第3話

第三話:クリアカップルの来訪


 インターホンが鳴ったのは、午後九時を回った頃だった。


「誰だろう」美鈴が立ち上がろうとすると、陽介が手で制した。

「俺が出る」


 モニターを確認すると、見慣れた顔が二つ。サトシとハルだった。

 ただし、二人の額に光る光冠が、いつもと違って見える。数字の横に、小さな金色のバッジマークが浮かんでいた。


「おーい、陽介!開けてくれよ」サトシの声が響く。

「えー、美鈴ちゃんもいるでしょ?」ハルも手を振っている。


 玄関のドアを開けると、二人は上機嫌で現れた。サトシは高級そうなスーツ、ハルは見るからに値の張りそうなワンピースを着ている。


「お疲れさま!」ハルが美鈴にハグをする。「久しぶり!」

「うわあ、なんかいい匂い。どこ行ってたの?」

「六本木の『ル・シエル』よ。一人三万円のコースなの」


 サトシが陽介の肩を叩く。「よお、元気? 近くまで来たから寄らせてもらった」


「あれ、赤ちゃんは?」美鈴が気づく。

「あー、今日は実家に預けてるの」ハルが慌てて答える。「たまには二人の時間もね」


 リビングに通すと、二人の光冠がより鮮明に見えた。

 サトシ:890万円+クリアバッジ

 ハル:1250万円+クリアバッジ


「すげえな、お前ら。ついにクリアしたのか」陽介が感嘆する。

「まあね」サトシがにやりと笑う。「先月、同じタイミングでさ」


 美鈴がノンアルコールビールと普通のビールを持ってきて、四人がソファに座る。

「美鈴ちゃん、ビール飲まないの?」ハルが気づく。

「あー、今日は車で来たから」美鈴がさりげなく嘘をつく。


「どうだった? その…‥実際に」美鈴の声が少し震えていた。


 ハルが目を輝かせて身を乗り出す。けれど、その目の奥に深い疲労が見える。

「もう、すっごかったのよ! 私はね、大学時代の同級生の麻衣子を…‥」

「お前、いきなり詳細かよ」サトシが苦笑いする。

「いいじゃん! せっかくだもん」


 ハルは興奮気味に話し始めた。しかし、その声に僅かな震えがあった。

「麻衣子って、昔から私のこと見下してたの。就職先も、彼氏も、全部マウントとってきて。で、賞金が700万円だったのよ」


「どうやったんだ?」陽介が身を乗り出す。


「お茶会に誘って、自宅で。ベランダでインスタ用の写真撮ろうって言って、手すりに座らせたの。そしたら…‥」ハルがくるんと手を回す仕草をする。「一押しよ」


「うわあ」美鈴が手で口を覆う。


 サトシも続ける。しかし、その声には明らかな動揺があった。

「俺の方はもっと単純だった。同じ会社の後輩の田中。賞金は800万。飲み会の帰りに、駅のホームで」

「まさか…‥」

「電車来るタイミングで、背中を押した」


 一瞬、サトシの目に涙が浮かぶ。

「でも...仕方なかったんだ」


 二人は嬉々として体験談を語ったが、その表情には深い疲労と罪悪感が刻まれていた。


「でもね」ハルが真剣な顔になる。「やっぱり最初の一歩は勇気いるのよ。でも一度やっちゃうと、案外あっさりしてるの」


「賞金もすぐ振り込まれるしな」サトシが頷く。「これで俺たち、自由の身だ」


 しかし、その言葉には全く説得力がなかった。


 陽介と美鈴は顔を見合わせた。

 クリアした二人の表情が、どこか違って見える。解放的というより、何かに追い詰められたような。


「ねえ、せっかくだから記念に写真撮らない?」ハルが提案した。「私たちクリア記念と、あなたたちのお付き合い記念で」


「ベランダがいいわ。夜景が綺麗だもの」


 四人はベランダに出た。七階からの眺めは確かに美しく、街の灯りが宝石のように輝いている。


「陽介と美鈴が真ん中ね。私たちが外側で」

 ハルがポジションを指示する。


「スマホをここに置いて、タイマーで撮るわ」

 サトシがスマートフォンを手すりに固定した。


「ほら、二人ともくっつきなさい。恋人同士なんでしょう?」

 ハルが二人を押し寄せる。


 陽介と美鈴が肩を寄せ合う。サトシとハルが外側に立つ。


「はい、いくわよ。五秒タイマー」


 5…‥


「もっとくっついて」


 4…‥


 サトシとハルが、不自然に二人の足元に手を伸ばす。

 その瞬間、二人の脳裏に赤ちゃんの顔が浮かんだ。

 ――「雅人のため」「親として」「明日まで」


 3…‥


「あれ…‥」陽介が違和感を覚える。


 2…‥


 ハルが美鈴の足首を、サトシが陽介の足首を掴んだ。

 ――「この子を救うため」「友達には悪いけど」


