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「焦るな、焦るな夢の中の住人よ。いま世界は揺れている。分断が広がっている。我々はいま危機的状況にあるんだ。どうやったらフェイクを見破れるのだろう? どうやったら詐欺師から自分を守れるのだろう?」


「もともと悪の領域、暗黒領域であるという前提でネットともリアルとも付き合っていく、ということではないですかね。おれはそう思ってますよ」


「どうやったらアンチを利用したプロモーションに騙されずに済むのだろう?」


「炎上商法もネガティブプロモーションもメタ視点で捉えれば娯楽に変えることができます」


「娯楽か」


「そうすれば心理的な距離が生まれますから冷静な対処をとりやすくなる。この世は娯楽でできてます。いま思い付いて言うんですが」


「我々が彼をフリチンニューヨーカーと呼ぶことに、彼は納得するだろうか?」


「我々っておれを含めないでください」


「お前は俺だ」


「ファントムの方が納得するでしょうよ」


「俺がフリチンニューヨーカーと呼ぶのに?」


「知りませんよ」


「オー! マイ! ハニー! そしてッ! この世は娯楽でできていない! 労働だッ! 労働によってこそ世の中は成り立っているのだ。ユメーノ! ナカーノ! クソジューニンガッ! ナメタコトヌカシテンジャネーゾ! 汗水流して働け!」


「いや、あなた絵描きさんでしょ。汗水流す労働なんですか?」


「ああ? あんだと? オーイ!舐めてるのか? ディスってんのか? 絵を描く行為は絵画の神に捧げる魂の労働だ! 心の汗を、魂の汗を流している。おお神よ、私の分身がたいへん失礼なことを口にしてしまいました。お怒りは分身の方にお向けください」


 彼の切なる声に世界が応えたのか、パンパカパーンと甲高い管楽器の音が目の前の道路から鳴った。道路から鳴ったような気がする。


つづいて路面に黒い線で描かれる謎めいた模様が浮かび上がる。何かの円陣だ。まるで魔方陣のように見える。すると男は顔を歪めて叫んだ。


「オオーッ! ノォー! ノォォーッ!」


 え? 望んでいた展開ではないのか?

 膝を路面につき両手で頭を抱えて顔を左右に振っている。何が起ころうとしているのか。


 円陣から何者かがせり上がってくる。頭部は凶相の羊。迫力ある巻き角だ。首から下はダビデ像のような筋骨隆々の肉体。威圧のオーラに空気がビリビリと震えている。


 事態を受け入れた私は言った。


「ああ、神さまですか」


「神だ」


「そうですか。戦争を止めて頂けませんか」


「私は芸術の神、、芸術の才能以外に干渉してはならんのだ」


「彼に会いに?」


 男は両手で顔を覆い震えている。


「いや、君にだ。君のことは憶えている。君は子供の頃わずかであれ芸術の才能を備えていた。しかしやがて失ってしまった」


 子供の頃の私は図画工作の分野で優れていた。その分野のみで才を発揮していた。


「はい。それはわかります」


「それは私が与えたものだったんだ。生まれついてのものではなくな」


「すみません」


「いや、君は教育機関につぶされたんだよ。順応性に乏しい君は生体エネルギーの大半を学校生活への順応に使い激しく消耗し、そして苦痛と苦悶のなか君は燃え尽きてしまった。脳は深刻なダメージを負い、精神は疲弊し、ボロボロのまま大人になった。ボロボロになったお前がわるいとしか言われない社会の中で」


「そうかもしれません」


「しかし君はあの業火のなかをよく耐えた。よく生きてくれた。私が才能を与えなければ苦しまずに済んだかもしれない。付随する鋭敏な感覚は苦痛を増幅させるものとなってしまった」


「いえ、学校生活に対応する才能がなかったんですよ。おれの問題です」


 神は涙を流していた。


「すまぬ。君だけではないのだ。我々は君のような人たちをたくさん放置してしまった。人間をボロボロにする機関を放置してしまった。申しわけなく思う」


「いえ、あなたがどうにかできる領域ではないでしょう」


「そう。我々の領域ではない」


「こうしてあなたにお会いできただけで充分ですよ。耐えた甲斐がありました」


「三○年後にまた会うことになるだろう。生きよ」


「はい。、、三○年後に何かあるんですか?」


「詳しくは云えぬが神族会議で決まったことがある。君には何かしらの才能が付与されるだろう」


「そうですか。楽しみにしています」


「ではな」


 円陣に沈み込んで帰っていくのかと思ったら彼はその場でゆっくりと半透明になり、姿を薄くして消えていった。いつの間にか消えている円陣は演出だったのだろうか。


 男が立ち上がりさっきまでの怯えた様子がなかったかのように活力を取り戻して言った。


「やっと帰ったか。ちっ、こええ野郎だ」


「知ってるんですか」


「アーティストだからな。〈1999〉ってプリンスの曲じゃなかったっけ」


「ああはい。そうです」


「あいつがせり上がってくるとあのイントロダクションが頭のなかで流れるんだ。ドンパッパッパというのが。タカツクトテッテ!」


「へえ」


「流してやがるんだ。入場曲みたくな。俺ならグレートムタのやつを流すんだが。三味線のを。お前なら何を流すんだ?」


「中森明菜の難破船ですかね」


「オウ! ナーイス! 脳髄と五臓六腑に響くぜ! ゴゾー! ロォップ! そんな発想はなかった! 荒れ狂う海! 嵐の中でッ! 難破するのか? お前は! お前はよう!」


