第二話

 翌朝の七時。鳥の声を目覚ましにカーテンの隙間から外をのぞいた。一点の曇りなしの快晴である。顔を洗おうかと体を起こすと一本電話が入った。

「なんや朝から……もしもし、松尾です」

「おお松尾か!すまん、ちょっと来てくれへんか」

「……遠山さんやないですか、どないしたんです」

「今日高校生麻雀最強決定戦の決勝やねん。せやけど出場予定のもんが急病でこれへんようになって……三打ちってのもあれやがそれなりの実力持った奴じゃないとアカンいうことでお前に電話入れたんやが……」

「決勝は先週にあったやないですか」

「ちゃうちゃう、それは表のや。今からやるんは裏プロ……あとはもうわかるやろ?」

「せやけど私は裏プロなんてやりませんよ。暴力団の代打ちを高校生に任せるなんてメンツがないと言いますか……」

「頼む!どうかでてくれへんか。この場がご破算になんてなったらワシはカシラからどんな制裁を受けるか……」

「わかりましたよ。でも私が参加していることは決して明かさないでくださいね」

 

「きたきた。雀神じゃしん、松尾だ」

 繁華街のはずれにある雀荘の扉を開くと、そんな声が聞こえた。なにが神なのか。私の母親は処女妊娠したとでもいうのか。

「ルールは?」

「四打ちで古役はなし。切上満貫と流しはあり。役満は複合。ダブルはなし。四槓散了は打牌時和了なしで流局。一本場三百。レートは一点で千円。ウマはワンスリー。責任払いは大三元、大四喜、四槓子のみ。オープンなし」

「わかりました。親決めは?」

「それはすんだ。君が親や。やから君が振るんや」

 私の対面から声がする。見るとサングラスをかけてヨレたカッターシャツをきた小柄な男があった。ここに来る男だ、ろくなもんじゃない。ちなみに振る、というのは親がサイコロを振り、どこの山のどこから取り出すかを決めることである。

「三や」

 この場合は出目を自分の山から数える。つまり三ということは私の対面から取り出すということである。そしてこれは座っている、つまり対面から見て右三つを残して親である私から順々にひいていく。

 さて肝心の配牌だ。萬子が一、五、七、八、九、索子が七、八、九、筒子が二、三、南が暗刻。自模った牌が一筒。ここはダブリーをかけることにした。

「ダブリーだ」

 赤五萬を切ってのダブリー。全員たいそう驚いていた。基本早い巡目での立直は愚形待ちのことが多い。これも例に漏れず一筒単騎待ちというかなりしんどい待ちだ。だが関係ない。

「本当に和了れるんだろうな」

 遠山が耳打ちしてくる。だが大丈夫だ。私は次巡で確実に和了する。

 みな字牌を切れない。ドラを切って親が立直を仕掛けてきたともなれば倍満以上を張っていると考えるのが自然。そして赤五萬が絡まない高めとなればおのずと字牌は切れない。どんな好配牌でもオリざるをえない。そこが今回のミソ。早々に戦意喪失させることで軽く打っていこうというわけだ。

 そして次巡。盲牌で察した。私に流れが来ていると。

「ツモ。チャンタ、ダブリー、一発、ツモ。裏はなし。六千百通し」

 原給は二万五千。ここで六千を削り取り一万八千を追加。つまり三倍満直撃まで耐えることができるのは大変助かる。

 点棒を拾うとき、ふと上家の顔が気になった。別段特異ななりをしているわけでも、秀麗ななりをしているわけでもなかったのだが無性に気になったのだ。ふと顔をのぞいてみると、その顔には見覚えがあった。

「お前、藤森ふじもりか?何してんだこんなところで」

 藤森とは私の中学時代の同期である。当時私の学区では、藤森一族というのは札付きの悪として知られていた。さらにこいつは六人兄弟だが全員が上から数えて強盗殺人、傷害致死、傷害致死の共犯、強盗強姦、過失運転致死などを犯しているというウルトラ六兄弟とは真逆を往く悪のエリート集団なのである。

