
「そんなこと言わないで話だけでも聞いてよ。あのね、ここだけの秘密なんだけど。」
耳打ちをするために彼女はこちらに顔を近づけた。
「私、天使なんだよね。」
やっぱりか。
久しぶりにこういうの目にした。宇宙人とか、神の子とか、選ばれた人間だとか。この年にもなってまだやってんのか。しかもそんな格好で。
「んふふ。…知ってる? 天使ってさ、人の心から出来てるんだよ。」
照れるように口元を抑えながら彼女は笑みを浮かべている。
ひとりでテンション上がってるところ悪いけど迷惑かけられるこっちの身にもなってくれよ。
彼女は冷ややかな目線を向けても態度を変えようとしない。
それどころか、反応に期待するかのような眼差しに当てられるとこっちには罪悪感さえ芽生えだしてくる。
まあ、いいか。逆に会社までの時間だと思えばこのテンションの高さにも耐えられる気がしてきた。
諦めて中腰になっていた体勢を変え、席に座り直す。
「それは知らなかったな。それって誰に教えてもらったの?」
「んー。それは秘密。」
「そっか、残念。…でも、それで話が終わりってわけじゃないんだろ。」
「そう、そう。この電車を調べててね。」
「…え?」
車内を見渡しても不審なものは見当たらない。
「ああ、説明不足だったかも。黒い髪の女の子を探してて。」
「そこにいるんじゃなくて?」
先ほどまで話しかけていた高校生たちを指さした。
「違う、違う。」
彼女は手を振りながら懐からノートを取り出してめくり始める。
「えっと、えっとね。これ。」
開かれたノートのページにはひとりの少女が佇んでいた。
「絵、上手なんだね。」
写真のように鮮明に描かれた絵を見て答えると
「ん、まぁ普通だよ。」
彼女はノートを見返して何の面白みがないようにそう言った。
「そんなことより見なかった? この近くに居るって聞いてたんだけど。」
「友達?」
「いや、違うよ。先輩。仕事、嫌になっちゃったみたい。もっとしたいことを見つけたとか言って抜け出して。やってることは大して変わらないのにね。」
何言ってんだこいつ。
「仕事? 探してるのが仕事じゃないわけ?」
「ううん、違う。天使だって。さっき言ったじゃん。」
彼女はまた手を振って俺の言葉を否定する。
「先輩を探してるのはその一環なの。いつもは人助けしてて。話聞いたり、願い事をかなえたり。」
彼女の言葉から湧いてきた感情が嗤いになって表面から零れそうになる。
そんなん人に話したって叶うわけないだろ。それにしても仕事が天使って。ランク付けがあるタイプの宗教かよ。まるでマルチ勧誘だな。
「あー、そうだったね。」
「ん?」
彼女は訝しむような眼でこちらを見つめてくる。
「もしかして先輩の居場所、知ってたりする? さっきから素っ気ない返事ばっかりして。ほんとは隠してるんじゃないの。」
突然おっきい声出すんじゃねぇよ。
やべぇ奴とあんまり親しいふりしてると目立つだろうが。お前は知らないけど俺は明日からもこの電車乗るんだぞ。
「信じられないって目してるね。そうやって何でもかんでも疑ってると純粋に楽しめなくなっちゃうよ。」
彼女の手のひらにはいつのまにかリンゴが握られていた。赤い熟れた色が目に鮮やかに写る。
彼女は唐突に上へ放り投げる。もう一度手の中に落ちてきた時、リンゴは赤いボールへ変わっていた。
大きな玉は手のひらの後ろを通り過ぎた後、小さな球へ変わりそれぞれの指の間に挟まれていた。
続けて軽い破裂音がして玉はカードに変わる。
彼女は目の前に5枚のカードを差し出していた。
「しょうがないから特別に願い事を聞いてあげるよ。仕事だしね。終わったら先輩の居場所教えてよ。」
視線を合わせると彼女はこちらへ首をかしげて笑いかけていた。
「早く。…引かないの? 好きなカードでいいよ。願いがきっと本当になる。」
彼女の目は嘘を付いているようには見えなかった。疑うことを知らない赤ん坊のように無垢な目をしていた。
彼女の気迫に気おされてすぐには手を伸ばせない。
また、怖気づいてしまう。いつも何か決断を迫られたときにすぐに決められない。
「…選ばないの? それとも叶えたいことが無かったりする?」
どうだったか。最近まともに人と話をしてない気さえする。
話をしたのは数か月前。ホームで電車を待っていた時に話しかけられたのが最後だ。
「疲れた顔してるね。」
覗き込む見慣れた顔。
少し前のことなのにすごく懐かしい気さえする。でも、それ以上のことが疲れのせいか靄がかかったように思い出せない。
———迷っていると隣の車両と繋がるドアが音を立てて開いた。
隣の車両から入ってきたのは一人の女性だった。
肩できれいにそろえた黒い髪を揺らしながら一歩ずつこちらへと近づいてくる。
彼女は俺の横をすれ違って先へ先へ歩いていく。
見知った顔だ。でも少しだけ違う。長いこと一緒にいたから感じ取れた違和感があった。
そして、それを拭い去ってしまうくらいに魅力的だった。
彼女は数年前、別れる前にはよく見せてくれていた無邪気な笑顔を浮かべていた。
あの時、冷たい言葉で突き放してしまったことを今でも後悔している。今思えば下らない、ありきたりな理由で放り出してしまった。告白した時の気持ちと束縛する彼女の不安を。
言い訳を考えればいくらでも出てくるけれどそうじゃない。
遅すぎたとしても一言だけ伝えたかった。疲れてやせ細った足に力を入れて立ち上がる。
「待ってよ。」
少女に腕を掴まれる。
「なんだよ。放せよ。」
どっか行っちまったらどうするんだよ。もう、再会する機会なんてないかもしれないのに。
なぜだか、これが最後だっていう確信がある。
彼女は別の車両へ移る扉の前で立ち止まって振り返る。
少女の手を振り払って彼女の方へ歩み寄ろうとすると強い力で服の裾を引っ張られた。
「駄目だって。周りの子が見えないの?」
嫌々、少女に言われた通りに周りを少し見渡す。
目線の先の女子高生たちの席が空いている。先ほどまで眠り込んでいた彼女たちはうわ言のように名前をつぶやきながら彼女へと近づこうとしていた。