「したくはありませんが」


「するの! しないの! どぉっち!」


「じゃあしません」


「そこは難破しろッ! 難破するんだ! 難破してみせろ! 生き抜いてみせろ! 俺はッ! 俺はッ! 歴史をひっくり返してやるッ!」


「そうですか。じゃ」


「待て待て。俺は気付いた。気付いたことがあるんだ、、」


 何やら声のトーンが落ちた。急に勢いを失いエネルギーレベルが下降し、悲しげに肩を落としている。


「どうしたんです?」


「あんな、、あんな友愛に満ちた神を見たのは初めてでな。衝撃だった。衝撃だし、嫉妬もした。嫉妬もするってもんだ。なぜお前になんだ? だから気付いたのさ」


「はい」


「俺の方がお前の夢の中にいる夢の世界の住人なのかもしれん」


「どちらでも大した違いはないのでは」


「ドリーム。ドリームズカムトゥルー。フィールドオブドリームス。リージョンオブドゥーム。懐かしい日々だ、、」


「ロードウォリアーズはロードウォリアーズでしょうよ」


「ハウッ! 確かに! リーなんとかなんて誰も言ってなかった! なんという脳内情報操作! 誰がやった? 俺か? 俺自身か! なんという日本社会化! ひとり日本社会化! 俺が日本社会なのか?」


「それは違うでしょう。ここはニューヨークなわけだし」


「しかしッ! 頭の中が爆発しそうだッ! 俺はッ! 俺は何者なのか!」


「人間、そういう時はあります」


「おお神よ! 俺がフェイクなのですか!」


「フェイク、、ではないんでしょうけどね。何かの幻影なのではないかと」


「ホワッツ?! ワタシーガ! ワタシーガファントーム? リアリィ?」


「リアリィ」


「ファーック! ノオーッ! アナターハ、カミーヲ、シンジマスーカ!」


「いまさっき信じ始めましたね。あなたのおかげです」


「クソがッ! 俺は生きてるッ! 過去の記憶もある! 俺は本物だッ! 本物の人生を送ってきたはずだッ! 俺は親父からカルチャーの英才教育を受けてきたッ! いや、あれはスパルタだった! ユー! タブリュ! エーフ! 親父はその魂の継承者だった! 俺は親父を継承した! 時代は彼らに救済された! 親父はMTV世代だった! これが他の誰かから移植された記憶のはずはない! 偽の記憶? ノー! 違う、断じて違う!」


 彼は錯乱していた。天を仰いだり宙空を見つめたりもはやおれは視界に入っていない。


「ライフル銃で吹っ飛ばされる相棒、、外宇宙で暴走する人工知能、、雨のなか息絶えるアンドロイド。咆哮する巨神。社会のメタファーである大魔王と宇宙の帝王。大雨のなかファステストラップを連発して後ろから迫りくる最速の男、、正体不明の敵の襲来。巨大なネコ型ロボットの増殖。せめて失われた歴史は取り戻してほしいというみんなの願い、、宇宙に広がる長い両腕、、我々はその中で生きている、、生かされてきた」


 ヘビィな言葉である。


「そして悪魔の手毬唄1977TVシリーズ」


 そこは直球なんですね。


 しかしやがて彼はうなだれた。


「そういうことか。まさにフェイクニューヨーカーである俺のファック伝説ってことか。その伝説をお前に説くことが、俺の役割だったわけか」


「あなたは立派に役割を果たしました」


 運命は残酷だった。おれとしても残念でならない。この出会いは痛みを伴う傷となって忘れ得ぬものとなるだろう。



 滝のような涙を流し、顔をずぶ濡れにして、しかし彼は満ち足りた微笑みを浮かべて静かに姿を消していった。見事な結末であった。名も知らぬ彼は充分に生きたのだ。


 頭上を見上げると空が輝いた。空がドクンと脈を打った。空から静かなメロディが降り降りてくる。聴いたことのあるメロディが空から鳴り響いてくる。貧相な街角が彩りを得てまるで見えざる天使たちが舞っているような明るい雰囲気を醸し出している。


 路面に黒い線で描かれた円陣が浮かび上がった。魔方陣のような円陣が。


 キャニュセレブレー♫


 そう歌声が鳴り、荘厳なイントロダクションが響き始める。美しい旋律が世界に響き渡るなか、円陣より誰かがせり上がってくる。


 エメラルドグリーン。頭部を覆うエメラルドグリーンのマスク。頭部の下は裸のようだ。盛り上がった肩の筋肉、胸の筋肉、腕の筋肉。こちらを睨みつけるようにゴワゴワとした腹筋。


 彫像のように均整の取れた美しい肉体が現れた。全裸である。マスクの下から眼光鋭い視線がおれに向けられている。男が言ったようにヒーローには見えない。とはいえ変態マスクマンという風にも見えない。


そこには人種や国籍を越え、フィクションとノンフィクションを越えた何かしらの思想とビジョンが凝縮されていた。


いまのおれにはそれをうまく言語化することができない。

当然だろう。

それはおれが負ったダメージが回復しおれがおれを取り戻した時に可能となるのだろう。


重層的ハイブリッドとでも呼ぶべきカオスとなった多文化がその鍛え上げられた肉体には宿っている。カルチャーの神なのかもしれない。あるいは化身か。


 驚くことにマスクマンの声が響いた。


「待たせたな、友よ」


 脳裏にいましがた消えた男の言葉が再生される。俺が観光だ。


 なるほど。確かにこれは、我々はこう呼ぶしかないだろう。


 そう、フリチンニューヨーカーと。





                   END









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マスクマン in newyork 北川エイジ @kitagawa333

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