翼を得よ、信ずる者は飛翔する

黒い兎と白い狐

翼を得よ、信ずる者は飛翔する





 ミーンミンミン……夏も終わりかけてきた今日この頃。最後の力を振り絞るかのように心なしかアブラゼミがいつもより大声で鳴く。


『──この電車は五時十五分に発車いたします』


 現在時刻は午後五時十二分。傾きかけた日の光に照らされる駅に急行列車が停まる。


(後三分で発車、か。少し急ごう)


 階段を降り、電車に向かって歩いていく。少し早歩きで乗り込むと、車内は意外にも空いていた。


(よっしゃッ!座席戦争回避!!)


 思わず小さくガッツポーズをした後、慌てて何事もなかったかのように角の席に座るのは、少しよれたスーツを着たサラリーマン。彼はいつもより一時間早く上がれたためか、がらがらの車内に浮かれているようだ。

 その証拠に、鼻歌でも歌いそうな雰囲気でスマホを取り出し、ニュースをチェックしようとするその手には無意識に力が入っている。


 ──すると、其処に一人の男子高校生が現れた。


 部活か、はたまた文化祭の準備の後か……眼鏡を掛け、手提げ鞄を持った彼は車内を見渡し、男の目の前、反対側の席に腰を下ろした。


(……姿勢、良いな。日々が充実してんのかね)


 自分が高校生の頃はどうだったか……考えているうちに先ほどまでの浮かれた気分がなくなり、思わずため息を吐く男。


『間もなく発車いたします。駆け込み乗車にご注意ください──』


 そんなアナウンスの直後、ヒールを履いた女性が駆け足で車内に乗り込んでくる。そして何かを探すように車内を見渡す彼女。

 そんな彼女からなんとなく目が離せずスマホを見るふりをして彼女を観察していると、ガタンッ、という音とともに電車が動き出した。


(危な……!座んないからふらついてんじゃん……)


 電車に駆け込み息が上がっていたのか、座らずに立っていた彼女がふらりとよろけた。そしてその勢いのまま高校生の隣に腰を下ろす。


(美人さん……いいなーこっち座ればいいのに)


 そんなことを思いながら女性を観察していると、女性が本を読んでいた高校生に話しかける。


「ねぇ、君。高校生だよね」

「あ、はい。そうですけど……」

 赤本から顔を上げ、女性の話を聴こうとする高校生。


(うっわ!いいなぁ!やっぱ若いとモテんだねぇ……)


 声も綺麗だな、と思い聞き耳を立てた瞬間


「君さ、今の生き方に満足してる?もっと救われたいと思わない?」

「え?」



(………しゅ、しゅ、宗教勧誘だー!!??)



 嗚呼、これを人は美人局と呼ぶのか……眼鏡越しでもわかるほどに驚いた顔をした高校生などお構いなく、女性は宗教勧誘を始める。


「その赤本、結構いいところの大学のやつでしょ?しかも昔と比べて今は求められるレベルが高くなってきていて……大変だと思うわ。それに、先生とか親御さんとかお友達に、勉強の事とか将来の事とか……色々言われるんじゃない?自分は今のままで大丈夫なのか、本当にこの道で大丈夫なのか……そんな風に、きっと不安になると思うの。それに、私には見えるわ。君の疲れた心、未来への不安……ねぇ、受験も勉強も、迷いながらじゃ辛くない?今のままで大丈夫?受験も将来も何もかも全部、自分一人で背負うつもり?」

「それは、えっと……」

「でもね、大丈夫。私たちの教えを知れば、迷いも不安も消えて、心も整理される……その結果、良い未来だってついてくる。私たちと一緒に歩めば、君の力を最大限に引き出して、望む未来に導く道がはっきり見えるのよ」

 相手に息を吐く暇を与えさせないよう、ゆっくりと、然し絶え間なく話を紡ぎ続ける女性……。


(あんな美人に!正直ハニートラップでも羨ましい!……あ、違った。逃げろ少年!!嗚呼いや急行だから逃げ場ないけど!!)


 バレないようにとスマホを見るふりを続けながら必死に話を聴く男性。そしてとうとう女性の話はクライマックスに入る。


「だから、ね。貴方も教祖様を信じましょう?」


(アウトー!!!!)