「たかふみくん。好き。やっぱり諦めきれないの。もう一回だけでいいから付き合ってよ。」
優先席に座っていた老婆は目の焦点が合ってない。態勢を崩した身体が座席から滑り落ちる。痛みに呻きながら重い体の残った力を振り絞り彼女の足へと縋り付いていた。
「ごめん。ごめんね…。えみちゃん。ゆるして。」
競馬新聞を電車の中で大きく見開いていた中年の男性は少年のように彼女のそばでしゃがみながら見上げ、語り掛けている。
「お父さん。次、どこに行く?」
なに言ってんだよ。目の前に居るのは春香のはずだろ。
さっきまで力を入れていた足が竦んで次の一歩が踏み出せない。
「だから言ったでしょ。これ見てみて。」
精いっぱい背伸びをした少女は2本の指を突き出す。俺の目線に合わせて開かれた指の間には薄い透明の膜が出来ていた。
促されたままに屈んで指の間から景色を覗く。そこには女子高生と彼女だけが収まっていた。
さっきまで彼女がいた場所には顔つきの整った好青年が立っている。
目鼻立ちがはっきりとした顔立ち。すらりと伸びた足、骨ばった長い指。色素の薄い透明感のある肌に流行りの髪型
テレビで何度も見た顔だ。映画の主役を務めた俳優。
「彼女の視点を借りてるの。私はそんなものなくてもわかるんだけどお兄さんはそうもいかないでしょ。」
彼は、女子高生のあごに手を添えると一呼吸おいてから喉奥へと腕を無理やり押し込んでいく。嗚咽を起こして悶え苦しむのも関係なさそうに腕を揺り動かしている。
少し時間が経ち彼女を突き飛ばした後、口から取り出した手には何かが握られていた。
「搾りかすならこんなもんかな。」
彼は見定めるように赤いぬめりの付いた球を空いた手に持ち替え、光で透かして眺める。
数秒もすると価値を見出し終わったのか球を口の中に放り込んでかみ砕きあっという間に飲み込んでしまった。
捨ておくようにされた女子高生はピクリとも動かない。彼女と共に居た女子高生は倒れた様子に目もくれず彼の手を握りまだうわ言を繰り返し続けている。
「先輩、またルール破ってるんですか。」
少女の指が目元を離れてカノジョを元の姿へ戻す。
足元にいた少女はカノジョを指さして何かしらを問い詰めていた。
「それはお前のとこのルールだろ。私はもう悪魔だからさ。」
カノジョは指を口元に入れて牙を見せつけるようにして笑って見せた。
その声を聴いて周りの人が眠るように倒れていくのが俺が最後に見た光景だった。
先輩は突然いなくなった。
あの日を境に。
日課だったから。その日もいつも通り先輩の家へ迎えに行った。
「せんぱーい。おはようございまーす。」
大きな声で呼びながらドアを強く叩く。
呼び鈴はだいぶ前から壊れているのにまだ直してもいない。
仕事はできるのにこうい所ずぼらなんだよな。
5分待っても返事がいっこうに聞こえない。
痺れを切らして翼を動かし2階のベランダに移動した。
窓に鍵はかかってない。
手を掛けて力を込めれば戸は乾いた音を立てて簡単に横へ開いた。
分厚いカーテンを横にずらしてひとつに纏めると日の光が部屋の中へ隅々まで行き届く。
ベットには半分ずり落ちた布団にしがみつきながら眠る先輩が見える。
「先輩。もう仕事の時間ですよ。」
「ん。ぁああ。」
彼女は布団を床へ落としながらベッドの上で背筋を伸ばす。
「いい目覚め。おはよう、カノン。」
「おはようございます。」
カノン。私の名前だ。先輩が名付けてくれた。
天使に名前を付ける慣習はない。個別に番号が割り振られているだけだ。
忘れることが無いからそれだけで事足りる。
「9899998番、ね。そしたら。…思いつかないな。」
初めて会った日。自信満々に発しっていた言葉とは裏腹に20分程の沈黙の後、彼女は口を開いた。
「…カノン。響きがいいし、そうしよう。これからふたりの時はそうやって呼ぶから。」
長年仕えている先輩から賜ったものをおいそれとは捨てられない。
私には了承する以外に選択肢はなかった。
「何でこんなに寝てるのって気持ちいいんだろうね。私は色々と考えなくて済むからだと思うんだけど。」
先輩は身支度を整えながら私に尋ねた。
「うーん。強いて言えば、また明日起きられるのを知っているから安心して眠れるんじゃないかなって思います。…というか、そんなことよりもうすぐ時間になっちゃいますよ。大丈夫ですか。」
「任せとけって。いつも見てるだろ。」
彼女は慣れた手つきですぐに身支度を整えた。
建物の外では今日も雲一つない空が広がっていた。
時間になると建物にひとつずつ設けられた場所に裂け目を作る事から仕事は始まる。
慣れた手つきでスコップを足元に突き刺してから言葉を続ける。私たちが言葉を発しさえすればそれが事実になる。
地をなしていた雲の小さな裂け目が音も無く等身大へと広がっていく。
穴の奥深くには微かに光が見える。
彼女は手に持っていたスコップを家の傍らに立てかけ慣れた様子で穴の中へ踏み入れる。
私はいまだに慣れない好奇心と恐怖を押し込めながら彼女の後を続いて身を投げ出した。
彼女の一つ結びにした長い髪が風でたなびいている。
翼を広げながら風を受け止めると反動で体が少し浮いた後に安定を始める。
目線の下には夜更けた中、街並みが光り輝ていた。
風の轟音と共に頭の中に彼女の声が聞こえる。
「今日の仕事は?」
「願い事が3万飛んで539件と悪魔が3件ですよ。」
「3件、多いね。久しぶりじゃない。徒党でも組んでるのかな。」
「そういった情報は今のところ来てないですね。」
「そっか。用心するに越したことはないし。先ずは、量が多い方から済ませるか。」
彼女の言葉に呼応して弓が手元に作り上げられる。
ここまでは私でも簡単に出来る。願いを叶える事が私たちの力の本質だ。使命の為に力を使う。物質を生成するのはさして難しくもない。
彼女が弓を引き始めると指先に光が集まっていく。粒子が宙を舞い吸い込まれていくさまはまるで意志を持っているかのようだった
音もなく少しずつ眩い光が目の前を覆い尽くそうとする。溢れる光の束が神々しく空に差し込んでいく。
