待ち伏せして見たものの
モノクル・あまぢい
第1話
―――大丈夫か?うまくゆくだろうかなあ。どうだろう……。
まるでボケ始めてひとり言が増えたジジイのごときつぶやきを繰り返すオレ。正直、あの時は、本当に迷っていたんだ。
なぜかって? 下手したら変態扱いされて、それで終わりじゃん。クラスのみんなにバレでもした日にゃあ、ほとぼりが冷めるまでの登校拒否は確定だろう。
本人がバラす心配は皆無だ。そんなハレンチな愚挙に出る様な人ではないことを、オレは良く知っている。
付き合いは長いから。いや、実際につき合っている訳じゃあない。一方的に詳しいだけだけど。
懸念は、第三者による目撃であり、かつそれが、同じ高校の生徒であったりする場合だ。
この計画の実行には、かなりの準備期間を要した。一部のスキがあってはならないし、絶妙なタイミング、かつ自然体でのプランの遂行が不可欠だ。
やむにやまれぬ事情とは正にこのことで、ただ座して幸運の訪れを待っていたのでは、全く埒が明かなかった。
卒業後も地元に残るなら、その先の長い人生の途上で、気まぐれビーナスの微笑みでもあれば、望外の僥倖に恵まれないとも限らない。
だがしかし、オレにはタイムリミットがあった。このチャンスを逃したら、最低でも四年間は、八百キロ離れた北の寒空から、凍えた指先をただくわえて、恋焦がれているしかないのだ。
もちろんオレもバカではないので、もっとオーソドックスで、穏便かつ平和的な方法を検討しなかったわけではない。
ただ、それでは圧倒的なインパクトに欠けるし、成功した際の感動体験というものが段違いになる。
リスクあってのチャレンジャーであり、イイ若いもんが、老いぼれたロバのように日寄っていてどうするんだよ、という気概もあった。
当然のことながら、予想外の展開もあるだろうが、入念な策略と、それを完璧に体現する演技力が、それを凌駕するであろうと信じていた。
自信という思い込みと、覚悟という錯覚は、青春ならではの特権だ。なんか違うような気かもするけど。
幸いにして、オレには持って生まれた、幾つかのアドバンテージがあった。百八十三センチの高身長と、股下九十の脚長。そして68キロウエイトのスリムな体型。かつ、北欧テイストのルックスだ。
幼き頃より、父から“お前の爺さんは北方民族の末裔だ”と聞かされていて、それは、きっと北欧や東欧などの、色白高貴なイメージを持つ人種のことだろう推量していた。後年、それが大きな勘違いであることが判明するが、本論には蛇足となるので、ここでは触れない、触れたくない。
さらには、人前でも物おじしない度胸と、当意即妙のトークスキルも備わっていた。人見知りという単語は自分の辞書には採用されておらず、舌先三寸とはほめ言葉と解釈されていた。
好感度も高いという自覚はあるが、肝心なのは、それがあの人の心にササルのか、という点だ。
あの人、あの娘を初めて見たのは、高校の生徒会室だった。その年度の役員が集まっての自己紹介の席で、幹事役の一人だったオレの前に現れた美形が、そう彼女だった。
自分よりも二十五センチは低いであろう、小柄な身長ながら、サラサラな栗毛のショートヘア―と、鳶色の瞳を持つ彼女に、一瞬にして魂を丸ごと持って行かれてしまった。
なめらかに頬にはほんのりと赤みが差し、鼻はツンと上向きで、小さめの唇から、小粒の白い歯がのぞいていた。
程よく膨らんだ胸から下の、弾むような肢体は十分に魅力的で、何よりも、甘く少し鼻にかかったその声音は、まさに天使のアルトだった。
会うたびごとに、その魅力は増していき、運よくそばに近づけた時に、フフフと鼻腔をくすぐる蓮華草に似た、甘く優しい香りに、オレはこの上ない充足感を覚えるのだった。
もしも、彼女のフィジカル面のみに関心を寄せているだけだったら、発情期のオスの気の迷いで終わり、そこまで強い関心を傾けることは無かっただろう。
人の魅力を構成するもう一つの要素である「性格面」。その誤魔化しの利かない、無形の財産においても、彼女は揺るぎのない輝きで、一気にオレを虜にしてしまった。
他人にひけらかすことの無い頭の良さは、黙っていてもにじみ出てくるし、明るく素直な性向は、穏やかさの中にも、一本ピシッと芯が通っていて清々しかった。
そんな心根にも心酔し始めていた頃、邪気ある神様が仕掛けて来た罠に、オレはまんまと絡めとられ、イチかバチかの賭けに出ることになる。
その日、副会長である彼女は、生徒会の案件とは無関係にオレのクラスにやって来て、一枚の紙を渡してよこした。
それには、あるフォークシンガーの歌の歌詞が書かれていて、なんと彼女の直筆だった。
「アナタが好きな曲だと聞いたから、書いてみたの」
ほのかに蓮華草の残り香が漂う歌詞カードを手に、オレの心は有頂天の彼方に吹っ飛び、喜びで打ち震えつつも、即座に今回の計画立案を決定することにした。
それから約一か月をかけて、作戦プランを練った。計画の眼目は“待ち伏せ”と“奇跡のダブルめぐり逢い”だ。
あの娘もオレも、ともによく利用する町の図書館で、彼女を待ち構え、偶然を装って遭遇し(たと見せかけ)、かつ同日に再度鉢合わせをする(と見せかけ)。
これはもう、神様のお導きだという強引な論理の勢いをかって、恋の告白に及ぶ。
単純なようでいて、このシークエンスを、思惑通りに完遂させるのは、至難の業だ。
