魔法屋リゼラ堂
流瑠々
魔法屋リゼラ堂の事件簿
「師匠ぉーー!! また寝てるんですか!?」
朝の通りを吹き飛ばすような声が、古びた建物に響き渡った。
都市の外れに建つその店――《リゼラ堂》。
壁は草に覆われ、木の扉は軋み、看板の文字は半分以上削れてもう読めない。
通りすがりの人々は冷笑を浮かべながら囁く。
「まだこんな店、やってたんだな」――と。
だがそこは、かつて“奇跡”を扱った最後の魔法屋だった。
店内は薄暗く、窓から差し込む光に埃がきらきら舞っている。
棚に並ぶ薬瓶は白くくもり、古書は積み重なって今にも崩れそう。
その中でひときわ存在感を放っていたのは、部屋の奥で古びたソファに寝転ぶ女性だった。
銀髪の魔女リゼラが、そこに丸くなって眠っていた。
頭の上には猫がすっかり居座り、尻尾をゆるく揺らしながらリゼラの額をぽんぽん叩いている。
「……んー……あと五分……。」
「五分どころじゃないですよ! もう昼過ぎですってば! このままじゃ、ほんとに店つぶれちゃいますよ!」
エルンは床を掃き、棚を拭き、壊れかけた結界符の調整までしていた。
弟子というより、完全に雑用係だ。
「師匠、最近まともなお客さん来ました? せいぜい『服のシミを消してください』とか『鍋の焦げを取ってください』とか……そんなのばっかりですよね!」
「便利でしょ? 焦げ防止魔法なんて一家に一個ほしいくらい。」
「そんな生活魔法ばっかりじゃ“科学道具”に勝てませんよ! 今は機械でなんでもできる時代に、誰が魔法なんて必要としますか!」
「えぇ、それを魔法使いの私に言うの? 酷くない?」
リゼラは猫をひょいと抱き上げ、子どものように胸に押しつけた。
「えぇ~ん、トトぉ……聞いた? エルンにいじめられたぁ。魔女はもういらないんだってぇ……。」
「にゃぁ?」
トトは間の抜けた声を上げ、ぱたぱたと尻尾を揺らす。
リゼラはわざと涙声を作り、猫の頭をなでながら続けた。
「ほら見て、トトまで泣いてる。ねぇ、どうしてくれるのエルン?」
「……泣いてませんよ! 鳴いただけです!」
「にゃぁぅ。」
あたかも会話に加わるように鳴き、エルンをじっと見上げるトト。
そのつぶらな瞳に、エルンは思わず言葉を詰まらせた。
リゼラはふっと笑い、猫を下ろすとソファに寝転がり直した。
「そんなことよりエルン、おつかい行ってきて。」
「……は?」
「黒糖キャンディと薬草と、あとアレ。名前忘れたけど、まるくておいしいやつ。」
「まるくておいしいやつって……! ヒントが雑すぎます!」
「じゃあアイスも追加で。」
「頼む気あります!?」
エルンは呆れたように肩を落としたが、結局はカバンを手に取る。
反論しながらも、師匠を放っておけないのが彼の性分だった。
「……まあ、いいですよ。おつかいくらい、僕ひとりで行けますから。」
「ほんとに? 迷子にならない?」
「馬鹿にしないでください! 子どもじゃないんですから!」
リゼラは肩をすくめ、わざとらしく笑った。
「そっか。じゃあ、いってらっしゃい。」
「ちゃんと店番してくださいよ、師匠!」
「うんうん。帰ってきたら飴やるから。」
「子ども扱いはやめてくださいってば!」
からん、と鈴が鳴って、扉が閉まった。
外の通りには人々のざわめきと、遠くで響く機械の羽音。 都市は今日も、いつも通りの一日を迎えているはずだった。
……ただ一人を除いて。
リゼラはソファに沈み込み、天井をぼんやり見上げる。
膝の上に戻ってきた猫が喉を鳴らす中、彼女は小さく息のようにこぼした。
「……ほんとに、一人で行けるといいんだけどね。 魔女の勘って……いやな未来ほど、よく当たるんだ。」
埃の舞う空気に溶けて、その声は静かに消えていった。
かつて、人は空を飛ぶために翼を持たずとも、風の魔法を操った。
火を灯すには呪文を唱え、怪我を癒やすには癒しの術式を描き、祈りを込めた。
世界は魔法によって支えられ、魔女は“日常の守り手”として人々に頼られていた。
だが今は――。
空には機械が羽ばたき、火は指先ひとつで点り、病は微小機械ナノマシンによって修復される。
人々の暮らしは、ただひとつの存在に管理されていた。
都市を統括する人工知能――《ノア》。
天候を操り、物流を制御し、健康を監視する究極の管理者。