 思わず頭を抱えようとしてしまう気持ちを必死に抑える男性。

 すると、今まで黙って話を聴いていた高校生が口を開く。


「お姉さん」

「なぁに?」

「お姉さん、眠くない?」

「え?」

「可愛らしい目が少し閉じてしまう回数が多いように思えて……もちろん閉じてても可愛いんだけど、せっかくの愛らしい顔だし。もっとよく見たいと思って」

「えっ……!」

「だから、さ」



 そういうと、高校生は手慣れた手つきで鞄から缶を取り出し──そのプルタブを引く。



「う~ん……やっぱりいい音。それに同時に広がるこの香りも……あは、たまんないね」

「……え?」

「ねぇ、可愛らしいお姉さん。お姉さんも僕と同じ───エナドリ教に入らない?」

「え???」


(……え?????)


 女性を口説き始めたかと思えば急にエナドリを開け、そのプルタブを引く音を合図に始まる逆宗教勧誘……。


「良いですか、よく聴いてください。眠気は──悪です。あの眠気というモンスターは我々に堕落と絶望をもたらす。どんなに我々が納期に間に合わそうと急いでいても、今は寝てはいけないと覚悟を決めていても、奴らは容赦なく我々に牙をむく。しかも!欠伸という武器を使い、それはまるで毒ガスのように自分だけではなく周りにも広がっていく……!嗚呼!なんと悍ましい悪魔だ!!」

「は、はぁ……」

「しかし!!大いなる我らが神は我々に覚醒を授けて下さる!貴方も先ほど聴いたでしょう?あのプシュッという福音を。あれこそが神の導きの合図!そしてこの聖水を一口飲めば貴女にも聴こえるでしょう。神のお声が!!そう!神は仰っているのです!!『貴女に翼を授けましょう』と……」

 眼鏡をくいっと上げ、女性に熱弁する高校生。


(しょ、少年が壊れた……!)


 そうして始まるエナドリ教の説明……。


「我々のシンボルは翼や雷など多数ありましてね。嗚呼、お気づきかと思いますがヒンドゥー教と同じく我々は多神教でして。因みに私が愛し崇めいている神はこの翼がシンボルとなっております。そうだ、せっかくですし、こちらをどうぞ」


 そうして先程開けたエナドリの缶を女性に渡す高校生。


「あ、はい……」

「さて、早速洗礼を受けて欲しい所なのですが、生憎電車の中ですので……残念ですが今回は見送りましょう」

「洗礼……?」

「嗚呼すみません!洗礼とは聖水を一度に全て飲むことでしてね。入信者は必ず一度行うことになっているんです。そして信仰はカフェイン摂取量で測られます。大体一日に一本で一般人、二本で敬虔なる信者、三本で殉教者……といったところでしょうか。詳しくはこちらに書いてあるので良ければこちらもお受け取り下さい」


 そしてこちらも手慣れた手つきでパンフレットを取り出す高校生。その表紙には見慣れた缶の表紙が印刷されている。


(うっわ……お世話になってます)


「え、あ、その……」

「お受け取り下さい」

「ハイ」

「有難うございます。嗚呼、聖水は勿論修行──勉強や仕事のために使うものですから。ただ規定量以上カフェインを摂取するだけで信者になれるわけではないのでそこはご注意くださいね」


 その後も高校生は女性に渡したパンフレットや鞄から次々と出てくるキーホルダーやコップなども駆使しながら話し続ける。

 すると押しに負けそうになっていた女性がついにここで声を上げた!


「で、でもこれ!カフェインで身体壊すリスクが高すぎます!それに、こんなの誰も救われないです!」


(よく言った!元は貴女が始めた物語だけどね!!)


 女性がそう声を上げた瞬間。少年が俯き、ぶつぶつと呟きだす。


「……何を言っているんですか?眠気は悪、覚醒は救い。カフェインこそ生命の霊薬。それは弱き者の言い訳です。それに、これを飲めば貴女も翼を得られる」

「い、いやその……」

「翼を得よ、信ずる者は飛翔する……翼を得よ、信ずる者は飛翔する…翼を得よ信ずる者は飛翔する。翼を得よ信ずる者は飛翔する翼を得よ信ずる者は飛翔する翼を得よ信ずる者は飛翔する」

「ひッ……!」


 ゆっくりと顔を上げ、真顔で女性に呟き続ける高校生。


「翼を得よ、信ずる者は飛翔するッ!!!」


『──お出口は左側です』


「わっ!私!ここなので!失礼します!!」


 言うが早いか、扉が開く瞬間急いで出ていく女性。その顔は恐怖に歪んでいた……。


「……今日もまた一人、救われたか」


 そうして満足そうにゆっくりと赤本を読み始める高校生。


(最近の子って……怖ぇ)


 ちなみに最寄りは乗り過ごしたサラリーマンだった。



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