第7話
「(……何だ、お前の武器はそれだけか?)」
ぞくりとする声が、ファルシの耳元で鳴る。
弾かれたように獣を振り仰ぐと、獣はきゅるきゅると嗤っていた。そうして、尖った牙がずらりと並ぶ口を開ける。その奥では橙色の光の玉が生成され、みるみるうちに大きくなっていく。
ファルシは瞬時に剣から手を離し、後方へ飛んだが、次に瞬きをした時には目の前に炎が迫っていた。
(────間に合わない……!)
終焉の炎が、辺り一体へ吐き散らされる。神官たちの断絶魔が聞こえ、思わず耳を塞ぎそうになったが必死に耐えた。
耳を塞ぐことも、目を逸らすこともしてはならない。ファルシはたったひとりの少女のために、何万人もの命を見捨てるという大罪を犯したのだから。
声というよりも音と呼ぶ方が似つかわしいものが、四方八方から上がってくる。その嘆きを一音も逃さないように、この罪の景色を目に焼き付けるために、ハッと目を開けた時。
目の前には、黄金の翼が広げられていた。
「────フィ、ニス?」
今までどこにいたんだ、と問う時間はない。
ファルシは煙で痛む喉を押さえながら、目の前で翼を広げているフィニスの背を見上げる。
フィニスは左手を前に突き出し、結界のようなものを張っていた。その光はフィニスとファルシだけを包み込んでいる。
「……ファルシ、一度だけ言う。今から私が口にするものを繰り返すんだ。いいね?」
前を見据えたまま放たれたその声に、有無を言わせないフィニスの表情に、ファルシは黙って頷いた。
フィニスが口にした呪文のようなものを繰り返すと、ファルシの片腕の感覚が消えた。そこから腕がなくなってしまったような感覚だが、自分の腕の有無よりも、目の前のフィニスから目を逸らすことができなかった。
辺りは真っ暗闇だった。全ての音が消え、うつくしかったイージスの景色もまっさらな神官たちの姿も、なんにも見えない。
ここには、フィニスとファルシ。ふたりだけのようだ。
ふわりと、あたたかくてまばゆい光に全身を包まれる。知っている感覚だ。だけどこの光は、ファルシだけを包んでいて──。
「その光は、どんなに暗い闇の中でも、光り輝き続ける。君の聖女が生きている限り」
「──フィニス」
「呼び続けるんだ、君の聖女の名を」
突然目の前に現れたフィニスは、じくじくと闇に喰われているのか、瞬きをするたびに姿が薄くなっていた。
フィニスは初めて会った時から首にかけていたペンダントを下ろすと、それに愛おしむように触れる。
「……かつて僕は、大罪を犯した。何よりも愛するものが、神に捧げられるなんて耐えられなくて──僕はこの手で、愛するものを殺めたんだ」
「────っ」
「だけど、彼女は儀式に捧げられてしまった」
ペンダントの飾りは、爪の大きさほどの小さな入れ物だった。一見宝石のようにも見えるその入れ物に、フィニスはそっと口づけをする。
「大罪を犯した僕は、運命の螺旋を彷徨う獣へと変えられた。君たちは霊獣と呼び、縁を結ぶことで翼を得るが──空へと飛び立つ王は誰一人としていなかったよ」
ぼろぼろと、フィニスの翼が崩れていく。
「僕は運命を変えられなかった。だけど君たちは──君が命を賭して守った聖女は、すべての記憶と引き換えに民の命を救ったようだね」
「フィニス……フィニスッ!!」
かたちを失くしていくフィニスへと、ファルシは手を伸ばす。
ひとりぼっちだったファルシの手を取り、優しく握ってくれた温かな手へと。
だけど、ファルシの手は届かなかった。ばらばらと散っていくフィニスの姿から、遠ざかっていくばかりで。
「──ああ、そこにいたんだね、僕のレイチェ──……」
カシャン、と。フィニスがつけていたペンダントが砕け散る。中から出てきたのは、白くて小さな石のようなものだった。
闇の中へと消えたフィニスを追うように、その石も落ちていく。
深い、深いところに落ちていく。
果てのない闇へ。何の色もない、何の音もない世界へ。
だけど、ファルシは顔を上げた。
たったひとりの友人がくれた光を胸に、聖女の名を呼び続ける。
(──嗚呼。私にもっと、力があったのなら)
大いなる闇の中に閉じ込められたファルシは、フィオナの名を呼び続けた。
[fin.]
運命の螺旋 北畠 逢希 @Akita027
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