第9話 戦いの前

 かつて、大陸には様々な民族がいたとされる。しかし、ある時から大陸の様子は変わってしまった。

 ナルノと呼ばれる民族がやってきた。その民族を率いるのはユグバーンという地方で生まれたエミリネアという男。彼は若くして様々な逸話を持っており、神の子とすら言われるほどだった。

 そんな彼の存在感はナルノ人を惹きつけた。彼の言葉煽られ、ナルノ人は皆彼の支配下となった。

 エミリネアは言った。『ナルノは神から愛されし民族である』と。そして、その他の民族など動物と同じとも言った。

 彼は過激な差別思想をナルノ人に押し付け、染めた。そしてナルノ人による他民族大迫害の時代がやってきたのだった。

「もう分かっているだろうが、私は…」

 自らが生まれた時代のことを話して、レンは言葉を切った。言いづらそうにしているので、本当は知られたくなかったんだろうとスドゥは思う。

「残念だったね。エリーより先に僕に打ち明けることになるなんて」

 スドゥは彼の気持ちを考慮して明るい声を出すが、内心はまだ動揺していた。いまだに現実感を感じられず、本を読んでいるような、体が浮くような、地に足がつかない感覚のままだった。

 ゴーレムが神話の時代から存在したことが魔術界に知られれば魔術師達が騒ぐだろう。スドゥ自身にとっても興味深い大発見だ。しかしそれよりも信じられないのは、目の前にいるゴーレムが神話の中でも有名な、ナルノ人の天敵だということだった。

「黒い巨人“レンヴィシア”…はは、知らない人なんていない超有名人じゃないか。でもやっぱり神話って嘘書かれてるんだね。話の中じゃ君はエミリネアの息子のエンヴァマーチに殺されてるんだから」

 レンが不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「エミリネアがロハンネに負けるなど信じ難いあまり、事実を歪めたのだろう。ナルノ人とはそういう醜悪な民族なのだ」

「僕も一応ナルノ人なんだけどね」

「貴様はほむにんすだろう」

「ホムンクルスね」

 いつも堅苦しい喋り方をするが、今のレンは纏う空気がいつも以上に古臭く、厳格な感じがあった。スドゥは思想の強いお爺さんと喋る時の感覚を思い出していた。

 アントニオとバルガスの二人とは別れ、二人きりで火を起こすための枝を集めながら話していたが、ふとレンの声が途切れた。スドゥは思わずレンの方を見た。彼は暗い顔をしてスドゥの顔を見ると、居心地が悪そうに目を逸らした。

「レンヴィジアと聞いて恐ろしく思わないのは何故なんだ」

 レンの口から小さく漏れた言葉は不安げに揺れている。

「レンヴィジアという名前は、私が悪の象徴にしてしまったようなものなのだろう。ナルノ人の世界の中では私は人殺しの化け物で、英雄殺しの大罪人だ。恐ろしく思うと同時に、忌避感を覚えるのが自然だと思うが」

「いや、僕がいつ怖がってないって言ったの?」

「えっ」

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、レンはスドゥの顔を見た。

「わ、私が怖いのか」

「いや、そりゃ怖いよ。そもそも怒った時の圧やばいし、顔怖すぎる。特にバルガスといる時、僕とアントニオがどれだけビビってるか知らなかったの?」

「え、そ、そんな…」

「それに」スドゥは言った。「そんな怖い奴が実はナルノ殺しですなんて言われりゃ怖いに決まってるだろ。レンと僕が戦っても勝ち目ないんだから、もし怒らせたら瞬殺される」

「そ、うか」

 レンは絶句し、傷付いたように眉を寄せて俯いた。スドゥはそんな彼を見て笑ってみせる。

「でも、怖いのは怒った時とそのビッグネームだけだ。僕の目の前にいるレンのことは怖くないよ」

 レンの肩が不安げに揺れる。恐れられるのが当然だと言うくせに、実際に恐れられると傷付いてしまう目の前のゴーレムは、彼の真名に世界が抱く印象とはかけ離れすぎており、人間臭い。そんな彼が面白くて仕方がないのだが、今はさっさと立ち直ってもらいたいのがスドゥの本音だ。レンがいつまでもうじうじしていると面倒臭い。少しの気遣いを混ぜて、煽るような言葉を紡ぐ。

「頭の勝負をすれば絶対に僕が勝つし、君常識ないから僕の方が旅に役立つだろ。レンに勝てる所が僕にもあるから怖いばっかりじゃないし、僕がエリーの役に立つ限り君が僕に牙を向けることはないっていうのは、短い間だけど一緒にいればわかる」

「…エリーを騙して、何か良からぬ企みの為に利用していたとは考えないのか」

「ははは!君ってほんとバカだよね。さすが古代人って感じ?エリーを巻き込んだことに落ち込んでる君が彼女を騙していたとは考えにくい。そうやってわざと自分を悪く見せるのやめたら?」

