第16話

 私が気づいたときには、すべて終わっていた。


 警察が来て、

 私は保護された。


 あの女は──助からなかった。

 状況証拠、そして私の状態から

 ──それは正当防衛と判断された。


 でも、あの薬は、もう残っていなかった。

 だから、私は元には戻れなかった。


 何も感じないまま、

 自分が誰かもわからないまま、

 私は療養のための施設に移された。


 そこは山の中の小さなリハビリセンターで、

 静かで、きれいで、

 どこか夢の中みたいな場所だった。


 何に触れても、

 冷たさも、熱もなかった。

 太陽の光すら、

 ただの色にしか思えなかった。


 けれど──

 私の担当になった一人の女性がいた。


 短く切られた髪と、落ち着いた声。

 そして、右腕が義手だった。


 それは、よくある無機質な義手ではなく、

 異様なほど滑らかで、

 指先まで繊細に作られていて──

 まるで、誰かの手をそのまま持ってきたようだった。


 しなやかで、柔らかくて。

 とても丁寧に動く手。


 はじめてその手が私の肩に触れたとき、

 私はふっと息を飲んだ。


「……あ……」


 ほんのわずか、

 かすかで、

 それでも確かな──

 ふれる感覚があった。


「……先生の、手……?」


 気づけば、そうつぶやいていた。


「え、分かるの?

 不思議ね・・・・・・」


 女性は、やわらかく笑った。


 その笑顔はあたたかくて、

 少しだけ、安心した。


 先生は、いつもにこやかで。

 私の話を黙って聞いてくれて。

 先生がいるだけで、何も変わらないのに、

 少しだけ明るくなった気がした。


 しばらくして──


「ねぇ、名前、聞いてもいい?」


 その言葉に、私は首を振った。

 どうしても、思い出せなかった。


「……わかりません……ごめんなさい……」


 女性は少しだけ考えて、

 やがて穏やかに微笑んだ。


「じゃあ、私がつけてあげようか」


「……え?」


「みずほって、どう?」


「みず、ほ?」


「あなたには、その名前が似合う気がするの」


 みずほ。


 その響きに、

 胸が少しだけあたたかくなった。


 わたしは、そっとうなずいた。


「……はい、先生」


 その瞬間、

 女性の目がわずかに見開かれた。


 けれどすぐに、

 やさしい笑顔で返してくれた。


「ふふ、これからもよろしくね、みずほちゃん」


 わたしは初めて、何かを取り戻せた気がした。


 先生は、やさしく微笑んで、何かを言った。


 けれど、

 その声は私の耳には届かなかった。


「―――おかえりなさい」

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RE:ここにいた みずほ 味噌煮込みポン酢 @koukakurui11

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