「知り合いか?」

「ただのクラスメートっつーやつですよ」

 藤森は明らかに動揺したようだったが、私は気づかないふりをする。

「すまんな、続けようか」

 卓の動きが止まっていたので再び動かす。ちなみにこの隙に大三元のタネをこっそり仕込んでいるのはまた別の話だ。


 「ロン、平和ドラ一。これでトビだな」

 南二局。オーラスを待たずして終局した。あのあとすり替えやキャタピラを駆使して対面をトバした。ちなみに大三元爆弾はしけって不発に終わった。

「さすがの腕前やな……ほれ、これが金や」

 渡されたのはこんにゃく数枚だった。しかしガキにこれだけの金を持たせてもロクな使い道にならない。第一、出どころ不明の汚いカネなんて使っていては誰にどんな目にあわされるのかわかったものではない。裏の者が仁義を重んじるのは同業相手だけである。

「いりませんよ。ただ麻雀を久しぶりに打てた。それだけで十分です」

 私はそう言って帰ろうと思ったのだが、少しは受け取ってくれないと示しがつかないと押し切られて結局十万だけ受け取ってしまった。無論この金を使う気など毛頭ない。改造本の中にしまっておくつもりだ。

 腕時計で時間を見ると、まだ正午の手前であった。せっかく学校近くまで呼び出されたのだ。北高校ではいまだに半ドンを採用するという旧文明的価値観に固執し革新を停滞させているらしい。苦しめられている連中を窓の外からこっそりと除くのもおもしろそうだと思い、やや急ぎ目に学校へと向かった。

 学校ではいまだに授業中の様子であった。垣が張られておりよく見えなかったが、確かにそこにはけったいな顔をしたものが大あくびをかいたり眼を半分閉じて首を上下に振っていた。このまま気づかれたら不審者か冷やかしだと思われて面倒なことになるし、間抜けな顔を拝めて満足したので帰ろうとして後ろを向いた瞬間、藤森が立っていた。一瞬の硬直の後、藤森のほうから話を始める。

「お前……松尾だよな。なにやってんだウチで」

「いや間抜けな顔を拝もうかなと……ウチ?」

 確かに藤森はこの北高校をさして『ウチ』といった。

「ああ、ここ俺の学校じゃ。ほうじゃけえ(だから)今更に入るんも気まずいがちと(すこしの)用事があってん。したらお前が垣越しに校舎覗こうとしとるのを見たから」

「ああそっか。お前らには一切私の進路語ってないからな。私もここにきてん。バックレるのはあらかじめ決めとったことやからええとして、壁一枚隔てて自由であることを主張するために間抜けな顔を拝みに来てん」

「お前中学ん時からそうじゃったけどぼっけえ(すごく)性格悪いよな。しかもその使い方がやっちもねえ(しょうもない)ったりゃありゃせんわい」

「ほっとけ。んでお前は何してん。あんあとお前は二着に落ち着いたやろ。いくら『雀聖』のプライドに傷がついたと言え『雀神』である私に人間が勝つのは相当なことがないと」

「そうやない!」

 藤森が声を荒らげる。悪の藤森六兄弟に育ったとはいえこいつだけは未だに前科、前歴ナシという奇跡の逸材なのだ。性格も温和で血が違うのではないかと疑うほどにいいやつだ。なので声を荒らげられるとこちらとしてはびっくりして静止してしまう。