 レンは俯いたまま再び沈黙した。スドゥも彼に合わせて黙る。

 スドゥは彼が不安なのだとわかっていた。名前を隠していたのは、きっと過去を知られるのが怖かったんだろう。特にエリーは人を無闇に傷付けることを好かない。フェリックスからの追手を減らすために殺そうとしたレンを止めたという話から考えると、彼女が殺人に抵抗を持っているのは明確だ。

 かつて多くのナルノ人の命を奪ったであろうレンの過去を知れば、軽蔑し、突き放すかもしれない。レンはそれが怖かったのだと思う。

「エリーに怖がられて、離れられるのが怖いんだね」

 レンは何も言わず、首肯もしない。しかしその沈黙が肯定を意味するということをスドゥは知っている。

「君って強いのに、ほんと弱いなぁ」

 そこまで言うと、先程までレンを煽るような言い方をしていたスドゥの声音が優しいものに変わった。

「でも、今はまずエリーを助けないとどうにもならない。巻き込んだと思ってるなら彼女を助けて謝らなきゃ。それでその後、仮に彼女が君を嫌がったなら、僕がエリーと話してあげるよ」

 レンの視線がスドゥに映った。彼の目はまた見開かれている。

「僕はエリーのことが好きだけど、君たち“二人”の旅について行くのもなかなか気に入ってる。それにさ、僕の解釈的にはレンヴィジアは悪だけの人物じゃないと思うんだ。だって今でも少数民族の中にはレンヴィジアを信仰する人がいるらしいし、ナルノ人が攻撃してくるからみんなを守るために戦ってたとも取れるだろ」

 その時、レンの胸は驚きで満たされた。こんなことを、まさかナルノ人の形をした少年に言われるとは夢にも思っていなかった。

「守れたものがあったなら、少しはマシだろうな…」

「きっと救われた人もいるはずさ。そんな事よりもっと大事なことがあるんだけど」

 スドゥは周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから声を顰めて話題を変えた。

「バルガスと戦うって正気?あいつが好きなのは“殺し合い”だよ。万が一レンが死ぬようなことがあったらエリーが怒るだろ。それとも確実な勝機があるの?」

 問われたレンは、地面に視線を下ろしながら興味なさげに答えた。

「あぁ、それなら心配いらない。逃げるからな」

「え?」

「あんなものに馬鹿正直に応じるわけがないだろう。使えるものは使って、面倒からは逃げれば良い。奴らの都合など知ったことか」

 スドゥは冷や汗をかいた。痛い目を見なければ良いと思いながら苦笑する。

「ロハンネ人ってそゆとこあるけど、ゴーレムもそうなんだね」

「どういう意味だ?」

「なんでも?」

 枝を集め終わり、アントニオ達がいるであろう方向へとスドゥ歩き出す。レンは黙ってついてきた。

 しばらく歩くと、予め目印になるように立てていた枝が見えてくる。その地点を跨ぐと、アントニオが寝床や火を起こす用意をしている姿と、バルガスが木にもたれかかって暇そうにしている姿が知覚できるようになった。簡易的な結界だ。

「やっと帰ったか。バルガスがなんの手伝いもしないんだから、僕は実質一人で準備をしていることになるんだ。可哀想だろ」

 そういうアントニオにスドゥは苦笑するが、レンはいつも通り呆れたように彼を見つめた。

「主人のくせにゴーレムを扱えないとは、相当威厳がないようだな。舐められているぞ」

「あんな化け物どうわからせるって言うんだ。僕は生身の人間で、あいつはお強いゴーレム様だぞ。逆らったら簡単にねじ伏せられるだろうが」

「人間でもゴーレムと渡り合える者はいるし、貴様の場合は人間性から舐められているのだろう」

「はぁ?」アントニオは嘲笑した。「人間がゴーレムと戦えるわけないだろ。神話時代の話でもしてるんなら、お門違いにも程があるぞ」

 レンが言い返そうとするが、その声はより大きく呑気な声に遮られた。

「いんや?今でもいるぜ。オレがずーっとフェリックスにナンパしてんの忘れちまったのかよ、アン」

「何言ってるんだ」

 アントニオはバルガスを見るが、いつも通り薄ら笑いを浮かべている彼を見ていると馬鹿馬鹿しくなってくる。相手をするだけ無駄だと思い会話の内容を切り替えようとすると、レンが口を開いた。

「“バグ”という、人間の身でありながら我らゴーレムと対等に渡り合えるほど強い者が稀にいる。その代表がエミリネアだ。人間だった頃からそれほど強かったのだから、ゴーレムの体を手に入れた今、どれほど力を付けているかわからない。だからこの私が嫌々貴様らに助けを頼んだのだ。それに、“ボルバンズ家”はエミリネアの子孫なのだろう。それが本当ならあの女も油断できん」

 レンがそこまで言うと、バルガスは話に興味を示して体を起き上がらせた。

「オレがエミリネアを殺してやるよ」

「は?私がやる。粋がるなよ」

 レンに断られ、そのゴーレムは駄々をこねる子供のように眉を寄せた。

「なんでだよ。お前は一回エミリネアを殺してんだろ?オレが戦場に出た時にはお前が殺しちまったせいで会えなかったんだから、一回くらい良いじゃねえか」

「エミリネアと会った事のない貴様より長く戦っている私の方が確実だろう。エリーの身柄が拘束されている今、貴様の娯楽に付き合う暇はない。それにそこの二人にあの女の相手が務まるとでも?」

