第2話
それから少し歩いた。生暖かい夜の空気と湿った風が頬を撫でていく。
しばらく進んだ先で、大きな橋の下に辿り着いた。
鉄筋がむき出しになりツタと蔦が絡み合っており、橋脚を支える支柱は朽ちかけ、水面に触れている部分からは水草が茂っていた。
恐らくここは帝都の中心だろう。この橋の下にある小さな協会が朝に鳴らす鐘に覚えがあった。
「ねぇ、そこの商人さん」
ガサガサとツタ同士が擦れる音と共に女の声が聞こえてきた。
骨組みがむき出しで錆び付いた鐘の協会にはお誂え向きな、裾は擦り切れ、紺のベールは薄汚れてしまったシスターの装いの女だ。
この帝都でシスターなんて見たのは久しぶりだ。
「お酒をくれない?」
「良いのか?シスターが酒なんか飲んで。」
「神はもう居ないから、大丈夫。1番安いのをくれない?」
自虐的に笑い、彼女は酒を催促してきた。
まあ別に売るつもりではあったが。
「はいよ」
背負い箱から一本の瓶を取り出して手渡す。
中身は腐米酒。
食べられなくなった米を発行させただけの下等酒でかなり酸っぱいが同時にかなり安価でもある故需要がない訳では無いのだ。
それを手にするなりシスターはコルクの栓を開けるとごくごくと喉に流し込む。上気した頬、熱っぽい吐息、艶めいた唇。
そして濡れた唇から滴る赤い液体が、胸元へと伝っていく様は妙に扇情的だった。
「……おいおい、随分大胆だなぁ」
「ふふ、これくらいじゃ酔わないわ」
彼女は悪戯っぽく微笑むと再び口を瓶に付けて飲み始めた。まるで甘露を味わうかのように美味しそうに飲む姿は何処か官能的だ。
「ねぇ、帝都はもう駄目よね」
ぽつりと漏らした言葉には憂いが籠っていた。
その言葉に呼応するように、腐米酒の酸っぱい香りが鼻腔を刺激する。
「もうどれだけ祈っても協会の鐘は鳴らないわ」
にっこりと微笑む彼女の笑顔は、虚勢を張っているようにも見える。
それ以上に哀しみが滲み出ていた。
「ねぇ、貴方は神を信じる?」
「信じないな。そもそも居ないんだろ?」
「えぇ、いないわ。少なくとも私はそう思うの。シスターとしてこんなこと言ってはダメなんだろうけど」
彼女はそう言い切ると、また一口腐米酒を口に含んだ。
「……けれど」
「ん?」
「もし、神が居たら……」
そこで一度言葉を区切ると、シスターは俯いたまま続ける。
「この世界は……幸せになれるんじゃないかしら。…ねぇ、お酒はまだある?これで買えるだけお願い」
彼女は銀のアンクレットを手渡してきた。薄汚れていて乾いた泥が張り付いてはいるがずっしりとした質感を持つ正真正銘の銀だろう。
「…毎度アリ。好きに持っていってくれ」
背負い箱の中から酒瓶を適当に掴み出してシスターに渡していく。
腐米酒と羊血酒、それから圧倒的に高価なものになってしまった羊血酒。ありったけを渡せるだけ渡すと彼女は嬉しそうな表情を見せた。
「…ありがとう。これを」
首にかけられたのはロザリオ。青白く、淡い光を放っていた。
「お礼よ。幸運をお祈りするわ」
「良いのか?でも神に祈りを捧げちゃいけないんじゃなかったっけか?」
その程度の知識しかなくて申し訳ないが。
「大丈夫。これはお守り。だから祈ってるわけじゃないのよ」
彼女はそう言うと、瓶の中身を飲み干して笑った。その笑顔は先程よりもずっと自然で、そして美しかった。
「最後にいいこと教えてあげるわ。罪人に火を焚べていいのは神でもない、偉い人でもない。清廉潔白な少女たちだけよ」
そう告げるといたずらっぽく笑って彼女は踵を返した。
廃れた帝都にある廃れた協会へと行ってどうするつもりなのかは知らない。
俺も背を向けて、帰路に就くことにした。もう骨灯火もほとんど使い切ってしまっている。
ぬるい空気を纏って帰路に着いた。
亡都の行商人 @syukatoru
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