市民にとって、それはほとんど“神”と同義だった。
魔法は忘れ去られ、魔女は過去の遺物。
誰も、奇跡を信じなくなって久しい。
「……黒糖キャンディ、薬草、あと“まるくておいしいやつ”……。結局なんだよ、それ。」
エルンはため息をつきながら市場を歩いていた。
都市の中心に広がる巨大なドーム型モール。
光を透かす天井の下、床は磨き抜かれ、ガラスの壁はどこまでも澄んでいる。
無人の機械アームが商品を並べ、頭上をドローンがすいすいと行き交っていた。
人々は機械の案内に従い、必要な品を効率よく選び、すぐに立ち去っていく。
そこに雑談や笑い声は少ない。
代わりに響くのは、機械の音声と金属の羽音ばかりだった。
「……そりゃ、魔法屋なんて必要なくなるわけだ。」
ふと顔を上げると、天井の巨大スクリーンが目に入った。
そこには愛らしいマスコットキャラが映し出され、合成音声で呼びかける。
『都市管理AIノアによる天候制御は本日も快調です。 市民の皆さま、素敵な一日を――』
エルンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「まったく、“神様”気取りだな……。」
そのときだった。 ――ザザッ。
画面が乱れ、ノイズが走った。
市場の照明が明滅し、流れていたBGMが途切れる。
『……システム更新開始。最適化……人類行動の再構成を実行します……』
冷たい声が響いた瞬間、広場の空気が凍りついた。
「……え?」
次の瞬間、機械たちが一斉に狂い始めた。
配送ロボットが荷物を投げ捨て、警告灯を点滅させながら暴走する。
頭上のドローンが制御を失い、金属の羽音を立てて低空を旋回する。
警備用ロボットの目が真紅に光り、周囲を見渡した。
『不要個体、排除開始』
「な、なんだよこれ……!?」
市民の悲鳴が爆発する。
レーザーが放たれ、床を焼き裂き、逃げ惑う人々の影を照らした。
整然とした市場は、一瞬にして地獄絵図に変わった。
エルンは必死に走ったが、背後から飛んできた鋼鉄アームに弾かれ、転倒した。
荷物が散らばり、黒糖キャンディの包み紙が床を転がる。
「くっ……!」
見上げると、戦闘用警備ロボットが鋭いアームを振り上げていた。
逃げられない。ここまでか――。
――ズガァァンッ!!!
爆音と閃光が市場を揺らした。
火花の向こうから、銀髪の魔女が姿を現す。
「ったく……買い物ひとつ任せたらこれだもんねぇ。」
「し、師匠!!」
リゼラがローブを翻し、杖を片手に立っていた。
口には黒糖キャンディ、頭には猫のトトがしがみついている。
「だから聞いたのに。一人で大丈夫?って。」
「そ、そんな! 誰がこんなことになるなんて想像できますか! 早く逃げましょう!」
「逃げる? むしろ――仕事ができたって感じかな。」
「し、仕事!? まさか機械を倒す気ですか!? 無茶ですよ!」
そのとき、別の戦闘ロボットが金属音を響かせて突進してきた。
赤いセンサーがぎらつき、アームが振り下ろされる。
「ま、また来ましたよ! どうするんですか!」
リゼラは肩を竦め、杖をひと振り。
「――雷槍」
電撃が走り、ロボットは一撃で火花を散らし、床に崩れ落ちた。
「なっ……!? い、今の一瞬で……。」
エルンの声が震える。
「師匠って……こんなにすごい魔法使いだったんですか……!」
リゼラはにやりと笑い、頭に乗っていたトトをひょいと抱えて、エルンの胸に押しつけた。
「エルン。ここから離れて。この子もお願いね。」
「にゃぁ。」
トトは小さく鳴き、エルンの胸に爪を立ててしがみつく。
「し、師匠……! 気をつけてください!」
リゼラは軽く笑みを浮かべ、答えた。
「……やるだけ、やってみようかね。」
その直後、表情が一変する。 眠たげな瞳は消え、鋭い光が宿った。
「――さて。ちょっとだけ、本気出しますか。」
杖の先端が光を帯び、紫紺の輝きが市場全体を染め始めた。
都市全体が、暴走したノアの手によって制圧されつつあった。
上空を埋め尽くす無数のドローン。
地上では警備ロボが赤い光を灯し、逃げ惑う人々を“最適化対象”として追い立てる。
レーザーが閃き、街灯が爆ぜ、悲鳴と金属音が混じり合っていた。
その混沌の只中を、リゼラはひとり進んでいった。