 1…‥


「え?」


 くるん。


 二人は同時に手すりを越えて、空中に放り出された。


「きゃあああああ!」美鈴の絶叫が夜空に響く。


 ベランダから、ハルとサトシの声が聞こえてくる。


「これで、雅人が助かる!」

「明日、送金できる!」

「ごめん...でも、この子のためなの!」


 その声は歓喜というより、必死の自己正当化と謝罪に聞こえた。


 落下する七階分の時間の中で、陽介は必死に美鈴を抱き寄せた。


「美鈴! 愛してる! 愛してるよ!」


 美鈴も陽介にしがみつく。「陽介!」


 その時だった。

 夜空に三機のドローンが現れ、瞬時にネットを展開した。二人はネットに受け止められ、ゆっくりと地上に降ろされた。


 ベランダから見下ろすサトシとハル。


陽介と美鈴

「あれ? 生きてる…‥」

「どういうこと? このネット?」


 地上で、美鈴がゆっくりと起き上がった。


「あ」美鈴が自分のお腹に手を当てる。「この子のおかげだ!」


 陽介が驚く。「え?」


 美鈴の服の下、確かに少し膨らんだお腹があった。


「妊娠五ヶ月なの。気づかなかった?」

「だから最近、お酒飲まなかったのか...」


 陽介の目が見開かれる。彼女のわずかな体型の変化、最近の食欲、ノンアルコール飲料...すべてが繋がった。


「今の日本では、妊婦を殺すことは…‥」

「胎児殺害。重大なルール違反」


 七階のベランダから、別のドローンが現れた。

 パン。パン。

 乾いた銃声が二発響いた。


 サトシとハルの体が崩れ落ちる音が、遠くから聞こえてきた。


 陽介は美鈴を抱きしめたまま、夜空を見上げた。

 二人の光冠が、静かに光っている。


「美鈴…‥」

「ごめん、言えなくて」

「いや…‥ありがとう。君と、この子に」


 街の灯りが、二人を優しく照らしていた。


 そして風に乗って、かすかに聞こえてきた。

 ベランダからの、最後の声。


「雅人、ごめんなさい...」


 それは、ハルの断末魔だった。

 最期まで、自分の子を想った、母親としての叫びだった。


---


修正版エピローグ(微調整)


 三ヶ月後。

 陽介と美鈴は、小さなアパートを出て、一軒家に移り住んでいた。


 美鈴のお腹は臨月に近い。

 二人の光冠には、まだ数字が浮かんでいる。


 陽介:1450万円

 美鈴:2350万円


「上がったね、私たち」

「妊婦とその夫は、評価が上がるらしい」


 陽介は美鈴のお腹にそっと手を添えた。

「この子が生まれたら、俺たちの光冠はどうなるんだろう」

「三十一歳になれば、自動的に外れるって聞いた」

「……そうか。あと少しだな」


 窓の外では、新しい三十歳たちが光冠を輝かせながら街を歩いている。

 互いを警戒し、互いを値踏みしながら。


「ねえ、陽介」

「ん?」

「ニュースで見たの。サトシとハルの赤ちゃん」


 美鈴がスマホを差し出す。

『三十歳殺害事件の背景:心臓病の子を救うためだった』

『アメリカでの手術費用は約五千万円』

『残された乳児は親族に引き取られ、クラウドファンディングで支援金が集まりつつある』


「……あの子、生きてるんだな」

「ああ」陽介は遠くを見つめながら答えた。

「結局、救われたんだ。でも二人のやったことは……」

「親の気持ちは、わからないでもないけど」


 美鈴はお腹を撫でる。

「私たちなら、別の方法を探したと思う」

「きっとな」陽介は頷いた。


 夕日が二人を染めていく。

 これから生まれてくる子どもは、この狂った制度を知らずに育つのだろうか。

 それとも、さらに残酷な世界を見ることになるのだろうか。


「でも」美鈴は微笑む。

「この子の価値だけは、絶対に数字じゃ測らせない」

「ああ」陽介は強く頷いた。

「それだけは、確かだ」


 殺害未達の者は、一生ボランティアに従事することになる。

 それでも――肩寄せ合って、精一杯生きよう。


 二人は抱き合い、不確かな未来の先を見据えた。

 そして願った。

 いつの日か、この国のすべての子どもたちが、数字ではなく愛情で測られる世界が訪れることを。

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30歳の解放区 奈良まさや @masaya7174

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