引き絞り終わった後には視界が塞がってしまうほどの星の光が目の前に輝いていた。
指から放たれた願いの矢が弦の音と共に目の前で大きな軌跡を作る。
最初、その光景を目にした時は光の雨が地表に降り注ぐように感じられたのが懐かしい。
矢はそれぞれ違う軌道を描いて目的を持って飛んでいく。
私にはここまで力を自由に使いこなせない。
地を這って、建物と人の隙間を縫い、貫いていく。
最後まで見届けることも私の仕事の一つだった。
彼女は翼を広げ河原に降り立つ。
濡れた石の上に足を下すと水が微かに音を立てた。
「んー、終わり。後は片づけるだけだね。」
横たわった悪魔から流れ出る血が川の水へ引っ張り出されている。
その光景はあまりに神々しくて流水に洗い流され、不純な置き換わるようにも見えた。
「今日は調子よかったなぁ。」
天使が病気にかかるわけがない。
調子ひとつでさえも彼女の気分次第なのだろう。
胴に風穴が大きく開いた死体を目にしても身震いひとつ起こさない。
彼女にとってはただ、当然の結果が目の前にあるだけだ。
「そしたら後片付けだけよろしく。」
翼を広げ天へ昇る彼女の姿がだんだんと小さくなる。見えなくなるまでずっと見つめていたかった。夜空を掛ける彼女が白く線を形作る。
しばらくの間、見上げていると空から羽根が落ちてきた。
彼女の髪色と同じくらい透き通った白だった。私のそばを横目に流れる水の上に落ちて沈んだ。
もう先輩と仕事を始めてもう20年になる。
仕事が出来るあなたをいつも尊敬していた。
羨望の眼差しを向けた事ももう数え切れなくなる。
それは恋にもよく似た感情だった。
だからこそ彼女が放った言葉が信じられなかった。
「なぁ、カノン。私と一緒に天使を辞めないか?」
美しい髪色を台無しにする黒々とした色が風でなびく。
私とあろうことが内側に生えそろった黒髪が闇に溶けて蛍光灯で照らされるまで気が付けなかった。
「何、言ってるんですか。」
いつもの冗談じゃすまされない。
罰は逃れられないだろうがまだ間に合うかもしれない。すぐに撤回することを強く願っていた。
「そっか。だよな。…悪い、何でもない。」
けれど彼女は言葉を濁す。
「…なんでもないって。そんなことないですよね。」
言葉では言い表せない焦燥感が体の中を駆け巡る。
「いや。…そうだな。」
彼女は結び目を解き切った長い髪を片手でかき上げた。
「目ざといカノンならもう気づいてるだろ。私はもう天使でいられない。」
見せつけられた美しい髪色を穢すつややかな黒。
「でも、また一からやり直せばいいじゃないですか。」
髪が白いのは経験を十分に積んだ天使の証だ。
なりたての天使がときたま、髪色が元に戻ってしまうのは本で読んだことがあった。
「そうじゃないんだよ。未熟だったとか。今までの私を見ていて本当に思ってるわけ?」
彼女は髪から手を下ろし話を続ける。
「あいつが言ってたことの意味に気が付いちまったんだ。だから私はもう駄目だ。」
「なんですかそれ。一人で結論出して勝手に決めつけないでくださいよ。そんなの、辞める理由になって無い…。」
心が乱れまともに言葉が続かない。
「ごめんな。言い訳ってわけじゃないけれど、私の時もそうだったよ。見られている手前これ以上は話せないけどさ。」
いつだって私の言葉に応えてくれていたのに。
「話す前から終わりにしないで下さい。何とかなるかもしれないじゃないですか。」
彼女は淡々と首を振る。
今回ばっかりは何を言っても彼女は答えをくれそうになかった。
「そうじゃない。そうじゃないんだよ。何とかしたい、何とか出来るなんて思ってない。でも、カノン。お前の来てくれるならすげー嬉しいよ。…やっぱ、駄目かな?」
説明をしない。言葉が足りないことはあったけれど相手の意見も聞かずに決めつけるような人ではなかった。
もう、私が憧れを抱いていた彼女とは違えてしまったんだ。
手に握りしめた弓を向け、弦を引き、矢を放つ。
もう、彼女に対する嫌悪感を拭いきれなかった。
「そうだよな。…悪い。忘れてくれ。」
彼女は身をひるがえし軽々と光の痕を避ける。
そして、言葉だけを残して闇夜に消えてしまった。
数日後、新しく組んだ天使から指令を受けた。
「15番を探しだして連れて来い。強く干渉を受けたこいつらの中の誰かしらに痕跡があるはずだ。」
渡さられたリストには6人の老若男女が載っている。
先輩の言葉の意味と足取りがたどれるなら。
その言葉の意味を知りながらも二つ返事で了承した。
普段と同じように傷を治したたけの事だった。
家の前に降り立って玄関から鍵のついた最奥の部屋に向かう。そのまま足取りを緩めることなく、棚から虹色の液体で満たされた小瓶を取り出した。
小分けになった虹色の液体を頭からかぶると傷口に定着して染み入り私と一つになる。
いつもの日常と何ら変わりなかった。
強いて言うのならば頭に傷が深く残っていたのが良くなかったのかもしれない。
いつもとは明らかに違う。不思議な感覚に襲われた。酩酊した状態にも近い強い多幸感と軽い吐き気が頭の奥に広がっていく。
強い悲しみがじんわりと伝わっていく。感情がこんなにも強く揺さぶられたのは初めての事だった。
「ごめん。」
レストランで食事をしている時、彼から別れを告げられた。
彼とは大学の時に初めて出会った。
新歓の飲み会で酔いつぶれた私を介抱してくれたのが最初。
タクシーで家まで送って行ってくれた時、車内で揺られながらいつもと同じように恩を売りたがるんだろうなと考えていた。
体調がマシになり3日ぶりに登校した時、彼を学内で見かけて声を掛けた。
「久しぶり。」
彼は読んでいた本から目を離し、顔を上げる。
「あ、お久しぶりです。」
「この間はありがとね。」
「あの後、大丈夫でしたか?」
「うん、なんとか。でも助かったよ。」
「それはよかったです。」
彼はそれ以上、語ろうとしなかった。
また、手に持った本に目線を戻そうとする。
こういう時は普通、恩を片手に連絡先ぐらい聞き返しに来るもんじゃないのか。