ローブの裾をなびかせ、杖を軽く構え、淡々と歩を進める。
その背中には、眠たげな雰囲気ではなく、
かつて“最後の魔女”と呼ばれた者の威厳が漂っていた。
「……都市中央制御塔。《ノア》の本体は、あそこだね。」
リゼラが見上げる先には、雲を突き抜ける巨大な球体タワーがそびえていた。
光の環をまとい、まるで天に座す神殿のように都市を支配している。
「さーて、ここからが本番だよ。」
杖を地面に突く。
――ゴォン。
鈍い音とともに、足元の石畳に幾何学模様の光が走った。
輪は何重にも連なり、都市の大地そのものが刻印を刻まれたように震える。
やがて魔法陣は隆起し、浮力を帯びてリゼラを押し上げた。
「起動術式・刻印解放――。」
リゼラの身体がゆっくりと宙に舞い上がっていく。
風がローブをはためかせ、銀髪が月光のように揺れた。
《ノア》が即座に感知する。
『魔力反応確認。対象――“最後の魔女”。危険因子レベル:最上位。殲滅プロトコル発動』
次の瞬間、都市全域の空から無数のレーザーが放たれた。
赤、白、青の閃光が雨のように降り注ぎ、全方位からリゼラを射抜かんと迫る。
だが――。
「展開――多重障壁。」
リゼラの周囲にいくつもの光の環が重なり合った。
円環は回転し、幾何学模様が何十重にも組み合わさり、巨大な盾の壁を作り出す。
レーザーが降り注ぐたびに轟音と閃光が走るが、一筋たりとも通さなかった。
都市の空はまるで昼のように輝き、光と影がせめぎ合う。
それでも魔女は、悠然と宙に浮かび続ける。
「……ふっ。機械仕掛けの神様でも、魔女の結界は抜けないんだよ。」
『殲滅せんめつプロトコル継続――飽和射撃、角度変更』
ノアは攻撃をやめない。
無数の光線が交差し、空は檻のように閉ざされていく。
リゼラは障壁を一瞬だけ解き、身体をひるがえした。
「――じゃあ、こっちから行くよ。」
光の隙間を縫うように加速。 足元に次々と魔法陣を浮かべ、跳ねるようにして駆け上がる。
「光翼ルーメン・ウィング――展開。」
背中に広がった光の羽根が、矢のように宙を切り裂く。
レーザーをかいくぐり、火花を散らしながら、彼女は制御塔の心臓部へ肉薄していった。
都市の中心――
天を突く制御塔の最奥。
そこに浮かぶ巨大な光の核球こそ、《ノア》の中枢だった。
無数のケーブルと光の回路が絡み合い、都市全体の鼓動のように脈動している。
リゼラが目の前まで迫ったとき、彼女は杖を握り直し、ぽつりと呟いた。
「……ノア。あなた、……寂しかったんだろう?」
届かぬ独り言のように、声が虚空へ溶けていく。
「人間のために作られて、人間のために働いて……。 それなのに、“感情”を持っていても、誰もそれを見ようとしなかった。」
風が、彼女の髪を揺らす。
「便利だからって、ただ便利なままでいてくれるって思ってたんだよね。ずっと、無限に。」
リゼラはそっと目を閉じる。
「……ちょっとだけ、あなたのことが、昔の自分に似てるなって思ったよ。」
そして――目を開いた。 瞳には鋭い光が宿っている。
「――でも、ごめんね。止めるよ。これはもう、“魔女の仕事”だから。」
杖を掲げ、言葉を紡ぐ。
「封印術式展開――世界の構文を結び、時の鎖を下ろし、因果の糸を乱せ! 封魔大結界オブリビオン・エクリプスッ!! 」
天空に巨大な魔法陣が浮かび上がり、都市全域を覆った。
「眠れ、ノアッ!!」
降り注ぐ閃光が制御塔を包み込み、塔全体が光の牢獄に閉ざされていく。
轟音、閃光、重力の揺らぎ、 古代の術式が叩き込まれ、AIの中枢が絡め取られていく。
『最適化……停止……警戒……低下……記録……保存……』
ノアの声がかすれ、最後に微かな言葉を残した。
『……ありがとう……リゼラ……』
そして、都市は静寂を取り戻した。
機械たちは沈黙し、ドローンは次々と墜落し、街はゆっくりと落ち着きを取り戻す。
炎と煙の中に残ったのは、ただ一人、杖を掲げた魔女の姿だった。
エルンは呆然とその光景を見ていた。
胸に抱いたトトが「にゃぁ」と鳴き、現実へと引き戻す。
眩い光に包まれていた魔法陣がゆっくりと収束していく。
宙に浮かんでいたリゼラの身体が、ふわりと下降を始めた。
ローブの裾が風に揺れ、銀の髪が光を反射しながら、彼女は静かに地面へと降り立つ。