 レンは呆れたようにスドゥとアントニオの方を指した。バルガスは細身の二人を一瞥すると、爽やかに笑った。

「ぜってー無理!」

「ならば貴様しかおらんだろう。私の考えが正しければ、エミリネアは私と一騎打ちを望むはずだ。そうなればエリーの身柄はあの女に任される可能性が高い。貴様はエミリネアの子孫で我慢しておけ」

「えー」

「えー、ではない。……上手くいけば、後は私が付き合ってやるだろう」

 レンは目線をずらして言った。それには気付かずに、バルガスの表情はみるみる明るくなっていく。

「そうだった!あぁ、楽しみだなぁ!エミリネアの相手出来ねぇのはマジで惜しいが、お前と戦えるんなら我慢しよう」

 バルガスは本当に楽しそうにしているが、レンには逃げる気しかない事を知っているスドゥは複雑な気持ちになり、思わず苦笑を溢す。そんな彼の隣にアントニオがやって来た。

 アントニオはここ数日、体格が良く強いゴーレム達とは違ってひ弱で振り回されがちなスドゥに対して親近感を覚えているのか、よく話しかけに来てはゴーレム二体への文句を言いに来る。

「レンのやつ、エリーを助けると決めてからずっと場を仕切ってるぞ。ゴーレムのくせにだ!前までウジウジしてたのは演技だったってわけか?」

「エリーの前でウジウジしてるのは本当だと思うけどな。実際腑抜けだし」

「おい、聞こえているからな」

 レンが二人を睨むと、アントニオはわざとらしく悲鳴をあげてスドゥを生贄に差し出し、後に下がった。




「くそ…この体安定しないぞ」

 エミリネアの声には苛立ちが滲み出していた。マットは肩を揺らし、すぐに頭を下げる。

「申し訳ありません。私の実力不足です」

 機嫌を取ろうと必死になっているマットの努力など全く意に介さず、エミリネアは怒鳴り上げた。

「実力不足だとわかっているのなら、実力がつくようにさっさと努力しろ!行動が伴わぬ謝罪など何もしていないのと同じだ」

「す、すみませ…すぐになんとかして見せます」

 マットはテントを飛び出してどこかへ行ってしまった。外がどうなっているのかはわからないが、外からは自然の音がする。飛び出して行ったところで、きっと役に立つものなどないだろう。マットはエミリネアがこれ以上気分を害さないよう、とにかく離れただけだとエリーは推察した。

「自分のために努力してくれる人を雑に扱うと、いつか誰も助けてくれなくなるわよ。それに、私は魔術に詳しいわけじゃないけれど、降霊術で下ろした死者の魂をゴーレムの体に入れるなんて難しいことなんじゃない?まずはそこを褒めてあげたら?」

 エリーの言葉に再びエミリネアの眉間に皺が寄る。彼の目がエリーを捉えると、その表情は嘲笑うように歪んだ。

「これだからフェルモマはいつまで経っても発展せず奴隷のままなのだなぁ。難しいかどうかなど問題ではない。私がやれと言ったことが出来ないならそばに置く意味がない」

 エリーはエミリネアの発言全てが頭にくる。彼が何かを言うたびに腹が立ってどうしようもない。その苛立ちを抑えられるほど彼女は大人ではなかった。

「まるでナルノ人が上みたいな言い方だけど、この時代まで文明が発展して来たのはロハンネ人の文明をナルノ人が使ったからよ。多くの文明の基礎はロハンネ人の先人達が研究してきたおかげであって、ナルノ人は甘い蜜を啜ってるだけ。偉そうに発展とか言わないでくれるかしら」

「ナルノを侮辱するのも大概にしろ。そもそもそれに関しては私が無能なのではなく、私より後の時代のナルノがロハンネより劣る無能揃いだったのが悪い。私が生きていればロハンネの力など借りずとも、もっと優れた文明を築けたに決まっている」

「もしも話は誰にだってできるわよ」

 エミリネアは短気で、エリーが彼の尊厳に関わるようなことを言うとすぐに食いついた。ナルノ人にも良い人間がいるのは百も承知だが、エミリネアはナルノ人の悪いところが詰まったような人物だった。こんな人間について行こうと思った古代ナルノ人の気が知れない。

 ただでさえマットに苛立っていたのに、エリーが煽るようなことばかり言うのでエミリネアの苛立ちは頂点に達していた。彼はエリーの近くまで来ると、彼女の胸ぐらを掴んだ。エリーの足が宙に浮く。

「貴様など今ここで殺しても構わんのだ。どうせ奴はここに来るだろう」

「まぁ、そうね。でも殺すなら、レンをこてんぱんにしてから目の前で殺す方がいいと思わない?その方がレンが絶望すると思う」

「…クソッ」

 エミリネアが突然手を離したせいで、エリーはそのまま地面に落ちた。

「ちょっと、丁寧に扱いなさいよ」

「その口を閉じろ!」

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