夏の余韻
@yamaki821
夏の余韻
海辺の町は、まだ夏の名残を抱いていた。夕暮れの光は、波間の砂粒に金色の粒を散りばめ、ひとつひとつが揺れるたびにささやくような音を立てる。潮の香りが鼻先をくすぐり、柔らかな風が頬を撫でていく。僕は一歩ずつ、砂の上を歩きながら、昔の夏の記憶に誘われた。
「久しぶりだね」
振り返ると、夏芽が立っていた。髪は潮風に揺れ、夕日に照らされた肌は黄金色に輝く。笑顔は変わらず、無邪気で、それでいてどこか大人びた雰囲気を漂わせていた。言葉を探す前に、僕はただ彼女を見つめる。胸の奥に、かつての夏休みの記憶が波のように押し寄せた。夜遅くまで語り合った屋上、砂浜で遊んだ日々、花火の光に映った笑顔──そのすべてが、今の夏の光と重なる。
「海、好きだったよね」
夏芽の声は、潮風と波音に溶けて、僕の心に届いた。そう、僕らはいつも海のそばにいた。幼いころは、怖いものも悲しいことも、海の音にかき消されてしまうように感じた。今も変わらず、波のさざめきは僕らの心の奥底に触れる。
僕は足を止め、彼女の目を覗き込む。そこには、昔と同じ輝きがあった。しかし僕らの間には、言葉にならない時間が積もっていた。どれほどの季節が過ぎ、どれほどの距離を経たのか。思い出は心に温かく残る一方で、言葉にならない切なさも胸に押し寄せる。
「覚えてる?」
「何を?」
「最後に、二人で見た花火の夜」
僕は微笑むしかなかった。手元に残る小さな記憶の欠片。波の音がその記憶をさらっていきそうで、儚くも、しかし確かに温かい。
僕らは砂浜を歩きながら、互いに言葉少なに時間を重ねる。夏芽が立ち止まり、波打ち際に手をかざした。光を反射した水面が、まるで小さな星のように瞬いた。僕は、その星々の輝きの中で、彼女の表情をじっと見つめる。
「ねえ、来年もここで会えるかな」
その問いかけは、夏の風に溶けていく。僕はただ頷くしかなかった。言葉はいらない。潮風、波音、夕日の光──それだけで、僕らはまた夏の奇跡を共有していることを知っていた。
日が沈むと、空は茜色に染まり、海と空の境界がわからなくなるほど深い色に変わる。僕は少し遠くを見た。砂粒が微かに光を残し、波が静かに胸の奥まで響く。時間は止まったようでいて、確かに流れている。僕らの物語も、まだ終わってはいない気がした。
夜が近づき、夏芽が小さく息をつく。遠くの漁火が揺れる中で、彼女の横顔は柔らかく光に溶け込む。僕は無意識に手を伸ばし、彼女の肩先にそっと触れた。その温もりは、夏の思い出をすべて抱きしめたかのように心に残る。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
言葉は少ない。でも、見つめ合うだけで全てが伝わった。夏の名残、海の香り、波音、そして僕らの心──それらすべてが、静かに共鳴している。
浜辺を後にすると、夕日が水平線に沈み、空は漆黒に近づいていく。砂に残った足跡は、やがて波にさらわれるだろう。しかし、僕らの心に刻まれた夏の余韻は、いつまでも残る。
僕はふと振り返り、夏芽の笑顔をもう一度心に焼き付けた。風が二人の間を通り抜け、波音が優しく響く。その瞬間、僕は確信した。この物語はまだ続いている──そして次の夏も、またここで会えるだろうと……。
夏の余韻 @yamaki821
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