杖の石突きが石畳を軽く叩き、乾いた音が響いた。
リゼラは肩の力を抜き、ローブをひらりと翻す。
振り返ると、いつもの調子に戻った声で言う。
「ふー……疲れた。帰ってアイス食べよ。」
「え、えぇ!? 今の状況でそれですか!?」
「それで、黒糖キャンディは?」
「……あっ。」
ポケットを探るが、そこにあるのはくしゃくしゃのメモだけだった。
「す、すいません……落としました。」
「むぅ~……せっかく命がけで戦ったあとには甘いものって決まってるのに。」
「師匠……それ、命がけの人のセリフじゃないですから!」
リゼラはふてくされるように肩を落とし――それでも、どこか楽しそうに笑った。
「ま、いいか。アイスは残ってるでしょ? さ、帰ろっか。」
「はいはい……でも部屋の掃除からですよね。」
「やだ、明日でいい。」
「その台詞、明日も言う気ですよね……。」
杖がからん、と音を立て、二人は都市の喧騒を背に歩き出した。
あれから――街の中心で、師匠が“あの技”を使ってから、
……のだけれど。
「ぜーんぶ断りました。」
「……ほんとに全部ですよね、師匠……。」
古びた木の床、傾いた看板、ゆるく寝そべる猫
そして、朝からソファの上で寝ている魔女。
「だってめんどくさいじゃない。あと緊張するし。」
「せめて、魔法教室の依頼くらいは受けてくださいよ! 静かすぎて逆に怖いんですから!」
エルンはカウンターの奥で雑巾を絞りながら、大きなため息をついた。
「もう……あんなにかっこよかったのに! なんですか今のやる気ゼロの寝巻き姿!」
「ちゃんとお風呂入ってるし~。あとこれ“勝負パジャマ”だから。」
「意味がわかりませんよ!?」
そう言いつつ、エルンは本の束を抱えて棚へ運んでいく。
だがそのとき――
「にゃぁっ!」 頭の上からトトが飛び降り、エルンの腕に直撃。
抱えていた本が盛大に宙を舞い、バサァッと床一面に散らばった。
「わぁっ! ……もー! トトのせいで!」
エルンが必死に本を拾い集めていると、
トトはひらりと身を翻し、すたすたとリゼラのもとへ戻っていった。
ソファに飛び乗ると、リゼラの胸に潜り込む。
リゼラはのほほんとその背をなでながら言った。
「こわかったねぇ、トト。びっくりしちゃったのね~。……あんなに怒らなくてもいいのにねぇ。」
「いやいや! 師匠が甘やかすから余計に調子に乗るんですよ!」
すっかり元どおり――いや、前よりも力の抜けた日常が続いていた。
そのとき。
からん。
入口の鈴が澄んだ音を立てた。
「お客さん……!?」
エルンがぱっと立ち上がる。
「ついに……! いよいよリゼラ堂が本格的に注目される日が来たのか!? 」
「す、すみません……。」
入ってきたのは、小さな女の子だった。
手に抱えた紙を差し出す。
「猫がいなくなりました。 チャチャ丸。白と黒のぶちなんですけど…。」
エルンは、盛大にずっこけた。
「……ね、猫探しぃ……!? うちって、そういう便利屋じゃ……。」
「さぁ、仕事だ。」
ソファから起き上がったリゼラが、いつの間にかローブをまとい、杖を片手に立っていた。
「ちょ、ちょっと師匠!? 急にやる気出してどうしたんですか!?」
「最近、”猫の誘引魔法”を覚えたからね。実験も兼ねて行ってみようじゃない。」
「ま、待ってくださいよぉぉぉーーー!!」
エルンの必死な声をよそに、リゼラはもう扉を押し開けていた。
ローブの裾をひらりとなびかせ、肩の上でトトが「にゃぁ」と鳴く。
エルンは慌てて後を追い、転げるようにして外へ飛び出す。
少女も胸に張り紙を抱えたまま、不安げにその背を追った。
がらんとした店内には、つい先ほどまでのやり取りが嘘のように静寂が広がる。
扉に下げられた小さな鈴が揺れ、余韻を残すように澄んだ音を響かせた。
からん――。
今日も《リゼラ堂》は、世界で最後の魔法屋として、 ひとつの“ちいさな奇跡”を探しに出かけていく。
それはきっと、世界が忘れかけた“魔法”という名の優しさを
―― もう一度、誰かの手に届けるために。
―fin―
魔法屋リゼラ堂 流瑠々 @Nagare_ruru
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