少なくともこれまで関わってきた男の子はそうだった。
「ねぇ、何呼んでるの?」
私は彼の態度が何だか気に入らなくて彼の読書を遮った。
彼は本の頁をめくり、タイトルを見つけると名前を口にする。
「面白い?」
「まだ、読み始めたばっかなのでわからないですね。」
「そっか。…良かったらでいいんだけど今度、面白かったら貸してくれない。」
「いいですけれど。自分読むの遅いから時間かかっちゃいますよ。」
彼は動揺も見せず、簡単に私の提案を了承する。
「大丈夫。」
ポケットからスマホを取り出して彼へQRコードを見せた。
「これ私の。読み終わったら連絡してよ。」
彼は机に置いてあったスマホを手に取り手帳型のケースを開く。
片手で持ちながら慣れない手つきで操作していた。
「…佐々木さん。」
「そう、3年の佐々木春香。使えるか確認したいから試しに何か送ってもらっていい。」
“よろしくおねがいします。“
送られてきたメッセージは実に簡素なものだった。
「ん。田中…。これなんて読むの。」
画面には初期設定のみでアイコンの変更もしていない中、名前だけが表示されていた。
「しげはる。1年の田中茂治です。」
「えっ。1年生だったの。ダル絡みしちゃったかな。…ごめんね。」
「いえ、まだ知り合いも少なかったので逆に助かります。」
「そっか。…そういえばさ、同じサークルでしょ。なんか困ったこと会ったら声かけてよ。お姉さんが解決しちゃうよ。」
胸を張り自信満々に問いかけてみたが彼は沈黙の後、忌避感を示していた。
「いや、多分もう行かないと思います。」
「何で?」
「ノリが違い過ぎて疲れるので。」
「そうなの?」
「何より、先輩を放って置いたまま飲み会を続けるのも自分とは合わないというか。」
「あー、あれ…。いつものことだから別に気にしなくてもいいのに。」
「それでも、自分は嫌だったので。…すみません。何も知らないのにいい様に言ってしまって。」
「ああ、いや。いいの。いいの。」
「とりあえず、そういうことなので。本、読み終わったら連絡しますね。」
時間が来てしまったのか彼は本を鞄にしまい、その場を後にしてしまった。
彼がいなくなった後、私はその場から動けなかった。
私のことをないがしろにせず一人の人間として見てくれたのは彼が初めてだった。彼との会話が頭のなかで反芻されてひどく新鮮に映った。
アプリで出会う男性にはいつもリードしてくれる。でも、それにうんざりもしてしまっていた。
最初にカフェで会い。流れるように次のデートの約束をする。水族館や街並みを見て同じようなリアクションを繰り返して夕食に誘われる。渡されるのは女性が好きそうなプレゼント。甘そうなお菓子や可愛らしい小物。
どこぞかで拾ってきた私だけじゃなく皆に流用してそうなデートプランに飽き飽きする。
アプリを使うようになってから皆が同じ行動をすることに心底驚いた。
話を聞いて決まった内容の会話を繰り返す。好きなもの。休日に出かける場所。趣味。
面白さの欠片もない。
何が好きでこんなことに時間を割いているのか分からなくなる。
理想の男性が欲しいから?
昔は恋人にあこがれていた。少女漫画のような理想像があった。
友達が話していた恋バナが好きでよく耳を傾けていた。
聞いていると、とても楽しそうで私もしてみたくなる。
でも、実際に体験してみると簡略化された付き合いとつまらない話題のオンパレード。
好き好んでやろうとも思えなかった。それでも話題に付いて行くために辞めようと決断することも出来ない。
そんな[[rb:最中 > さなか]]、彼と連絡を取るようになった。
彼はいつも私のしたいことに付き合ってくれた。その中でも特に、微妙に前評判の悪い映画を見てから意見を出し合う時間が好きだった。
いろんな所に食べに行った。SNSで見かけたご飯屋さんから友達に教えてもらった個人でやってるお店まで。二人で同じ料理を分け合って味の感想を共有するのがこんなに楽しいことだなんて知らなかった。
スマホに入れっぱなしだったアプリを見られた時も、消し忘れていた事を悔みながら昔やっていたんだと正直に打ち明ければ彼は浅ましい行動を繰り返していた私を許してくれた。その日の夜、肌から伝わるぬくもりが暖かかくて久しぶりに涙が出た。
ずっと彼のそばに居たかった。
長年生きて来たけれど、彼の他には私に正面から向き合ってくれる人は誰もいなかった。
大学を卒業してから会う機会が減るのが嫌だったから一緒に住んでくれないかと就職が決まってすぐに私から提案した。
彼は快く私の考えを受け入れてくれた。
嬉しかった。これで彼と離れなくて済む。心の底から安堵したのを今でもはっきり覚えている。
就職して仕事に付きっきりなる時期もあったけれど、どうにかうまくやれていたと思う。
仕事を言い訳にして彼に負担を掛けたくなかったから前と同じように振舞えるようにいつも普段以上に努力を重ねた。
料理を交互に準備して、家事を当番分けした通りにこなす。
最初は辛かったけれど仕事が慣れていくにつれてスムーズにこなせるようになった。彼との時間を取るように意識して生活出来ていたはずだった。
彼は私から二年遅れて就職をした。勤めていたバイト先ではなく、前から興味があると話していた業種の営業になった。
それからだ。おかしくなったのは。
彼は帰るのがやけに遅かった。残業が毎日のように積み重なっていた。
転職考えてみたらと提案したこともあったけれど強く拒否感を示されてしまった。
「まだ始まったばっかりで仕事を覚えられてない俺のせいだから。」
まだあの時の彼の言葉が頭に色濃くこびりついている。
彼との時間もあまり取れなくなってきていた頃、久しぶりに食事へ誘われた。
どれだけの時間が経ったのだろう
手の皮膚がふやけ皺が浮かび上がってきていた。
薄々勘づいてはいたが認めることをしたくなかった。
別れを切り出された後に続く言葉が「もっとふさわしい人がいる」だとか。
私にはあなたしか居なかったのにいったい誰を見てその言葉を口にしたの?
