この唄が地図になる
山﨑ナツ
立冬
きみとの日々は、まるで漫画みたいだった。覚えてくれているだろうか。別に、覚えていなくたっていい。ただ、きみが今もどこかにいるならそれでいい。ポエムみたいで寒気がするかな。あの日から僕は必死で、言葉と音をかき集めたんだ。時間かかっちゃったけど、約束どおり持って来たよ。
僕の声がきみへ届くことを願って。
〇月×日
「ねえ!」
「え!?」
突然肩を叩かれて、裏返った間抜けな声が飛び出てしまった。恥ずかしい。ヘッドホンを外して振り向くと、そこには僕と同じ高校の制服を着た男が立っていた。その男は、僕よりずっと背が高くて、少しひるんだ。今日って、こんないい天気だったんだ。いまさら気づく。ちょっと男の顔は、背景の青空がよく似合っていた。
「今なに聴いてるの?」
「え、僕?」
「もちろん!」
「このバンドなんだけど、」
とりあえず、スマホの画面を見せてみた。
「うぇ!おれもこの曲好きなんだ、ギターの音がさ、ぎらっとしてんのにさ、ボーカルの声はすーっと入ってきてさ」
彼は、いきなり早口で話し始めた。その勢いに圧倒されて、上手く相槌が打てない。まだ僕の心臓は、ばくばくしている。口角が上がりきらない僕と正反対の表情を浮かべた彼は、当たり前のように歩き出した。
しばらくして、彼は同じクラスのやつだと気づいた。口下手で、友達が少ない僕だが、自己紹介カードを読むのが好きだったし、礼儀としてクラスメイトの顔と名前くらいは全部把握しているつもりだった。それなのに、彼の名前だけが思い出せなかった。人の顔と名を覚えるのは得意な方だと自負していたのに。顔はぼんやり覚えてたんだけどなあ。ともかく、彼とほとんど会話したことのない僕が、いきなり馴れ馴れしく話すのも不自然だろうと思い、他人のふりをした。と言っても、本当に友達でもない、ただの他人なんだけど。彼は、僕をクラスメイトだと知っていて声をかけてきたのだろうか。それとも気まぐれ?
「おれはねー、楽譜も読めないし、歌ってる人の名前とか楽器とか、全然詳しくないけど、音楽好きなんだ。聴いてるだけで心がぱっと明るくなって、すっげえ楽しいんだ」
彼は、まだ好きな音楽を語っていた。彼の話は全然飽きない。ちょっと擬音が多いけど。コミュ力が高いって、こういうことなのかな。陽キャラって彼みたいな人を指すんだろうな。半歩遅れて進む、自分のスニーカーの汚れが気になった。
「あとはどんな曲聴くの?」
「えー、バンプ、とか?」
急な自分への質問に、動揺してしまった。嫌われたくないと思うのに、愛想のいい人でありたいと思うのに、言葉がつながらない自分が嫌になる。今だってきっと、つまらないやつだと思われているのだろう。あー、こんなこといちいち考えなければいいのに。
「やっぱいいよな、バンプ。メロディとさー…」
ああ、拾ってくれた。吸い過ぎた息を外に逃がす。肺が冷えている。そろそろ高校の最寄りに着くけれど、これは電車も一緒に乗るのだろうか。
「あ、おれ、電車じゃなくて家こっちなんだ。また教室で話そ。最近寒いからあったかくしろよ。じゃーなー。」
まるで僕の心を読んだかのように、彼は、話を切り上げた。慌てて頷いた僕を追い越し、彼は前を向いたまま手を振ってくれた。あったかくしろって、なに目線だ。教室でってことは、僕は認知されていたということか。彼は、ふらふらと人混みに紛れて見えなくなった。
彼にとっては、僕に話しかけたことなんて、なんてことのない日常の一コマなのだろう。でも、僕には、少しだけ話をしたこの時間が特別だった。なんだか、彼とは気が合う、というより何か繋がりがある感覚があった。うまく言えないけれど、とにかく、特別だった。気づけば、白い息が出ていて、コンビニのおでんが食べたくなった。柔らかいマフラーに顔をうずめ、家へと急いだ。
この唄が地図になる 山﨑ナツ @Fuji23
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