ともだちの唄
木戸陣之助
ともだちの唄
冴えない心臓にも鼓動があれば、役目がある。
生き証人として惰性で生きてきたわたしの目には、ありふれた不幸の終わりが繰り広げられていた。ぼろ雑巾みたいな
全国ネットで中継されたこの放送は瞬く間に拡散され、SNSでも日夜取り沙汰された。日本中のどこでも同じ話題が浸透して、大した知識もない素人が知った顔で社会が悪いだの、防犯対策がなってないだのよくわからないことを語り合っていた。
専門家も何か言ってた気がするけど、わたしには難しくて何も頭に入らなかった。人間というものは本当に都合が良い生き物みたいで、都合の悪い情報はシャットアウトするように出来ているらしい。随分と便利な機能だと思った。
『
届いたのはちょうど今から一週間ほど前か。郵便配達の人から機械的に渡されて、つい受け取ってしまった封筒をじっと眺めた。中身は開けてない、そうしてしまうと忘れようとしたことまで思い出してしまう気がしたから。
その主は何年も会ってない、ずっと昔に離れ離れになった親友だ。凛としていて、おしゃれで、頭も良くて、わたしみたいな取り柄もなくどんくさい人間にも手を差し伸べてくれた。閉ざされた闇に手を差し伸べて、光の向こうへと連れ出してくれた。
「そして、わたしが見捨てた」
小学六年生の頃、両親の離婚もあって田舎から越してきたのが始まりだった。泥だらけであぜ道を走り回るのが全てだと思っていたわたしにとって、都会は便利だとかそれ以前に得体の知れない空間だった。親と子が付かず離れずで、常に人の目を避けるように足早に通り過ぎていく。そんな人たちばかり印象に残っていたから、ひょっとして自分は異物になんじゃないか。と、みぞおちが苦しくなったのを覚えている。
人との関わりなんて言葉ひとつで切れてしまうくらいに希薄で、そんな環境で新参者であり、人を惹きつける何かを持ってるわけでもないわたしが溶け込めるはずもなく、転校早々人の輪からあぶれてしまった。何となくで話せていたのは全部誰かのおかげだと知った。
とはいえ、知ったところでどうにかなるわけもない。ひとりで立てないものは置いていかれる。教室の隅っこから見上げた世界は、眩しすぎて居るだけで身が焼かれる毎日だったが、それでもこの小さな空間でしか生きられない私は、すのこの下にこびりつく虫のように息を潜めて暮らすしかなかった。
『どうしたの? ひとりなの?』
そんなわたしに手を差し伸べてくれた子がいた。
彼女は自分でリリと名乗った。ちょうどあの時は真夏だったか、黒が好きらしく、よく黒のワンピースを着ていたのを覚えている。確かはじめて出会った時も同じワンピースだった気がする。ドレスみたいにひらひらしてたから、そういうところはくっきりと今でも覚えている。そんな彼女を一言で表すなら、とにかく大人っぽくて可愛いというところか。
寸胴なわたしと比べて背が高くて、スラリとしていて、黒くて長い髪が傷一つないガラスみたいに透き通っていて、瞳が宝石みたいに澄んでいて、明るくて気さくで、それでいて知的で。どんくさいわたしとは違う世界の人なんだなと思った。
『一緒に遊ばない?』
だからこそわからなかった。どうして彼女がわたしに声をかけたのか。
『でも……』
『ひょっとして、人が怖いの?』
『……うん』
怯えて話すだけで声が震えるわたしに手を差し出してくれたのは彼女だけ。それからは毎日のように彼女の後ろをついていった。オシャレな服屋も、子供には敷居の高いカフェも、自分を可愛く見せるメイクも、色々と教えてもらった。
わたしはちぎれかけたオーバーオールに使い古したスニーカーという野暮ったい身なりをしてきたが、彼女からするとパーツを磨けば良い線らしかった。
『大丈夫だよ! 世の中はカワイイ子に夢中なんだから!』
それから、わたしと彼女はいつも一緒だった。
見た目は毎日変わった。彼女が教えてくれたファッションを使って、お淑やかに、クールに、おだやかに、綺麗で、可愛いと他人から言われるようになった。
そうやって変わる度に無関心は好奇の目に変わり、色んな人間が引き寄せられるように集まった。けれど中身は何も変わっていないので、一言二言話せば人は簡単に興味をなくしていった。
『大丈夫だよ! だって、初音はカワイイんだから!』
それでも彼女だけはずっと隣にいた。
小学生という一区切りが終わっても変わらなかった。
中学生になっても変わらない、ずっとリリとの時間は続くと思っていた。そして、わたしとリリは同じ中学に進学した。
『大丈夫だよ! だって、初音にはリリがいるから!』
わたしはブレザーを着ていた。
リリは学ランを着ていた。
リリはわたしの隣に立とうとした。
わたしはその時多感だった。
わたしは父親が嫌いだった。母親に暴力を振るっていたのを間近で見ていたから。
わたしは男が嫌いだった。
わたしはリリを突き飛ばした。
わたしはリリに気持ち悪いと言ってしまった。
リリは何も言わなかった。
リリがわたしを追いかけてくることはなかった。
わたしはその場から逃げた。
それ以来話していない。わたしはまたひとりになった。
そんなことはどうでもいいのだ。わたしはとんでもない過ちを犯してしまった。とんでもない過ちを犯してしまった。
「恨んでいないわけがない」
それから五年の月日が経った。
封筒に記された差出人の名前は
