少しの間

色街アゲハ

少しの間

 ありきたりな不思議なんて興味がない。何時もの君の口癖だ。こうも言ったね。この世界はどれもこれもつまらなく、ありふれた物ばかりで、本当言えば、こうして生きてる意味だってありゃしないって。

 別に君がどう思おうが、僕の知ったこっちゃないけど、そんな風につまらなそうな顔をしているのを見てると、これも性分なのかな、持ち前の天邪鬼の血がムクムクと湧き上がって来て、何だか無性に交ぜっ返してみたくなって来るのさ。


 そんなこと言うなら、見せてみろって? 良いともさ。と言っても、大して特別な事をする訳じゃあないよ。物々しい魔法陣を用意する訳じゃない、そもそも大して詳しくもないしね。大仰な身振りでモニャモニャと呪文を唱える訳でも無い。要り様なのは、君の言う、ごくごくありふれた、紙と鉛筆、これさえあれば充分さ。


 何をするって? まあ、見ててごらんよ。先ず、こんな風に線を二つ引く。これは道さ。君がこれから歩く道。しばらく行くと、道は二つに分かれて、君は左右どちらかの道を選ばなければならなくなる。君はどちらの道を選ぶ? 右? 左? 何? くだらない? まあそん気分の時もあるさ。そんな時の為に、そら、サイコロで決めるとしようか。右の分と左の分、それぞれ振って、大きい目の方を選べばいい。


 ふんふん、右が三で、左が五か。この場合の数の大小は、君がどれだけその方向に対して興味を抱いたかの度合いを示している。きっとそっちには何か変わった形の木があったのかも知れないし、洒落た造りの家が建っていたのかも知れないし、綺麗な花の咲く生垣と、その内側の何だか長閑な雰囲気の庭に、もしかしたら気を取られたのかも知れない。何にせよ、その道を選ぶだけの何かが其処に在ったと云う訳だ。


 という訳で、ここは右の道を選ぼう。え? 何で何もない方を選ぶのかって? そりゃ、君が言ったんじゃないか。世界はどれもこれもつまらなく、ありふれた物ばかりって。取りも直さずそれは、何よりつまらない物、ありふれた物、その先に在るだろう物に、無意識の内に心惹かれている何よりの証拠だからさ。今君が気になって仕方ない物は、この世界に予め据えられた物ではなくて、その先の、もっと根源的な物、真に不思議な、焼け付く様な、身を切る様な、強烈な不可思議を見たい、感じたい、とそう願って已まないからんじゃないかって、僕は思うんだよ。だから、ここは右の道を敢えて行くのさ。気を散らす雑音の無い、よりつまらない、より何もない方向へと。


 そうやって、道の分かれる度に、より興味の惹かれない方、つまらない方へと足を進めて行けば、何時しか、君の周りは何もない、唯々真直ぐに続いて行くだけの道、周りには何も無くひたすらに広がる草原と、空に覆い被さる雲一つない青空とが大写しになって。

 やがて、君は見失ってしまうだろう。周りに何も無いが故に、自分の大きさを。縮尺、遠近、それらが全て曖昧になったが末の、遥か遠い所に有る筈の、道のずうっと向こう側、ただの一足でそこに足を掛ける君の姿はさながら、だいだら法師か空を横切る入道雲か。


 見下ろせば、眼下に小さく見える無数の選ばれなかった道の、それ等はピート・モンドリアンのブロードウェイ・ブギウギよろしく、連なり広がっている事に気付くだろう。その上を歩いて行く人々の姿にも。それは、今君が此処に居る様に、もしかしたらあり得たかもしれない、もう一つの可能性。その道を選択したもう一人の君自身なんだって事にも。


 違う道を選んだ事によって、その姿は随分と様変わりしている事にも気付くだろう。着ている服に始まって、見えないけれども考え方とか、事に依ると、年齢や性別すら変わっているかも知れないな。

 そうやって歩く、全ての道の異なる君自身。最早別人と云っても良い程に違う彼等は、君の代わりにその道を歩く事を選んだ。分かるかい? この世界の全ての存在が、もしかしたら歩んだかもしれないもう一人の君自身だって事に。そう気付いた君の眼下に広がる世界。けれどもそれは一瞬の幻。次の瞬間にはスゥッと蜃気楼の様に消え失せて、君は元の、周りに何もない何処までも続くこの道に再び佇んでいる事に気付くのさ。


 けれども、その幻想ヴィジョンは、ある意味に於いて真実を着いているのではないか、と僕は思う。こうしている間にも、誰にも知られる事無く、それ迄誰もが思い付きもしなかった新たな道が見出され、その道に歩を進めようと足を踏み出す気配が感じられる様に僕には思えて来るんだ。


 信じられないかい? 証拠ならあるよ。素粒子、この世界の最小単位であるそれは、観測されるまで、その方向性が曖昧な存在だって聞いた事ないかい? 観測される、選択される事によって初めてその存在としての方向が確定する極めて曖昧な物質。何者かになろうとブルブルと細かく震えながら、何時しか自身の決定されるその時を待ち続ける。或いは、疾うにその良く目を終えて、元の何物でもない存在に還ったのかも知れない。この世の始まりと終わりを同時に内包する、最も小さな物でありながら、同時に宇宙その物とも行って良い存在。正しく君の垣間見た世界の縮図と言って良い物なんだ。


 全ては幻なのかも知れない。君が言う様に全てがつまらない物、幻想に過ぎないのかも知れない。けれどもそれでも、考え付く限りの何物かであろうとして今もこうして道を歩き続けている君自身、或いは他の誰かの思い残したもしもを受け持った他者の写し絵。その果てに何が在るのか、それは君の歩く道のその最果てにこそ、その答えがあるのかも知れないね。


 で、結局、僕が誰なのかって? おいおい、今更だね。そうだね、ある意味に於いて現実そのものであり、夢幻の存在とでも言っておこうかな。君自身の鏡に映った姿かもしれないし、未だ此の世に姿を現していない未知の存在かも、或いは、既に道を歩き切ってもう姿を無くした、それこそ幻の存在かも知れないな。何だっていい、僕としては、君の思う様に、この世界はつまらない物でもありふれた物でもない、不思議に満ち溢れた物だという事を分かって貰えば、それで充分なのさ、そうだろう?



                        終

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少しの間 色街アゲハ @iromatiageha

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