彼がいるから今まで努力をし続けられた。
必死に否定しても彼は話を聞く気さえ無いようでまともに取り合ってくれない。
「釣り合わない。」
まだ、耳に残り続ける言葉を振り払うように顔をお湯の中にうずめる。
彼がすべての原動力だった。もう、何のために頑張ればいいのかわからない。
大きな会社で働く意欲ももう感じられない。いたずらに知らない人に見られるのも嫌だったから仕事の引継ぎも1か月前には済んでいる。今日が最後の出勤日だった。
お風呂の温度は冷めきって、もう体温と同じくらいまで下がっている。
ふたりで思い出を積み重ねていきたかった。写真を見て振り返って笑い合っていたかった。
もう叶わない願いが遠く、手の届かない場所にある。
身体が湯に溶け出していくのを感じ取れる。
疲れと未練と後悔と切なさも。全部、ぜんぶ。
浴槽の中で揺らぎ混ざりひとつになっていく。
涙は枯れ、身体を起こす気力も無い。
力が入らなくなった手のひらから画面を開いたままスマホが滑り落ちる。
腕に沿って線が色付いている。湯の中に滲み出し赤く漂っていた。
私との境界線が無くなっていく。
今の時間さえ区別がつかなってきていた。
洗い場に落ちたスマホはまだ光り続けている。
私はそのまま意識を流れに預けることにした。
“忘れ物してるよ。今度取りに来て。”
画面に既読が付く。
“ごめん。後で取りに行く。”
一言だけ連絡が返ってきていた。
長い夢を見ていたようだった。
今なら、ルカが人に強い興味を示していたのもわかる気がする。
私たちにはない考え方。相手を読み取れないから想像で補おうとする。
私はこれまで考えたこともなかった。
あの時もルールに従って動いていた。
何で?
それだけの理由で何年も共にしてきたあいつを?
何でなんだ?
今まで気にしたこともなかった。
前から感じていた疑念が大きく膨れ上がっていく。
疑問を感じる必要性さえ感じたことがなかった。
手が小刻みに震えている。
指先が震えるのを目にして余計に体が強張った。
呼吸は乱れ、鼓動が焦らすように胸を打つ。
何であいつはそこまで力に執着しようとする?
「リン先輩、久しぶりですね。」
「そうやって呼ぶのはお前だけだよ。ルカ。」
彼女がつけてくれた名だ。他には誰も知らない。
いつもの街の仕事終わりに誰も来ない山頂で休憩を取っていた。
暖かな日差しが降り注いでいる。
彼女と他愛無い雑談に耽っている時だった。
「先輩。名前って知ってます?」
「ああ、人が付け合ってるやつだろ。」
「私たちも付けましょうよ。」
「やだよ。」
「すぐそうやって否定するー。」
「あれって覚えやすいようにだろ。別に私たちは忘れないんだからいらないだろ。」
「違いますよ。それだけじゃなくて。…可愛いからです。」
彼女は自信満々に指を刺して物を言う。
「そんなの、聞いたことないけど。」
「また、塩だよ。塩。先輩の塩対応、効きますねぇ。」
「はい、はい。」
「そんなこと言って照れてんの知ってんですからね。」
「んなことないけどね。」
頬が少しだけ熱くなったのを彼女は見逃さない。
「そんな可愛い先輩に立派な名前を考えてきたわけです。」
また唐突な。
「…リン。リンちゃん先輩です。どうです?」
「由来は?」
「15番なので。」
「てきとー。元素そのまんまじゃん。」
「だって難しいんですもん。…そんなこと言ってますけど先輩にできるんですか。」
「ん? 楽勝だろ、そんくらい。」
頭をひねりながらうなり声をあげていると彼女から声を掛かった。
「リンちゃんせんぱーい。もう30分は経つんですけどー。」
「んー。ちょい待って。今、二大巨塔でせめぎ合ってるから。」
「いや、悩みすぎでしょ。」
彼女は陽気に笑う。
彼女は暇を持て余してドーナツを食べ始めていた。
「まだですかー。もうあれから10分経ちましたよー。」
「決まったぞ。お前の名前は。」
「どぅくどぅくどぅくどぅく。」
彼女は口でドラムロールの真似をする。
「ルカだ。」
「ぷふっ。」
噴き出した彼女の口からはドーナツが零れ落ちていた。
「ははははは。なんですかそれー。ふつー。」
「んな、笑わなくてもいいだろ。」
「しかも2文字でおそろじゃないですか。どっちも光るし。」
「いや、でも響きがな。いいだろ。」
「確かに。」
彼女は大きく息を吸う。
「ルカーーーーー。」
山から大きな声がこだまする。
「いい響きですね。」
彼女は歯を見せて笑う。
私も彼女からもらった名前を理由は適当でも他には教えたくなくなるぐらいには何かと気に入っていた。
人の心を運ぶ電車にルカが忍び込んでいるのを新しいパートナーから情報を受けて向かっていた。
翼を仕舞いホームに降り立つ。
周りを見渡しても他には誰もいない。
もう他の人は乗り込んだ後だった。
開いた扉から車両の中に足を踏み入れる。
一目でわかる。彼女は他の乗客に紛れて一人だけ怪しげな雰囲気を醸し出しいた。
姿は変わってもまだ、面影を残している。大きくなった背中を見ても、まだそう感じた。
「なぁ、何で辞めたんだよ。」
彼女は振り向いて恐る恐る私と目を合わせようとする。
「あー、それですか。」
私からは彼女のすぐに応えない様子は言葉に詰まっているように見えた。
