【第2部】県道241号線 ―還ル森―【5話】
霧が裂け、闇が割れる。
その向こうに見えたのは――
見慣れたアスファルトと、白いガードレールだった。
「出……口……?」
南条の声が裏返る。
だが、私は凍りついていた。
その出口の“向こう側”に立っているのは、私自身だった。
こちらに背を向け、道の外へ――つまり“戻る側”へと立っている。
だが、動かない。
風もないのに、髪だけが揺れている。
私は思わず叫んだ。
「……待って!」
その“私”は、静かに――
ゆっくりと……振り返った。
顔。
それは確かに、私の顔だった。
けれど。
目だけが違った。
焦点が合っていない。
人間の“見る”という機能を失った、空虚な穴のような目。
そして、その口が開いた。
「あなたは……まだ、戻ってない」
その瞬間、背後から
「待ってよ。」
由良の声だった。
「由良さん!!」
振り向いた瞬間、由良は……いなかった。
ついさっきまで、確かに――すぐ後ろにいたのに。
地面に残っているのは、彼女の持っていたリュックだけ。
南条が声を荒げる。
「由良?!おい……!!」
返事はない。
闇は深く、音は吸い込まれ、森は何も語らない。
私は、心の底から理解してしまった。
“戻れなかった”者が出た。
それが、由良だった。
南条が私の腕を引いた。
「行かないと……今すぐこの場を抜ける」
私は一瞬、霧の奥を見た。
霧島の影は、もう見えない。
代わりに、“私に似た何か”だけが、霧の中で微笑んでいた。
南条に引きずられるようにして、私は“出口”を越えた――
――――――
気づいたとき、私は座っていた。
見覚えの無い白い天井。
病院のベッドの上だった。
「……楓……?」
母の声が聞こえた。
涙ぐんだ顔。
何も“おかしいところ”はない……はずだった。
「……ここ……」
「あなた、三日間も眠ってたのよ……。
山で倒れて……南条さんが……」
南条。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がひりついた。
「南条さんは……?」
「……救急車呼んでくれたあと……姿を消したわ」
心音が、一拍遅れて響く。
由良の名前は……出なかった。
誰も――
彼女のことに触れない。
存在すら最初からなかったように。
退院後、編集部へ戻った。
いつもと変わらぬオフィス。
だが。
私のデスクが、微妙に違う位置にあった。
斎藤編集長は、いつもより少し背が低い。
同僚が言う。
「大島さん、顔色悪いっすよ。
無理しないでください――南条の件もありますし」
「……南条?」
「は?え……南条ですよ……覚えてないんですか?」
私は聞き返した。
「……由良……由良さんは?由良さんのこと、知ってますか?」
同僚は首を傾げた。
「……誰です、それ」
その言葉で、現実が歪む音がした。
「え……?由良さん……は?」
「大島さん……変ですよ?ほんっと無理しないでくださいよ!」
私は編集部のサーバーに入った。
理由は分からない。
“呼ばれた”としか言いようがなかった。
検索欄に無意識に打ち込む。
霧島沙耶
ヒット。
【記事】
「ルポライター・霧島沙耶、現在も失踪中」
開いた瞬間、目が釘付けになる。
写真。
そこに写っている霧島は――
昨日と同じ服装だった。
失踪事件の記事なのに。
掲載写真が更新されている。
本来あり得ない。
そして、記事の下に新着コメントが一件。
「まだ、走ってるよ」
投稿者名:
Route241
私は自宅へ戻り机の引き出しを開けた。
そこには――
由良のペンがあった。
彼女が貸してくれた紫のボールペン。
誰も“彼女の存在”を知らないはずなのに。
私は、一人だけ――
彼女の消失を覚えている。
ということは……。
私が戻ってきたこの世界は、完全ではない。
ここは――
“似ているだけの世界”。
深夜、スマホが振動した。
ディスプレイには――
知らない番号。
出るとノイズの向こうで、女の声。
「……楓」
霧島沙耶だった。
私は、震えながら答えた。
「……霧島さん……。
……どこにいるんですか……?」
少し間があって、彼女の声が――
やさしく、けれど壊れた音で、こう言った。
「……帰ってないの。
あなたも、まだ」
通話が切れる直前彼女は……
はっきりとこう告げた。
「由良さんは……
“ちゃんと帰れなかった人”だった」
その瞬間、玄関のドアが――
カン。
ガードレールを叩く音と同じ音を立てた。
県道241号線 然々 @tanakojp
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