なりそこね – 演罪としての私 –

慈彷 迷獪

お題:素顔

 欲しいものが、ある。どうしても欲しい。「舞台役者」になりたい。

 舞台とは、やり直しの効かない一発勝負の総合芸術だ。だからこそ、残酷なほど厳しい。


 それでも、抗えない。どうしようもなく焦がれる美しさがある。


 舞台では、演技・歌・ダンスは、「できて当然」。その先がある。群舞、殺陣、バレエ、コンテンポラリー……垣根はない。姿勢や発声、表情に宿る圧倒的な存在感。何でも求められる。こんなにも幅広い領域で表現ができるとすれば、やはりそれは、総合芸術たる舞台演劇の世界だと、心の底から信じている。物語の中で、私の演技を通じて、誰かの人生を歩きながら、自分という存在を、何度でも更新し続けたい。

 だから、手に入れるために、時間も体力も削り、足掻き続ける。命懸けで臨んでも届かない。焦るな、落ち着け。熟読し、声に出して、手を動かす。一挙手一投足、表情から声質まで、実行して繰り返す。手探りで役を分析し、感情をひとつずつ咀嚼する。役の輪郭を鮮明に浮き上がらせていく。限りある時間の中、役を生きるために私を捧げ、体に染み込ませ、無意識レベルにまで落とし込む。物語の登場人物として生きるために、必死だ。


 それが、芸名・煮後にご 杏慈あんじとして生きる私の日常であり、逃れられない現実だ。夢なんかじゃない。覚悟は、とっくに決まっている。

 「煮後 杏慈」という活動名義も、だからこそ必死で考えた。私という人間をプロデュースする上で、名前は原点回帰になると直感的に分かっている。

 私は、本名の私を捨ててでも、舞台の上で生きる人生を手に入れたい。折れたくない。引かない、引けるわけがない。自分にだけは、どうしても負けたくない。砕けても、燃え尽きても、何度でも蘇る。それが、舞台役者を志す、私の在り方だ。


 でも、本当に届く日は訪れるのか? 到達できないかもしれない。

 その事実が、怖すぎて、途方にくれる。毎日、必死で延命治療を施している。才能も素質もないのかもしれない。躓き、転び、泣いて、それでも尚、起き上がる。

 辛い現実の日々を、板の上で塗り替えたい。雑草魂、舐めんなよ。私は、何度踏まれても立ち上がる、タンポポだ。

 本物の表現者になると決めたあの日、ひとりきりで暗い部屋で、蹲って泣いた。


「怖すぎる。無理。でも、ほしい……」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔だ。あまりに酷すぎたから、洗面台で顔を洗った。泣き腫らした目元の衝撃があまりにも強く、人間臭さに思わず笑ってしまった。

 水で洗い流したあと、暗い部屋には、パソコンの光だけが灯っていた。まるでスポットライトかのように、私を照らす。震える手で、いくつもの応募フォームの送信ボタンを押しては、崩れ落ちるかのように泣いた。

 どんなに覚悟を決め、決意を固めても、そのあとも迷い、揺れた。

 そんな日々を繰り返していると、ある日、夢が私の元へと近付き、降り立った。

 突如として、襲いかかってくるのだ。

 覚悟を決めたら、案外、思っていたよりも早く、土俵に立てるものだな——。

 歓びと驚愕の狭間で、私は再び揺れ動いた。


 応募のうち一つだけが通り、初めて二次審査に進むことができた。

 お金を払い、ワークショップに通い詰めた。地道に経験を積み、名前を覚えてもらえるように努力した。

 力量が認められたとは思っていない。それでも、これまでの経験が、どこかで奇跡のように結び付いたのかもしれない。

 ようやく——プロの前で挑戦ができる場に、私はたどり着いたのだ。


 オーディション当日は、初めてで埋め尽くされていた。何がなんだか、分からなかった。記憶もところどころ抜け落ちている。あの時の私は、さぞ危なっかしい存在として、他の方々の目には映っていただろう。待機室で待っている時の動悸、周囲の様子。才気に溢れたライバルであり、同じ志を抱える挑戦者たち——。記憶は断片的でも、鮮明に焼き付いている景色がある。

 本読みのシーン演技、即興のインプロ、歌にダンス……。審査の場では、とにかく全力を出し切った。でも、全然覚えていない。必死だからこそ、あっという間だった。

 それでも、やっぱり楽しかった。私は、表現を愛してしまった。だからこそ、逃げられない。

 大まかにパフォーマンス審査を終えた後、質疑応答・ディスカッションの場があった。そう、最も記憶に残っているのは、ここだ。

 私のこれからの役者人生の課題、いわば壁に直面した。


「煮後さん、貴女はとても真面目で直向きだと伝わってきました」

 よし、好感触だ。汗の感触の気持ち悪さと、遠のく意識の中、なんとか気力を保ち、食い入るように話を聞く。一言一句、聞き逃したくない。全てを私の血肉とするために、集中力を極限まで研ぎ澄ます。