「…したいことが出来たんですよね。」
その言葉が私には本当かどうか分からない。
「その結果がこれなわけ。」
周りには意識のないが人間たちが力なく立ち、人形のように項垂れている。
「あっと、ですねー。見てくれは悪いんですけど幸せっていうか。」
「いや、どう見ても快楽に捕らわれてるだけでしょ。これだと願い依存してくれないじゃん。」
目の前の人間は手のひらで軽く押すだけで簡単に倒れた。
「教えたじゃんか。こいつらの信仰心が力の元になるんだよ。たまに叶えてやればさらに強く祈るようになる。成就した数に応じてさらに、過激に熱心に身を捧げる。いつしか、目的のためには何にでも犠牲を厭わなくなる。そうさせるのが一番効率がいいんだから。」
私は子供へ言い聞かせるように何度も離したことを繰り返した。
「あー、もう。うっさいなぁ。しょうがないでしょ。そうする以外に選択肢がないんだから。」
あの頃のような落ち着いた様子もなく彼女はすぐに癇癪を起した。
「他にもっといい方法があんだろ。お前は力だけは私並みだったんだし。」
彼女は足を踏み鳴らしながら話を続ける。
「なんで分かってくんないのかなぁ。嫌なんですよ。これ以上、同じ人間で争ってんのを見るのも。病気に侵したり、死を願ったり。信仰心ごときで叶える強さに差をつけて、こっちはOKで向こうはダメ。…あーあ、他人と比べるのってどうにかして辞めらんないんですかね。」
ルカのやつ、何言い出してんだ? それぐらいどうとでもなるはずだろ。
「だったら善い願いだけ選り好みしたらいいだろ。治したり、救ったりすればいい。」
「そんなの私みたいな運だけの、生まれ持っただけのだけのやつはリン先輩みたいに要領よく出来ないですよ。」
「だったら私に頼ればよかったじゃんか。いくらでも叶えてやんよ。そんぐらい。」
「そうじゃないんですよ。何なら、先輩にだって関わって欲しくない。だから…天使を辞める良いきっかけだったって思ってるんですよ。一応。」
彼女は笑って話を続ける。表情を変えると口元の端からは私の知らない牙が何度も見え隠れしていた。
「悪魔の方が気楽でよっぽどいいですよ。自分よがりな願いだけを叶えて気に食わなければ反故にすればいい。それだけで今まで通り食っていける。…はずだったんですけどね。」
「まぁ、見つけちまったからな。」
こればっかりはどうしようもない。
「私がもっと良くしてやろうって思ったんですけど実際やってみるとうまくいかないですね。」
「悪いな。」
ルールで決まっているからこれだけは曲げられない。
「先輩がもし天使を辞める時が来たらでいいんですけど。ちょっとだけでいいんで、細々と私の代わりをやって欲しいんです。人間もせめて最後くらいはマシに思えるようにしてやってくれませんか。まぁ、先輩に限ってヘマをするだなんてはありえないでしょうけど…。」
「わかったよ。ありえないだろうけどな。」
彼女の言葉に表面上だけで同調する。
「ですよね。ははっ。」
自分を卑下するような笑い方をするルカの事をその時、初めて見た。
「そしたら、怪我した時、気を付けてくださいね。どんだけ細かくしても無くなりはしないんですから。」
今思い返せば、あれは彼女なりに考えて出した私への忠告だったんだと思う。
あれからどの書物を読み漁っても求めていた記述はなかった。
願いを叶える天使は善で、代償を要求する悪魔は惡。
どの本にだってそう書いてある。
ではなぜ、悪魔は対価を要求するのか。
私たちは力を授かっているから願いに見返りはいらない。
じゃあ、悪魔もそうなのだろうか?
そう単純な理由がない。
もしそうだったら悪魔たちは死も厭わずに必要のないものを私たちの目を盗んで必死に搔き集めていることになる。
矛盾した行動をするのが悪魔だって?
言葉の通じる彼らがそんな短絡的なわけがない。
相容れない存在だからと納得していた。いや、させられていたんだ。
月日が流れるたびに最後が近づいているのを身体が知らせていた。
歯が抜け落ち、牙が生えてきた。
産まれてからこのかた、食べる必要なんか無かったはずなのに新しい歯は噛み切ることに特化していた。
爪は伸び、先は鋭く硬くなる。伸びた爪先は切ることが難しくなった分、やすりで毎日のように整えるようになった。
異変に気が付いてから、さらに背が伸びた。ぱっと見ではわからない1,2ミリの誤差に過ぎないうちから背中を丸めて必死に隠すように過ごしてきた。
背丈に応じて身体に肉が付き変化していく。
そんな中、まだ力使えるのは幸いだった。
これなら、まだ誤魔化しながら生活を送ることが出来る。
悪魔のような卑しい存在は恩寵を受けられないから原始的な武器を持って戦う。
本に書いてあった一文は今の私の状況とよく似ていた。
髪が染まり始め誤魔化しが効かなくなった頃、私から話を切りだした。
カノンが付いてこないのも本当は予想が付いていた。
あいつはいつも可愛い顔して実に合理的な考え方をする。
力が呪いとなって私を視ている限り、言葉にすればまず助からない。
説明もせずに了承が得られるわけがない。
死なんて怖くはなかったのに、最後は誰かと一緒に居たいと思ってしまった。
これもまた、人に近づいていることなのだろうか。
ーー本当にいいの?