オレは数日間かけて、彼女の出現率が高い曜日と時間帯を特定した後に、さり気ない登場の仕方を工夫し、齟齬の無いセリフ回しを再考するなど、脳内で何度もシミュレーションを繰り返した。
そして、ついに決行の日がやって来た。
オレにとっての“ニイタカヤマノボレ”、“天下分け目の関ヶ原”、“甲子園決勝カード、同点九回裏二死満塁のバッターボックス”なのである。
遭遇想定時間の三時間前に図書館にて待機、二階の窓から、ゴルゴのごとき熱視線で彼女の到来を待った。
果せるかな、無垢な心の彼女が、返却本らしき書籍を小脇に抱え、まんまと仕掛けた投網に向かって歩いてくるのが見えた。
弾けたバネのように立ち上がると、オレは階段を二段飛びて駆け下り、着地後にいったん深呼吸で息を整え、玄関手前で巡航速度に切り替えると、抜かりなく彼女の進路をロックオン!カモフラージュ用の鼻歌のプレイボタンを押した。
やがて、目指す相手が射程圏内に入った時点で、さも心底驚いたとう体で、右手を頭を触るベタな仕種も付加して、
「うわっ! びっくりしたなぁもう。こんな場所で会うなんて、とても偶然じゃないか」
などと、我ながらいけしゃあしゃあと、第一声を放った。
すると、意中の君は、クシュクシュと、音無しの不思議な笑い声だけを残して、さして驚いた様子もなく、建物に入っていった。
多少の肩透かしな感じも無くはなかったが、つかみはバッチリだと確信できた。なぜなら、鳶色の瞳には、微かな驚きのあとに、柔らかな親睦の気配があり、多少の微笑みも感知できたからだ。
微妙だな、などというネガティブインプレッションは敢えて振り払い、第二幕の舞台ソデにハケルことにした。
約一時間後、張り込み中のデカが、満を持して現場に臨場するように、貸出本を抱えて図書館から出て来た彼女の進路に、再度の突貫攻撃を仕掛けて、大げさにこう叫んだ。
「あれ? 何てことだ。忘れ物を思い出して戻って来たんだけど、また会うなんて、なんか奇跡としか言いようがないね」
取って付けたような言い訳に、なんの疑念も持たないかのように、愛しいその人は、またしても、クシュクシュと音無しの笑声で応えてくれた。
彼女は軽く頭を下げ、ゆるやかに顔を起こしつつ、その栗毛をかきなでて、ニッコリと、こぼれる様な笑顔を見せつけた。
やられた、ノックアウトだわ。もう、このスマイルを見ていられるなら、他に何もいらないと、天空の名も知らぬ神に誓いを立てたいほどだった。
さしたる手ごたえも感じずに、目の前の人は、行き過ぎようとしている。いや、待て待て、これで終わりじゃないんだわ。もう少し、つき合ってもらうべ。
オレは彼女を呼び止めて、実は話したいことがあると宣言した。一瞬、怪訝な表情を見せたものの、ゆっくりとこちらに向き直ると、しっかりと正対して、どうぞというように手で合図をくれた。
それならばと、ここぞとばかりに、念入りに仕込んできた、怒涛の論理展開を開陳することにした。
「これほどの偶然が重なるのも何かの縁。というより、初めて会った時からずっと、君の全てが好きでした。付き合ってください!」
もとより大きな地声に、思いの丈を込めて、勝利を強く確信しつつ、雄叫びを上げた。行ったことは無いが、京都の清水という寺の舞台から飛び降りる勢いで。
「いいわよ。付き合ってあげる」
標準時で10秒。オレはフリーズして、瞬き一つできなかった。
「えっ、本当に?」
「掛け値なしに、本当よ」
「でも、巷の噂では、同じ副会長のM屋と付き合っているとか、いないとか……」
そうなのだ、愛しき彼女には、すでに好き合っている相手がいることを、何となくだが耳にしてはいたのだ。
そいつは、生徒会副会長にして、地元有名企業の御曹司である男だった。ずんぐりむっくりの体型に小さな目の、どう見ても冴えない奴なのだが、成績は優秀で口が達者な、はっきり言って、いけ好かない野郎だった。
「噂を信じちゃいけないわ」
「じゃあ、アイツのことは好きじゃないのか?」
「今現在、相手を好きかどうかなんて、意味はないわよ」
「どういうことさ?」
「男子、三日会わざれば、刮目して見よ」
「三国志か!」
当意即妙な切り返しもさることながら、博識なネタを織り込んで答えるあたり、さすがだった。
「この街から遠く離れた北の大学に進学するのよね」
「よく知ってるな」
「四年後、もう一度、この場所で再会しましょうよ」
「脈絡飛ばし過ぎ」
「その時、アナタが、私の理想の男性になっていたら……」
オレは、思わずありったけの唾を飲み込んだ。
「なっていたら?」
「結婚しましょ!」
どっかーーん!
打たれた、雷! どつかれた、どでかいハンマーで! 立ち合いで一発かまされた、重量級の張り手!
まさに、青天の霹靂。奇想天外な超高速ストレートだった。
「ほ、本当に?」
「女子に、二言はないわ」
そういうと、彼女はクルリと振り向き、スタスタと去って行った。
呆気に取られたオレは、再び標準時で、たっぷり三十分間、その場に立ち尽くしていた。
それからきっちり四年後、帰郷したオレは、街の教会で、彼女と結婚式を挙げた。
了
待ち伏せして見たものの モノクル・あまぢい @amagy1957
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます