第10話 エリーの救出

 カーリアン地方。人口の多い都市と同じ国の光景とは思えないほど自然が広がる場所。あるのはちっぽけな村がいくつかと、古い神殿くらいだった。

 レンはゆっくりと土を踏み締めた。ここはかつて多くの命が散っていった戦いがあった場所。戻ってくることになるとは思っていなかったし、もう二度と戻りたくなかったのが本音だ。

 目印となる川を伝って歩き、丘を目指して歩く。レンはこの光景を二度と見たくなかった。川も丘も、見ると忌々しい記憶がつい昨日の出来事かのように鮮明に蘇ってくる。ただの泥人形だというのに、まるで頭がくらくらするような気がして気分が悪い。

 歩いていると、丘に人影があるのに気付いた。小さな陰だ。ナルノ人の少年のような形をしている。

「レンヴィジア。こうして話すのは初めてだな」

 人間の男には声変わりという現象があり、子供から大人になるにつれて声が低くなるのだそうだ。見た目にそぐわぬ低い声が、目の前の塊が人間ではないことを示している。

 レンは覚悟を決めてゆっくりと口を開いた。

「…私に殺された記憶がないと見える。あればこのような無謀なことはしないだろう。貴様にもう一度地獄を見せなければならないとは、心が痛む」

「ハッ!笑わせる。貴様に心などないだろう。人間ぶるなよ」

 そう言って笑うエミリネアだが、彼の口角は少し引き攣っている。怒りのせいだろう。それを見たレンの顔に笑顔が浮かんだ。

「そうだな。残念ながら、貴様にくれてやる心は持つことが出来なかったようだ。殺人が嫌になり逃げ出したのに、貴様を殺すことには今もなお抵抗を感じない。貴様が憎いからだ。かの黒い巨人の憎しみを独占できることを誇りに思え」

「泥人形が憎いだと?殺された私の方が憎いに決まっているだろう!」

 その時、エミリネアの背後に大きなものが見えた。それは水の塊だった。丘の向こうに湖でもあるのか、ゴーレムとなったエミリネアがそこにある水を操っているに違いない。

 膨大な水をぶつけられたなら、レンの体は耐えきれず、形を保てなくなってしまうだろう。

「仕方ない」

 その瞬間レンの背後の地面が盛り上がり、途端に大きな山のようになった。その土の塊はレンに向かって倒れ込んでくる。

「またこの私が地獄に落としてやる!」

 レンは膨大な土の塊の下敷きにされて見えなくなったが、突然土が蠢き、妙な形に変形していく。

 それはまさに悍ましい形相をした怪物だった。その姿は“黒い巨人”という名で呼ばれるに相応しく、色の濃い土で構成されており、頭部から背中にかけて尖ったものがいくつも突き出している。

 黒い巨人レンヴィジアは、エミリネアに向かって拳を振り翳した。




「あっちの方にテントがあるな」

 地面に手を当てて言うバルガスの言葉に、後にいたアントニオが訝しげに片眉を上げた。

「なんでわかるんだ」

「だーかーら、土でできてんだから土の上にあるもんは大体わかんだって何ッ回も言ってんだろ?ほんとアンはココが弱っちいんだからよ」

 バルガスが人差し指を立てて頭をトントンと叩く仕草をすると、アントニオは苛立ったのか反論しようと口を開いた。しかしそれが無駄だとわかったのだろう。彼は何も言わないまま不満そうに口を閉じたが、スドゥからするとその行動はありがたい。今は言い合いなどしている場合ではないからだ。

 レンは一人でエミリネアがいる場所へ向かっていった。彼がエミリネアと対峙している間、三人はエリーの救出に向かわねばならない。もしエリーに何かあればレンが怒り狂うのは目に見えているので、エリーを無傷で助けてさっさと退散するのが三人に与えられた役目だ。

 バルガスが指した方向に向かっていると、突然大きな地響きが鳴った。揺れが大きく、三人は立ち止まる。

「おいおい、デケェな!」

 興奮して声を弾ませているバルガスの目線の先を追う。そこには、相当距離があるはずの三人にも十分見えるほど大きな巨人がいた。

「あれがレンなのか?」

 アントニオは目を丸くして言った。スドゥも彼と同じ気持ちだった。レンの正体がレンヴィジアだというのはわかっていたつもりだったが、実際に自分の目で見るとやはり目を見張ってしまう。

