長い階段の果てに

西しまこ

螺旋階段、雲海、時計台、そして天女

 その天女に会うために、僕は長い階段を上っている。石造りの塔の螺旋階段だ。階段も古めかしい石で出来ている。高い塔の中のぐるりとした階段をひたすら上っている。 


 いつ頂上に着けるんだろう? ふとそんな疑問がわく。何年経ったか分からない。でも僕はやはり上り続ける。途中、石の壁を四角く切り取った窓が時折現れる。ガラスは入っていない、ただの四角い穴だ。僕は薄暗い塔の中から、その窓の外を覗く。

 ああ、なんて美しいのだろう。外界は光に満ちている。そして、外の風景から自分がどれくらいの高さまで上ったのか、確認出来る。家々はどんどん小さくなり、森も全体像が見えるほどに小さくなっていく。遠くに海が見える。海はあんな色をしているんだ。青くて、空との境は白くぼやけている。


 ふいに、雲を超えたのが分かった。僕はいま、雲の上にいる。塔は雲よりも高くそびえ立っているのだ。雲海を眺める。白く、やわらかい羽毛のような雲。一日の時間によって、雲もその顔を変化させる。夕焼けのとき、雲が橙色に光るのが美しいと僕は思う。夜は雲も夜の藍色の呑まれていく。雲の切れ間から、光が見えることがあった。その光にはきっと、温かい食事があって、そして家族がみんなで食卓に座り笑い合っているのだろう。そんな幻想が見えた。それはリアルな実感を伴って僕の中に沁み込み侵食し、僕を高い塔から引きずり下ろそうとする。ああ、僕はあの光の中に戻りたい。

 どうしてこんなに長い階段を上っているのだろう? 羽毛みたいな雲を見ていたら、あそこに飛び降りて、そのまま眠ってしまいたくなった。ふかふかで、暖かそうだ。やわらかい白い羽毛に埋もれてしまいたい。窒息しそうなほど幸福かもしれない。僕はどうして上り続けているのだろう。何のためだったんだろうか。もう、目的すらあやふやで曖昧模糊としている。肩より長く伸びた髪が目に入った。髪もこんなに長く伸びてしまった。

 もう上るのはやめようか。ほら、あそこに飛び降りてしまえばいい。ぐっすり眠れそうだ。僕は、窓に手をかけ、それから足をかけようとした。


 そのとき、鐘が鳴った。

 ごおぉん、ごおぉん、ごおぉんと、何度か鳴り響き、塔中に音の波動が広がった。僕の身体中にもその旋律が満ちて、まるで乾いた砂漠に水が染み込むように僕の身体はその鐘の音色を吸収していく。ごおぉん、ごおぉん、ごおぉん……


 そうだ、この塔は時計台だった。それから僕にはやるべきことがあったんだ。

 歩みを進める。石造りの階段を一歩一歩上って行く。階段だけを見つめて、心地よく馴染んだ暗さの中を踏みしめながら上る。階段の下の方は闇と同化していて、もう何も見えなかった。僕は階段の上だけを見る。


 すると、階段以外のものが見えた。

 扉だ。

 それは重そうな、千年の樹木の記憶を写し取ったような、古い扉だった。優しい飴色で、僕は吸い寄せられるように扉に触り、そして無意識のままに扉を開く。期待と不安と――未来の予感と、そして過去の懐かしさを感じながら。古い木製の扉が、ぎいぃぃと音を立ててゆっくりと開く。


 肌の白い美しい天女が微笑む。「待っていたわ、ずっと」桜色の唇が鈴のような声を発する。天女――いや、僕が愛する唯一の人。長い真っ直ぐな髪がさらさらと流れる。

「待たせてごめん」僕は白い肌を強く抱き締める。ああ、なんて温かいのだろう?

「信じていたわ」

 桜色の唇を指でなぞる。青い瞳は潤んで、海のように揺れていた。


「会いたかった」





            了

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長い階段の果てに 西しまこ @nishi-shima

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