謝ってはいけない気がした。わたしみたいな人間にわざわざ手紙まで寄越すということは、相応の腹づもりがあってのことだろう。それを全て受け止める、だなんて空想で手の震えを誤魔化して、好奇心に操られた右手が丁寧に折り畳まれた一枚目をゆっくりと封筒から引き抜いた。
『二〇十二年四月二十日。身長が五センチ伸びた。体重が二キロ増えた。お人形さんみたいだと羨ましがられた手足は棒切れみたいになった。男は成長すると骨が発達して、ゴツゴツした体になるらしい』
『膝が痛い。眠れない、肌に悪いのに』
『口まわりに髭が生えてきた、早く抜かなきゃ。痛い』
『二〇十二年六月十日。最近喉の痛みが酷い、針に刺されているようだ。怖くなってお医者様を尋ねたら喉の使い方が悪いって言われた。いつも通り話してるだけなのに』
『髭がすぐ生えてくる。何回抜いてもすぐ生えてくる。気持ち悪い、こんなの私じゃない』
『二〇十二年八月十二日。気持ち悪い、普通に話しているだけなのに下手くそな弦楽器みたいな音がする。どんどん水気が無くなっていくのが、自分でもわかる』
『髭が無くならない。抜いても抜いても生えてくる。色んなところ毎日全部処理してるのに無くならない』
『消えない、消えない消えない消えない。どんどん黒くなる。白くて綺麗って言われてたのに。もう嫌』
『男になりたくない』
『二〇十三年四月二十五日。身長が十センチ伸びた。体重の変化はなし。肉が削げ落ちて、また骨が浮き出た。かつての可愛い私に戻る為に無理をして手に入れたのは、鶏ガラみたいな体と無駄でしかない筋肉だった』
『記録に意味なんてあるの? 自分で手首を切ってるみたいで辛いよ』
『また声が低くなった。いやだ、あの頃に戻りたい』
『二◯十四年四月十八日。身長が五センチ伸びた。体重は五キロ増。もう三年前の面影はない、誰なんだろうこの人は。人形みたいに可愛いと言われていたはずなのに、鏡の中で立ち尽くす骸骨みたいな男は一体何者なんだろう』
『顔も、声も、体も。全部私じゃなくなっていく』
『ただ、いつまでも可愛い私でいたかったのに』
『私は女だ』
『女じゃないって言うな』
『どうして、どうして私が』
『ああ』
『手が汚い。べとべとする』
『ぜんぜん、足りない。手が汚い、やめられない』
『満たされない、ああ』
『女が、欲しい』
『ごめんなさい』
忘れないようにと頭の中で唱え続けていたのに、いつの間にかあの子の顔はおぼろげで、パーツしか覚えてなくて、あんなに眩しかった真夏のあの日も、いつの間にか。
五年という時間は、女であると自認する少年を欲に溺れた雄に変えるのに十分な年月だった。見て見ぬ振りをして、友達の苦悩にも向き合わず、自分だけが不幸なのだと言い聞かせて洗脳しきるのに十分な年月だった。
本当に大事なものを忘れるのに十分な年月だった。
後悔が先に立つことのない一生に一度の年月だった。
「あー、そうなっちゃうんだ」
わたしが親友を殺した。だから舌を思い切り噛んだ、少し痛いだけだった。今度は外に出て、適当に階段から落ちようとした。足がすくんで動けなかった。それならと交通量の多い車道に立とうとした。のんびりと走る車を歩道から眺めるしかできなかった。
ああ、この胸の中でつっかえた異物が消えてくれない。どれだけ首を掻きむしっても痛みだけが中途半端に残るから、こんなものは演出でしかないから。
そう怒られたのを否定したいだけ、そう言われてるみたいでほんの少しでいいから静かにしてほしかった。
「あれ」
まだあった。封筒の中にまだ一枚隠れていた。
もう精神的には落ち切っていたが全部受け止めようと思った。理由なんてなんでも良い、早く楽になりたくて仕方がなかった。
考える間も無く、わたしはもう一枚の手紙を開けた。
『こんなに汚い私でごめんなさい。ずっと貴女のことが好きでした』
わたしは走った。
どれだけ動けばこのドクドク動く気持ち悪い肉の塊が止まるのか。
どれだけ言葉にすれば、内に溜まるものがどす黒くにごってくれるのか。
どれだけ傷を増やせば、己が消えてなくなるのか。
どれだけ落ちれば、もう一度わたしを見てくれるのか。
「おしえてよお」
最寄りの刑務所を全部探した。体を売って手に入れた金で情報を仕入れて、それから毎日刑務所の門を見張った。いつ帰るかわからないから、朝から夜まで見張った。踊るように道中にある住宅街から自宅を行き来した。
わたしにはわかっていた。彼がこの門を潜り抜ける時、彼がこの世界を旅立つ時なのだと。止める資格なんて当然なければ、道理もない。死んだほうがマシな人生が転がってるだけだ。
だから毎日待った。雨の日も風の日も雪の日にも晴れの日にも、毎日毎日。
白い目がやって来たがどうでも良かった。
陰口が聞こえたがどうでも良かった。
わたしの噂がネットにばら撒かれたがどうでも良かった。わたしに残されたのはぼろ切れみたいな身ぐるみと、折れ曲がった傘に、ぶさいくな顔面、そして腐り切った自分自身。
どうでもいいもののために、大事なもの全部なくしちゃった。
でも、だいじょうぶ。
だって、あなた。わたしのこと好きなんでしょ。
こんなにかわいそうなわたしを、みつけてくれたじゃない。
ほら、
「やっと会えた」
「せがわ、はつね。おぼえてるでしょ」
「わたし知ってるんだ、次行きたい場所のこと」
「だからね」
「わたしも一緒に連れてって。だって」
「わたしたち、友達でしょ?」
ともだちの唄 木戸陣之助 @bokuninjin
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