 あんなに恐ろしいものが古代にいた。そして、戦争をしていた。それが現実として目の前にある。恐ろしくも面白くもあり、歴史を覗いているような不思議な気分だ。

「おい。さっさとエリーを助けに行くぞ」

 アントニオはレンの姿に驚きはしたが、流石は幼女にしか興味のない筋金入りの異常者だ。彼はすぐにエリーの名前を口に出して二人を急かす。

 その時、バルガスの胸部に向かって何かが飛んできた。バルガスは手で防いだが、あまりの威力に手を貫通した。しかしそれは彼の胸に届くことはなく、勢いを無くして地面に落ちていく。

 見ると、それは弾丸だった。

「もしや、街を破壊した金髪のゴーレムだな?レンヴィジアとは対立してると思ってたのに」

 声がする方を見ると、そこにはマットがいた。

「お前がエミリネアの子孫ってやつか。うーん、美人だねぇ。オレバルガス。よろしく」

 バルガスが軽い挨拶をすると、マットの顔には軽蔑の色が滲み出た。感情を隠す気は微塵もないらしい。

「様をつけろ!ロハンネ人のゴーレムごときが」

「おっと、気も強いと来たか。オレらの時代にはそんなケイショウなくってね」

 バルガスはそう言うと、マットの方を見たまま手を体の後にやり、二人に“行け”と合図した。アントニオとスドゥは顔を見合わせ、バルガスの横から抜けてテントの方へと走り出した。

「行かせない!」

 マットは二人を追いかけようと走り出した。その時、彼女の背後から風が吹いたと思うと、すぐ目の前にバルガスが立ちはだかっていた。

「嬢ちゃんの相手はオレだぜ」

「クソッ邪魔だ!」

 マットは再び銃を撃つ。弾丸はバルガスの顔面に直撃したが、空いた穴は瞬時に塞がってしまう。

「ゴーレムに銃はちょいと分が悪いねぇ。拳でやろうぜ」

 その時、バルガスの拳が振り下ろされた。マットは間一髪で避けたが、バルガスの拳はそのまま近くの木に当たった。固いはずの木はいとも容易く粉々になり、地面に散っていく。

 目を疑うほかなかった。どう考えても拳の威力を超えている。今の一撃が当たっていれば、恐らく骨が折れていただろう。こんなゴーレムと一対一でやり合い無事でいられるのかという不安が胸に広がっていく。そんな彼女を見て、バルガスは楽しそうに続ける。

「いいねぇ。オレは強い奴が大好きだが、怯えた人間の顔もそこそこ好きだぜ。興奮する」

 マットは銃を捨て、震える拳を握って構えた。

「虚勢を張る奴も好きだ。かわいいねぇ、マットちゃん」

 バルガスがそう言った時だった。少し離れた場所から男の悲鳴が聞こえてくる。バルガスはそれがアントニオだとすぐに察し、声のした方に視線を移す。その隙にマットが走り出した音を聞いて視線を戻すと、彼女の姿は見えなくなっていた。




 スドゥとアントニオの二人は、マットの相手をバルガスに任せ、テントがあると言われた方向に向かった。

 森の中は障害物が多い。木がそこかしこに立ち、地面には起伏があり、人が少ない故に雑草も生え放題だ。走りにくいことこの上ない。

 普段ほとんど部屋から出ないアントニオは早々に息を切らしながらスドゥの前を走っていた。

「ねぇ、大丈夫?疲れてるみたいだけど役に立つかな」

 少し棘のある言い方をしながら声をかけると、アントニオは強気に笑った。

「ハッ!子供姿のお前に言われるとムカつくな。これでも一応大人の男だぞ」

「にしては体力ないって言ってるんだけど…」

 スドゥの頭には、もしバルガスを退いてマットが追いかけてきた時、疲労しているアントニオが対応できるのかという心配があった。そんな事を考えていた時だった。

「あぁっ!」

 目の前にいたアントニオが転んだと同時に、風を切る音がした。下に寝転ぶ彼を見ると、地面にある不自然なものが目に入ると共に、アントニオの足や背中、そしてその周辺の地面に矢が刺さっているのを見た。

 魔術の気配と、地面の低い場所にある縄。縄が木に括り付けられているのを見ると、躓かせる為の罠だというのは確かだ。気配を遮断する魔術式で隠し、縄で転ばせ、地面に矢を放つ。その為の仕掛けに違いない。