「お前、図書委員になったんやってな」

「どこから知ったんや」

「いや、全曜日に当番を入れた一年の傑物がいると聞いて、容姿の特徴をよくよく聞いたらお前に似ているような気がして……」

 つまりこいつは私にある程度の目星をつけていたということである。勘のいい男だ。

「せやったらどうやねん」

「あのそれやったら……羽生はぶいう人がおるんと思うんや」

「おるで」

 多分。

「それやったら、その人を紹介してもらえへんか?」

「私に仲人はできんで」

「あほ、婚約者の紹介あらへんわ。用事があると、そう一言告げてくれればええんや」

 それくらいできないとは現代の男は軟派になったもんだ。しかしこいつが温和な性格の代償として奥手な質であるということはよく知っていたので引き受けてやることにした。


 図書館は今当番のもの以外は入れないことになっている。利用客に対して門戸開放を唱えていたと思うがどうやら土日祝だけは例外らしい。

「阪田部長、すいません。ちょっと羽生いう人に用事があるもんが来とりまして」

「ん?松尾君か。して君は……?」

「い、一年六組の藤森といいます!所属は人類文化研究会じんるいぶんかけんきゅうかいで……」

「ああ、だから羽生君なんだね。いいよ、入りなさい」

 羽生と人類文化研究部に何の関係があるのだろうか。

「なんや、藤森」

「羽生会長!終わったのでご報告に参りました」

「おう、今日やったか。してどうやった」

 羽生の風貌は四角い眼鏡をかけたインテリヤクザといった形だ。銃器や刃物を取り出したら迷わず警察に通報したほうがいい。

「それが……二着でした」

「くぁ~~!!まあしゃーない!損失なかっただけ良しとしよう!」

 羽生が藤森の所属する人類文化研究会のトップで、羽生の指示を受けて裏打ちの最強決定戦に出たのだろう。部下を裏のものと会わせようとは、とんだサイコパスである。

「しかし話ではお前より強いものはおらんということじゃったが」

「そのはずだったんですが……雀神が来とりまして」

「なんと!雀神がか……。そら勝てという方が無理な話じゃな……」

「勝てるだろ、お前なら」

 人のことを神だの超人だのと囃し立てるのはいいが、あまりにもむず痒くつい口をはさんでしまった。

「いや、しかし」

「藤森、知り合いか?」

「その……こいつがその雀神なんです」

 藤森が声をすぼめながら言うと、羽生は勢いよく立ち上がりそのまま硬直してしまった。

「……へえ、君がか?今裏打ち界隈中を騒がせ、恐れられている雀士がか?」

「そうや」

 私がまっすぐに答えてやると羽生ははーっと溜息を吐いて再び椅子に座った。

「藤森を破ったのは君いうことやんな?」

「ええ」

「んでも君が言うには藤森は君に勝てると」

「まあ勝てるんじゃないですか。半荘百回やれば一勝くらいは」

「それを不可能というんじゃ……」

「ちょっとうまい程度の人間では一万半荘打っても私から点棒を毟ることはできん。でもお前はどうだ。さっきも私から点棒を奪った。つまりそれだけ勝ちの目があるということだ」

「あれは差し込みだろ……」

「私が差し込む価値のある人間ということだ。誇っていいぞ」

 私と藤森が雑談をしている時、羽生はずっと真剣な顔で何か考えていた。そして顔をあげ、私のほうを見ながらこう言った。

「雀神よ、聞きたい」

「へえなんでしょうか」

「神と呼ばれるからには実力はもちろん、運も相応にあるということだな?」

「まあ運は実力より出でるものですからね。そりゃあもう」

「ではやってほしいことがあるのだが」

「構いませんよ」

 そういって羽生が取り出したのは一つの箱。その中から現れたのは麻雀牌だった。

「少し目をつぶっていてくれ」

  私は目をつぶって羽生が洗牌する音を聞いていた。どうせこの中から指定した牌を取り出せとかそういうことを言うんだろう。

「できた。目を開けてくれ」

 目を開けるとそこにはぐちゃぐちゃに散らされた牌があった。

「ここから十四枚牌をとって、九種九牌を作ってほしい」

 羽生がいう九種九牌とは一、九と字牌が九種類かつ九牌以上ある状態のことを言う。この場合、流局することができる。

「……それ以上でもよろしいでしょうか」

「?ああ、構わんが」

 羽生がそういったので、私は本能の赴くままに牌を取る。私の直感が叫ぶのだ。ぬるり、ぬるりと手に収められる一牌一牌が、確かな重みを孕んでいる。そうして十四牌取り切った。

「……こんなもんでどうでしょう」

 少し理牌した後、私は十四牌を倒牌する。そこにあるのは完成された国士無双である。

「国士無双、天和。二倍役満です」

 

 あのあと羽生が面食らったように硬直していた。私にとっては別段不思議なこともない。いくつかの牌に傷がついていたのを見ていたのでそれを拾い上げただけである。その程度を見抜けないようではハゲタカの餌食となり食い散らかされてしまうだけである。私は補習終了のチャイムと同時に図書館を出て、家に帰った。


「なあ、阪田」

「なんだい」

「あの者、ただものではない。神などと呼ばれると通常人間は傲慢になる。それは彼も変わらない。だが、その傲慢さを見せても決して隙を見せない。重要な秘部にはぴっちりとベールに包み、決して明かさない。それは並大抵の人間ではまず不可能」

「そうだろうね……。新しく入ってきた一年生の中でも彼は特に異質だよ」

「……阪田、例の件だが、彼も混ぜてみてはどうだ」

「……どうだろうね。彼、面倒くさがりな気性みたいだから」

「そこはお前とそっくりだ……。まあ、いずれにせよ図書委員の一員として活躍できる戦力にはなってほしいものだ」

「そうだね」











「生徒会との全面戦争の前には、ね」

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一流の学徒は本を読む 千銀桃女和師 @senginntounyohoushi

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