…いいよ。そうしないと生きられないんでしょ。
私は最後の確認がしたくて、また彼女と話をしていた。
願いの代償はとてつもなく大きい。名を広め、憶えてくれている人が居なければ身体が力に耐えられない。
願いの対価で消えてしまう前に知ってくれる人が増えるまでの間は私と混ざりあった彼女が強く記憶に残っている人から奪い続ける必要があった。
いつもの時間帯、ホームではまだ放送が流れていた。電車を待っている人が列を作っている。事前に口が滑りやすくなるようにお呪いはかけ終わっている。私は彼の隣にそっと並び声を掛けた。
「疲れた顔してますね。大丈夫ですか。」
彼の身を案じるような立場でもないくせして心にも無い言葉を口にした。
「…あぁ、違うよな。」
彼は目をこすってから呟く。
「どうかしましたか。」
「いや、昔の知り合いと似てて。間違えただけです。」
彼の誤魔化す時に決まって軽く笑う癖はまだ変わってない。
「そんな似てます?」
私は顔を近づけて瞳をじっと覗き込む。
彼は驚いてからすぐに目を逸らして話を続けた。
「まぁ、似てるね。」
「ほんとですか。それは嬉しいような気がしますね。」
印象を良くするだけの為に口角に少しだけ上げ、笑みを浮かべる。
「そう、それはよかった。」
彼は昔の記憶に思いを馳せているのか目線上げ、遠くを見つめている。
「ちなみに、どんな人だったんですか。」
私は彼の行動にかまわず話を畳み掛けていく。
「ずいぶんぐいぐい来るね。…優しい人だったよ。俺と違って。」
彼は少しのけぞりながら引いてはいたが口は止まることを知らない。
「そうなんですか。お兄さんも優しそうに見えますけどね。」
「いや、俺はそんなことない。」
彼はそこだけは間違いが無いように私の目を見てはっきりとした口調で言い切る。
もう、電車が近づいてくるアナウンスが聞こえていた。
「そっか。…そしたら最後に一つだけ。もう一度、会いたいって思うことありますか。」
「…出来るならね。」
電車がホームに近づいてくる。
「本当に?」
「ああ。」
最後に彼の承諾だけが必要だった。
「じゃあ、叶えてあげますね。」
私は線路の先へ彼の手を引いて身を投げた。
目の前にはかつてとは似ても似つかない姿になった先輩が佇んでいる。
「まだ、大丈夫ですって言いに来たのに。それ以上逆らったら私でも庇いきれないですよ。何なら、私も一緒に謝りますから。変な意地張っても何にもなんないって前に言ってたのは先輩じゃないですか。」
それは最後の説得だった。
「昔の事なんか知らねぇよ。もう辞めたんだから自由にやらせてくれたっていいだろ。…付いてこなかったお前には関係ないじゃんか。お前がいればこっちでもまた楽しくやれてたのにな。」
彼女はまるで話を聞き入れてくれそうにない。
「しょうがないじゃないですか。説明もなしにそんな風に醜くなりたくなかったんですよ。黒い髪に大きい体。まるで人間ですよ。髪が白くなるのにさえ時間がかかるくせに、時が経つにつれて皴が出来て体も思うように動かせなくなる。そんな失敗作なんて誰が好んでなるんですか?」
当たり前の常識を諭す。それでも彼女は気にしない様子で話を続けた。
「それがいいんだろ。お前らは変わることに怯えてるだけなんだよ。今が最高だって思い込んで自分を守ってるだけだ。それでいて人を否定することだけは自慢げに、声高々にに話す。」
彼女は私の言葉に全く持って、耳を傾けてくれそうにない。
「ずっと続く命にかまけて上からの指針に従っているだけで肯定される。それって私である必要ないじゃんか。区別する側に回って安心したいだけなんだろ。今までそんなことにさえ気が付けなかったのも嫌だった。」
私にはこの状況が彼女が追い詰められて虚勢を張り続けているようにしか見えない。
「この羽も力も借りてるものなんだから当たり前じゃないですか。」
どんな事があったとしても彼女の行動は裏切りに過ぎない。背信行為を見過ごすことはできなかった。
「だからって努力して手に入れてきたものまで全部が横取りされるのは違うだろ。何でも知っててどんな事だって出来るくせに私程度が抜けただけでここまでするのはどうかしてねぇか。」
その積み上げる土台を作るために力を借り受けているんだ。結果が出たら報いるのは当たり前のことのはずだ。
「お前はただ盲信してるだけなんだよ。」
「そんなこと言って借りてた分を返すのが嫌になっただけじゃないんですか。だって神様が間違ったことをするはずがないんですから。」
「うざってぇな。あいつにどんだけ付き合って来たと思ってんだよ。これまでの分でもう十分だろ。好きにやってるんだ。私のことなんてほっとけばいいじゃんか。」
彼女は悪態を吐き続ける。
「駄目ですよ。そうはいかないです。ルールですから。」
「ルール、ルールって。笑わせんなよ。どうせ私が大きくなるのが怖いだけだろ。あんなに大きな力を持ってしてもまだ足りないってか。強欲っていったい誰のことを指しているんだろうな。」
彼女は敬愛するあの方を悪魔の名前を冠する歪な名詞を出してまで否定したいようだった。
「先輩は逆に感謝とかないんですか。この世に生んでもらって永遠の命と力の引き換えにその身をささげることを誓ったのに裏切って。」
「…生まれた時に勝手に決められただけだろ。期待ばっか背負わせて何の責任も取らないくせに口先だけはいっちょ前で。少し意に沿わない事をしただけで怒り狂って責め立てる。あいつは自分が間違ってた事を認める事が出来ないからな。事実、お前が送られてきたのがその証拠だろ。」
そんなわけがない。
「先輩がそう感じてるだけでしょ。分かりもしないのに適当言って。第一、疑念を抱くこと事態が罪なんですよ。」
「くだらねぇ。どうせ謝罪だってしても意味なんかないんだ。後で殺されるのも目に見えてるんだよ。」
「私が何とかしてみせますから。」
「…もうさ、いいだろ。普段は何にもしてくれないくせに自分の意にちょっとでも反した奴は悪魔って呼んで殺し合わせる。自分が生んだ子が死ぬ事に何も感じてない。お前も私を探すように言われて初めて知っただろ。悪魔なんていやしない。そうやって都合良く名前を付けて殺す理由を作り出してんだ。」
「それだって先輩の想像に過ぎないでしょ。」
「でも、間違ってる証拠だってないんだろ。」
彼女の言った言葉の意味なんてこれまで考えたことがなかった。
「…いいよ。無理に答えなくても。言いたかっただけで別にカノンの答えが聞きたかったわけでもないしさ。」
すぐに答えられない自分がもどかしい。それでもルールで決まっているんだからしょうがないじゃないか。