「クソ。まずい…腱に刺さった」

 アントニオの声には必死さがある。痛みが酷いのだろう。だが、自分の状態を素早く伝える冷静さはあるようだ。

「これじゃ走れない。先に行ってくれ。なんとかする」

「わかった。またあとで」

 スドゥはそう言い残し、再び走り出した。

 一人になった途端、別の不安が頭をよぎる。罠があの一つだけとは限らない。一人になった今、スドゥが罠にかかり行動不能になればバルガスになんとかしてもらうしかなくなる。しかし、彼はたった今マットを足止めしている。

 慎重にいかなければならない。急いで倒れてしまえば面倒な事になる。

 周囲に気を付けながら小走りで進んでいくと、少しだけ魔術の気配がした。反応するより先に目の前に先程と同じ縄が現れた。

 終わった。そう思ったその時だった。

「どきな!」

「!?」

 背後から何かに突き飛ばされた。起き上がって振り返ると、そこには色の薄い土が散乱しており、放たれた矢の先には見覚えのある衣服とマント。バルガスだ。

 土は蠢いて服から矢を抜くと、次第にバルガスの姿に戻る。

「バ、バルガス!?マットは…」

「逃げられちまってなぁ。ま、アンの声で罠があるってわかったから、あいつの相手するよかオレが盾になって進んだ方が良いと思ったってわけだ。行くぜスドゥ」

 普段の振る舞いからは想像できないほど頼りになっているバルガスに面食らうが、彼もレンと同じで、戦っていたゴーレムだということを思い出した。言うなれば、“こういう”状況に置かれる事が本職のようなものだ。

 バルガスに感心しながらも、走り出す彼の後についてスドゥはエリーの元へと急ぐ。

 バルガスが先頭に立って罠をことごとく破壊して進んでいくと、少し大きめのテントが見えてきた。

 バルガスは楽しそうに言う。

「中に二人いる。先回りされてんな」

 一人はマットだ。という事は、もう一人はエリーだ。やっと見つけた。

「バルガス、マットを頼んだよ。僕はエリーを助ける」

「任せな」

 そう言った瞬間、バルガスは立ち止まった。つられてスドゥも立ち止まる。

「ど、どうしたの?」

「魔術式がある」

「えっ?」

 よく見ると、瞬時に感じ取るのは不可能なほど微細な気配しかないが、そこには確かに魔術の気配があった。

 とても精度の良い術がかけられているあたり、彼女の魔術の腕が相当のものだとわかる。こんな状況でなければ立ち上がって拍手を送りたいくらいだ。

「ま、いっか!」

 バルガスは呑気そうな声で言い、笑顔のまま一歩を踏み出した。その瞬間、彼の身体は爆発音と共に粉々に吹き飛ばされた。

 爆発術式だ。それも、ゴーレムを吹き飛ばすほど強力な。

 あまりに大きな威力を持った爆発に、近くにいたスドゥも後方に飛ばされた。幸い大きな負傷をせずに済んだのは、術式範囲内全体を爆発させるものではなく、術式内に侵入した反応のある箇所を集中的に爆発させる仕組みだったからだろう。

 スドゥは思い出した。バルガスの死亡条件は核の破壊だ。相当な威力の爆発によって核が破壊されていたとすれば、マットの相手をする者がいなくなる。

 バルガスだった土の塊は動かない。人間の形はおろか、土の山すら形成しない。そこにはただ、土の塊がゴロゴロと地面に落ちているだけだった。その様子を呆然と眺めていると、女の声がした。

「そのゴーレム、死んだ?」

 テントの中からマットが出てくる。彼女は心底嬉しそうだった。

「私が殺した!ゴーレムを、私が!エミリネア様!」

 マットは心酔している信仰対象の名を口にした後、静かにスドゥに向き直った。

「残念でした。もうあんたを助けてくれるゴーレムはいないね」

 一歩一歩、ゆっくりとスドゥに近付くと、マットは彼の胸ぐらを掴んで持ち上げた。スドゥの足は地面から離れ、体が浮いてしまう。彼女の腕を掴んでもがくが、その腕に込められた力はボルバンズのような家の令嬢の力ではなくびくともしない。恐らく一般的な男性と同等か、それ以上の力がある。

 マットはスドゥを持ち上げたまま、空いている方の手で短剣を取り出した。

「あんたみたいなガキはこれで十分だな」

 マットの顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。まさに悪女。嘲笑うような嫌な笑顔だ。ここまで来ると流石のスドゥも焦りを感じていた。

「ちょちょちょちょっと待って!僕スドゥ。商人フェリックスの元情報屋でさぁ。役に立てるかもしれないよ!まだ殺すのは早いんじゃないかな?僕を生かせば面白いものが見られるかもしれないしぃ、ねっ?」