「でも、人間味が薄いですね。貴女という人間そのもの……役を脱いだ煮後さんのことも観客に愛していただけなければ、道は閉ざされる。それが、プロの世界です」

 何となくだが、理解はしているつもりだ。しっかりと相手の目を見て、相槌を打つ。瞼の奥が熱くなるが、グッと堪える。強い私で居たい。情けなさを見せたくない。そんな暇は、私にはないのだから。

「うーん、分かっているようですね。良い意味で、堅いね……。最後に、もうちょっと踏み込むとすれば——そうだね。真面目で強くても、自分以外の全員を敵だと思ってしまったら、駄目ですよ。なんというか……、本当の貴女が見えづらい。まぁ、怖いですよね。だからこそ、そこが今の課題かな……。私からの講評は以上です」

 以前、別のワークショップでも、似た内容を指摘されたことがある。あくまで個人的な見解になるが、役を演じていても、それは私という個の延長だ。本当の私を見せろとは、どういうことなのだろうか? あの頃から、私はまだ成長していないのか?

「他の審査員の方々、いかがでしょうか?」

 女性はそう問い、周囲の審査員を見渡した。男性の審査員が、手を挙げる。


立原たちはらさんが、もう全部言っちゃいましたよ。まぁ、可能性は感じますよ? まだ早いだけというか……。演じている貴方自身が商品だから、境目は分けた方が売れるかもね」

 男性の審査員は、至極冷静に発言した後、眼鏡越しに私をじっと観察している。

 役を演じる中で自分が消えるほど薄まるのであれば、それこそが、もしかすると「演じる者の業」なのかもしれない。そんな考えが、ふと頭に過った。

 境目を分けるとは、つまり、そういうことなのだろう。


 そこに割り込むかのように、二十代後半くらいの、若い女性が発言し始めた。

「岡先輩、通常運転通りすぎて、ビビったっすよ……。辛辣過ぎやないですか?ま、同意見かな。育てるに賭けてみたいけど、今回の規模感だと……」

 やけに砕けた感じの癖の強い審査員の方だな、と少し驚く。全体的にキャラが濃いんだよ。「本当の貴方が見えない」って、そういうこと? キャラの濃さって意味? いや、違うか……? だって、「境目は分けたほうがいい」って言われたじゃん。わっかんねー。私が頭の中でグルグルと問答を繰り広げているうちに、会話はまた、最初に講評をくださった女性へと戻った。

「煮後 杏慈さん。確か、こちらのお名前は芸名でしたよね? どうしてですか?」

「はい……。あの、私、本名は申し込み時に記載の通り、西沢にしざわ 杏子きょうこと申します。私という存在を煮詰めた後に、役者としての私が完成する。……慈悲・慈愛の心を忘れず、お客様へ最高の瞬間を届ける。えっと……つまり、役者としての私を強固にするため、芸名を作りました」

「立原さん、ええやん、この子。しっかりしているよ。まぁ、この業界、運やタイミングもあるからさ。未来を楽しみにしているで。他の人らは、あと、大丈夫そ?」

 首を振ったり、頷いたり、私を観察するようにジッと見ている人もいる。未だに、この業界人たちのやり取りにはついていけなかったりする。何を考えているのだろうか……。

「では改めまして、本日はありがとうございました。お疲れ様です。今後を楽しみにしています」

 さすがに分かる。今回は、落ちたな。確定演出だ。あぁ、終わってしまったんだな——。最初に講評をくださった審査員の方の名札を見る。そうだ、「立原」さん……だ。ご丁寧に読み仮名まで振ってくれている。立原さんの言葉は、忘れないだろう。タダでは終わらない、ちゃんと持って帰って、活かすから——。

「……ありがとう、ございました」

「煮後さん。そんなに急いで、何者かになろうと焦らなくても大丈夫ですよ。泣き顔も、隠さずに見せてください。貴方のそんな顔が……見てみたいです。きっと、もっと伸びる」

 しっかりと私の目を見て、対話してくれている。立原さんは、少しだけ間を空けて、告げた。

「……今まで、ずっと頑張ったんだね」

 もう、こんなの、耐えられるわけがない。これまでのこと、無駄じゃなかった。

「立原さん、胸熱過ぎる!いや、でも本当だよ。きっと、案外すぐに実るで。道は地続きだし、うちら選ぶ側も、アホやないからさ。次に来る子って、なんか分かる」

 励ましの言葉をいただけるなんて、ありがたい。今、どんな顔をしているのだろうか、私は……。泣き出しそうだった。搾り出した感謝の言葉の背景も、立原さんは当たり前のように見抜いていた。同様、他の審査員の方も異議なしといった雰囲気だった。厳しさは、優しさの裏返しだ。うん、次だ、次。一応、砕けた癖の強い審査員の方の名札も確認した。「浜野」さん……か、覚えた。

 深くお辞儀をし、扉を開け、ゆっくりと閉めた。終わっちゃった……。経験は、何度だって蘇ると知っている。今日、落ちてよかった。いや、嘘だ。本当は、受かりたかった。でも、無駄なんかじゃない。私を見てくれている人がいた。ちゃんと、存在した。