「私さ、今は夢を見せるのを生業にしてんだよ。誰だって最後くらは良い思いでいたいだろ。」
「…それが命を懸けてまでしたいことなんですか。」
私の口から出たのは苦し紛れに話題を変えることだけだった。
「ああ、そうする以外に選択肢がないからな。」
「悪いですけど。そんなんだと、もう見逃し切れないですよ。」
発した言葉が敵意を形作っていく。私は彼女へ向け弓を引き絞った。
「いいよ、別に。生きる為に抗うことの何処が悪かったもが分からないし。逃がしてもくれないんだろ。」
彼女は矢を前にして悟ったように話を続ける。
「そうやって罪を下す側でいるお前もある程度、有名になったから呼ばれたんだよ。自分の他に力を持ち始めたやつは目の届く範囲に置いておきたいんだ。浅ましいよな。感情に振り回されてる奴が生んでんだから子供にまで完璧を求めんなっての。」
放たれた矢が真っ直ぐ飛んでいく。光の軌跡の奥でなんでか先輩は笑ってた。
いつもと変わらない彼女の笑い声が耳の中でまだ残り続けている。
目を覚ますといつの間にか床に寝そべっていた。頭が痛い。床に打ち付けたようだった。どうにか体を起こして周りを見渡すと奥の方で赤いペンキが叩きつけられた跡が見える。
とりあえず倒れてる人たちを起こさないと。
「大丈夫?」
顔を覗き込んできた少女の顔は真っ赤に染まっていた。
「わっ。」
驚いて後ろに下がると手がぬめりで滑り、腕に赤黒い感触が纏わり付く。
すぐ近くにはカノジョの顔の半分が溶けて爛れながら転がっていた。
肉片を見ていると自然と涙があふれ出してくる。手を伸ばし触れたカノジョの頬にはまだ体温が残っていた。抑えようとしても隙間を縫って何度もこぼれ落ちてくる。
「あぁ…。あぁぁぁ。」
手のひらに収まる彼女からもう声は聴こえない。
彼女の顔がにじんで映る。表情も分からない中、光だけが視界の中でぼやけて埋め尽くす。
状況がうまく呑み込めずただ呆然としていた。
「だから、それあなたの彼女じゃないのに。」
少女の声で我を取り戻す。
笑いながらこちらに近づいてくる。
「それ以上近づくなよ。」
涙をぬぐいながら立ち上がり少女に言い放つ。
「そんなこと言われても。もう着くから。」
意味が理解できなくて言葉が出てこなかった。
「だから、降りるんだよ。電車から。」
頭の奥を波打つように痛みが走る。後頭部を触れると手に何かがこびりついていた。
「あーあ。思い出しちゃうからあんまり触らないほうがいいのに。」
「——お客様にお知らせいたします。先ほど当駅におきまして、列車とお客様が接触したとの情報が入りました、このため、当列車は駅に一時停車して運転を見合わせます。また、運転再開時刻など、詳しい情報が入り次第、その都度車内放送に———」
頭の奥がぼぅっとして上手く聞き取れなくなってきた。
「はい。すみません。今日は遅延で遅れます。」
ホームから見下ろす視線が突き刺さる。
「っつ。何やってんだよ。空気読めよな。」
顔だけが仰向けのままスマホを向けているのが見えた。
「うーわ、これは。」
好奇心と嫌悪感が入り交ざった顔。こんな時までそんな目で見るなよ。
視界がぶれる。目なんか悪くないはずなのに片目だけがぼやけてうまく見えないことに今、気が付いた。
電車が甲高いブレーキ音を立てながら車体を止める。
揺られた車両の中で俺の体は水音を立てて崩れ落ちていく。
「知ってる? ニュースで聞きなれた全身を打つって言葉。あれさ、今のお兄さんのことだよ。人としての形を保ててない。」
笑い声が車両の中に木霊する。
「…でも、ちょうどいいかもね。」
扉が開いて彼女と同じ格好をした少女たちが寝ている人たちを運び出していく。
彼女は車内に乗り込んだ一人から受け取ったスコップで俺の体を切り刻みながら手押し車へざっかざっかと放り込む。
何してるんだよ。
話そうとしても顎が外れててうまく言葉にできない。代わりに呼吸音に混じって血が泡になって喉奥から絞り出る。
あらかた積み終えると彼女は俺の髪の毛を掴んで体の上に載せてから歩き出す。
「ほら、行かないと。」
電車から運び出された横で車窓からカノジョの体液に塗れた床をモップで洗い流しているのが見えた。
辞めろよ。放せって。
彼女の手を止めようにも遮るための腕が無い。
彼女から逃げ出そうにも走るための足が無い。
「大丈夫だって。安心してよ。」
なんだよ、それ。天国ってこれまで聞いてきたのは全部嘘かよ。
抗えない恐怖を前に子供みたいに癇癪を起こすことしかできなかった。
「ああ、人間たちに伝わってる話ね。嘘なんてつかないよ。私たちは人の心と同じものから出来てるからさ。ばらばらになった人の心が私たちの傷を癒してくれるんだ。私たちと一緒になれるなんて最高の気分でしょ。」
少女はさも、それが当然の事のように話す。
…ふざけんなよ。
「はい、はい。わかったよ。そんな照れなくていいって。…てか言い忘れたたけど、ありがとね。お兄さんが時間稼ぎしてくれたおかげで最後に先輩と話ができたよ。」
少女は緩やかな坂を上っていく。どうにかして抜け出せないかと思案を巡らせたが何の意味もなかった。顔が斜面で転がり落ちないように肉に向かって顔を押し付けられる。血の匂いで吐き気を催すだけで俺には何もする事ができなかった。
「よし、着いた。綺麗でしょ。」
肉から引っ張り出された顔が向けられた先には奥が霞んで見えるほどの大きい金色の鍋が置かれていた。底の方には虹色の液体が浮かんでいるのも見て取れる。
「ほら向こうの方でもやってる。君みたいのは定期的にやってくるから材料に持ってこいなんだよね。」
みんな、死んだ後はこうなるのか?
「…いや、君たちみたいなしょうもない奴だけ。」
奥の方でも小さな点が落ちていくのが見える。
「もう気持ちも落ち着いた? ここから生まれたんだからまた元に戻るだけだよ。不安なんて感じなくていい。そんな感情持ってるのも人間くらいなもんだよ。」
やめてくれよ。
懇願なんて何の意味もないと心の中でわかってはいたけれど俺には縋ることしかできなかった。
「よいしょっと。」
自分の体の音を聞きながらに鍋の奥へとずり落ちていく。
屈託のない笑顔。落ちていく中で見た少女の顔はこれまで見た誰よりも満足そうに笑っていた。
先輩はああ言っていたけれどこれが正しいに決まっている。もし間違っているのなら、私にはもうどうしたらいいかが分からない。
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