 いかにも口先だけの誤魔化しなのが見え見えなスドゥの言葉を聞き、彼女の顔が不快そうに歪んだ時だった。

 ゴツン、と大きな音がしてマットが倒れた。スドゥは彼女と一緒に倒れて下敷きになったが、そのおかげで彼の胸ぐらを掴んでいたマットの腕から力が抜けて解放された。

 急いで離れ、マットが立っていたはずの方を見る。するとそこには綺麗な少女と大柄な男が立っていた。

「エリー!」

「元気そうで良かったわ、スドゥ」

 スドゥはエリーの元へ駆けていき、彼女に抱きついた。少し怪我をしているようにも見えるが命に別状はないらしい。エリーの無事を確認出来ると、少しだけ涙が溢れて来る。

 スドゥが抱きついて離さないので、マットを土の中に埋め、すぐには出てこられないようにしている男の方を見てエリーは笑った。

「ありがとうバルガス。まさかあなたも助けに来てくれるなんてね」

 爆発術式に足を踏み入れる瞬間、バルガスは核周辺の土の密度を上げて守りを強固にしていた。

 ゴーレムは死んだら土に戻る。爆発した後、バルガスだった土が崩れず塊を成していたのは、彼が死んでいない何よりの証拠だった。

 そしてバルガスはマットがスドゥに気を取られている隙にテント内に侵入し、縛られているエリーの拘束を解いたのだ。

「レンに頼まれちゃ断れねぇからな。ちいとばかり張り切っちまったねぇ」

「レンが、あなたに?」

 エリーは信じられないのか片眉を上げ、確かめるようにスドゥを見る。スドゥはというと、誤魔化すように笑ってみせた。

「その話は後でゆっくりするよ。それより、これ」

 スドゥは帽子から紙切れを取り出して言う。

「エリー。この紙に血を垂らして」




 大きな地響きが鳴る。レンはエミリネアに向かって単調な攻撃ばかり続けていた。技術のない古代、追い込まれていた少数民族に良い武具を揃える余裕はなかった。そんな中、身一つでナルノ人と戦ったのがゴーレムだ。

 大きな体で踏みつけたり殴ったりすれば、人間の体などすぐに潰れて死んでしまう。だからレンは戦場に出る時は常に“黒い巨人”でいた。その方が楽に、早く、より多くナルノ人を殺せたからだ。

「その程度で私が死ぬとでも?」

 レンの攻撃を巧みに避けると、エミリネアは水の塊となって巨人となったレンの左肩にまとわりついた。水の塊はゴーレムの体を構成している泥の中に染み込んで脆くし、腕を引きちぎる。腕の形をした巨大な泥の塊は地面に落ちて崩壊した。

 巨人となったレンの体は一つ一つの部位が大きい。丸ごと切断された腕を再び構成するために必要な泥はとてつもない量となる。つまり、人間大の時よりも再生が遅くなるということだ。

 片腕を失ったレンはバランスを崩して右に傾いた。エミリネアはその隙を突き、レンの体に再び水を染み込ませようとした。

その動きに気付いたレンは、突然泥の巨体を上昇させ始め、空高くに登っていく。エミリネアが下を見ると、地面の土を使って巨体を押し上げているようだった。土は地面から空に伸びていく。

 急におかしな行動をし始めるということは、かの“レンヴィジア”が焦っているのだ。エミリネアはほくそ笑み、暇を与えず畳み掛ける。

 水を土の中に送り、体を脆くさせると同時にレンの核を探した。しかし、巨人の体だ。先程から探すのに苦労している。

 胸部にはない。右腕にもなかった。左腕にも水を送るが、ない。下半身に水を送る。ない。

 全身に水を含ませたのに核が見つからない。あり得ない。

 エミリネアは目を見開いた。現在の状況を思い出す。レンが接続している土はこの巨体だけではない。巨体を押し上げている地面の土があった。

 気が付けばはるか上空に押し上げられていた。下を見ると目眩がするほど地面が遠い。そして、下には黒髪のロハンネ人がいた。

 レンは何かに指示するように手首を下に曲げた。その瞬間、エミリネアが立つ巨体の上に大きな影が被さった。

 上を見ると、レンの巨体を覆い囲むほどの土が迫っていた。それは巨体に直撃し、エミリネアは土に覆われてしまう。

 同時に巨体を支えていた土の柱が崩れ去り、巨人の体はエミリネアと共に地面に向かって落ちていく。

 耳を塞ぎたくなるような衝撃音と派手な砂嵐が巻き起こった。

 大きな土の山の中からなんとか上下を探り、エミリネアは土から這い出た。なんとか死亡は避けたが、衣服はボロボロになり、水の体の維持が難しくなっている。

 この体はマットに与えられた時から不安定だった。水のゴーレムというのは作成難易度が高く前例は聞いたこともないという。作るのが難しく前例が見つからないという事は、作れたとしてもゴーレムを運用し続ける方法も確率されていないという事だ。