 演じることは、罪なのか? ありのままの私なんて、曝け出せない。

 ……いや、嘘だ。すでに曝け出していたじゃないか。

 積み上げてきたものが、私の証明だ。嘘偽りではない。本当の私だ。


 でも、演じることは、私の罪かもしれない。

 それと同時に、私の救いでもあるのだと思う。

 本気で魅せにいった。全力で演じ切ったと、自信を持って断言できる。

 あとは——涙を見せる弱さと人間味が重なれば、変われる。


 正直、私は自分のことが好きじゃない。だからこそ、表現の世界が好きだ。


 それでも、煮後 杏慈になるために、夢を現実にしようと努力したあの時間は、あの瞬間の私のことは、嫌いじゃない。

 だって、報われなかったとしても、始める前の私より、今の私の方が好きだ。

 「西沢」の私も、「煮後」の私も、審査員の言葉を借りれば、そう、「地続き」でしかない。


 続ければ、確率も可能性も上がる。

 辞めた途端、確率も可能性も下がり、やがて閉じていく。

 だから私は、何回だって這い上がって、いつか、観客のいる板の上に、本当の意味で舞台の上に立つ。

 夢を見られる時間は、夢の種類によっては限られている。今日はオーディションに落ちたから、一個夢は消えた。そして、また別のオーディションに挑んで、違う夢を見て、演じるのだろう……。

 夢は叶えるのものではない。掴んで、本当に現実化するから、いつの間にか勝手に叶っているもの——、そのはずだと信じている。

 何回落ちたって、叶うまで挑み続けるだけだ。誰かに、私のことを見つけてほしい。


 今日のオーディションの参加者、審査員、スタッフ、誰かひとりだけでもいい。

 煮後 杏慈のことを忘れるな。ずっと覚えていろ。逃した魚はデカいぞ、と心の中で叫ぶ。

 特に、立原さん……。私は、貴方のことを覚えました。いつか絶対、共演者として関わりたい。

 この収穫だけでも、十分だ。幸せ者だ。あと、浜野さんも面白くて、印象に残っている。

 うん、今日は、これで良かったと思う。


 それでも今だけは、一刻も早く、この場から抜け出したい。

 経験は積めた。でも泣きながら帰るなんて、絶対嫌だ。涙を見せろと言われても、泣くタイミングは自分で選びたい。せめて、今ここ、それは違うのだ。

 会場を後に、衝動で駆け出す。緊張感が一気に解け、吐きそうだ。

 気持ち悪い。水、水、水。透明だけが、今は受け入れられそうだ。早く切り替えたい。抑え込んでいた、脆くてか弱い私が這い出してくる。


 走るのって、気持ち良い。溶けてしまうほど暑いのに、風を感じる。心地良い。

 身体を強制的に動かして、思考を変える。頭の中のゴミを捨てろ。本名の私「西沢」へと、徐々に戻っていく。


 そうだ、いつだって本当は、悔しくて堪らないんだよ。馬鹿野郎、クソが……。

 今だけは、悔しさに浸っていよう。いつか、演技の糧になるはずだ。とにかく今は、全部忘れて、遠くへ、離れて、逃げ込んでしまおう。


 無我夢中でコンビニへたどり着いた。

 外気との差に息を呑むほど涼しくて、違う世界みたいで、ぼんやりする。水を買った。


「ありがとうございました」


 コンビニの店員に軽く頭を下げ、自動ドアへ足早に進む。

 形式的な「ありがとう」の一言に、目が潤んだ。


 覚えていろよ——私は、必ず舞台に立つ側の人間になるのだから。

 それは審査員の方に、ではない。自分に言い聞かせる。

 自己洗脳だろうが、自己暗示だろうが、構わない。自分を立ち上がらせるためなら、なんでもいい。

 そんな気持ちで、自動ドアを通り抜けていった。


 大人になんか、ならなくていい。私は、この青臭さと共に在りたい。泥沼の挑戦者として、等身大の今の私を生きる。その先に、きっと道はあるはずだ。他者は敵ではなく、味方——。焦らず、進んでいこう。


 倒れて他者に迷惑をかけたくない。情けないけど、コンビニの日陰でしゃがみ込む。右腕で潤んだ瞳を拭った。力を入れて、ペットボトルの蓋を開ける。一気に飲み干した。水の冷たさに安堵し、心が入れ替わる。いつか、届きますように。誰かの記憶に残る、そんな私でありますように。何にでもなれる、そんな役者でいたい。私の空っぽを愛するために。


 空っぽだからこそ、太刀打ちできる強さもあるはずだ。

 私は、ずっと演じながら、圧倒的に突き抜けた本当の私——そんな存在を、欲しがっていたのかもしれない。

 そんな素顔の、ありのままの私ごと一緒に、何度でも気軽に挑んでいこう。

 次こそは——。


 強く祈りながら、都会の喧騒と茹だる熱の中、青い空をぼんやりと眺めた。


〈了〉

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