 土とは違って形が定まらない水は、核となる魔術石が持つ魔力では体の維持が不十分となり、マットからの魔力供給でなんとか形を保つしかなかった。しかしそれでも子供の姿でしか体を上手く保てない。今は体が更に小さくなっており、維持も不安定になっている。マットからの魔力供給がほとんど断たれていた。

「クソッ!レンヴィジアどこだ、どこにいる!今ので勝ったつもりか!?」

 怒鳴ってレンを探すが、何度声を上げても彼からの返事は返ってこなかった。




 エリーが紙切れを破ると、その紙は泥となって消え、レンが召喚された。

「レン!」

 エリーはレンに抱きついた。レンはしばらく呆然としていたが、エリーが無事で目の前にいるということをゆっくりと理解すると、今にも泣きそうな顔をして彼女を抱きしめた。

「エリー!酷い事はされませんでしたか。あぁ、無事で良かった…」

 そう言うレンに、エリーは真顔で言った。

「されてないわけないでしょう。殴られたわよ」

「なんと、そんな酷いことを。やはり殺した方が良かったか…」

「そんなことより」エリーは言った。「バルガスが協力してくれるなんてね」

「あぁ、それは…」

 レンが周りを見渡すので、スドゥが察して言った。

「バルガスならアントニオを回収しに行ってるよ」

「あら、アントニオまでいるの?」

 レンは照れくさそうに微笑んでエリーに説明した。

「実は協力しろと言った時対価を要求されました。奴からは私との殺し合いを。そしてその主人からはあなたとのでいとを」

「デートね」

 スドゥの訂正を聞いて咳払いをしてレンは続けた。

「でぇとか。まぁいい。そんなことを要求されたのですが、私達には他に頼れる者などいませんからね。良いタイミングで逃げようと思って嘘をつきました。奴がアントニオの元へ行っている今が好機です。逃げましょう」

 それを聞いたエリーはすかさず口を開いた。

「あなた、約束を破るの?」

 エリーの口から出た言葉に、レンだけでなくスドゥまで目を見開いた。そんな二人に構わずエリーは続ける。

「最初から守る気のない約束をするなんて不誠実極まりないわ。あなたが持ちかけた約束なんだから最後まで守りなさい」

「で、でもエリー。あなたをあんな変態とでぇとなどに行かせるわけにはいきませんし、奴が求めているのは殺し合いです。負ける気もありませんが、決着がつくまでに一体どれほどの時間がかかるか…」

 エリーは考えるように顎に手を当てて沈黙した。しばらくして顔を上げると、レンに問う。

「なんて言って約束したの?」

「え?えっと…」

 エリーが考えている事を理解し、慌てるレンを見かね、横からスドゥが助け舟を出した。

「レンは“協力してくれるなら戦ってやる”って言って、バルガスはそれに興奮してそのまま約束をしたよ。つまり、契約内容は“戦う”こと。誰も相手が死ぬまでやり合うなんて言ってないよ」

「なら決まりね。あなたはバルガスと戦う。その間に私はアントニオと少しだけ喋ってあげる。飽きたらスドゥが作ってくれたこの紙を破ってあなたを呼ぶから、そのまま遠くに行きましょう」

「そ、そんな…」

 エリーが出した決定に、レンは膝をついて項垂れた。スドゥはしばらく見ていなかった情けないレンの姿が面白くなってしまう。

「アントニオはエリーとのデートには僕の同伴も良いって言ってたし、僕らに何も損ないね。さっさと戦ってさよならしようよ」

「クソ…」

 レンはスドゥのにやけ顔が憎らしくなって彼を睨んだ。それを見たエリーがレンを止め、彼の目を見て言った。

「早く済ませましょう。そのあとゆっくり話しましょうね。聞きたいことが沢山あるわ」

 レンの目が見開かれる。スドゥの背筋も伸びた。聞きたいこととは、きっとレンの正体のことだろう。

「…はい」

 レンの表情は色をなくした。

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ゴーレムの殺し方 江戸村遊霊 @Dododoe

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